| 2003/07/13 |
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街を歩いていて、あるいは電車の中で、正面から歩いてくる人の表情になにか違和感を覚えることがあります。 そういうときは、ほとんど例外なくその人はウオークマンを耳にしています。 私もウオークマンを使ったこと、もちろんあります。 きっと、その時は私も同じような表情をしているのだろうと思います。 その場にいながら、微妙にその場ではないところに心の一部を向けている・・ とでも表現したらいいのでしょうか。 人間の目や感覚はそのような微妙な変化にも瞬時に反応するのだなあと ちょっと驚く瞬間です。 ウオークマンをしていない人に、「ウオークマンを聞いているような表情をしてください」 と、演技力テストのようなものをして、どれぐらいの人がそれが出来るかと考えると ちょっと愉快です。 それほど微妙な表情でありながら、大人の会話の中では、理性とか知性とか呼ばれるもので かなり仮面をかぶせられてしまい、そこまでの細かいところがかえって見えなくなってしまうのが また不思議です。 街を歩いていて、1,2歳の幼児の浮かべる無心の笑顔とその笑顔に答える親の笑顔を見ると もらい笑いをしてしまいそうになります。 なんの作為もない、心と心の会話が目と表情でなされているのです。 そういえば、私も子育て中は、2歳ぐらいまでは、その目の動きと表情で 次に彼女が何をするか、なにをしようと考えているか、だいたい分かったものでした。 あれほど濃密な関係は、もうだれとも結ぶことがないだろうなあと思うと少し寂しい 思いもする今日このごろです。
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