2003/08/02

私が子育てをしていた17,8年前、近所にいた3歳の子供が 「私、ストレスのたまることばっかり」と言うのを聞いてとても 驚いた記憶があります。

「3歳の子供に『ストレス』という言葉の意味など本当に分かっているのだろうか?」 と、とても奇異に思いました。

「もし、私が言葉を持っていなかったら・・」と想像してみたこともあります。

もし、言葉を持っていなかったら、この様々な「感覚や気持ちをどう表現するのだろう・・」

「疲れた」「めんどう」「いやだ」 「嬉しい」「わくわくする」「好き」

もし、否定的な意味を持つ言葉がなければ、嬉しさや感謝を表す言葉しか持っていなかったら・・ 人は嫌なことを言葉にして発することなく、黙々といろんなことに耐え、喜びや感謝の気持ちだけを 言葉にして他者とコミュニケイトする・・

いやいや、やはりそれも不自然だ。

それでも私はやはりどうもひっかかるのです。 「ストレス」「セクハラ」「ストーカー」「児童虐待」 昔はほとんど目にすることのなかったこのような単語が紙面をにぎわせがばにぎわすほど その言葉の持つ魔力に毒されているような感覚に襲われるのです。

せめて愛のある人間関係の間では「良い魔力」を持つ言葉を使いたい。 言霊の力を借りることも、弱い私たちは時には必要。 そんなふうに感じるのです。