2002/11/02ぬかどこ

私はぬかどこを持ったことはありませんが、ぬかどこを預かったことはあります。(笑)

知人が持っていた、彼女のお姑さんゆずりの格調高いぬかどこを、彼女の旅行中預かりました。 時々、彼女の部屋のドアにきゅうりやなすを2,3本入れた紙袋をぶらさげておくと 夕方にはおいしいぬかづけに姿と香りを変えて、我が家のドアノブにぶらさがっているという お世話のなりかたになっていたのです。

ですから、旅行中にぬかどこを預かるのは恩返しプラス勝手にぬかづけつくらせて もらえる恩典付きというわけで、お互いに一石二鳥というわけです。

実家ではおしんこを食べるという習慣がなかったので、ぬかづけがあんなに おいしいものだと知ったのは、まことにに彼女のお姑さんのおかげというものです。

朝晩2度、手を入れて全体をかきまぜます。 「ぬかみそくさい」といわれるだけのことはあって、しあがったぬかづけとは また違った独特の臭みが手に残ります。やはりおいしいものの陰にはそれなりの 苦労があるものです。

毎日手をかけつづける。それが何十年にもおよぶというのは 男の人の仕事とはまた違った大変さです。 「糟糠の妻」ということばはここからきたのでしょうか?

生みの親より育ての親という言葉もありますが やはり、どれだけ手をかけ、かかわってきたかということが 愛情の基本だと思います。どれほどたくさん触れ慈しんできたか。 何十年も変らぬ、いえ、ますますおいしいぬかどこを育てあげてきた その老女は、同じように夫のことも愛していたのではないかと、勝手に 想像をふくらませた私でした。