2002/12/20時間

時間ほど主観に満ちて流れていくものはないと、 それはだれもが感じたことがあるでしょう。

「一緒にいる時間が過ぎていくのをみたくない」 と、車を降りて散歩するときに腕時計をはずした 若かりし頃のボーイフレンド。あってなかったような 門限を律儀に守っていた昔の話です。(笑)

「3分休んで1分」の陣痛。休みの3分は「あっと」いうまに 過ぎ去り、痛みの一分は「秒針の動きさえスローモーションをかけている」 と思えるほどの差がありました。

待ち合わせをしたときに、「待つ時間」と「待たせる時間」の 感覚が同じであれば喧嘩にならないし、それが同じでなければ 片方がいらいらさせられるはめになります。

「目がさめたら起き、お腹がすいたら釣りをして御飯を食べる」 なんて生活をしたことがあるという友人は 「自分のからだが時計になっている最高の時間だった」と 話してくれました。

時間はだれの上も、全くいやになるほど公平に過ぎているはずなのに、 その実態は、おそろしいほど伸び縮みしながら流れている・・

だれもが知っていて、それでいて誰にも数式にできない、 不思議な真実です。