| 2002/12/26 | 遭難 |
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以前に、山で遭難した人と、海で遭難した人の手記を
続けて読んだことがある。二人とも、九死に一生を得た。
海で遭難した人は、40日あまり、ただよい、仲間は全て死に その人だけが助かった。 山で遭難した人は、手足の指を凍傷で失ったが、また山登りを 再開した。 読んでいて、どちらをより辛い経験と私が感じたかというと それは海で遭難した人である。 なぜなら、「なにも出来ることがなくて、ひたすら消耗しないように しながら耐える」時間が延々と続くからだ。 「助かったら何を食べよう、何を飲もう」とみんなで励ましあうが、 近くまできた救助の船が2度、彼らをみすごし、2度目には その精神的絶望感から、次々と人が亡くなる。 山での遭難も、もちろん自然状況は過酷だ。 しかし彼は、自分の経験と判断で、行動し、行動し、行動し あきらめないで動きつづけ、ついにはふもとの村にたどりつき 助かった。 読んでいて、その強い精神力と判断力と行動力に感心こそすれ 息苦しくなることはなかった。 何も出来ないで、ただじっと時間の過ぎるのを待つ。 それも、なんの確証もなく、こないかもしれない希望を じっと待つ。それはなんて辛くて、人として耐えがたい時間かと思う。 今年も後数日で終わります。 来年もささやかな幸せと、耐える力と、行動できる喜びを 感じられる良い年でありますように。
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