2004/3/9覆水盆にもどらず

今日、調理をしている途中で久しぶりにコップを倒してお茶をこぼした。 「覆水盆にもどらず」という言葉が頭をよぎる。 子供の頃、「ことわざ辞典」を読むのが好きだった。 その中で、この「覆水盆にもどらず」というのは、子供ながらに実感があった。 さっきまでこの「コップ」のなかに入って飲める水だったのが、一瞬の油断で テーブルの上にひっくりかえる。水はテーブルクロスをしたって床まで濡らす。

その水は二度と飲めないし、全く別のものになってしまったと言ってもいい。

一瞬の油断で怪我をしたときや、くだらない一言で人間関係にひびを 入れてしまったときも、同じ言葉が頭をよぎる。

「そんなつもりはなかったのに」といくら後悔してもはじまらない。 「覆水盆にもどらず」とまたその言葉が頭をよぎる。

子供の頃からそれを繰り返した私は、ある一面で慎重な性格になった。

水をこぼさないように払う注意と、こぼした水を拭きとる手間とぱあになってしまった水。 それを比べる時、払う注意の効率の良さは歴然だ。しかし、その効率の良さは 「雨降って地固まる」というチャンスを潰す。

ことほどさように、生きていくことは複雑だ。