2004/4/01

4月1日はエイプリルフールとかで、嘘をついても許される日・・

子供の頃はそれで、結構みんなおもしろがってなんとかいろいろだまそうと チエをひねった記憶はあるのだが、「これはやられた!」という痛快な思い出が 意外にないところをみると、ユーモアのある嘘がどんなにむずかしいかとよく分かる。

「嘘」ということで思い出すのなら、子供のときに祖母の財布をかくしたことだろうか。 遊びに来てくれた祖母が帰る時間が近づくと、私と妹は、祖母の手提げの中からこっそりと 財布をぬきとり、それを隠した。もっと家にいてほしかったからだ。

もし本当にそのまま帰ってしまったら、きっとバスに乗るときに困ってバス亭から帰ってきたはずなのだが そういう記憶はない。きっと思えば浅はかな子供の言動など、少し観察力のある大人なら お見通しで、しっててしらないふりして、しばらくだまされたふりをし、小一時間も長居をして 子供心を得心させて、帰っていったのかもしれない。

嘘を嘘と分かっていて気づかぬふりをするとき。

相手が自分を思いやって事実を隠してくれているときは、心の中で頭を下げてだまされる。

相手が自分を陥れるために嘘をついているときは、気づいてきづかぬふりをして その災難をすりぬける。

相手が自分の保身のために嘘をついているとわかったときには、だまされたふりをして そっとその側を離れていく。

出来れば嘘はつきたくないし、つかれたくもない。

でも、大笑いできるような愉快な嘘で私をだましてくれる、頭のいい人も たまにはいないかなあと、ちょっと思うのである。