2004/5/23誠意

曽我さんは、「生中継の会見」で、開口一番「小泉首相には感謝している」と述べた。 そして、言葉を選びながら慎重に話をすすめた。

「曽我さんの家族だけが帰ってこられないという結果に対して どういう感想をもっていますか?」という記者の質問に、なんとか総理に対する批判的な言葉を彼女から ひきだしたいといういじわるな意図を感じたのは私だけだろうか?

曽我さんの話したことの大意は「首相には感謝している。夫の立場も理解しているし、娘たちにとっては 祖国である。一緒に帰ってきてくれないことは残念だが、希望はすてていない。」というものだった。

しかし、直後に流された、編集されたニュースでは、「感謝している」という最初の、まず、彼女が一番に述べた、 すなわち、一番いいたかったことであろうと思われることはカットされ、また、彼女が納得している 事情について述べたところもカットされ、彼女が、そういう「感謝」とか「納得」を踏まえた上で、更に希望として 述べた部分だけが、流されていた。地村さんの意見も、また同様である。

会見の生中継を見た人と、その後に何度も流された編集されたテープを見た人の割合はどれほどだろう。 どれほどの人が作為的に編集されたものだけを見ることになっただろうか。

しかし、私は今ここで、政治的な話をしようと思ったのではない。

ただ、言いたかったことは首相の誠意はごく近しい人たちにはちゃんと伝わっていると 感じたことを言いたかっただけだ。

家族会の人たちが感情的になるのは、人間としてやむをえないと思う。しかし、マスコミが その尻馬に乗り、「ジェンキンスさんのためにアメリカの同意を得ていかなかったのは準備不足」 とまで言うのを聞くにいったては、「じゃあ、あなたがアメリカの大統領だったらどうするのか?」 と、反問したい衝動にかられた。

今までだれもが手をつけなかった「火中のくり」を小泉首相は拾ったのだ。それは政治家として また人間としての誠意であり、たとえ、どんなにニュースが編集されたとしても、当事者や ごく近くで仕事をしている人たちには、それは伝わっていると私は感じている。

なにもせずに、批評だけしたり顔でする専門家やテレビのいたけだけな司会者に 「あなたに批判する資格はあるのか?」と問いただしたくなった。批判したり 解釈するのは誰にでも出来る。でも、自分にとって益にならない、むしろこのように 恰好の批判の対象になることを承知で、それでもあえて行動する。それは私欲を 捨てた人の誠意である。

批判されるべきは、今まで、家族会からの必死の願いに対しても何もしてこなかった 人たちである。マスコミも同罪だ。

マスコミがどう編集しようと、少なくとも、日本に帰ってこられて人たちが 「感謝している」と言った言葉は真実の気持ちだと私は思いたい。