2004/6/9すずらん

私の中学3年のクラスは卒業を目前にして大きな悲しみを背負うことになった。

級友の女の子が一人、自らの命を絶ったのである。

その日、風邪で欠席していた彼女を見舞おうと話しがまとまるのに時間はかからなかった。 受験を控え、部活動もなかった私たちは、放課後、たっぷりの時間を持っていた。当時の 神戸市は「兵庫方式」と呼ばれる、内申で99%合格が決まるという入試方式で みなのんびりしていた。

男子生徒5,6人。女子生徒二人で彼女の一家が住むマンションに向かった。 彼女には年子で同じ中学に通う妹さんがおられ、私たちが着く少し前に、 既に帰宅していたようである。

インターホンを押すと妹さんが出てこられた。私は後ろのほうに立っていた。 前にいた男子生徒たちと妹さんが話す気配があった。そしてすぐに 男子生徒がどやどやと部屋に上がりこんだ。

「全く〜。男の子たちはあつかましいんだから!」なんて苦笑いしていた私のもとにも、 すぐに強烈なガスの臭いが漂ってきた。

窓を開け放ち、二段ベットの上の彼女の姿を確認し、救急車を呼び、パートに でかけていた彼女のお母さんに連絡をし、私たちは外で待った。

だれもが、なにをどうしたらいいのか、もうこれ以上なにも思いつかないで そこにただただ立ち尽くしていた。

あわただしく帰宅した彼女の両親が彼女の名前を呼んで号泣している。 その声を聞いたその時だけが、妙な現実感を伴って記憶に定着した。

「写真がないか」新聞社から電話があったが、みな気持ちは一つで「ない」と 答えた。なにがなんだか良く分からなかった。お風呂に入り、その日のことを ぼんやりと頭に巡らせたけれど、彼女の姿を見た私たちでさえ、それは 現実感のない、ただただ不思議なできごとのように感じられた。

クラス全員で葬儀に出席し、卒業式にはご両親が写真を持って参加され、 それでも私たちは笑顔で校庭でみんなで写真を撮り、そして それぞれの高校へと散っていった。

あれはお通夜だったのか、それとも49日の法要だったのか・・ 一人の男の子が「えっちゃんが好きだといっていた花だから」と すずらんの鉢植えを買ってきてご両親に差し出した。

すずらんの季節ではなかったということで、彼は神戸中の花屋を 探して買ってきた。ひょっとしたら彼女に淡い恋心を抱いていたのかも しれない。

あの遠い悲しみを共有した級友たちとの32年ぶりの再会である。