2004/8/14喜び

長女の話が続いたので、今日はちょっと次女の話を・・

「おいしいもの食べると、『ああ、これ、ゆかにも食べさせてやりたいなあ』って思うんだ。」 「それでもって、ゆかがおいしそうにむしゃむしゃ食べてる横顔見てると、ホント幸せになるんだよなあ。」

というわけで、次女のボーイフレンドは夏休みに帰っていたいなかから、「ミルクプデイング」の詰め合わせを 送ってくれた。食べきれないほどの量だったので、ついでに私も「幸せな顔」して食べさせていただいた。(笑)

動物と子供を一緒にするのは不謹慎かもしれないが、私は動物に餌をやるときと、子供がおいしそうに 食事をする姿を見るとき、同種の喜びを感じる。つまりは「幸せそうな満足している顔をみる喜び。」だ。

今、我が家にはお祭りでもらってきた金魚がいるが、その金魚に餌をやるときでさえ、 私はその喜びを感じる。

私が近づくと、金魚の「きんちゃん」は水面に上ってきては口をぱくぱくさせ、 フレーク状のえさを細かくなるまで指先でもんで金魚鉢のふたを開け、餌を水面に落とすやいなや すごい勢いでその餌を食べつくす。決して愛らしいとは表現できないその姿をみても 私はなぜだか嬉しくなってしまう。

夫婦が結婚した後も、ずっとそような愛情をお互いに持つことが出来たら どんなに幸せだろうと思う。O・ヘンリーの「賢者の贈り物」」の世界だ。 夫は妻の美しい髪を飾る櫛を買うために、自分の懐中時計を売り、妻は夫の 懐中時計の鎖を買うために、その美しい髪を売る。ともに、相手の喜ぶ顔みたさにである。

決してお金では買うことのできない深い喜びを味わう嬉しさを忘れることが、 私は怖い。