| 2004/10/08 | 確信 |
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夕べ、母から電話があった。散々、世間話をしたあと、「じゃあね」と母が電話を切ろうとしたので
「あら、私の誕生日だから電話してきてくれたんじゃなかったの?」と尋ねると
「あら〜。ほんとだったわねえ。全然きづいていなかった。ごめんね〜」と大笑いした。
「あはは。お母さんの誕生日は10月2日なのに、私も忘れてたからお互い様だよねえ」と
私も大笑い。
誕生日を覚えてもらっていて「おめでとう」と言われるのはもちろん嬉しい。 (年を重ねるのはさすがに、もうあまり嬉しいとはいいがたいが。笑) しかし、たとえ母が私の誕生日を忘れていても、いじけたり寂しくなったりすることは 絶対にありえない。それは母が私をこの世のだれよりも私を愛してくれていることを私が 知っているからだ。 大切なのは「心から愛されているかどうか」であって、誕生日を覚えてくれているか どうかではないと、47年も生きてくると分かるのである。 「愛されているかどうか」は表面上の言葉でもなければ、ましてやプレゼントでもない。 日々の生活の中の小さな出来事の積み重ねが、それを実感させてくれる。 でも、ゆめゆめこの私の文章を見たからといって、おくさんや彼女の誕生日を 忘れたりはしないように。なぜなら「心から愛されている」と確信している 妻や恋人はほんの一握りしかいないから。笑
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