2004/11/07後ろめたさ

これと同じ感情を、遠い昔に味わったことがあるなあ・・と記憶をたどった。

あれはおそらく大学の三年生ぐらいだろう。同じ大学に通う部活仲間の男友達が 「せっかく神戸にいるのだから一度ぐらいおいしいステーキを食べたいけど一人じゃ敷居が高いし、かといって だれかにおごれるほど俺は金持ってない。割り勘で二人で食べにいくのつきあってくれないか?」と 提案してきた。

アルバイトでそこそこのお小遣いはあったし、私もその「おいしいステーキ」とやらを一度 食べてみたかったので快諾した。

今のように若い人たちが贅沢をする時代ではまだなかったし、私の家もごく普通のサラリーマン家庭だったから 家族で豪華な外食など経験なかった。「神戸牛」なる言葉は知っていても、20年以上神戸に育っても 「高級牛肉」とは無縁だった。

目の前の鉄板で焼かれる分厚いステーキ。味わったことがないほどの風味豊かな牛肉。 約束通り割り勘で勘定をすませ、良い気分で家に帰り着き、テレビの置いてある和室に ぺたんと座って、一人でくつろぎながら、私は突然、激しい「後ろめたさ」に襲われた。

それは、いくら自分が働いたお金で食べたとはいえ、おそらく「両親」がまだ一度も 食べたことがないようなおいしいものを私一人が、こんな若造の私一人が身分不相応にも 食べてしまったという「後ろめたさ」だった。

世の中には「順番」というものがある・・ 私は漠然とそう感じていたのかもしれない。

先日、私は友人と二人で温泉旅行に行った。私は結婚も子供を産むのも比較的早かったので 独身時代に友人と旅行を楽しむという経験はなかったが、おかげさまで、一般的なパターンよりは 少し早くゆとりのある暮らしに入ることができた。

どんなふうに素敵な宿だったかと母に報告しながら、私はまた「後ろめたさ」に おそわれた。限られた年金の中でつましく暮らしている両親を連れてもいかないで 自分だけが贅沢をしたことに実は「恥」を感じていた。

そして、またもう一つの情景が頭を巡った。それは新幹線の待合室で「高級」で 知られる和菓子の紙袋を両手に山のように下げた年配のご夫婦を見かけたときのことである。 私にはその夫婦が日々つましく暮らしながら「いなか」に帰るにあたっては みんなに喜んでもらおうと、そのお菓子を買ったのだということが良く分かった。

夫婦の会話のニュアンス。お菓子の袋を扱う丁寧な手の動き。二人の笑顔。

私自身は帰神するとき、「荷物が重くなる」「いまどきおいしいものはどこでも買える」 などという「合理的」?理由を勝手につけて「娘が帰るのが何よりのおみやげ」などと うそぶき手ぶらで帰る。

自分の快楽を追及するだけの人生は薄ら寒い。 ちょいと無理して両親のために宿の予約を入れた私である。