| 2005/3/22 | 本能の喜び |
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私はここのところ少しいそがしい。新しいことを一つ始めたからである。
少しの収入と大きな経験を得ている。新しいいろいろな出会いは好奇心を
みたしてくれるし、世間の風にあたることは、時には自分のふがいなさを
再確認しつつも、井の中のかわず状態の私には良い刺激だ。
同じ新聞を読んでも、同じ本屋に行っても、いつもと同じ街を歩いても、 目に入る情報を別の角度から眺められる自分がいるというのは快感だ。 先日出席したセミナーで講師の方が「知識や情報は大切だけれど 手に入れた瞬間からもうそれは古くなっています。どうぞ、得た知識から 何か新しいことを考えられる人になってください。」とおっしゃった。 確かにそうだろう。今の情報や知識の鮮度の落ちる速さといったらどうだろう! でも、私は「新しい知識や情報を得る」というそのこと自体が「わくわく」するほど 楽しい。ビジネスをするわけではない。先端の何かを探しているわけでもない。 でも、単純に「知らなかったことを知る」という喜びは私の本能をくすぐっている。 私は40歳を過ぎた頃から「自分の本能が喜ぶこと」というものにたいして 敏感になり、そしてそれを大事にするようになってきた。とかく「知性」の 部分でものごと良し悪しを判断しようとしてきた若い頃の自分とは変わってきた自分を 感じている。 「本能が喜ぶほどの『知るよろこび』」が再び与えられたことに感謝している。
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