2005/8/8会話

今、我が家にはトニーが来ている。この日記をずっと読んでくださっている方は 記憶にあるかと思うが、私は去年、長女と二人でモルディブに行った。(2004年8月14日の日記「英語の効用」参照) その時、彼女にできたボーイフレンドだ。 夏休みに出会って、冬休み、春休みは娘がオランダに行った。 そして今度はトニーが日本にやってきたのだ。 去年、帰国したあくる日には英語学校に入学手続きに行った長女は 英語も少し上達したようである。 会話というのは不思議だ。さほど上手ではない英語でもきちんと 心の通う会話になっている。なんの不自由もない日本語を扱っても もっと空虚な会話になってしまうことを、私は体験的に知っている。

私は結婚したころの自分を思い出す。元来、おしゃべりなはずの私が お見合いで結婚した夫相手にはどうしても会話ができなかった。 それは夫が「返事」をしないからだった。相槌のないところで会話をするのは かなり高等な技術がいる。私はそこまでは成熟していなかったようだ。

「聞き上手」「話し上手」という言葉がある。でもそれ以前にもっとも大切なことは 「相手を知りたい」「私を知ってほしい」という気持ちだろう。両者に その気持ちがあれば、決して雄弁でなくても、気の利いた質問をはさめなくても 心の通う会話を成立させることは可能だ。

日本のドラマを見ていて、私がしばしば違和感を覚えるのは「せりふが多すぎる」という点だ。 日常ではかなりはしょった、文字だけにすれば味もそっけもないような・・ そういう会話を私たちはしている。

でも、そういう会話の中で、目の光や声のトーンや、表情にちらっと 現れる微妙な変化をみながら心通わす相手を私たちは探している。

今の私の一番の心配事は、娘が英語がたっしゃになりすぎることである。 おしゃべりが過ぎて、せっかくの「英語の効用」がなくなるのでは??笑