2005/8/10花火

昨日は鎌倉の花火大会だった。花火のある日は駅に浴衣姿の若いお嬢さんたちがあふれているので すぐにそれと分かる。みな、それぞれになかなかに似合って、髪形も工夫しおしゃれだなあと 思う。私も娘時代、浴衣を着たが、今のように花火大会はひんぱんにはなかったし、 せいぜい夏祭りの夜に一年に一度着る程度だった。

私が一番記憶に鮮やかな花火大会は、小学校2年生の時にうまれて初めて見た花火だろう。 神戸の須磨の海岸で見た。父と母と私と妹。須磨の海岸に座り、夜空を見上げた。 妹は頭上で炸裂する光に「怖い」と泣いた。きっと火の粉が自分のところまで落ちてくると 思ったのだ。私は怖くはなかった。うっとりと光と花火の音を聞き続けた。

花火は終わり、人は帰路につく。蒸し暑く、汗で体はべたべたするが、人が大勢いる夜を そぞろ歩くという経験は子供の心を妙にわくわくさせる。そんな中、偶然に両親の知人に出会った。

私の両親は二人とも銀行員で、社内恋愛で結婚したのだが、母も働いていた当時の同僚の方に 会ったのである。同僚の方とそのお母様、奥様が一緒だった。 その方たちは須磨にお住まいだったらしく、話がはずんで私たちはそのお宅にお邪魔した。

知らない人のおうちにお邪魔するという経験は珍しい。 花火の興奮と珍しい体験からか、その日の夜のことは幼い私の記憶に残った。

後年、私が高校生の頃だろうか。おばが遊びに来て、母といろいろ話をしている その中で、私はあの時会ったあの銀行の同僚の方が、母の遠い昔の「恋人のような人」 であったことを知る。

当時は「恋人のようなもの」とは言ってもごくごくかわいいお付き合いで、 要は年上のその人に「もっと本を読みなさい」と指導され、母は時々、お宅にお邪魔して 本をお借りし、感想を述べたりしていたようだ。元来、あまり本好きだない母がさぼると 「最近、本を読んでいないね。」と叱られたらしい。

その方は母一人子一人の境遇で、そのことを知った私の祖父が親しく付き合うことを 反対し、その意をくんだ母は、結局、遠ざかっていったようだ。

あの花火大会の日の母はおそらく30代の半ばだろう。今の私より遥かに若い。

< おそらくあの夜、母は自分の若かりし時代にいろいろ想いをはせたに違いない。

人は初めての場所に行くとき、ゆきの道は遠く感じるが、帰りは「意外に近いな」と感じる。 人生という旅においても、自分の経験したことのない「未来」はとても遠く感じるが 通り過ぎてきた「過去」はとても近しいものに感じる。

当時、子供だった私には母の年齢は想像の域を超えた、遠い先の全く何も「見えない」場所だった。 今、30代を通り越した私には、当時の母の立つ位置がはっきりと認識できるしとても近くに感じる。

今年も花火を見ることなく、私の夏は終わってしまいそうだ。

あの初めてみた花火を越える花火大会に、私はいつか巡り合うだろうか。