| 2005/8/21 | 目を閉じて |
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電車の中で、時々、お母さんの腕の中にいる赤ちゃんに出会う。
安心しきった表情がかわいくて、ついつい目が行く。
お母さんの胸にほほをつけ、だいたいがゆれに身を任せているうちに眠くなってくるらしい。
この間も生後4,5ヶ月ぐらいのそんな赤ちゃんに出会った。 目は開いているのだが、すでに眠気をもよおしていることは気配で分かる。 しかし、意外にもなかなか目を閉じない。 ふっと目蓋を下ろすのだが、すぐさま必死になって目蓋をあける。 それを、何度も何度も驚くほど繰り返すのだ。 私は「不思議だなあ」と観察していた。わが子をねかしつけていたときは だいだい、目があうと寝てくれないから、ただ自分が抱っこして背中をとんとんと たたいているか、もしくは布団の中であれば、「寝たふり」しているので 赤ん坊の時のわが娘たちが寝入る瞬間を観察した記憶がないのだ。 なにを不思議と感じたかというと、大人になれば、だいたいは「寝よう」と 思って目を先に閉じてそれから眠りに入るような気がするのだ。 まあ、授業中や仕事中に不覚にも寝てしまうときは、その限りでもないかもしれないが・・ どうして、こんなに小さな赤ん坊が、何を見ようとして眠気に逆らって 目蓋を必死で開こうとするのか・・何が見たいのだろう・・何が見えているのだろう・・ 見ていることが、気持ちよく眠ることより重要なのだろうか・・ 私は目の前の赤ちゃんを見ながらずっとそのことを考えていた。 先日、長女の高校時代の友人がバイクの事故で亡くなった。 遺体を処理してくださった方が、「話してくださった」と その家族の方がお話されたそうだ。 「若い方の事故の遺体は例外なく、どうしても目を閉じません。 どうしても、閉じないのです。『生きていたい』という気持ちが強すぎるのでしょう・・」 私はかねがね、「死ぬ」ということは「眠る」ことにとても近いような気がしている。 (2004年11月28日日記「参照) 今日一日に満足して、疲れに身を任せるとき、眠ることはとても心地よい。 まだ、やらなくてはいけないことがあって、必死で起きよう、起きようとしているときは 何度も目がさめる。赤ん坊が、眠るその瞬間まで目蓋をとじまいと必死になっている姿と 若い人が目を閉じないで亡くなってしまうということが、どこか深いところでつなっがているような 気がしてならない。 I君のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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