2005/9/7ボーリング

久しぶりにボーリングをした。次女の子供会の行事でして以来だから、かれこれ 10年以上になるかもしれない。

私が中学生の頃は、第一次ボーリングブームだった。「りつこさん、りつこさん、さわやかりつこさん」 という文字を見て、すぐにあるCMのメロディーが頭に浮かぶ人は、私と世代を同じにしている人である。

その頃は、私の母親世代の女性達が昼間の時間帯に「お得なプレー代」でボーリングを楽しんでいた。 私の自宅から歩いて10分の叔母の家の近くにはボーリング場があり、 叔母の家に遊びに行くと、よくその日のゲームの話など聞かされたものだ。

その頃の私は画期的なスコア記録を持っている。「8」だ。 その時は父と行ったのだが、一生懸命に投げれば投げるほど、ボールは最後の瞬間に 大きなカーブを描いてガーターになるか、かろうじて一本倒して溝に落ちる・・という 構図だった。

「お金をドブに捨てたようなものだ」と父が言ったセリフが妙に腑に落ちて みんなで笑ってしまった。

さて、この間のボーリングだが、スコアこそ100ちょいと、その頃に比べたら 格段の?進歩だったが、私は握力がなく、軽いボールしか投げられないせいもあるが 「ごろごろ」と音をたてながらハエでもとまりそうなスピードでころがっていき ピンも「かたかたかた」とスローモーションでもかけたような感じで倒れていき なんとも「爽快感」とは程遠い。

力のある男性であれば快音を響かせてストライク!と爽快なのに。

で、悔しくて、思いっきり投げると、昔のようにスピンがかかってはなはだ結果がよろしくない。

非力でも素直にまっすぐポトンと投げたほうが、かっこ悪くても確実にピンを倒すことができるのだ。

私はその爽快感のないボーリングをしながら、なんとも自分の人生のようだと 思いを馳せてしまった。力まないでそっと素直に投げたほうが、力一杯やったときより うまくいく・・これは私が自分の経験から学んでいる、私自身の生き方なのだ。 これがいいかどうかは分からない。でも、自分はそうしているという自覚がある。

とても無理と思えるような目標を高くかかげ、傍目にはじたばたあえいでいるように 見えていても、ちゃんとその目標をクリアする人もいる。しかし、私は いつも低めの目標を目の前に置いて、それをゆっくり確実にクリアし、多くをのぞまない。

傍目には「前向きではない」「リスクをおかすことをいつもさけている」と 評価されることもある。

でも、私はこの「ボーリングのやり方」が気に入っている。 目の前にある、レーンの小さな三角をめざして、そっとボールを投げる。 遠くのピンを豪快に倒す絵は描かずに。