2005/10/23時の長れ

誰もが子供の頃には経験したことがあると思う。

初めて行く場所。とても遠く感じる。 でも帰り道は思いがけなく近い。 「あれっ?こんなに近かったの?」と思う。

今では普通の家庭にも車が普及して、子供たちは車で簡単にいろんな所へいく。 だから、ひょっとしたら、私たちが幼い頃に感じたような 「遠い街へやってきた」というワクワク感やどきどき感は少ないかもしれない。 駅まで歩き、電車に乗り知らない駅に降り立つ。初めての駅で、またそこからバスに乗ったり・・。 歩くにしても、子供の足ではどこへ行くのもやはり遠い。

小学生の時は、制服を着た中学生はとてつもなく大人に見えたし ましてや高校生なんてもうほとんど大人と同じで、30以上の人は みんな「おっちゃん・おばちゃん」だった。70代の人は 想像もつかないような長い時間を生きてきた、ほとんど仙人に近いような存在だった。

ところが、今、小学生や中学生をみても、「ああ、かわいいなあ」と近い存在であり 20代、30代なんてつい最近通り過ぎてきた、道であり、この調子で行くと 70の人をみて「若いなあ」と感じるのも時間の問題のようである。笑

時間も空間と同じ法則性をもっているようだ。 すなわち、「自分がかつて一度通り過ぎてきたところは近くに感じ、未だ、まだ 自分が経験していないところは実際の距離より遠く感じる。」

数ヶ月前、草津の温泉宿に泊まったとき、私はそこで明治天皇の侍医でもあった ベルツ博士の妻「花子」の伝記を読んだ。それは、子供の頃によく読んだ、いわゆる 「偉人伝」というようなものとは違って、(もちろん、すばらしい業績を残した りっぱな夫妻であったが)子供の教育に悩み、また祖国というアイディンティティを 持てなかったベルツ夫妻の息子の、そして、その息子を父に持った娘の・・歴史が書き綴られていた。

温泉宿で暇にあかしてその本を読み通した私が感じたことは それぞれの人生への共感や反発ではなく「みんな死んでしまった・・」という概念だった。

それぞれが、悩み苦しみ努力し、愛し愛され憎み悲しみ生きていたけれど 3代に及ぶその登場人物たちも、みんな今やこの世には存在していない・・ という当たり前の事に、いたく心打たれた。

「過ぎていく時間」

いつか私も今まで歩いてきた道を、 「あれっ?こんなに近かったっけ?」と不思議に感じながら この世から消えていく。

それはとても不思議なことで当たり前のことで だれにも同じに訪れることで・・

今日は義母の13回忌だった。