| 2006/1/8 | 貧しさの意味 |
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年の暮れにふと合わせたチャンネルで、インドネシアの子供のドキュメンタリー番組を 放映していた。再放送だった。 10歳の少年と8歳の少女。二人は5人兄弟の上二人だ。両親は下の三人の子供を連れて 生まれ故郷に帰り、少年と少女は都会のおばの家に預けられている。 二人は市場でビニールの買い物袋を買い物客に売り、その収入で自分たちの食費と 学費をおばに払い、残ったお金をためて1000ルピーになると両親に送っている。 およそ一ヶ月で1000ルピー貯まる。 両親は島で土地を借り、農業を営んでいる。過酷な労働で一年に稼げる現金は なんと1000ルピーである・・子供たちが一ヶ月、ビニール袋売りで得られる現金と 同じなのだ。 おばも貧しい。自分にも子供があり食べていくだけで精一杯だ。 でも、心優しい。子供たちは空き缶にお金を貯め、1000ルピー貯まると おばを満面の笑顔で呼びにくる。 「ねえ、おばさん、見て!これでお母さんにお金送れるよ!」 おばは「良かったねえ」と子供の頭をなで 抱きしめる。 どうしても両親と暮らしたい子供たちは数ヶ月かかって島へ帰る船代を貯める。 まる二日間船に乗って、幼い兄弟は島をめざす。お母さんにおみやげに白いストールを 買った。「おかあさん、喜んでくれるかなあ」兄がふざけて妹の頭にストールを 巻きつける。二人ははしゃぎ、幸せで、やがて船のベットで重なって寝てしまう。 船着場にはおとうさんとおじさんが迎えに来てくれていた。 お母さんは怪我でまだ傷が癒えていない。その怪我を治すために 借りたお金が5万4000ルピーだった。金貸し業の婦人がお金をとりたてに やってくる。 「かわいそうだから、利子もつけていないのに、返せないのなら 警察に訴えるわよ」 おじがぽつりとつぶやく。 「あの二人を帰すしかない。二人にお金を稼いでもらわないと 僕たちはやっていけない」 たった、数日、お母さんに甘えただけで、二人はまた船に乗って 帰ることになった。兄は涙を飲み込み、妹は泣きじゃくり、 数日後には、また市場でビニール袋を売る二人の姿があった。 番組の終わりにテロップが流れた。最初の放送で義援金が集まり 借金を返済して、二人が両親の下で暮らせるようになったと。 どこの国に産まれても、どの時代に産まれても、 赤ん坊は真っ白な状態で、快・不快を笑顔と泣き声で表現するだけだ。 年末に、夫と、箱根の芦ノ湖が見下ろせるホテルのティールームで お茶を飲んだ。隣のテーブルで若い夫婦がお茶を飲んでいたが、 乳母車に座らせたままの一歳ぐらいの子供は夫婦がお茶を飲んでいる間中 泣いていた。母親はテーブルごしに時々手を伸ばしたりしていたが、 抱き上げることも、声をかけることもなく、父親もまた同じで 小一時間赤ん坊は飲み物も食べ物も抱擁も与えられることなく 泣いていた。 そして、その光景を見てみぬふりをして決してかかわらない私がいる。 寂しく貧しい光景だった。
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