2006/1/22願掛け

お約束のように大雪となった21日の朝。大学入学センター試験である。 自分の受験より、はるかにストレスの高い子供の受験。 見守ることしかできないことの歯がゆさを親は体験する。

「本日より2日間、プチ断食」と友人よりメールあり。 太目の体躯を思い出し、かつ、人間ドック前一週間は「仙人生活」が 恒例の我が夫を頭に思い浮かべ、「健康のため」かと思いきや 「息子ががんばっているときに親が飲んだくれているわけにもいかんやろ」と 私の友人。

「願掛け」

そういえば、私の母は私の出産のとき「無事に元気な子供がうまれますように」と 毎月お墓参りをし、草むしりをしてくれていたらしい。私は結婚が早かったので 思えば、今の私の年齢の母である。私が大学受験の朝は靴を磨いてくれていた。 普段はどちらかというと「放任主義」であるかのように、娘である私は感じていたが 「心配してくれているんだなあ」と感じたことを懐かしく思い出す。

もっとも、当の本人は歩いて20分のところにある受験場所に安心して 下見もしないで当日いったら、間違えてワンブロック南の高校に行ってしまい 「受験会場の案内がないなあ」とウロウロしたあげく、ぎりぎりに会場に 入ったのだから、親も「知らぬが仏」というところか。

「願掛け」はせつない。見守り、待つことしかできない。 でも、そこには見返りを求めない無私の愛がある。