2006/6/2長崎旅日記:長崎海岸物語

一日目の午後は長崎の海岸に沿って、小学生の遠足よろしく「さるく博」のガイドのおじさんの 説明に耳を傾けながらの散策だった。実は、長崎では平地は全て「埋立地」であるそうだ。 海岸は徐々に海の方へと埋め立てられてきた。海岸線はどんどん移動している。 今の長崎の海岸には、洒落たデートスポットの海に向かってテラスのあるレストランや 外資系保険会社の本社のたつ、横浜で言えば「臨港パーク」のような、「長崎水辺の森公園」や 平成17年にオープンしたばかりの長崎県立美術館の運河をはさんだ回廊など、近代的な建築が たちならんでいる。

今の海岸を歩いて、昔の長崎を想像するのはむずかしい。しかし、「さるく博」では 歩きながら、ポイント・ポイントで、昔の写真を見せていただいた。 それらは、近いものでは昭和32年。私の産まれた頃である・・。 写真と現実の風景をその場に立って見比べて、当時の様子を想像することは 楽しい、不思議な時間だった。この楽しさは今回の長崎の旅行の間中、私を楽しませてくれた。

風景をめでたり、今あるお店でショッピングを楽しむのとは全く違う楽しみだった。 それはありきたりの言葉だけれど「時代と人の息吹」を肌身で感じることができた・・ ということだと思う。

今では長崎は九州の一地方都市でしかないが、その昔は唯一「外国に向けて開かれた港」だった。 たとえば、医学一つとっても、江戸なんて目じゃない。最新の西洋の医学は長崎でなければ 学べなかった。開かれた街であるということは、物もお金も入ってくる。そこには自然と 生き生きとした、開放的で好奇心旺盛でおせっかいな風土が育ったようだ。

この日の散策は「目隠し倉庫群」の前で終わった。実はここにはイギリス領事館が あったのだが、その目の前の三菱ドッグで最新の軍艦が建造されていた。 軍の機密を守るため、領事館から港が見えないように、領事館の南側に急ごしらえの 「プレハブ倉庫」を建てたらしい。外からは「倉庫」だが中はからっぽの倉庫としては用を なさないばらっくだったそうだ。そんな倉庫ひとつで目隠しできる・・ほど、 「外国人」の行動半径が制限されていた・・ということも私には新鮮な驚きだった。 この話は、また次の機会にしよう。

そんな話をお聞きして、解散となったのだが、長崎人は県外の私をそこにほってはおかない。 親切に今日の泊まりのホテルを聞き、そこへの行きかたを一生懸命説明してくれ、 市電も一緒に乗って、その乗り換え方法も教えていただいた。

実は長崎の市電は「のりつぎ」です・・と伝えると「乗りつぎ券」を発行してくれ 乗り換えても、初乗りの100円で次の目的地までのせてくれる。 こんなこと一つも、初めての人間はまごまごする。お世話がありがたかった。

こうして寝不足だった一日も無事に暮れた。