| 2006/9/8 | 伯母の幸せ・下 |
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私は独身の頃、「出来れば苦労はしたくない」と考えていた。 今だって、その気持ちに変わりはない。 でも、人の一生は長い。いろいろなことがある。理不尽な怒りを飲み込むこともあれば やりばのない悲しみにどこに身を置けばよいのか分からなくなることもある。 一晩寝れば元気になるかもしれないし、何年もかかるかもしれない。 「幸せ」というものに万人に共通のものさしはない。 一人で鉄板焼きを食べて「今が一番幸せ」と思う人もいれば 「寂しくてやりきれない」と感じる人もいるだろう。 夫婦仲は良いにこしたことはない。でも、かけがえのないパートナーで あればあるほど、その喪失感は大きい。 共に過ごした時間の濃密さと愛情の深さの総量と喪失感の総量 はきっとかけ合わせると1になる・・私は最近そんな風に考えている。 伯母の幸福感は「人としてやるべきことをきちんと成した」という責任感の充足と 「もう、自分のことだけしていればいい」という開放感・・ そんなものがいろいろかけあわされて「今が一番幸せ」という言葉に 現れたのだろう・・私は実家で同じ食卓を囲みながら、そう、想像した。 今も私の実家から歩いて5分のところに住んでいる伯母。 次女である母は、伯母の世話になることはあっても なかなか伯母の世話をして恩返しをする機会はないらしい・・。 70を超えても姉妹はいつまでも姉妹なのだ。
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