2006/10/24指先 2

神戸の三宮駅近くのそのスナックの重い木のドアを押した。 集合の時間より5分ほど早い。一番乗りしていたのは野球部のH君。 今も社会人野球チームで現役で活躍しているという。某宗教法人の 関西支部会長や景気の良い運送会社社長など、個性あふれる 「おもろいやつ」達が次々と顔を出す。

委員長は小一時間遅れてきた。神戸の繁華街にある小学校は生徒指導で いそがしいらしい。細面だった中学時代よりは顔は丸くなっていたが 切れ長の眼はかわらずにはつらつと優しかった。彼が早い時期に奥さんを亡くし、 その後、縁あって再婚していることは人づてに聞いていた。

「奥さんが死んだ時なあ・・。娘達は小学校4年生と2年生やってん。 二人とも葬式の日はずっと大泣きでな・・あたりまえやけど・・。 でもなあ、その二人が葬式の明くる日に俺の前で漫才してくれてん。 『一番辛いのはお父さんや。だからお父さんを笑わせたあげんといかん。 お父さんの笑う顔がみたい』言うてな」

スナックの一番奥の席に座って、そう話してくれた。 時折まざるユーモアたっぷりの語り口と彼の明るい笑顔は 30年前と同じで、悲しいはずの話もさらりと聞けた。

2度と会えない遠いところへ旅立ってしまった友の話も 彼の口から詳しく聞いた。中学時代から心優しい責任感の強い男の子だったことを 思い出しながら私はその話を聞いた。私の心の中では彼は永遠に少年だ。

委員長が脳卒中で倒れ、意識不明でICUに運ばれたという知らせを 聞いたのはそれからわずかに4ヶ月後のことだ。