2007/1/25ねんねこ

「ねんねこ」など、この東京ではもうとんと見かけない。 今でも地方にいけばあるのだろうか?私が長女を産んだ25年前でさえ、東京で ねんねこを使っている人を見た記憶はほとんどない。「前だっこひも」や「しょいこ」 が流行りだした頃で、若いお父さんが「しょいこ」にあかちゃんと入れて、赤ちゃんが 父親の背中で、まるで椅子に座るがごとく足をぶらぶらさせているのを良く目にした。 それが育児参加をする父親の「象徴」のような側面もあったような気がする。

私は当時の愛読書だった「暮らしの手帳」の信望者で、商品テストの結果 「最も赤ちゃんとお母さんが自然に密着でき、おぶっても抱っこしても 使える」というえんじ色のおぶいひもを常用していた。「前だっこひも」は リュックの肩ひものような印象で、赤ちゃんの頭を支えるボードがつき、 見た目もちょっとおしゃれだった。はっきりいって「おぶいひも」は垢抜けない。

でも、あくまで「暮らしの手帳」の信望者の私は、その「おぶいひも」を使っていた。 長女をおぶいひもで背中にくくりつけ、お昼ご飯が終わるとすぐに夕食の下ごしらえを 始める。そうすると、長女は背中でゆられて良い気持ちになって寝だすので、 そっと赤ちゃん用のふとんに降ろしては、仕事の続きをした。

日曜日ぐらいは、長女を背負わないでゆっくり夕飯の支度をしたいと思っていたが 夫が抱くと、どうしても大泣きするので、その泣き声に負けて、結局おぶって 夕飯の支度をした。

長女は1月生まれだから、おそらく一才のお誕生日前に神戸の実家に帰省したときだろう。 母は、いったいどこの親戚に借りてきたのか、私が荷物をとくやいなや、いそいそと 「ねんねこ」を持ち出してきた。「かほちゃんをおんぶしたくて、これ、借りてきたんよ」

あの頃、考えたら母は今の私より若い。まだ48歳だったのだ。 私が持参したおぶいひもでかほを背中にしょうと、その上からベージュの人造ファーが えりもとにつき、全体が赤い大柄なチエックの、昭和の40年代の頃と思われる ねんねこを着た。「ああ、おんぶすると暖かいなあ」とうきうきしている。

私は母に長女をおんぶしてもらい、私はコートを着て身軽な格好で、 結婚した妹が住む加古川に遊びに行った。加古川の駅でタクシーに乗るとき タクシーの運ちゃんが「なんでおかあさんが赤ちゃんをおんぶしているの?」と ちょっと非難がましい目で見られた・・ような気がした。 それを察した母は「私はこの子をおぶうのが楽しみで、ねんねこを借りて待っていたんですよ」 と運ちゃんに話しかけた。

ただそれだけの出来事なのだが、その時の気恥ずかしさと、母のうれしそうな様子があいまざり 私には忘れられない。

そして、そのねんねこは、母からそのまま私が譲り受けて東京に持ち帰った。

長女が幼稚園の時、お誕生日会に大雪が降った。母親が来るのを楽しみにしているから どうしても休むわけにはいかない。いつもは次女をベビーカーに乗せて幼稚園まで 通っていたが、大雪では到底無理だ。思案したあげく、私は次女をねんねこでしょい、 長靴を履き、幼稚園まで出かけた。これまた泣き虫だった次女は、いつも片手で私の腰の骨の上に乗せて 家事をしていたのでおぶいなれていなくて、背中になじんでくれない。

大雪の道を次女をしょって幼稚園への道を歩きながら 「お母さんが近くにいてくれたらなあ」と辛く思ったことも、今では良い思い出だ。