2007/9/15上野精養軒

 御茶ノ水にある東大病院の15階には上野精養軒が入っている。入り口に置かれたショーウインドウには、昔懐かしい感じの蝋で作られた商品見本が並んでいる。メニューには山菜そばから幕の内弁当、はやしライスにステーキまでと和も洋も幅広く取り揃えられている。体調が様々な人が訪れる病院レストランの気配りだろう。きちんとした食器で蝶ネクタイに黒服のボーイさん達がサーブしてくれるここにくると、病院内であることを忘れほっとする。なによりすばらしいのはそこから見下ろす不忍池の眺めだ。大きな窓ガラスから池を見下ろすと、散策する人々と鴨の姿が望見できる。入り口の近くには「白衣かけ」があり、ドクター達もここで食事をするときは、しばしいそがしい仕事から離れほっとしている様子だ。

 神戸に住む父が、ここ東大病院で手術を受けたのは5年前。手術直前のドクターからのお話では「手術の時間が長くかかっても、それはご心配いりません。しかし、もし、手がつくせないような状況の場合は2時間半ほどで終わります。」とのことだった。母と妹と私は、待合室で息を飲むように時間が過ぎるのを待った。待合室では、いくつからある手術室でオペ中の家族がみんな一緒に待つ。長時間に及ぶ手術も多いことを考慮して、畳敷きのスペースも容易されている。ドアから手術着を来たドクターが現れるたびに心臓がどきどきしたが、それは父の担当医ではなく、4時間が経過するころから「ああ、ちゃんと手術が出来る状況だったのだ」と私達三人はほっとした。しかし、8時間に及ぶ手術が終わった後、執刀医からの説明では「思ったより進行していました。出きる限り取り除きましたが一年以内の再発の可能性が高い状態です。」とのことだった。まるでジェットコースターのように、不安、安心、不安と激しい感情を味わった私達は、がっくりと肩を落として15階のレストランへ行った。日も暮れ窓の外は暗闇だ。食欲のない私達はそばとリゾットを注文し、流し込むように口に運んだ。

 父は2週間ほどで、ぶらぶらと歩けるほどに回復した。ガウンを着て点滴台をひっぱりながら一緒にレストランに行く。入院以来、俳句作りに興味を覚えた父は、この明るいレストランで作品の披露に余念がない。父のお気に入りのメニューはトマトジュース。ちょっとお値段のはるトマトジュースは生のトマトの香りがしてレモンと塩を添えていただく。 「暖かい出来立てのオムレツが食べたい」という父の希望をレストランに告げると、メニューにはない「プレーンオムレツ」を作ってくださった。入院生活は3ヶ月に及んだ。途中、体調が悪くなり、絶食を強いられた時もあったが、回復した父は、また、レストランで「トマトジュースとオムレツ」を食せるようになった。退院まじかに明るい窓のそばで撮った写真にはトマトジュースで乾杯をする父と、笑顔の母が写っている。

 いちょうの大木が黄金色に輝く頃入院した父は、もう少しで桜が咲きそうという時期に無事退院して神戸に帰った。退院後は神戸の病院でお世話になっていたが、一年検診で東京を訪れた。今回は桜が満開だ。担当医に元気な姿を見せることができたことに感謝し、一年ぶりにレストランへ行った。  「あっ、あのボーイさん、オムレツを用意してもらえるかどうか頼んだ人だね。私達のこと覚えているかなあ」妹が懐かしそうにつぶやく。嬉しさも手伝って、オーダーをとりに来てくれたボーイさんに「私達のこと、覚えていらっしゃいます?」とたずねると「もちろんですよ!お元気そうでなによりです。」と満面の笑み。

 上野精養軒。ここは東大病院の15階。いろんな人がいろんな思いをかかえてやってくる。でも、少なくとも、今、このとき、ここで食事できるということがどんなに幸せなことかということを皆良く知っている。ここで働く人たちはそのことを良く知っている。病院内のレストランであるということを彼らのきびきびとした動きは忘れさせてくれる。「普通であること」が「なによりも幸せ」であることを体現する。上野精養軒。ここはそんなレストランだ。あれから5年。来年春も父は「トマトジュースとオムレツ」を注文できそうだ。あのボーイさんはもういなくなってしまったけれど。今年の父は、窓際の席でどんな俳句をひねりだすだろう。