| 2007/12/19 | ある夫婦 |
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そのホテルには「リビングルーム」と呼ばれるホールがある。 部屋の中央には暖炉があり、その暖炉を取り囲むように居心地のよいソファーが配置されている。 ホテルだが温泉があり、部屋にそなえつけのゆかたのまま、この「リビングルーム」にいてもかまわない。夕方4時にはシャンパン・ワイン・ビール・・飲み物は全てフリーでサービスされる。 窓から見える中庭にはクリスマスのイルミネーションが控えめにほどこされ、17時にはホールの照明も落とされ、もはや本さえ読めない。 夫婦で、カップルで、親子で、あるいは一人で・・。食事が始まるまで三々五々それぞれが時間を過ごす。 一泊目は娘と、二泊目は一人で、ここでのんびりした。 2泊目の一人の夜、暖炉の明かりの中で赤いセーターにベストをはおったご主人と、ショートカットが爽やかな奥さんのご夫婦に目を惹かれた。 夜に食事に行った寿司カウンターで偶然にもそのご夫婦と隣あわせになり、私が一人だったこともあり、会話に入れていただいた。赤いセーターに映えるそのベストは奥様の手編みとのことだった。 ホールで遠目に拝見していたときは気付かなかったがご主人は鼻に酸素の管を装着し、小さなボンベを京都の「一澤帆布」の袋に入れて入れて持ち歩いておられる。 「僕はねえ、どこに行ってもすぐに友達ができるんですよ」とご主人。 「全くね」と奥様。 「この人はね、42歳の時に肺がんになったんですよ。厄年でしたねえ。18年もたって、今年になってまたみつかったんですよ。」 今年、60歳になるご主人だが、その酸素の管がなければとても病人には見えない血色の良さだ。からだつきもたくましく、私は手術も無事に終わって二人の旅行を楽しんでいるのだろうと、勝手に想像する。 デザートは暖炉の側で供されるとのことで、私は一足先に失礼した。 あくる朝、朝食にレストランに下りると昨夜のご夫婦がおられた。目礼すると「お一人ならご一緒しましょう」と席によんでくださった。 席横の窓ガラスはきれいに磨き上げられ、爽やかな青空が広がっている。 「夕べはあれからしこたま飲みましてね。あなたに何を話したか忘れちゃいましたよ。」 そう、おっしゃる割にはご夫婦ともに爽やかな笑顔である。 「箱根なら酸素をつけていれば大丈夫なんですが、軽井沢だと200メートル標高が高いだけでも息が苦しいのですよ。家でなら、酸素なしでも食事ぐらいは大丈夫なんですけどね」旺盛な食欲のご主人がおっしゃった。そして「でもね、僕は明るく楽しく!がモットーなんですよ」 その言葉に妻は間髪をいれずこう言った。 「でも、あなた、人生は元気で明るく楽しくでなくっちゃ・・肝心の元気で抜けているわ・・」 妻の言葉に夫は反発するでもなく、怒るでもなく、一瞬、申し訳なさそうな表情を浮かべ「そうだなあ」と答えた。 「今年の4月にね、見つかったんですよ。肺がんがね。場所が悪くて手術できないんです。10月ぐらいには髪の毛もなかったんですよ。僕は。医者には最初、今年いっぱいと考えてくださいって言われたんですけどね、そのわりには元気でしょう。」ご主人が淡々と私にそう説明する。 ご夫婦は鵠沼のお住まいとのことで、共通の土地の話題もあり、会話はその後もはずんだ。 食後のコーヒーを飲み終えて席をたつと、周りで食事をしていた人たちはもう誰もいなかった。 「僕達が一番長居したようですね。」 箱根での一期一会だった。
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