| 2008/1/21 | 塩水 |
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「・・それは幸福とはいかなるものであるかということが、知らずしらずのうちに 村人には感得できていたからである。本来幸福とはたんに産を成し名をなすことではなかった。 祖先の祭祀をあつくし、祖先の意志を帯し、村民一同が同様の生活と感情に生きて、 孤独を感じないことである。われわれの周囲には生活と感情とを一にする多くの仲間が いるということの自覚は、その者をして何よりも心安らかしめたのである」 私が子供の頃「ルーツ」という番組があった。アメリカで大評判になっていると 新聞で読み、おそらく第二話ぐらいから見たような気がする。番組表では 「ルーツを探る」ことが人々の心を打ったと書いてあったが、小学生だった私には 「ルーツを探る」という言葉の意味そのものが良く分からなかった。 番組を見終わって「ルーツを探る」という言葉の意味そのものは理解したが 「ルーツを知ること」が自分にとっては重要であると感じるにはまだまだ幼すぎた。 40才を過ぎた頃から、私はさかんに「日本人として」の自分の存在に目が向くようになった。 そんな私にとって葉室頼昭さんの「神道について」や宮本常一のさんの著書は何かすとんと 自分の「腑に落ちる」感覚を与えてくれた。何をもって「幸せ」とするのか。 今のマスコミの報じる全てに何か違和感がぬぐえない。 表面的、刹那的幸せは、塩水のように得れば得るほど渇きをます。
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