| 2009/4/1 | ある家族の物語4 |
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祖父は現在九十一才。シベリアに八年間捕虜として抑留されていた。日本の家族は「死んだ」と思っていたそうだ。自分の部下は全て亡くなった。一人生き残り、日本に帰国するチャンスが訪れたときも「自分一人おめおめとは帰れない。ここに残ろう」と思ったそうだ。八十一才の時にパソコンを買って帰ってきた。「人は一生学び続けなくてはいけない」といつも言っている。今はインターネットが好きでネットサーフィンしてはやたらとプリントアウトするのだと、彼女は笑った。現在も週に二回、タクシーでゴルフ場へ行きゴルフを楽しむ。八十九才までは自分で運転してゴルフ場に行っていた。さすがに免許更新の時に家族に大反対され免許は返上。タクシーに変えた。八十九才でエイジシュートの偉業を達成した。祖母が病気のために外に出られなくなるとご近所さんが「おくさん、最近おみかけしませんが・・」と声をかけてくれる。「妻は亡くなりました」と答えて大騒動になったそうだ。 「最初に鼻の機能を失いにおいが判らなくなりますが、色を認識する力は比較的最後まで残るのです。そのことを知って私は祖母と一緒に塗り絵をしたりもしました」
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