| 2009/4/9 | ある家族の物語6 |
|---|
|
父の病状悪化で祖母も入院。でも今ならみんな生きている。結婚式を挙げよう・・。交際中の男性がいた彼女は決心する。結婚式当日、結局は三つの病院に三人の病人を迎えに走った。結婚式の五日前になって祖父までが帯状疱疹で入院したからだ。花嫁の控え室には病人が三人。お支度は式の二十分前に始めた。少しでも長く病人を休ませていたかったから。二ヶ月入院していた父は足元もおぼつかない。それでも呉服屋のだんな。きっちりと紋付袴は身につけた。花嫁は父と腕を組み・・、いいえ、娘が父の腕を支えてバージンロードを歩いた。指輪交換の時、とりだされたのは父母のための結婚指輪。入院時に結婚指輪を切断せざるをえなかった両親のために娘夫婦が計らった。出席者全員が泣いていた。式場のスタッフまでもが泣いていた。ただ一人泣かずにきょとんとしていたのは車椅子に座った祖母だった。 母は乗り越えた。ぼけた祖母を受け入れることができたのだ。いそがしい商家に生まれ育った母は家族で食事をしたり旅行に行くことはなかった。「だから、今その時間をとりもどしているのよ」と栄養チューブで食事をとる祖母の側に今ではわざわざ自分の食事を運んで食べる。テレビを観るときもいつも祖母の隣に座っている。 「多くの人に助けていただいています。ヘルパーさんに訪問看護の看護婦さん、週に二回の入浴サービス。初めて入浴サービスの人たちが来てくださったとき、『この人たちは、どうして他人にこんなにやさしくしてくれるのだろう』と涙がとまりませんでした。もう、二百回もお風呂に入ったのですよ。五十回入る度に、小さな表彰状をくださるんです。もう四枚たまりました。壁に並べてはっています。幼稚園の生徒が「よくがんばりました」といただく表彰状のようです。二百回目には『何か記念に』とゆず湯にしてくださいました。夜までゆずの香りが部屋に残っていました」自宅と店は自転車で十分。母は毎日二往復している。
|