2009/7/8五人の母4

 私はお寺の生まれです。兄が二人。でも二番目の兄は二歳で亡くなりました。三番めに生まれたのが私。母にとってはきっとかわいい初めての娘だったと思いますよ。

 ところが有名な易者さんが「この子はこの家で育てると二十まで生きられない。養子に出しなさい」と占ったのです。しかも坊主で易もする父も自分で占って同じ結果が出てしまった。

 私は6ヶ月で養子に出されました。もちろん本人の私はそんなこと全く知りません。育ての親は裕福な商家でした。欲しくてもらってくれた養子です。それはそれは大切にされました。でも、当時はミルクもありませんからね。重湯ともらい乳で育ったそうです。

 日本舞踊も習わせてもらいました。家元の襲名記念公演では皆で藤娘も舞いました。歌舞伎座でですよ。そろいの藤の柄の着物を作ってもらってね。年長の人は薄紫の地に藤の絵が、もう少し年少の者は淡い緑の地に藤の絵。私は紫が好きだしたが一番小さい娘役ですからね、えんじ色の地でしたよ。残念ながらね。