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 平成十一年七月二十六日から二十八日まで、宮城県と山形県の図書館をめぐる大学院の研修旅行に参加した。大学院の研修は昨年度の名古屋・天理。大阪の図書館・文庫をめぐる訪書旅行につづいて二回目であったが、今回の研修の企画自体は、それ以前の平成九年春にさかのぼる。
 当時の国文学演習四の授業テーマは「長恨歌抄」であったが、その調査資料のひとつに、宮城県立図書館伊達文庫所蔵の室町期写の『長恨歌伝』があった。受講者で分担し、翻字を試みたのだが、朱点やかすれなど不明確な点が多く、これは是非とも原本で確かめなければ、ということになったのである。せっかくだから東北大学附属図書館にも行って、できれば米沢市立図書館まで足を伸ばそうということになったものの、肝心の宮城県立図書館が移転のための休館ということで、計画は立ち消えとなってしまった。
 当時、私は修士論文に取り組んでおり、正直なところ気もそぞろで、伊達文庫閲覧の話が盛り上がっていくのをただ傍観していたが、それでも「東北大」の名だけは耳ざとく聞きつけて、「何としても参加せねば」と思ったものである。というのも、東北大学附属図書館狩野文庫に所蔵される膨大な資料の中に、私の研究テーマである黒本青本のコレクションがあったからである。本学図書館が狩野文庫のマイクロフィルムを所蔵していることもあり、私は片っ端から目を通して研究テーマに必要な用例を収集していた。計画が立ち消えになって以降も、原本で確かめたい、実際手に取ってみたいという思いはずっとあったのだが、手近にマイクロフィルムがあるせいか、ずるずると閲覧を延ばしてしまっていた。だから、今回の大学院研修は、私個人にとっては「狩野文庫への旅」を意味していた。
 今回はスケジュールの都合上時間に余裕がなかったので、閲覧する本を各図書館数点にしぼることになったが、東北大に関しては、私は迷わず、狩野文庫所蔵『青本集』を希望した。これは鱗形屋板の黒本青本四十八種が四種ずつ十二冊に分けて合冊されたものである。合冊されているので題簽がなく、書名や刊年がはっきりしない作品も多いのだが、鱗形屋板の黒本青本を中心に調査していた修士論文では、大きな拠り所となったものである。木村八重子氏は「『日本小説年表』考 黒本・青本を中心に」(『江戸文学』第十五号、一九九六年五月)で、この『青本集』を以下のように位置づけている。
 現在まで伝わって来た作品の中には、生産された当時は顧客のためのものではなかったものも含まれている。まだ売品ではなく、読者の手に渡ったはずのないもの、である。(中略)この類(筆者注、校正本の類)は他にも存すると思うが、元来売品用の表紙掛けはしないので一見すると改装本で題簽がない本と認識されがちである。しかし何よりの証拠は、本文の版面が鮮明で描線に刀が立っているようね快感があるようなことである。この理屈から推すと、狩野文庫で蔵される青本集は、版の状態が良好な鱗形屋版の作品ばかりが合冊され、原表紙や題簽が存しないところから、版元ないしはその関係者が試し摺または見本として手許に置いたものではないかと考えている。
「版面が鮮明で描線に刀が立っているようね快感がある」とは一体どのような状態を指すのか、マイクロフィルムを何度見ても、他の本に比べきれいな本であることくらいしか分からない。是非とも自分の目で確かめなければ、と常々思っていた。
 東北大学附属図書館には初日七月二十六日に訪れた。あらかじめ閲覧申請をしてあった他の本とともに『青本集』が運ばれてきた。想像していたよりも小さく感じられたが、帙を開き、一冊手にとって開くと、確かに見覚えのある画像が目に飛び込んできた。「描線に刀が立っているような快感」の意味するところが何となく分かったような感じがしているような感じさえした。摺られた描線周辺の紙面がうっすら白く見えるくらい、はっきりと摺られた版面であった(たとえとしてどうかとも思うが、ちょうど濃いめの口紅を塗った時に肌が色白に見える時のようであった)。改めて一丁ずつ開いていくと、その印象はより強くなった。今まで他の図書館でも黒本青本を閲覧する機会はあったが、このような版面の本はみた記憶がない。「版元」の「試し摺」「見本」といわれて、なるほどと納得できる。
 一通り目を通した後に、落ち着いて見直したが、いくつかのことに気づいた。まず、一点単位で紙の色が違うことである。四十八種の内のほとんどが、「描線に刀が立っているような」版面をもつもので、紙は汚れても、日に焼けてもいない。ただし、何点かについては、紙が日に焼けたような感じで、それらには手摺れがあった。また、四十八種の中には、描線が不鮮明で「試し摺」とはいえそうにないものが若干含まれることも分かった。わらに、十二冊それぞれの背を見てみると、合冊する際に切り揃えた切り口に、仮綴じの穴がみえるものが一点単位でいくつかあった。これらのことから考えると『青本集』は、一点ずつ仮綴じの状態で保存されていたのが、ある時まとめて合冊されたものかと思われる。いつごろ合冊されたのかは記されていないが、四十八種の内、現時点で初板での刊年が判明しているものを挙げると、寛延二年(『藤原のちかた』)から安永七年(『黄金山福蔵実記』)までの広がりがあるので、一応安永七年以降なのではないかと考えられる。
 さらに、分冊された十二冊の中に、見返しが表紙からはがれかけているものがあったのだが、そこからのぞいている裏張りに道中双六らしきものの用いられているのが分かった。そこれそれぞれの表紙の裏張りを可能な限り確認すると、その中に「板元/鱗形屋孫兵衛/大伝馬町三丁目」「双六/鱗形屋久兵衛板」という板元名が見えた。「鱗形屋孫兵衛」は、これら四十八種を刊行した板元である。「鱗形屋久兵衛」については詳しいことは知らないが、安永四年の『早引節用集』重板事件に関する記録に、重板人の鱗形屋孫兵衛手代藤八につづいて「田所町治郎兵衛店/重板本取次売」として名が挙がっている(『大坂本屋仲間記録)、篠原桂氏の御教示による)。このように、鱗形屋板の道中双六が裏張りとなっているという事実は、この四十八種が板元である鱗形屋の手によって合冊された可能性があることを示しているのではないかと思われる。
 また、裏張りの中には道中双六とは異なる双六の一部分らしきものが見受けられた。双六のそれぞれの枠組みの中に、見出しおよびそれに伴う記事といった形式で、以下のような記述があった。
丹前     宗十三八をあいてにて藤蔵がした
心の竹むま  此じぶんより三津は大ぶよくなつた
いなか娘   ○泊り/此時はかん三で菊之丞が大あたりだつた
一ツ見ぞ   団十郎がはじめて木挽町来た時金作がしたがおもしろかつた
道行旅の初桜 十次郎と音八がした/音八といふ物ももふてまい
きゞすの□   此時までは藤蔵も面白かつた
それぞれの枠組みにある歌舞伎役者の名を手掛かりに、役者評判記で確認してみると、以下のようなことが分かった。
 まず、「丹前」とは、沢村宗十郎・板東三八・吾妻藤蔵の丹前の所作が評判をとった、明和四年「鵺重藤咲分勇者」(市村座)を指す。「心のむま」も同作の板東三津五郎の竹馬の所作を指す。「いなか娘」とは明和四年「太平記賤女振袖」で評判を取った、瀬川菊之丞の役を指し、「かん三」とは中村勘三郎座を指す(以上、明和五年正月『役者党紫選』。『歌舞伎評判記集成』第二期による。以下同じ)。「団十郎がはじめて木挽町来た時」とは市川団十郎が中村座から森田座に移動した明和八年を指し、「金作」とは、山下金作の、同年「葺換月吉原」(森田座)の女三の宮侍女むつ花役のことで、双六にはそれを示す手鏡と文の絵がある(明和九年正月『役者萬歳暦』)。「道行き桜の初桜」の亀屋十次郎と嵐音八については具体的なことは今のところ分からないが、「音八といふ物ももふてまい」とあることから、双六刊行時点からみて過去のことを記していると解することができる。「きゞすの□」についても未確認だが、「此時までは」「面白かつた」とあることから、過去を振り返っている記事とも解せる。
 以上のように、この双六は明和期の歌舞伎の評判が掲載されているようであり、それが反古紙となって、裏張りに用いられたと考えられる。もしこれらの記事が安永七年以降に上演された歌舞伎に基づいたものだったならば、『青本集』に収められている四十八種が合冊された時期の範囲を狭めることに役立つのだが、あいにくこれらはそれ以前の歌舞伎を種としている。但し、この紙片と同じ双六が他に現存するかどうかは未調査だが、これもまたひとつの演劇研究の資料となる物と考えられる。
 以上のように今回『青本集』を実際手に取ったことによって、様々な収穫があった。マイクロフィルムでは、紙の質感・背の切り口・表紙の裏張りの様子をみることはできない。改めて原本で調査することの大切さを学んだ。
 また、午後には図書館内を案内していただく機会を得た。狩野文庫の書庫にも入ることができ、その全貌を目の当たりにした。草双紙が収められた棚の前にしゃがんで、ここからここまでが黒本青本だと両手を広げてみた。コレクションの厚みを体感することができた。
 二日目の二十七日宮城県立図書館では待望の『長恨歌伝』他、光悦謡本等貴重な資料を、三日目の米沢市立図書館でも様々な資料を拝見した。初日の狩野文庫ほど具体的な目的を持って閲覧することはできなかったが、一点一点を手に取ってみたことによって、それぞれの図書館に対して具体的なイメージを持つことができた。また、東北大学附属図書館を含め、各担当者の方々から、図書館の沿革・コレクションの性質・管理運営の方針などのご説明をいただいた。お話を伺いながら、各図書館がそれぞれの方針の下に、本にとって、また閲覧者にとって最善の道を目指し、活動していらっしゃることがよく分かった。今後も本学図書館はもちろん様々な外部の機関・図書館が所蔵される資料を閲覧させていただく機会もあるかと思うが、細心の注意を払い、丁寧に扱っていこうと改めて思った。また、貴重な資料が無駄にならないような成果を上げるよう調査研究に励む所存である。
 最後にひとつ心残りをいえば、二日目の午後、六十年振りの猛暑の中、あの「閑かさや岩にしみ入…」の山寺に登った際、仲間のひとりが怪我をしていたのにかこつけて、途中で登るのを断念したことだ。

「大学院研修旅行報告」
 『実践国文学』第57号(平成12年3月)所収。