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 平成十二年七月二十四日から二十六日にかけて、南山大学図書館及び関西大学図書館をめぐる訪書の旅に参加した。
 今回の研修の目的地に両図書館が選ばれた理由には「三田村本」の存在が挙げられる。三田村本とは、江戸中期に三田村という家で読まれた草双紙の一群を指し、明治初期に海外に流出し、近年日本へ還流してきたコレクションである。その意義について、木村八重子「赤小本から青本まで−−出版物の側面」(新日本古典文学大系『草双紙集』解説、一九九七年、岩波書店)には、以下のように記されている。
「三田村本のことに筆を費やすのは、黒本青本享受の一例ということもあるが、この人の旧蔵本はほぼ宝暦末から明和初期と確定できるので、その期の標準品として他を類推するのに有用なためである。書物の考古学とでも言うべき書誌学においては、書物そのものが情報源であるわけで、手を加えないで残すことの大切さを教えられる例でもある。
また、神楽岡幼子「関西大学所蔵初期草双紙について」(関西大学図書館影印叢書第一期第七巻『青本黒本集』解題、一九九七年、関西大学出版部)にも、「青本黒本が出版されていたまさにその時期にそれを楽しんでいた子どもたちのコレクションである。当時の黒本青本の享受のされ方を考える資料としての価値は高い。」「青本黒本の書誌的特徴を考えるうえで非常に有効な情報を提供してくれるコレクションである。」とあり、近年この三田村本に対する注目度は高く、草双紙の研究にとって避けて通れない資料群である。
 この三田村本を多数所蔵する南山大学・関西大学両図書館に「原本」を閲覧しに行く、これが今回の研修旅行の目的であった。「原本」としたのは、昨年の秋、個人的に関西大学図書館を訪れ、初期草双紙のコレクションをマイクロフィルムで閲覧し、コピーを入手した際、将来原本で確かめる必要が生じたら、改めて閲覧許可を申請いたしますのでその節はどうぞよろしくと、お願いして帰ってきた経緯があったからだ。それが、こんなに早くに、引率の先生に連れられてコレクションの全てを原本で閲覧する機会に恵まれたのだ。閲覧先の御好意によるところが多いのだが、これほど大学院生でよかったと実感することはそうそうないものである。
 まず、研修初日には南山大学図書館を訪れた。あらかじめ閲覧を申請していたリチャード・レイン氏旧蔵近世文芸作品コレクション所収の三田村本を中心とする初期草双紙が、会議室の長机に整然と並べられ、私たち一行を迎えてくれた。特定の目的があって草双紙を数点閲覧するのとは違い、コレクションの全てが、「さあ、見よ。」とばかりに整列しているのは、迫力ある眺めで、三田村本の保存状態のよさを改めて確認することができた。時間が限られていたので、まずは一通り目を通すのが先決と、端から順に手に取った。日ごろマイクロフィルムや紙焼本、また原本であっても厚手の表紙に改め、裏打ちされた改装本に慣れている私の手には、原装をとどめた草双紙は、とてもふんわりと柔らかな感触で、紙面一杯に広がる物語の世界と相反して、非常に薄く、軽く感じられた。結局、許された時間内では一通り手に取ってみるのが精一杯で、今度南山大学図書館を訪れた際に何を閲覧すべきか、目星を付けただけで図書館を後にした。
 第二日目には、関西大学図書館を訪れた。『青本黒本集』に紹介されている初期草双紙が、やはり長机の上に並べられていた。皆で手分けしてU字型の大きなテーブルに、『青本黒本集』に影印のあるものとないものに分けて並べ、端から順に手に取った。実際に目にしたコレクションは、マイクロフィルムで閲覧した時やその後コピーを見た時の想像を超え、色鮮やかな印象であった。かつての所有者が大事にしていたことを証明するかのように、状態が良好なものが多く、南山大学と同じ感銘を受けた。できることならコピーで分からなかった細かな箇所を逐一確かめたかったが、やはり時間的に無理ということで、とにかく一点一点丁寧にみていくことにした。見覚えのない意匠の題簽を目にしたり、袋綴じされた丁の間から別の作品の題簽が出てくるなど、面白い発見もあった。貴重書閲覧時間終了後には書庫に案内していただく機会を得、閲覧者の使い勝手が良いように配置された書籍や設備に目を見はった。
 翌第三日目には研修旅行は現地解散となり、私は独りで大阪府立中之島図書館に立ち寄り、もう数点、草双紙を閲覧して帰宅の途についた。本当に草双紙三昧な三日間であった。

  平成十二年度大学院研修旅行報告」
       『実践国文学』第59号(平成13年3月)所収。