今、憲法の平和主義が危ない!

      ー同時多発テロ事件と日本政府の対応についてー

鹿児島大学(憲法学)小栗 実

おことわり

この講演録は、2001年10月4日に、鹿児島市天文館にあるKCプラザでおこなわれた、生協コープかごしま平和グループでの学習会「同時多発テロと日本政府の対応について」での講演を記録したものです。文章化したさい、わかりやすくするために、小栗が小見出しをつけました。

講演の直後の10月7日に米・英両軍がアフガニスタンを空爆する事態になり、内容的にはやや古くなってしまいましたが、直すことなく、その場の雰囲気をできるかぎり伝えるようにしました。今、この「おことわり」を書いている10月16日現在、「武力行為支援法案」(テロ対策特措法)の国会での審議はこれでいいのかと思わせるほどの拙速で、一両日中にも衆議院で採択されるような動きになっています。法案が成立すると、自衛隊の海外派兵が具体的になり、また事態はさらに深刻なものになることが予想されます。

_____________________________________________

テロは犯罪。ただちに報復することは許されない

テロ事件を最初テレビで見たときには私も驚きました。最初ブッシュ大統領がこれはテロで、犯罪だということ言っていたのですが、しばらくするとトーンが一気に変わりまして、われわれは断固として戦うんだ、これは戦争だ、という風になってきました。それでこれは大変なことになったなあと思いました。報復という言葉も すぐに出てきました。

この「直ちに報復」という事で、私が思ったのは、これは例え話ですから、変な風に誤解をされると困るのですが、鹿児島大学の学生と話した時、鹿児島大学の岡本公三という先輩の話題をしました。この人は現在レバノンに潜伏中だと思いますが、もう20年ぐらい前、イスラエルのテルアビブ空港で銃を乱射して、20人とか30人というイスラエルの民間人を殺害しました。そこで、仮にの話ですが、イスラエルが「これは戦争だ」と、我々に報復して、鹿児島や鹿児島大学を攻撃するとか、空爆するとしたら、それが許されるかどうかを考えると、ブッシュ大統領はあんな風に、直ちに報復を正当化しようとしましたが、それほど単純にできることではないと思います。

国内法、国際法にしたがって犯人を裁く

今回の事件は、ハイジャックとテロ。確かに新しいやり方、犯罪だったのは事実ですね。それだけに私たちは、よけいびっくりしているのですが、ハイジャックについては日本でも国内法で取り締まる法律がありますし、世界的にもモントリオール条約というのがありまして、そこでハイジャックについての取り決めがあって、犯人が国外に出た場合も身柄の引き渡しとか、そういうことも含めて、対処の仕方について国際法で定められています。それから爆弾テロに関しましてもインターネットなどで調べてみると、テロによる爆弾攻撃についての条約があります。爆弾テロ犯罪に対して、国内法で犯罪として犯人を逮捕したり服役させたりするということ、国外に逃亡した場合はその身柄を引き渡すこと、そういった規定があります。今回の場合には飛行機をそのまま爆弾代わりにして突っ込んでいったというものすごいやり方ではありますが、やはり犯罪であることに違いはありませんので、犯人が特定されれば、国内法、及び国際法によってしっかりと裁かれることになると思います。

事件そのものの性質はこういう風に解釈する事がまず前提だと思いますが、アメリカの動きは「ただちに報復」ということですね。ここ何日かの動きを見てみると、アメリカおよびイギリスの軍隊がおそらく近日中に武力攻撃に入るだろうと思われます。これは「武力の行使」にあたります。

 

国際法の上での「戦争」は宣戦布告によって始まります。1941年12月8日に、わが国はアメリカおよびイギリス等に対して宣戦布告をして太平洋戦争に入りましたが、あれが国際法的に言う「戦争」です。そういう点でいうと国際法的にみて、今回の事態は戦争ではないということになります。それではテロ攻撃が「武力の行使」にあたるかというと、これも微妙なところなのですけれども、普通、「武力の行使」というのは「宣戦布告」をしないで、しかし事実上武力を行使する、軍事力を行使する、ということです。ですから、テロは「武力の行使」にあたらないと考えられてきたと思います。

しかし今回、アメリカがやろうとしていることはまさに武力の行使です。わが国は1931年に満州において、中国に1937年に侵略しましたけれども、あの行為が「武力の行使」です。また韓国に対してもそうですね。韓国に対する日本のとった態度は、武力による威嚇として考えられています。そういう事で厳格に言うと、今回のテロ攻撃というのは「武力の行使」とは法的に言えないし、テロという犯罪として考えた方が正しいと思います。つまり法によって裁かれるべき事である、と思います。犯人が見つかった場合には、アメリカ国内であれば、アメリカの国内法によって裁判所で裁くということも可能でしょうし。現在はまだ存在しませんけれども、国際的な刑事裁判所とかで裁くということも、法的には可能なわけです。例えばユーゴ内戦のときのレイプ行為とか「民族浄化」という名の虐殺について政治的な指導者、犯罪者に対しては、戦争犯罪を処罰することが今ヨーロッパなどでは行なわれています。

 

なぜテロが起きたのか?

 つぎに考えなければならないのは、「なぜこの時期、このようなテロが起こったのか」ということです。単に、犯罪者が犯罪を起こしたということではなくて、テロが行なわれた、そしてアメリカが狙われたというのは、それなりの理由があると考えられるべきでしょう。誰もが新聞やテレビを見て、オサマ・ビンラディン氏を知っていますが、彼が活躍したのは1970年代アフガニスタンです。この国はそれまで、王政の国だったわけですね。今、亡命した王様がまた、復帰するかどうか、ということが話題になって、時々テレビに登場してきます。王制が打倒されて、この国が内戦状態になり、日本でいえば一種の戦国時代のようになりました。この国のすぐ北には当時のソ連がありまして、アフガニスタンが不安定になるとソ連はとても困るので、アフガニスタンの内戦に乗り出してきて、いわゆる傀儡(かいらい)政権というのを作りあげました。ソ連が一時的にせよ軍事力を背景にして支配をした。当然ながら、そこで追い散らされた人たちは、非常に不満に思っていて、反ソ連を掲げ、当時の政権に対して攻撃をしました。その時にオサマ・ビンラディンも、彼はサウジアラビアの出身ですが参加して活躍をしました。そういう人々が、主としてイスラム教徒でしょうけど、たくさんいます。「活躍」というとちょっと言葉は悪いのですけれども、アフガニスタンで戦って鍛えられた人たちが大勢います。その時アメリカは、これもよく知られていることですが、CIAはオサマ・ビンラディンのような人たちに資金援助をしていました。裏から画策してソ連に対抗するような組織に育てあげたという事実があります。そしてソ連は泥沼の戦争状態の中で、結局撤退するということになりました。ソ連が崩壊につながった1つの大きな原因だともされています。その後また、アフガニスタンは政情不安定な状態、部族の争いとかがずっと続いていて、その中で「タリバン」という勢力が力を伸ばして、国の大部分を実効支配するに至りました。タリバンに資金援助したのはパキスタンと言われております。そのころアメリカは急速にアフガニスタンに対する関心を失っていきました。それに対して今注目されている北部同盟を援助したのはインドです。このようにアフガニスタンという国は、大国の政治的な思惑が交差する中で運命が大国によって 操られてしまい、今ではたくさんの難民が生まれるような、極めて悲惨な状態に人々が置かれているということを、私たちは知っておかなければいけないと思います。

 

湾岸戦争と対米不信

そして1990年に湾岸戦争が起こりまして、オサマ・ビンラディンは、アメリカがサダム・フセインのイラクを攻撃したことに対して非常に腹を立てました。またCIAから金をもらって、育成をされていたところが、急にパタッと打ち切られたものだから、それに対する反発もあったのでしょう。このころから彼は急速に反米意識というの高めていったというふうに言われております。しかし、実は、それはオサマ・ビンラディンだけではなく、エジプトとかインドネシア、パキスタン、フィリピンなどにイスラム過激派がたくさん生まれてきました。イスラム過激派の影響を受けたグループが、反米をスローガンに中近東を中心に出てくることになりました。

 

パレスチナ問題も原因のひとつ

また、パレスチナ問題というのも、ひとつの大きな要因です。こちらもアフガニスタンと同じく大国の思惑によって、民衆が悲惨な歴史をたどった国です。本人たちには何の罪もないのに、パレスチナ人たちとイスラエル人たちが激しく戦うという歴史を繰り返してきました。イスラエルとパレスチナの抗争も、実はイギリスなどの大国の思惑が原因にありますが、パレスチナ・イスラエル問題に対しては、世界がいろんな努力をしてきました。その時に頑張ったのは、例えばノルウェーで、仲介に立って、オスロ合意で、できるだけ双方の自治を認め、戦いをやめて、お互いの共存を図ろうと両者をとりもつ役割を進めてきました。アメリカはクリントンの時代でしたけれども、それに対しては比較的積極的に関係を持って、できるだけ和平をとりまとめようということで動いていました。

ところが、当時のイスラエルの労働党政権が選挙で敗北をして、パレスチナの中でもより強硬姿勢が出てきまして、また昨年くらいから、イスラエルとパレスチナの間で激しい戦いが繰り広げられることになりました。その中で、イスラムの人たちの間でイスラエルの行動に対する批判、それからそれを後ろで支えているアメリカに対する不満が非常に高まっていたという状況があります。アメリカはブッシュ大統領になってからはあまり積極的に和平に対して動いておりません。一歩引き下がる形で、あんたたちで勝手にやれば、という態度を示しています。

ですから今回の問題では、大国の政治的思惑に対し、非常に不満を持った民衆がいて、その中のまたごく一部が過激な行動に走った、もちろんそれは許される行動ではありませんが、そこには虐げられたものの対米不信が背景にあったと思います。アメリカのような大国的な支配のあり方を不満に思っているグループというのは、オサマ・ビンラディンだけではなくて、世界中、主に中東にですが、存在しています。パキスタンの中にもいますし、インドにもいるといわれていますし、インドネシアの過激派は、この報道がどれだけ正確かはわかりませんけれども、日本が対米軍事支援をするのだったら、日本大使館を爆破するというような声明も出していますね。フィリピンでもそういう動きがあるようです。

報復では解決しない

今回のテロはおそらくそういうグループがやったというふうには考えられるわけでしょうけれど、そこから私は2つのことが言えると思うんです。ひとつはオサマ・ビンラディンやそれを支えているタリバンにここで報復攻撃をしたからといって、すべてが解決するわけではないという事です。武力攻撃をすれば、そういうグループはおそらくアメリカに対する反発を強め、さらに過激な行動に出てくる可能性というのが極めて強いと思います。一時的にはタリバンを壊滅させられるかもしれませんが、長期的にみれば、大国の思惑によってアフガニスタンの民衆たちの悲惨な状況がさらに続くという構図はおそらく変わっていかないだろうと考えられます。とにかく武力攻撃が問題の解決にはおそらくならないであろう事は確かです。

 

2つめにはオサマ・ビンラディンについてですが、これも話題になっているところで、動機があったのは事実なんですが、直接テロに関与したという証拠がまだ上がっていない。世界の各国が直接の証拠を見せてほしいということを要求しておりますし、タリバン政権の方でも直接の証拠があれば、場合によってはオサマ・ビンラディンを差し出してもいいということを言っています。アメリカは直接の証拠を開示するのかと思ったのですけれども、残念なことにそれは機密で公表できないと、イギリスのブレア首相がそういうふうに説明しています。こんな理屈では、世界の民衆というか私たちを納得させることはできないでしょう。どこかの秘密の情報機関から届いた情報で、オサマ・ビンラディンが事件の数日前にフランスにいる義理の母親に電話をして「2、3日中に大変なことが起きるであろう」と言った、それが証拠だという事も言われていますが、これも考えてみるとどうもおかしいですよね、そんな情報があったなら事前に捕まえるチャンスがあったということでしょう。今の段階でそういう事を言われてもちょっとよくわかりません。

 

また9月11日にテロがあって、翌日直ちにたくさんの容疑者が捕まりましたよね。外国でも捕まえているし、アメリカでは500人ぐらい検挙されているという噂ですけれども、どうしてあんなに簡単に逮捕できるのかと、私もテレビや新聞を見ていて非常に疑問に思います。あれはCIAなりFBIという組織が、もともと注意人物をチェックしていたのでしょう。なぜならばこれまでにも世界貿易センターが1度爆弾の対象になっているからです。あるいはイスラエルとパレスチナの間で非常に緊張状態にあることはわかっているのだから、当然それに対して情報収集活動にあたっているはずで、恐らくあやしいと思われる人のリストは持っていたのでしょう。それが分かっていたのなら、なぜもう少し対応ができなかったのか、これも疑問なのですが、おそらくまもなく明らかになってくることでしょう。まだまだわかってないことがたくさんあるような気がするのですが、その中で「戦争だ」「報復だ」という風にして進んでいくことがとても危険なことのように思えます。

先程も言いましたけれども、報復によって果たしてテロ活動はなくなるかということを考えてみると、基本的にこれはなくならないと私は思います。説明したようなアフガンの悲惨な状況がある限り、アフガニスタンを攻撃しても、全く効果がないどころかかえって対米不信を植え付けるだけであると思います。おそらく攻撃は行われるでしょうが、彼らはそれに対して再び報復をくりかえすでしょう。もともと、テロ活動に走ったのも、彼らからすれば報復だったということになる。イスラエル軍に痛めつけられ、アメリカ軍に湾岸戦争で痛めつけられ、自分の家族の命を奪われたかもしれない彼らにとっての報復だったのです。

どうやってテロ犯罪者をとらえるか

そうするとテロが犯罪であるのは事実ですから、どうやって裁判の席に連れてくるかという事を考えなければいけないと思います。確かにこれは非常に難しい作業になります。そんなに簡単に出てくるはずがないだろうし、アフガニスタンのタリバンのようにかくまう立場の国もあるでしょうから、そう簡単にすべての関係者を逮捕して裁判にかけるというのは短期間にはできないでしょうが、それでも長期的な活動で、そのテロ勢力を孤立化させていくような対応をしていかなければならないだろうと考えられます。そういう点で、国際的な協力の中で、例えば国連の活動で、そういう勢力を孤立化させていくといったことも必要になります。たとえば国連は9月28日にはテロ団体に資金を提供すること禁止する決議をしました。加盟国がこの資金提供禁止に反することをした場合に、何らかの制裁を受けるという決議をしました。すでにいろんな国がこれらの資産を凍結しています。そういう方法はやって当然だと思います。

 

それからあまり話題にはなりませんが、武器の問題です。テロ活動をするための武器を売っている武器商人や、そういうことに加担している人たちがいます。これまで武器を輸出し、稼いできた国、その筆頭が例えばアメリカであり、あるいはロシアであり、中国などもそうですね。フランスもだいぶ儲けています。また秘密裏に売っている組織だって、おそらくあるでしょう。そこで国際的な流れで、武器の売買を食い止めるのが緊急の課題だと思います。そういういろんな形で国際的に孤立させていく努力が必要だと私は思っております。 

国連は9月12日に安保理事会で、今度のテロの活動に対して、許されない行為であると強く非難しています。しかしその決議1368を読んでみると、「武力による報復」というものを認めたものでは、一切ありません。「必要な措置をとることができる」と5番目の項目で書いていますけれども、それはまあ「その他の項目」なんですね。文 書を作るときに1番最後にその他のこととして予備的につけ加えているような感じで、「必要な措置をとることができる」と書いてあるだけで、テロに非難することを理由に、武力による報復の容認を言っているのではありません。

テロを生み出した土壌である途上国の貧困・差別・抑圧をなくすために 

世界からテロをなくすというのは、21世紀の私たちに突きつけられた大きな問題であろうと思います。犯人たちに対しては直接、国際的な刑事裁判の場に出させていく努力を強めつつも、テロの原因をどうやってなくすのかということも私たちは今後考えていかなければならないと考えています。テロが生まれるのは、やはりそれをはぐくむ要因があります。よく言われることですが、やはり一番の原因は「貧困」です。アフガニスタンにしろ、あるいは中東の諸国にしろ、貧しさに苦しむ人々がいる一方で、経済グローバリズムの中でアメリカをはじめ先進国が非常な豊かさを謳歌し、南の諸国を犠牲にしてでも繁栄を図ろうしている。あるいは、また南の国に対する「差別」という問題もあったと思います。南の国では暴力的・抑圧的な行為がしばしば行われ、野放しになってきました。それはアフガニスタンにとどまらずアフリカでもそうだったし、さまざまな発展途上国で、問題が指摘されています。

 私たちについても考えてみましょう。環境問題については日本でも最近とみに関心が高まってきており、京都議定書の問題など話題になってきましたが、今回のテロ事件をきっかけに私が教えられたのは、そういう貧困とか発展途上国で行われている暴力、あるいは貧困からくる差別、そういうことに対して果たしてどれだけ、日本の中で十分な関心を持ってきたんだろうかという反省です。そういう問題を解決する国際的、人道的な努力というものを続けていかない限り、世界の中でテロが起こる土壌をなくすことはできないのではないでしょうか。また、そういうことをなくすために、私たちに何が必要なのだろうかということを、長期的に考えていく必要があるのではないでしょうか。そういう点で生協運動

は、ユニセフとかを通じて支援活動しばしば行ってきております。インターネットで、ユニセフとか国連の難民高等弁務官事務所というところが、いま何をやっているかということを見ていると、彼らは必死でアフガニスタン難民・被災民に支援物資を送っているんですね。今はアフガニスタンとパキスタンの間では国境が閉じていますから、簡単には入れませんが、1部は首都カブールまでいろんな緊急支援物資を輸送しています。しかし難民あるいは避難民は数百万人という単位で大量に出てきています。もしここで武力攻撃が始まったら、この難民はさらに増えるでしょう。

避難民救援を理由とした自衛隊派遣はなにが目的か?

ここで自衛隊の話になりますが、日本の政府は避難民の援助をするために自衛隊を出すのであると言っています。その一方でアメリカの武力行使を支援すると言っております。これは矛盾した行為ではないかと思います。武力行為を支援したらアフガニスタンの中で、必ず飢餓とか病気とか傷つく人たちが大勢出るのは目に見えています。避難民を助けたいのなら、日本政府はいまアメリカに対して「武力行使をするな」と言わなければならないはずです。何百万人という飢餓や貧困に苦しんでいる人たちに国際的な援助をしてやる一方、その中でタリバンに対しても、もしオサマ・ビンラディンを隠しているんだったら批判をすればいいし、あるいは孤立化させるということも可能だと思うんです。ですから、一方で「避難民援助を」と言っておきながら、アメリカの武力支援を無限定に支持するというのは、大変矛盾した行為に見えます。

大国の思惑  

アフガニスタンも含め、大国の思惑の中で民衆が大変な目に遭ってきた国がたくさんあると言いましたが、世界の今の動きを見てみると今回もそういう大国の思惑がいくつか出ていると思います。例えばロシア、プーチン大統領は武力行使には参加しないと言っています。近隣諸国のタジキスタンとかウズベキスタンでの基地の使用は認めましょうと言っていますけど、ロシアは以前アフガニスタンで痛い目にあっているから、できるだけアフガニスタンに対してもういちど影響力を持ちたいと思うのは当然です。パキスタンはパキスタンでタリバンがこれで倒れてしまっても、この次の政権に対して影響力を持ちたいと思っている。あるいはインドはインドでまた考えているでしょう。そんなふうにして世界のいろんな国がそれぞれの思惑で、動いているというところも多分にあると思います。しかし私たちは国家の論理と離れて、いわば民衆の論理で、一人ひとりがささやかな暮らしをしているのはわれわれ日本でもそうだし、それはアフガニスタンでもそうです。そういう民衆の論理の中で、どうやったら連帯した活動ができるのかという事を考えなければならないと思います。

----------------------------------------------------------------------------

日本政府の対応について  

 次に日本の政府の対応についてお話しをします。同時多発テロを受けて、日本の政府はいろんな対応をしていますけれど、これは憲法問題と非常に関係しています。今回の事件をきっかけにした一連の日本の動きは、私は1947年に作られた憲法の歴史の中で、憲法が直面する最大の、まあ1990年の湾岸戦争というのも大きな転換点だったと思いますが、歴史上おそらく非常に大きな転換点だして記録されると思います。なぜかといいますと、憲法の基本的な考え方というものが、大きく変えられようとしているからです。テレビとか新聞とかでの首相や大臣などの発言から、この間の政府の動きをざっと見ますと、いろんな提案を行っておりますが、基本的な発想は何かというふうに考えてみると、「湾岸戦争の時に自分たちはあれだけ金を出したのにもかかわらず世界では評価されなかった。too late ,too little(遅すぎた、少なすぎた)」と言われたということが発想の基本になっています。テレビのワイドショーのコメンテーターを見ると、そのように当然のように言って、「だから日本の自衛隊は今とにかく出ていかなければならないんだ」というわけです。それにみんながとびついてしまっているように見えます。特に小泉首相をはじめ、非常にとびついているきらいがあります。各省庁の中でも真っ先にとびついているのは外務省です。外務省は最近、機密費などの失態がありましたので、余計にそういう傾向があるかもしれないのだけれども。ちなみに田中真紀子さんも、女性の感覚でいろんなことを言ってくれればいいのに、残念ながら今は干されているというか、全く影がうすいというのは非常に残念なことです。それはともかくとして、湾岸戦争の反省ですけれども、考えてみると政府は「too late ,too little」だったと言うんだけれども、本当にそうだったんだろうか私は思います。

 

湾岸戦争から学ぶものは?

わが国は当時からイラクに対しても、あるいはイランに対してもサウジアラビアに対しても最大の石油の客さまであったのだから、結構友好関係にありました。アラブに対しては比較的親密な、良い関係を持っていました。当然のことながら、アメリカとイランは今、仲は悪いですよね。でも、日本はイランに大使館をいまでも置いています。湾岸戦争の頃、私たちは、日本はそういった諸国と話ができる関係にあるから、それを生かして積極的な和平の努力をすべきだ、そういう立場を生かすべきだと主張し、批判もしました。残念ながら、あの時もアメリカは一気に武力行使を容認する国連の決議を出させて、攻撃に入ってしまいました。今、あの時の事を「too late ,too little」というのだったら、私たちは日本がもっと積極的に和平努力、仲介努力をできなかったことを、反省する必要があるんではないかと思うのですが、残念ながら、日本の政府はそうは思っていません。いわば湾岸戦争の経験が心の傷いわゆるトラウマになっている。そのためどうしても「世界の中で日の丸の旗を掲げたい」「自衛隊をなんとかして出動させたい」という気持ちが強くなってしまっているのです。この間の一連の動きは、そのあたりがキーワードのような気がします。世界の平和を長期的に見据えてどうするかということよりも、とにかく「自衛隊を出したい」ということになっているのではないかと思います。

「自衛隊を出したい」

そのあらわれが、つい先日ですけれども、横須賀から米空母キティホークが、佐世保から揚陸強襲艦エセックスが出航しました。その時自衛艦が、軍港を少し出るまで護衛をしたんですが、これもそんな事をしていいのか法的に問題があります。「防衛庁設置法を根拠にしている」というのだけれども、「防衛庁設置法」をいうのは国家の機構をつくるとか、各省庁がどういう仕事をするとかという事務事項を並べてある、「組織法」であって、自衛隊の行動を権限づけているような「作用法」ではないのです。さらに「情報収集」という理由でインド洋への自衛艦派遣を画策しましたが、これも法的にいうと、どうもはっきりしていない点があります。新聞などを見る限り、さすがにこれは強行できないような情勢ですが。

パキスタンへの自衛隊機の派遣

それから「避難民救助」ということを理由に、自衛隊の輸送機をパキスタンに派遣しようともしています。国連難民高等弁務官事務所からそういう依頼があったからと正当化していますが、確かに国連からはできるだけ緊急に支援してほしいと要請はありましたけれども、輸送手段については各国に任せますという事になっていました。実際、政府はパキスタンの首都まで自衛隊機派遣のための調査も行っております。アフガニスタンまでは入れませんが、アフガニスタンからパキスタンに越えてきた難民を救助するという目的らしいですけれども、そのために空港や施設をどう使用するかということを調べに行っています。でも彼らは何で行ったかというと民間機で飛んでいるのです。イスラマバード空港までつまり民間機に乗って行ってそこで調査している。民間機が飛んでいるということは、今の段階では民間機で輸送することがまだ可能ということです。ユニセフや国連も現在は民間機を使って、救援物資を送っています。とすれば自衛隊機にこだわらず日本もそういう方向を追及したっていいわけです。たくさんの救援物資が今必要なら、民間機を使って、あるいは特別にチャーターしてもいいのだから、貨物機を派遣することをやればいいと思います。ところが彼らの頭の中にはまず、自衛隊を出すということしかないように見えます。自衛隊機はジャンボと違って航続距離が短いから、香港、シンガポール、インドなどを経由して、現地まで3日か4日かかるそうですね。機体も大きくないから運べる荷物も限られている。それであちらへ行って、すぐに帰ってくるというような計画らしいのです。どうも、今必要とされている支援に応える活動、救援活動を行なう事よりも自衛隊を出すということに、目標を置いているようにしか見えません。

難民支援というが

 また難民支援の活動はPKO等協力法に基づいて行なうのだと政府は言っていますけれども、これは今のところPKO(国連平和維持活動)ではありません。正確に言うと、国連はまだ平和維持活動をやるとは決定しておりません。それに最近の国連はPKOにあまり力を入れていません。国連のPKOは、アフリカのソマリア内戦の時に失敗しています。本来PKOというとは、紛争の間に入って中立的に仲介するという役割が主だったのですが、湾岸戦争のあたりからおかしくなって、PKOがたたかいの片方に荷担してしまう形になってしまいました。ソマリアではPKOと現地の部族が戦うということになって、大きな犠牲がでて、その反省からか今、国連はPKOということをほとんどやっていません。今回の活動も正式に言うとPKOではありません。しかし日本のPKO等協力法の中には「国際的な人道的援助」という項目があったので、辛うじてそれで難民救済という目的で自衛隊を派遣できるという仕組みになっているわけであります。PKO派遣は当たり前だというメディアもありますが、このあたりはちょっと知っておく必要があります。

自衛隊の派遣は許されるか?

 さて、周辺事態法という法律が作られたのは皆さんを承知のとおりで、日米新ガイドラインが作られ、それで米軍を支援するためにどうしたらいいかということで作られたもので、多く批判を集めました。これは日本の国内ではないけれども、日本の周辺で米軍が何らかの武力の行使をする場合に、自衛隊が米軍を支援するという内容です。政府は地理的概念ではないといって逃げたけれども、台湾とか、韓国、その辺が想定されていました。そういったところで武力衝突があった際に、アメリカが出ていく、それを自衛隊が支援するためにできた法律です。私もこの法案が提案された時、学習会でお話をしました。その時にしゃべったのは、例えば自衛隊の支援の中には「医療活動」などが入っていますが、アメリカ兵がけがをしたときに、最初は現地の野戦病院などで治療するだろうけど、それでは足りないというときには飛行機で鹿児島空港あたりに運び、そして国道、高速道路を車で飛ばしてきて、病院に運ぶ、ということもあるということです。鹿児島の病院で候補として名前が挙がっているのは、鹿児島大学付属病院や鹿児島市立病院です。こういうことになったら非常に問題ですよね。あるいは鹿児島空港や鹿児島港を補給をするための拠点にするという話だからそれはおかしいとして批判しました。

周辺事態法をこえる内容をもつ今回の新法

 今回もこの周辺事態法の解釈で扱えないかというのが最初の防衛庁の考えでした。解釈を変更して日本の周辺ではないですが、パキスタンとかインド洋まで適用できるかどうかを考えた。どうも最初はそれを考えていたようですが、故小渕総理大臣がかつて国会答弁「インド洋とかまで行くことは想定していない」と言った事があるので、おそらくそれは無理と判断したのでしょう。で、周辺事態法では無理ならばそれに代わって新しい法律、という事でまだ名前はどうなるかはわかりませんが、法の制定にむけた動きが進められています。私は「米国の武力行使後方支援法案」と勝手に呼んでいますが、やたらと長い名前になりそうですね。要綱案の要旨によると新しい法律の名前は、「平成13年9月11日に米国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国連憲章の目的達成のための、諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別的措置法案」だそうです。こういう長い名前になったということの中には、政府の苦渋が表れています。というのは後でも言いますが、内容がこれまでの憲法の大枠を相当踏み越えているからです。例えば「平成13年のテロリストによる攻撃等」という部分は「今回に限って」ということを強調するためですね。まあそんなふうにして、だましだまし法律を作るということになってきました。

「武力行使支援法案」の混乱ぶり

 この法案も内容を見ていくといろんな特徴がありますが、基本的に米軍の実際の武力行使、あるいは要請に合わせて内容が二転三転しているように思います。たとえば時限立法にするか否かというのも、いま大きな問題になっています。一応期限を2年にするが、対応措置を実施する必要があると認められたときにはさらに2カ年延長する、ということが考えられています。もともと大きな問題点をはらんでいるものだから期間を限りましょうということになっているのだけれども、そもそもアメリカとしても実はこの武力行使がどれだけ長期化するかまだ分かっていない。武力攻撃は短期で終わるかもしれないという説もありますが、クリスマスを超えるだろうという説もあるし、もっと長期的に2年、3年に渡って、ということになるかもしれません。タリバン政権を倒して新しい体制を作るということを考えているとすれば、もっと長期的にずるずるといくでしょう。そのため法律を作る側も悩んでいる状況です。

 

それから「国連の決議」という部分。「国連憲章の目的達成」「国連決議等に基づく」とか、主旨目的の説明のところには「国連安保理決議1269号その他に」ということも書いてあります。そんな細かいことまで出てくる法律は非常に珍しいのですが、これも先程言いましたように、国連決議が果たして武力まで容認しているかどうかという問題もあるからです。この決議は武力行使を容認はしていないと私は考えていますが、アメリカは国連に対して、かつての湾岸戦争とは違う考えを持っているようです。湾岸戦争の時には国連決議が必要だということで、必死になって各国を説得しました。あの時も武力行使が国連によって容認されたかどうかは憲法学者、国際法学者の間でも議論がありましたけれども、一応国連決議に基づいて武力行使に入ったわけです。でも今度は「自衛権の発動」なんだということで、国連の決議は必要としない、ということであるようです。すると日本は「国連が武力行使を容認する決議が必要」ということにすると、かえって縛られてしまう。アメリカは国連が武力行使容認を決議しなくても、おそらく武力攻撃をやるでしょうから、最後の方で「その他必要な措置をとることはできる」ということで正当化しようとしています。

パキスタン・インドへの経済支援と核実験禁止

 もうひとつ私が気になるのは、アメリカは今回パキスタンに対してたくさんの援助をし、日本もアメリカの要請で経済援助することになりました。アメリカは攻撃のためにパキスタンを基地として使わなければならないということで、悪く言えばパキスタンを懐柔するためです。そして日本にもお金を出してくれということになったのですが、ご存知かもしれませんが、日本はパキスタンとインドに対して経済援助を凍結しています。数年前のパキスタンとインドの核実験の関係でですね。両国の核実験が部分的核実験停止条約に違反していることに抗議してなんですが、ところがアメリカからの今回の要請に対し、「今回は別にして」と援助を決めました。これなんかも本来おかしな事です。われわれ日本は広島・長崎を経験した国であるし、それならばここはやはりいい加減な対応するべきではないと思います。インド・パキスタンにしても援助を受けるなら、核兵器開発はやめなさいと、はっきり言うとか、そういうことが本来は必要なはずですよね。

憲法上の制約を無視する内容 

この長ったらしい名前の新しい法律が、ではどういう内容かというと、アメリカがアフガニスタンに攻撃を仕掛けるために、すでにインド洋に兵力を展開しています。それに対して日本が食料を補給する、弾薬を輸送する、あるいはパキスタンの国内にも自衛隊機が飛んでいって、後方支援をするということです。また場合によってはけが人の治療をしたり輸送したりする、というような内容になっています。そうすると、どういうことになるか。これまで憲法に配慮して、課してきた制約を一気に取り除く内容になっているのです。日本には憲法第9条があります。憲法学者の中でも、現実には憲法9条には何の意味もないという意見もありますが、決してそうではない、しっかりと生きていると思います。日本の政府はこれまで憲法9条があるために、さまざまな制約を約束させられてきたわけです。あるいは憲法に反しないと一生懸命説明せざるを得なかった。例えば、これまで自衛隊は憲法違反だとして批判されてきました。今でも憲法学者はそう思っている人が大部分でしょうが、そういう批判に対して、政府は「自衛のための最小限度の実力であれば、ある程度の実力部隊を持ってもいいのだ」という説明をいたしました。それから安保条約の時も、「米軍の部隊を日本に置くというのは、憲法9条に反するじゃないか」ということに対して、「いや、これは日本を守るために必要なのだから憲法には反しない」などと説明をしてきたわけです。ところが、そういう説明はしても「集団的自衛権」については否定してきました。集団的自衛権とは何かというと、これはよその国が攻撃された場合に、条約を結んでいる相手国の受けた攻撃は、わが国が攻撃を受けたものと同じと考えて一緒になって反撃をするという国際法上の考え方です。憲法そのものがそういう考え方にのっとっていないからということで、集団的自衛権は否定する、という考え方を日本政府はとってきました。それはそうです。日本が攻撃をされたわけでもないのに、どこかの国が攻撃をされたからといって、一緒になって反撃をするというのは憲法9条から当然出てくる発想ではありません。

もはや「自衛」では正当化できない

ところが今回の新しい法律では、「自衛権」あるいは「日本を守るため」という理屈では、もう説明ができません。少なくとも日本がテロを受けたわけではないのですから。ところが、これまで課してきた「国を守るため」という正当化の理由が今回は取り除かれてしまった。ですから「人道支援」とか、「テロに対する反撃」とか、「国連憲章の目的達成のため」とか、というふうにことばでは言っていますけれども、もはや「自衛権」では説明できません。今回は事実上、集団的自衛権という考え方に立っているわけで、これまでの日本政府がかろうじて維持してきた制約を、憲法9条があるが故に課せられていた制限、いわば一種の「聖域」を越える内容になっています。実態としてはアメリカを支援する軍事活動に入っていくことになります。地域的にもこれは全く限定がありません。安保条約にしても、日本国内が攻撃された場合ですし、周辺事態法では「周辺」という地理的な限定があったわけですが、今回の法律にはそういう限定はありません。ですから日本を遠く離れてどこでもいいわけです。世界中どこでも自衛隊がいけるということになってまいります。

 

「後方支援」と武力行使は一体

それから「後方支援」だから武力行使には当たらないというようにかろうじて説明しておりますが、これもどうなのでしょうか。後方支援とは食料を運ぶこと、それから医療であるとか言っていますが、いま問題になっているのは、弾薬の輸送というのはどうなんだということですね。自衛隊の船や飛行機が弾薬を運んでも、それは提供ではない。アメリカに直接、使いなさいと言って渡しているわけではないから、弾薬の"提供"にあらず、弾薬の"輸送"なのであるというような理屈をつけているようですけれども、しかしアメリカが今、そこで攻撃をする、あるいは攻撃しようとしているところへ武器や弾薬を輸送することはどう考えても、常識で考えて、弾薬の提供以外の何物でもないと思いませんか。武器弾薬を輸送するとしたら、それは単なる後方支援だから武力の行使には当たらないと主張しても、今日の軍事では、武器・食料を後方からどうやって運んでいくかというのは極めて重要な要素です。武力行使の一端を担うという点で、これはもう紛れもないわけで、そういう点では武力の行使ではないという説明は全く説得力のないものです。実際に攻撃されたアフガニスタンから見れば、日本が攻撃に加わったと思うのは当然です。

 

NATO諸国などの対応と日本

 今日、衛星放送でフランスの放送を見てきました。そこでちょっと意外だったのは、あまりメディアでは知られていないことなのですけれども、今のNATO(北大西洋条約機構)諸国の態度です。NATOというのは東西対立の頃に東側からの攻撃に対して対応するために作られた組織ですね。NATO諸国はどういう対応をしているかというと、私が見たのはフランスの放送ですが「アメリカ軍がフランスの上空を通過することを認めましょう」それから「インド洋に対して2隻の船を派遣しましょう」という対応にとどめているんです(後で特殊部隊をすでに派遣していたことが報道されたー小栗)。集団的自衛権の行使という理由でアメリカと一体になって攻撃するのではないかと思われていたのですが、これは意外でした。米英同盟というと最も軍事的に強い同盟ですから、イギリスはどうも攻撃に直接協力する方向のようです。イラクに対しても先日、米英一緒に攻撃しましたが、その他の国はちょっと距離を置いているようですね。テロに対して非難はするけれども、しかしどういう行動をとるかについては慎重な対応をとるという国が世界的に目立っています。サウジアラビアにしても、基地を使わせることに対しては拒否するという動きが出ているし、NATOの国々もアメリカとイギリスを除けばやや慎重姿勢が目立っています。以前、パレスチナ和平のために活躍したノルウェーとかも、物資の補給とか後方支援とかいうことは一切話題になっていないようです。そういう点でいうと、日本だけが突出しているんです。米英が突出しているのは当然としても、それを除けば、今一番浮き足立っているのは日本です。本来ならばそうではいけないはずでしょう。憲法第9条をもっていて、国際的な平和を守るために名誉ある地位を占めたいと思う国なのだから、もっと慎重であるべきはずです。

 

自衛隊法改正と警護出動

この新しい法律をつくると同時に、自衛隊法も改正しようという声も出てきました。自衛隊法の中には、防衛出動と治安出動というのが主たる任務として規定されています。防衛出動というのは日本が攻撃を受けたときに、自衛隊が武力で反撃をする事ですが、治安出動というのは、「間接侵略」といいますが、よその国の影響を受けて、日本国内で「よからぬ連中」が騒ぎをおこした時に自衛隊が鎮圧するために出動する権限を与えています。この治安出動というのは極めて大きな問題ですね。わが国では自衛隊ができてから治安出動はいまだかつてしたことがありません。ただ1度だけ1960年安保の時にそれに近かったことがあります。当時の岸首相が反対闘争の中でデモ隊に取り囲まれた時、岸さんは防衛庁長官に対して治安出動を命じたわけです。しかし当時の防衛庁長官はこれを拒否しました。なぜかというと当時、それまで自衛隊は国民に白い目で見られながらも必死でやってきた。ところがここで国民に銃口を向けるようなことになると、信頼を一切失ってしまう。という事で思いとどまりました。以降、まだ1度も発動されたことがありません。

 

今回も「治安出動」ということになると、いろいろと大変なので「警護出動」という新しい名前の規定を作って、自衛隊がいろんな施設の警護活動に入ることをできるようにしようという事を政府は言っています。対象は当初、原発、皇居、それから首相官邸と自衛隊の基地、米軍基地があがっていました。でも、これも大変なことですよね。みなさん東京で国会議事堂とか行かれたことがあるかと思いますが、

国会議事堂の隣に首相官邸がありますけれども、あの辺に自衛隊員が迷彩服を着て、武装して警備についていたら、これはちょっと怖いですよね。さすがにこれは政府与党の中でも、そんな戒厳令に近いような事はダメだということになりました。皇居を守るというのも、かえって天皇に対する反発が強まりそうなのでやめました。原発もそうですね。川内に原発がありますけど自衛隊が守るくらいなら、そんなあぶないもの最初から作るなという意見も出るでしょうし。それで結局自衛隊の基地と米軍基地だけを守るということになったのですが、それだって大変な話ですよね。自衛隊の基地の周りから、こちらへ向けて銃を向けているということでしょう。自衛隊が私たちの生活の中に目に見えるような形で出てくることが起こるような事態になってくるかもしれません。

 PKO等協力法も改正か?

それからPKO等協力法という法律もあります。PKO等協力法というのは国連の平和維持協力活動ですので、争っている同士の両方の同意があった時のみ、初めて出動できるという規定があります。ところが今回の場合、当然タリバンはうんとは言わないでしょう。そこで、同意がないときでもPKO活動ができるような改正を検討しているようですが、これも大きな問題です。また凍結されていたPKF活動(平和維持軍)への参加も考えられているようです。

 

安保条約の事前協議制もすっかりタナ上げ

周辺事態法はまだどうなるか分かりませんけれども、場合によるとこの「周辺」の解釈に手を加えて、どうにかしようという可能性もあります。日本からすでにキティホークとかエセックスといった米軍の艦船が出動しました。これはあまり問題となっていませんけれども、60年安保がつくられた時に議論されたことですけれども、安保条約では第6条でこの条約は日本の国内を守るためにある建前になっていますから、日本国内から行われる戦闘行動のために、日本を基地としてアメリカ軍がそこから出撃するような場合には、事前協議が必要という約束になっています。政府として場合によっては他国への攻撃に日本の米軍基地を使うのは拒否できることになっているのです。ところがこれは残念なことにベトナム戦争の時にもそうでしたが、政府はアメリカに対し留めるような態度はいっさい取っていません。本来ならば法に従って抗議しなければならない。もちろんアメリカは建前としてわかっているから、これは出撃ではなく単なる通常の任務の一環ですというふうに説明しておりますが、でも誰もそんなことを信じていないでしょう。

-----------------------------------------------------------------------------

まとめ 憲法改悪への道

今回の政府の対応は、憲法の歴史の中で大きな曲がり角になると先にも言いましたが、確かに憲法9条の制約に対し、これまで自衛隊の時も安保条約の時も湾岸戦争の時も、政府はいろんな解釈をしてやってきましたが、今回の事でさらに憲法9条の意味をいっそう無意味にしてしまうようなことにつながっていくであろうと思われます。政府の集団的自衛権の解釈というものも変えていこうという動きも顕在化するでしょうし、さらにこんな事態になっちゃったのだから憲法9条自体を変えたらどうかという、小沢一郎さんばりの改正案のような事も出てくるでしょう。

 今度のアフガニスタンへの攻撃によって、おそらくアメリカはアフガニスタンの政権を変えるということも考えているようです。しかしそれは傀儡(かいらい)政権ですから、恐らく不安定な国家でしょう。今は別のところに亡命しているかつてのアフガニスタンの政治の指導者もそんな傀儡政権は許せないと言っています。そうするとおそらく、アフガンでは内戦状態、泥沼状態が続き、アフガニスタンの政情が安定するというのは、何年もかかるでしょう。日本が太平洋戦争の前の中国で行なった事も、最初は中国にいる日本の居留民を救うという事で軍隊は出ていきました。それがずるずるとああいう形で15年戦争になってしまった。そういう泥沼に入りかねないとも思います。あるいは、こんご憲法改正という具体的な目標につながっていくような危険性もあると思います。

では、私たち民衆の側からどういうことをやっていったらいいのかというと、今この時に、報復戦争に反対する声をどれだけ強くあげる事ができるか、自衛隊の派遣に対して反対するという声をどれだけあげることができるかということにかかってくるのではないかと思います。誤解を恐れずに言えば、私たちに今、アメリカの攻撃をやめさせる力というのは残念ながら無いでしょう。でも長期的に粘り強く、どれだけ平和を求める声を出し続けることができるかというのが、あるいは国際的な人道支援の対案を提起しながら、戦争反対の声をどれだけ強くどれだけ長く辛抱強く私たちができるかどうか、その辺にあるのではないかと思っています。