上 告 理 由 書

              上  告  人      肥   後   源   市

              被 上 告 人      土   屋   佳   照 

 右当事者間の福岡高等裁判所宮崎支部一九九八年(平成一〇年)(行サ)第四号住民訴訟上告事件について、上告の理由は左記のとおりである。

 一九九九年三月二五日

最 高 裁 判 所 御 中

                                                                                               記

 

第一 上告理由の要旨

本件は、天皇の代替りに際して皇室が主催する一世一代の神道儀式である大嘗祭の一部である「悠紀殿供饌の儀」に鹿児島県知事が公人と証して参列し、式次第に従って大嘗宮に向かって拝礼したことが、憲法二〇条三項の政教分離原則に違反するとして、被上告人に対して支払われた旅費の返還を求めた住民訴訟である。

 二 原判決は、最高裁大法廷判決の採用する目的効果基準に拠るとしつつ、本件大嘗祭の性質を天皇が皇祖及び天神地祗に安寧と五穀豊穣を感謝し、国家・国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する伝統的な皇位継承に伴う伝統儀式に過ぎないと位置付けることもできないではないとしたうえで、被上告人の本件行為は、その意図、目的等において宗教的意義が希薄であり、むしろ社会的儀礼としての意識が強かったと見ることができること、一般人においても被上告人の本件行為は天皇の即位に関連する社会的儀礼の範囲内のものとして受け止めることができる性質のものと考えられること等、諸般の事情を考慮して判断すると、被上告人の行為は、その目的において宗教的意義があるとはいえず、また、その効果についても、特定の宗教である神道に対する関心を呼び起こし、それを援助、助長、促進し、他の宗教や無宗教者に対する圧迫等に繋がる精神的、心理的効果があるとはいい難く、これによって、知事ないし地方自治体と神道との関わりが我が国の社会的、文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超えるものということもできないとして、政教分離原則に違反しないと結論付けた。

 三 しかし、原判決には、憲法第二〇条一項及び三項の政教分離規定及び憲法第一条の国民主権原則の解釈及び適用の誤り並びに理由齟齬があるので、民事訴訟法第三一二条一項及び同条二項六号により、破棄されるべきである。

   以下、左記の順で述べる。

  第二 憲法解釈の誤りー憲法二〇条一項及び三項、憲法一条違反  四頁

  第三 憲法解釈の誤りー目的効果基準の解釈適用の誤り 四六頁

第四 理由不備及び理由齟齬  六八頁

第二 憲法解釈の誤りー憲法二〇条一項及び三項、憲法一条違反

    

 原判決には、憲法第二〇条一項及び三項(信教の自由及び政教分離原則)及び憲法一条(国民主権原則)の立法事実等から導かれる解釈を誤った違法がある。

    

 一  日本国憲法における政教分離規定の立法事実及び意義と大嘗祭の違憲性

    

     大日本帝国憲法では「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」

    という重大な制限の下でのみ信教の自由は保護されていた(二八条)。これに対し

    て、日本国憲法では、二〇条一項前段で無条件に信教の自由を保障し、二項

    で宗教上の行事等への参加の強制の禁止を規定した上、宗教団体に対する特権付

    与の禁止、宗教団体の政治上の権力の行使の禁止(一項後段)、国の宗教的活動

    の禁止(三項)等、多重的で詳細な政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教

    分離規定」という)を置くに至った。

     そこで、本件被上告人らの行為の違憲性を判断する基準を論ずる前提として、

    日本国憲法における政教分離規定の立法事実及び意義を検討する。さらに、本件

    被上告人らの対象行為となった大嘗祭そのものの違憲性について考察する。

    

  1  大日本帝国憲法下における神権天皇制と国家神道の成立、信教の自由の抑圧

   ()  神権天皇制

    () 大日本帝国憲法

      大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)は、万世一系の天皇が統治し

      (一条)、天皇は「神聖ニシテ侵スヘカラス」とされ、統治権を総攬する

     ことを定めていた(三条、四条)。天皇の地位は、天皇の祖先である神の意思

     に基づくものとされていた。「神の意思」とは、皇祖天照大神が皇孫を日本国

     に降臨せしめた際に賜ったと『日本書紀』の伝える勅語に表明されているとい

     う考え方によっていた。この勅語は「神勅」と呼ばれ、万世一系の君主国の根

     拠とされたのであった。まさに旧憲法は、神勅主権と呼ばれる原理に基づいて

     おり、神権主義的な君主制の色彩がきわめて濃厚であった。

    

    () 国家神道の成立

      旧憲法の下で万世一系の天皇に対する崇拝を中心教義とする国家神道が作り

     上げられた。一八六八年(明治元年)、新政府は祭政一致を布告し、神祗官を

     再興して全国の神社をくまなく新政府の直接支配下に組み入れる神道国教化の

     構想を示し、一連の神仏判然令をもって神仏分離を遂行した。一八七一年、新

     政府は全社寺領を官収する方針に基づき、境内地を除く全社寺領の上知を命じ、

     太政官布告で社格制度を確立して神社を系列化し、伊勢神宮を別として、官社

     (官弊社・国弊社)、諸社(府社・藩社・県社・郷社)に分け、前者は神祗官

     の、後者は地方官の所管として、中央集権的に一元的に統制支配することとし、

     しかも神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えて、他の宗教に

     はない特権的地位を認めた。

      一八八二年、政府は神官の教導職の兼補を廃し葬儀に関与しないものとする

     旨の達を発し(内務省達乙第七号、丁第一号)、神社神道を祭祀に専念させる

     ことによって宗教ではないとする建前をとり、神道が他の宗教の上に君臨する

     国家神道体制が固められ、国民はその信仰を強制され、事実上国教化された。

      一八九〇年に教育勅語が天皇制的国民教化の基準として発布され、国家神道

     のイデオロギー的基礎となるや、国家神道の教義は敬神崇祖を主軸とする国体

     の教義として完成した。

    

    () 国家神道と天皇との結びつき

      高裁での岩井忠熊証言によると、一八七一年(明治四年)五月一四日の太政

     官布告により、神社の儀は国家の宗祀、神を祭ることが国の仕事だとされて、

     国家神道体制が始まったとされる。国家神道は、天皇制と深く結びついた。神

     道は、天皇の祖先天照大神を祀る伊勢神宮を本宗に、全神社を一元的に再編成

     した宗教であったから、その宗教的権威はすべて現人神とされた天皇と皇祖皇

     宗の神霊に発していた。天皇は、皇祖神に連なる神聖不可侵な神であるととも

     に、みずから皇室祭祀を掌る国の最高祭司とされた。

      岩井忠熊証言は「皇祖にあたるという神様を宮中で賢所に祭る。天照大神の

     御霊代である鏡、これは伊勢神宮にあるわけですが、そのイミテーションが賢

     所にありまして、これを祭るという一番大事な仕事だとされていたのが天皇で

     す。」と述べている。

   

    () 登極令と大嘗祭

      旧憲法の下では、天皇は神聖不可侵の現人神として絶対の存在だったので、

     天皇にかかわる儀式とりわけ皇位の継承に関する儀式は国家にとっての最重要

     事とされた。旧憲法下の皇室典範第一条は「大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ

     男系ノ男子之継承ス」、同第一〇条は「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗

     ノ神器ヲ承ク」と、同第一一条は「即位ノ禮及大嘗祭ハ京都ニ於テ行フ」と規

     定していた。皇位継承の儀礼は、既に明治天皇の即位にあたって拡充整備され

     たが、さらに一九〇九年二月一一日の紀元節に、帝国憲法発布二〇年を記念し

     て登極令及びその附式が公布された。この中では、従来から皇位継承に伴って

     行われて来た多くの儀式の一つであった大嘗祭が、天照大神と天神地祗を祭る

     ものとして特に重要視され、即位した天皇の宗教的権威の強化のために用いら

     れることとなった。こうして大嘗祭は、登極令によって国家神道体制の強化の

     ために再構成され、国家神道の中核的儀式として位置付けられるに至ったので

     ある。

    

    () 国家神道体制下の宗教弾圧

      旧憲法の下では、国家神道と矛盾する要素を持つ宗教や思想は、国家の安寧

     秩序を妨げるものとして信教の自由の保障を受けず、これらの宗教を信ずる者

     に対しては厳しい迫害が加えられた。昭和初期には、大本教、ひとのみち教団、

     創価教育学会、法華宗、日本基督教団、ホーリネス教派などは、不敬罪や治安

     維持法などにより激しい取締や禁圧を受けた。これにより各宗教は国家神道を

     中心とする「国体」観念に完全に従属せしめられ、ほとんど活動の余地を奪わ

     れた。そして、神社参拝が事実上強制されるなど信教の自由は極度に侵害され、

     国家神道はいわゆる軍国主義の精神的基盤になっていった。

      明治以降の歴史は、国家が宗教と結び付き、国家の政治体制に宗教的な理念

     が持ち込まれると、国民の信教の自由が侵害されるのみならず、国民全体を狂

     気の侵略戦争に駆り立て、国家自体を破壊することにさえつながりかねないと

     いう事実を証明した(村上重良「国家神道」岩波新書、同「天皇の祭祀」岩波

     新書、同「国家と宗教」法学セミナー・一九八三年五月号から一九八五年四月

     号などを参照)。

    

   ()  敗戦と神道指令、日本国憲法の制定

    () 敗戦と神道指令

      一九四五年の敗戦直後、GHQは、覚書「国家神道・神社神道ニ対スル政府

     ノ保証・支援・保全・監督並ビニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(いわゆる神道指

     令)(一九四五年一二月一五日)を発し、戦前の天皇神聖の教義による国家と

     神社神道の結合を排除しようとした。神道指令は、「神道ニ関連スルアラユル

     祭式、慣例、儀式、礼式、信仰、教へ、神話、伝説、哲学、神社、物的象徴」

     と国家との完全な分離を要求する徹底したものであった。

      この神道指令により、国家と神社神道との完全な分離が命ぜられた。それま

     で事実上の国教とされてきた神社神道は、一宗教として他の宗教と同じ法的基

     礎の上に立つこととなった。神道に対する国家の特別な保護監督の停止、神道

     及び神社に対する公の財政援助の停止、神棚その他神道の物的象徴となるもの

     の公的施設での設置の禁止及び公的施設から撤去等の具体的措置が明示された。

    

    () 日本国憲法の制定

      一九四七年五月三日から施行された日本国憲法は、政教分離が完全でなけれ

     ば真の信教の自由は保障されないという旧憲法下の苦い歴史的経験に鑑み、神

     道指令の趣旨を引き継ぎ、信教の自由を確立するために、第二〇条に信教の自

     由とそれを制度的に保障するために政教分離規定を設けて、国家権力の宗教的

     中立性(世俗性)を確立しようとした。第八九条には、その政教分離規定を財

     政的な面から保障するために「公の財産は・・宗教上の組織若しくは団体の使

     用、便益若しくは維持のため・・これを支出し、又はその利用に供してはなら

     ない」と規定した。

      同時に日本国憲法は、大日本帝国憲法の神勅主権を否定し、天皇の地位を

     「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものとして、国民主権原則の下に

     置いた。天皇からいっさいの政治的な権能をうばった象徴天皇制は、同時に天皇

     の神性を完全に否定した。さらに天皇ふくめ皇室財産について国会による議決

     の下に置いた(財政民主主義)。天皇の公的な行為については宮廷費から支出

     され、国会の審議に付されることになった。

    

    () 新しい皇室典範の制定

      現行の皇室典範は、一九四七年の日本国憲法施行と同時に施行された。

    (「国体護持」を最大の眼目に置いた当時の政府の必死の抵抗で、大日本帝国

     憲法の下でと同じ名称が用いられたことは、日本国憲法の下での大きな矛盾で

     あった。本来なら天皇を国民主権の原則の下に置いた日本国憲法のもとでは、

     大日本帝国憲法のそれとは明瞭に異なったことを明確にするために「皇位継承

     法」とでも名付けるべきであった。)

     日本国憲法は国民主権主義、平和主義、及び基本的人権尊重主義を基本原理と

     して制定され、天皇の拠って立つ地位は国民主権にあるとした。他方、憲法は、

     あらゆる価値の根源が個人にあるという個人の尊厳を基本理念とし(一三条前

     段)、必然的に基本的人権としての信教の自由を保障し、政教分離を保障した

     のであった(二〇条、八九条)。

      その結果、旧皇室典範及び登極令等は、皇室令及附属法令廃止の件(皇室令

     一二号一九四七年五月一日)によって廃止された。

      日本国憲法の下位法である現行の皇室典範は、当然のことながら、憲法の基

     本原理に適合的なものでなければならなかった。そこで、皇室典範には、大嘗

     祭に関する定めはいっさい規定されていないし、他の法令にも大嘗祭に関する

     定めはない。

       新しくつくられた憲法の下で、大嘗祭もふくめて国家と神道との結びつきは、

     「憲法が主要な標的として否定」した(樋口陽一『もういちど憲法を読む』岩

     波書店)のである。だからこそ、現行の皇室典範は、旧憲法下で神勅主権主義

     の典型的なあらわれであり、国家神道(皇室神道)の中核をなし、天皇が神と

     なる宗教儀式としての大嘗祭に関する規定を意識的におかなかったのである。

     大嘗祭は、国事行為としてではなく、皇室の単なる私的儀式として現憲法及び

     現典範その他の法令の外に置かれたのであった。

      以上のことは、政府における皇室典範案作成過程においても、帝国議会にお

     ける審議過程においても、大嘗祭は皇室神道にかかわる宗教儀式であることが

     明白に意識されていた。

    

    () 政教分離規定の立法事実についての憲法学者の考察

      憲法における政教分離規定の立法事実の検討から言えることは、わが国では

     極めて厳格な政教分離が導入されたということである。このことは憲法学者の

     間では通説的見解でもある。

      前最高裁判事である伊藤正己東京大学名誉教授は、次のように述べている。

     日本では、「神社国教制が軍国主義、国家主義の基盤となったことを反省し、

     総司令部の神道指令は神社と国家との分離を厳しく命じ、国家と教会の分離

     こえて国家と宗教の分離を明らかにしたのであるが、主としてアメリカ法にな

     らいながら、詳しく政教分離を定め、単に人権の章にその規定をおくにとどま

     らず、国の財政の面からもそれを徹底した形で明らかにした」(伊藤正己「憲

     法」二六四頁)。

      また、最近の憲法学界を代表する学者である樋口陽一教授は「日本で政教分

     離が争われている場合の典型的な構図というのは、まさに憲法自身が主要な標

     的として否定し、禁止しようとしたことをもう一回やっていいのかどうか、と

     いうことです。・・・大嘗祭や、その前の昭和天皇の葬儀の場合に問題となり

     ましたような、天皇と神道との結びつきも、まさしく先ほど申しましたように、

     国家神道、神権天皇、皇軍という三つの結びつきを解体するのが、戦後民主化

     の出発点であったことを、少なくともあいまいにするものでした。」と述べて

     いる(『もういちど憲法を読む』二六頁・岩波書店)

    

    () 裁判所の立法事実の認識

      上にのべてきた政教分離原則の立法事実については、最高裁判所も認めてい

     るところである。

      最高裁判所一九九七年四月二日大法廷判決は次のように判示している。「我

     が国では、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けてい

     たものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於

     テ」という同条自体の制限を伴ったいたばかりでなく、国家神道に対し事実上

     国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるい

     は一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等のこともあって、同憲法の

     下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかった。憲法

     は、明治維新以降、国家と神道が密接に結び付き、右のような種々の弊害を生

     じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にそ

     の保障を一層確実なものとするため政教分離規定を設けるに至ったのであ

     る。」(民集五一巻四号一六七三頁)

    

    () 原判決は、政教分離規定の立法趣旨に反している。

      しかし、原判決は、本件の対象となった大嘗祭についての性格づけについて、

     政教分離規定が制定されるにいたった立法事実を軽視あるいは無視して、論を

     すすめ、結論的に「本件大嘗祭は、その様式について問題はあるが、天皇にお

     いて新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国

     民の安寧と五穀豊穣を祈念する意味のものであるといえないではないから、本

     件大嘗祭が現行憲法の基本原理である国民主権原則並びに象徴天皇制の下にお

     いて認められる限界を超えているとまでは断定することはできない。」(一一

     九頁)として、れっきとした宗教儀式であり、皇祖及び天神地祇に祈念するな

     ど旧憲法下の思想をうけつぐ大嘗祭を”問題はあるが、憲法違反とはいえない

     “と認めてしまっている。

      この判断は、最高裁大法廷判決にいう「国家神道に対し事実上国教的な地位

     が与えられ」「国家と神道が密接に結び付き、右のような種々の弊害を生じた

     こと」を、大嘗祭についての憲法判断の中に生かしていない、憲法の政教分離

     規定の立法趣旨に反する誤った解釈である。

    

    1. 日本国憲法の下では、皇室神道と国家の結び付きにはとりわけ強い違憲の推

定をはたらかせるべきである。

      政教分離規定は、戦前の国家神道体制の下で個人の信教の自由が著しく制約

     されることになった歴史的経験に対する深刻な反省に基づき定められたもので

     あり、我が国において国家と宗教が結び付くことは、常に個人の信教の自由を

     侵害することにつながるというわが国固有の歴史的な理由にもとづく認識で規

     定され、不断に国家神道体制の復活を認めない指向を有するものである。その

     ような立法事実の趣旨からすると、大嘗祭の挙行にみられる神道、特に国家神

     道体制の維持強化と直結した皇室神道との関わりについては、特に強い違憲の

     推定が働くというべきである。

      原判決は、この「強い違憲の推定」に関連して、「神道や大嘗祭への関わり

     について、他の宗教や儀式に対するものとは別のより厳しい基準によって判断

     すべきであるとの趣旨であれば、その主張の前提とする事実の存否に関わらず、

     逆に特定の宗教に対して抑圧的行動をとることになり信教の自由を憲法自ら侵

     害することになるから、採用できない」と判示している(九九頁)。

      上告人の主張は、神道一般の信者や神社等に対して「他の宗教や儀式に対す

     るものとは別のより厳しい基準によって判断すべきであるとの趣旨」ではない。

     神道の祭祀と国政とが一致するという「祭政一致」が、わが国の「国体」の根

     本をなしていた我が国の歴史的事情にかんがみ、国家神道をその教義とする宗

     教と国家との結び付きに対しては、憲法上厳しい”警戒“が求められるという

     趣旨である。

      事実、我が国の憲法上の政教分離規定に関する問題として提起された事件は、

     ほとんどがこの神道と国家との結び付きであった。例えば、靖国神社の国営化

     あるいは公式参拝に関する問題、護國神社への自衛官の合祀に関する問題、さ

     らには歴史学・考古学的にはまったく根拠がない神武天皇の即位したとされる

     日を国民の祝日とした「建国記念の日」に関する問題などがそれである。

      裁判所も、政教分離規定をめぐる我が国の歴史的事情にはこれまで注目し

     きた。岩手靖国訴訟仙台高裁判決は、内閣総理大臣の靖國神社への公式参拝の

     憲法適合性が問われた際、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様から

     見て、国またはその機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべ

     きであり、しかも、公的資格においてなされる公式参拝がもたらす直接的、顕

     在的な影響及び将来予想される間接的、潜在的な動向を総合考慮すれば、公式

     参拝における国と宗教法人靖國神社との宗教上の関わり合いは、わが国の憲法

     の拠って立つ政教分離規定に照らし、相当とされる限度を超えるものと断定せ

     ざるをえない、と判示したが、その中で、天皇と神道(この場合は靖國神社)

     との結びつきについて言及し、以下のように判示している。

    

      「仮に、天皇の公式参拝が憲法二〇条三項との関係で合憲とされた場合、天

      皇の公式参拝はどのような方式及び規模で行われることになるであろうか。

      戦前における天皇の公式参拝が、親拝と呼ばれ、その方式が独特のものであ

      ることは前記のとおりであり、また、戦前の合祀祭が天皇のほか、皇族及び

      内閣総理大臣以下の参加のもとに盛大かつ厳粛に執り行われたこと前記のと

      おりである。靖國神社が宗教法人になってからの天皇の公式参拝はなされて

      いないから、その方式及び規模がどうなるかは定かではないが、天皇の公式

      参拝が行われるとすれば、天皇の公式儀礼としてふさわしい方式と規模を考

      えなければならず、また、天皇が皇室における祭祀の継承者である点をも視

      野にいれなくてはならないであろう。右のような点を考え合わせると、天皇

      の公式参拝は、内閣総理大臣のそれとは比べられないほど、政教分離の原則

      との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろうことが容易

      に推測されるところである。」(行裁例集四二巻一号一頁)

    

      まさに、この指摘は、大嘗祭についても妥当する。天皇が、国の財政支援を

     うけて、たんなる私事ではなくして大嘗祭を挙行したことは「政教分離の原則

     との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろう」。神道と国

     家の結び付きに対して、我が国の歴史的事情にかんがみ、事実に即した歴史認

     識をもって、裁判所は、国家と宗教の「完全な分離」の基準に忠実に解釈しな

     くてならなかった。

      しかし、原判決はそうした解釈をとらなかった。これは、憲法の定める政教

     分離規定の立法事実を無視したものあり、憲法解釈として誤っている。

    

   2  日本国憲法における政教分離規定の解釈について

    () 国家と宗教の完全な分離による国家の非宗教性と宗教的中立性の確保

      日本国憲法において、政教分離規定は、「完全な分離」を原則として解釈さ

     れるべきである。

      最高裁判所一九九七年四月二日大法廷判決も、この解釈態度を原則とするこ

     とについては、明確にしている。

     「元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してき

     ているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するた

     めには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる

     宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であっ

     た。これらの点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国

     家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確

     保しようとしたものと解すべきである。」(民集五一巻四号一六七三頁)

    

    () 国家と宗教との完全な分離を例外としてはならない。

      そのさい、留意すべき点は、この「国家と宗教との完全な分離を理想とし、

     国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきであ

     る」との解釈態度をたんなる理想論に終わらせてしまってはならないというこ

     とである。これまでの裁判例の中には、このような解釈を「原則」といいつつ、

     実際にはひろく国家と宗教との結びつきを容認してしまう事例が多々みられた。

     ここで、最高裁判所一九九七年四月二日大法廷判決の中の少数意見を引用して

     おくことは無駄ではあるまい。

      「憲法二〇条三項の規定が、我が国の過去の苦い経験を踏まえて国家と宗教

      との完全分離を理想としたものであることを考えると、目的・効果基準によ

      って宗教的活動に制限を付し、その範囲を狭く限定することは憲法の意図す

      るところではないと考えるのである。」(高橋久子裁判官の意見から)

      「完全分離を理想と考え、国が原則的に許されないという立場から出発する

      のであれば、何が『許されない』かを問題とするのではなく、何が例外的に

      『許される』のかをこそ論ずべきである。私は、このような多数意見の立場

      は、政教分離制度の趣旨、目的にかなわず、同制度が信教の自由を確保する

      手段として最大限機能するよう要請されていることを忘れたものであって、

      望ましくないと考える。」(尾崎行信裁判官の意見から)

    

      政教分離規定について、厳格な分離あるいは完全な分離の立場をとり、国家

     と宗教との結びつきが例外的に許される事例はあくまで限定的に考えなくては

     ならない。

    

    () 学説の動向

      政教分離規定については、厳格な分離あるいは完全な分離を要請していると

     解釈するのが、ほとんどの憲法学者の共通認識である。代表的な見解として、

     佐藤功上智大学名誉教授の「日本国憲法第二〇条の定める政教分離の内容は、

     これのうち、アメリカに見られる厳格な、あるいは徹底した分離の形態である

     ということができる。」(日本国憲法概説〔全訂第四版〕一九三頁)とする見

     解をあげておこう。

      政教分離規定の分離の基準適用を緩和する解釈を支持する学説はほとんどみ

     あたらない。

      さらに、政教分離規定に関して基準を適用しようとする場合にも、本上告理

     由書の1に述べたわが国の立法事実をふまえて、その歴史的事情を十分に考慮

     しなくてはならない。先に引用した樋口陽一『もういちど憲法を読む』では

     「憲法が明示的に否定しようとしたことを、もう一度あえて再び結びつけよう

     とするという形で提起されているのが、日本での政教分離問題の特徴であって、

     ひとくちに政教分離問題が諸外国と共通に争われているからといって、ひとし

     並みにとらえることができない。したがって、たとえばアメリカの最高裁判所

     の判例理論ないしそれに近いものを日本に持ってきて議論しようとする場合に、

     前提が違うということを、十二分に注意する必要があります。」と指摘されて

     いる。

    

    () 国家と国家神道との結び付きを違憲とする学説

      わが国において、国家神道と国家との結び付きが問題とされてきた事例を() 

     の()で紹介したが、そのうち、靖国神社への天皇や首相の公式参拝について、

     憲法学者の中では違憲とする説が圧倒的である。芦部信喜東京大学名誉教授は

     「玉串料の支出はもとより、かつて国家神道の一つの象徴的存在であった宗教

     団体である靖国神社に総理大臣が国民を代表する形で公式参拝を行うことは、

     目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教団体との深いかかわり

     合いをもたらす象徴的な意味をもち、政教分離原則の根幹をゆるがすことにな

     るので、地鎮祭や葬儀・法要等への出席と同一に論じることはできない。・・

     違憲といわざるをえない」(憲法〔新版〕一四九頁)と述べている。

      大嘗祭もまた国家神道の一つの象徴的存在であったということができる。し

     たがって、憲法二〇条に反して、国家と特定の宗教である神道との深いかかわ

     り合いをもたらす象徴的な意味をもち、政教分離原則の根幹をゆるがすことに

     なるといわざるをえない。

    

    () 信教の自由と政教分離規定

      思想・良心の自由や信教の自由など、いわゆる個人の内心の自由は、基本的

     人権の中でも特に侵すことのできない絶対的な人権として優越的な地位を認め

     られているものである。日本国憲法の政教分離規定は、このような個人の信教

     の自由の保障を完全ならしめるためには国家神道体制の解体が不可欠であると

     いう認識のもとに定められたものである。したがって、政教分離規定の解釈・

     適用にあたっては、政教分離原則が緩和されることは、個人の信教の自由の抑

     制が拡大することなのだという観点から、少数者の人権の方に重点を置いて判

     断されなければならないのである。

      信教の自由ほど少数者の敏感な感受性を多数者の鈍感さから保護する必要の

     ある人権はないのであって、政教分離規定を多数派を基準に運用することは許

     されるものではない(棟居快行「政教分離と違憲国賠訴訟の論点」判例時報一

     三八九号三頁以下)。

      最高裁もまた、この趣旨の判決をのべている。

      「明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかん

     がみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記憲法制定の経緯に照らせば、たと

     え相当数の者がそれ(この事案では、靖国神社への玉串料の公費による支出)

     を望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのか

     かわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることに

     なるとはいえない。」(最高裁大法廷一九九七年四月二日判決)

      大嘗祭への公費支出(参列もふくめて)についても、「多数派」あるいは

     「相当数の者」がそれを望んだとしても、過去の経緯にてらして、危惧を感じ

     る「少数者の人権」=信教の自由に配慮して、政教分離規定は厳格に解釈され

     なくてはならない。

                                   

    () 政教分離規定の解釈についての原判決の誤り

      原判決は、憲法の政教分離規定の解釈について、以下の誤りをもつと考える。

      完全な分離あるいは厳格な分離を原則とすべきにもかかわらず、国と神道と

     の結び付きに対する憲法二〇条第三項の政教分離規定の適用について、ゆるや

     かに解釈し、れっきとした宗教儀式である大嘗祭を国が財政的に支援・関与し

     たこと、および違憲の儀式に公費で参列した被上告人の行為を、違憲としなか

     ったのは誤りである。

      わが国の大日本帝国憲法下での国家神道による信教の自由の抑圧という歴史

     的教訓をかえりみないで、かつて国家神道の中心的な儀式として行われ、憲法

     が意識的に排除したはずの、本来なら皇室の私的な儀式としてとり行うべき大

     嘗祭を安易に正当化したのは国民主権原則からして誤った憲法解釈である。

      原判決は「儀式にはある程度伝統的な荘厳性、神秘性、宗教的性格は付きも

     の」(一一七頁)などと述べて、公の儀式か、私的な儀式かも区別することな

     くのっぺらぼうに儀式一般に宗教的性格を認めて、大嘗祭が憲法に反しないこ

     との伏線にもっていこうとしているが、これなど裁判官が政教分離規定に関し

     て、してはならない解釈の見本のようなものである。裁判官が判断すべきは、

     このような無限定的な説示ではなく、国や地方公共団体などの公権力のおこな

     う儀式が、憲法の政教分離規定に反しているか否かを、厳格な分離あるいは完

     全な分離の立場で解釈することである。

    

   3 大嘗祭の意義づけについての原判決の憲法判断の誤り

    (1) 原判決の大嘗祭の意義づけ

      原判決は、大嘗祭の意義及び内容について、以下のように判示した。

      「本件大嘗祭は、前記政府見解に基づき、皇位継承に伴う伝統的な皇室の儀

     式として行われたが、その中心的儀式である大嘗宮の儀は戦後昭和二二年に廃

     止された登極令が定める大嘗宮の儀とほぼ同じ次第で行われた」(一〇九頁)

      「かかる現行憲法下において、廃止された登極令にならい、神道様式による

     大嘗祭を行うことは、・・・本件大嘗祭が国事行為としてではなく、皇室の行

     事として行われたものであるにしても、旧憲法下における旧皇室典範及び登極

     令の思想を引きずるものであるとの印象を払拭しきれないものがある」(一一

     二頁)

      「大嘗祭には、本来、国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念する意

     味があり、また皇位継承に伴う重要な皇室の伝統儀式の性格があるにもかかわ

     らず、本件大嘗祭の意義及び性格を曖昧なものした。」(一一四頁)

      「天皇制そのものが憲法上存在を認められている以上、何事も全てを一気に

     新しいものに切り替え、旧制度のものは伝統をも含めて一切合切全てを切り捨

     てることは必ずしも必要ではなく、むしろ皇室の伝統的なものは、憲法の定め

     る国民主権の原理及び象徴天皇制に反しない限り、これを受入れ、様式等につ

     いては時代に即応して徐々に工夫し、日本国及び日本国民統合の象徴として国

     民に真に親しまれ愛される天皇及び皇族を育み、実を結ばせるべく、天皇及び

     皇族並びに一般国民が一致して努めることも必要であり、また、このことは憲

     法の期待するところでもあると考えられる。」(一一六乃至一一七頁)

      「本件大嘗祭は旧憲法下の登極令にならった神道様式によるものであり、国

     民との関わりを持つ以上、その様式においてなお現行憲法に明確に適合するよ

     うに工夫すべき問題を残してはいるものの、その意味内容及び性格については

     旧憲法下におけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容、及

     び性格を有するとはいえないと考える。」(一一八頁)

      「本件大嘗祭は、その様式について問題はあるが、天皇において新穀を皇祖

     及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民の安寧と五穀

     豊穣を祈念する意味のものであるといえないではないから、本件大嘗祭が現行

     憲法の基本原理である国民主権原則並びに象徴天皇制の下において認められる

     限界を超えているとまでは断定することはできない。」(一一九頁)

      このように、原判決は、日本国憲法の国民主権原理および象徴天皇制との関

     係で大嘗祭の意義及び性格を判示して、結論的には「本件大嘗祭が現行憲法の

     基本原理である国民主権原則並びに象徴天皇制の下において認められる限界を

     超えているとまでは断定することはできない。」とした。しかし、その結論に

     は以下に述べるように、憲法上の解釈についての誤りがある。

    

    () 国の行為が違憲かどうかの争点について判断を避けている

      上告人は、本件被上告人の大嘗祭参列についての憲法適合性をこの訴訟で争     点にしたが、その対象行為である本件大嘗祭についての国の関与・財政支援も     また、本件訴訟の前提となる争点であった。しかし、原判決は、「本件は被控     訴人が悠紀殿供饌の儀に参列し拝礼した本件行為の違憲性の問題であるから、     直接その点の判断をすれば足り、本件大嘗祭について国が関わった行為の違憲     性を判断する必要はない」として、争点から意識的にそこを外してしまった。     (九三乃至九四頁)

      その結果、本件大嘗祭についての国の関与・支援が、憲法の政教分離規定か     らしてどう判断されるかについて、原判決はまったくふれていない。

      しかし、本件は、宗教団体の活動や民間人の行う宗教活動に知事が関与した     事例ではなく、国の宗教的活動への財政的支援がまず前提の問題としてあり、     それときわめて密接な相関関係をもって、儀式への知事の公的な関与の憲法適     合性が問題になっている事例であるから、知事の参列を目的効果論によって評     価する前堤としてに特定の宗教的活動への国の関与・支援について問題にしな     ければならないことは当然である。

      被上告人が宮内庁長官の案内に応えて、参列・拝礼したことからすると、被     上告人の行為は、国の大嘗祭に対する支援行為を完成させる行為を行ったとみ     られるのであるから、被上告人の参列・拝礼行為の違憲性の判断は、国の支援     行為の違憲性の判断と相関関係を有するというべきである(甲第七九号証平野     武意見)。したがって、本件の判断にあたっては、国の大嘗祭に対する支援行     為の違憲性の検討も必要となる。

      原判決は、知事の参列の違憲性が問題になっているのであり、その参列とい     う行為のみを問えばすむと考えているように見えるが、知事の参列の法的評価     は参列した行事の性格、その主催者である皇室の儀式に国が関わることによる     政教分離原則との抵触の問題についての判断抜きには評価しようがないはずで     ある。そして、国の行為が違憲であれば知事の参列の評価は異なるはずである。

       また、仮に国の行為が直ちにそれ自体として違憲とまでは言えないとしても、     その行為の宗教的意義の濃淡が目的、効果の判断にも影響するはずであるのに、     この点の検討をしていないのは失当である。

      原判決は、知事が国の行為に直接かかわり合いをもっていないとして、国の     行為と切り離して検討すれば足りるかのように主張するが、本件知事の参列は、     他の都道府県知事の中には欠席したり、私人としての出席に止めるなどの配慮     をした例があるにもかかわらず、公人としての立場で公費を使用して参列した     のであるから、大嘗祭という宗教儀式に積極的に直接のかかわり合いをもった     と評価されるべきである。

      大嘗祭について国が関わった行為の違憲性を判断するとすれば、大嘗祭を      「天皇において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今     後の国家国民の安寧と五穀豊穣を祈念する意味」と意義づけようと、「旧憲法     下におけるように天皇の神格化儀式」と意義づけようと、どちらであっても、     原判決も認めるように、れっきとした神道様式による宗教的儀式にほかならず、     それへの国の関与・支援が宗教的中立性・国家の非宗教性を厳格に求めている     日本国憲法の政教分離規定にてらして評価され、問われるべきであった。そし     て、当然に違憲の判断が下されるべきものであった。

    

    () 大嘗祭は神道色の極めて濃厚な儀式であり、憲法の国民主権原則に反する

      原判決は、本件の中心的な争点として「大嘗祭は神道色の極めて濃厚な儀式     であり、憲法の国民主権原則に反する」として、大嘗祭についての意義及び性     格について「大嘗祭の起源及び本質」「歴史的観点からの大嘗祭の意義」「本     件大嘗祭の問題点」「本件大嘗祭についての意義及び性格並びに国民主権原理     及び象徴天皇制との関係」を論じている。その結果、”問題はあるが、国民主     権原則に反しない“という結論を導き出した。そのうえで、政教分離規定につ     いての解釈基準とされた「目的・効果基準」を適用して、違憲とはいえない、     としている。

      しかし、大嘗祭は、神道色の極めて濃厚な儀式であり、憲法の国民主権原則     に反する、と考えるので、以下、その違憲の主張を行う。

    

    () 大嘗祭は伝統的儀式だから、国民主権原則に反しないとする原判決の誤り

      原判決は、大嘗祭は伝統的儀式だから、国民主権原則に反しないとする。し     かし、伝統的儀式といっても、大嘗祭がはたして皇位の世襲に不可欠の伝統で     あるかいなか、歴史学者の間でも、疑問がだされ、実際の歴史では、大嘗祭を     おこなうことのできなかった天皇も存在する。

      大嘗祭が国をあげての儀式としての「伝統」をもつようになったのは、とり     わけ明治になってから天皇中心の国家体制が確立されてからと指摘されている。     仮に大嘗祭がたとえ「伝統」であったとしても、それは天皇家にとっての伝統     にすぎず、憲法適合性を判断する基準とはならない。本件大嘗祭が日本国憲法     の国民主権原則にてらして、どのように評価すべきかは、憲法以下の諸法令に     てらして考慮されなくてはならない。

    

    () 政府見解をほとんど踏襲した原判決の誤り

      原判決は、その立論において、大嘗祭が「本来、国家及び国民の安寧と五穀     豊穣を感謝し、祈念する意味があり、また皇位継承に伴う重要な皇室の伝統儀     式の性格がある」から、神道色が濃厚でないと判示しているが、これは、以下     に引用する「政府見解」からのほぼ口写しの説明にすぎない。

      政府は、一九八九年九月二六日の閣議決定で「即位の礼準備委員会」を設置     した(委員は、内閣官房長官を長として法制局長官、官房副長官(政務・事      務)、宮内庁長官の四人から構成された)。委員会は一一月七日以降、四回に     わたって、有識者から意見の聴取をおこなった。その聴取のさい、もっとも議     論になったのは、大嘗祭の歴史的沿革、儀式の性格、政教分離との関係(費用     の支出をふくめて)についてであった。

      そうした作業ののち、政府は、一九八九年一二月二一日、「政府見解」を発     表した。その「政府見解」のうち、大嘗祭について、「意義」「儀式の位置付     け及びその費用」を説明した部分は以下のとおりであった。

    

    『 第二  大嘗祭について

      1 意義

       大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた      収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において      、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりにな      り、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、      国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、      皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を      受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。

      

      2 儀式の位置付け及びその費用

       大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継      承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地      祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために      安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、      宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず      、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない      性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考      える。

       次に、大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり皇位      が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式で      あるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式につ      いて国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずること      は当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は公的性格があり、大嘗祭      の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。  以上 』

      

     この政府見解は最大の眼目は、宗教的な儀式であるがゆえに、国の行為とする    ことができない大嘗祭に対する国からの財政支援を正当化するために「公的性格    」を有するという理由をもち出したことである。

     そして、「公的性格」があるとするために、「皇位が世襲であることに伴う、    一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式である」と性格づけしたのである。     さらに、旧憲法下では大嘗祭は「大神と天皇が一体となる神事」(原判決一一    〇頁に引用された文部省「初等科修身四」教科書)されたから、それでは憲法上    説明するのにあまりにも具合が悪いので、「天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安    寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣な    どを祈念される儀式」と一見たんなる「お祈り」の儀式であるかのように描いた    点に特徴があった。

     国会での審議においても、政府は「大嘗祭=公的性格」論に依拠して、宮廷費    による支出を正当化した。そして、この「公的な性格・・・という面に着目して    そのような限りでの財政的なかかわりを持ちましても、その支出の目的が宗教的    意義を持たない、そしてまた特定宗教への援助、助長等の効果を有する行為であ    るということは到底言えない」と、津地鎮祭最高裁判決にいう「目的・効果」基    準を援用して、政教分離原則に反しないとしたのであった。

     しかし、この政府見解は、憲法解釈からして大きな問題を孕んでいた。憲法学    界では、この政府の考え方はほとんど支持されていない。笹川紀勝教授は、「政    府見解」を「憲法の世襲制から特定の拘束力ある規範を、すなわち財政支援の要    請を演繹する解釈であるが、その理由付けには、飛躍がある」(「即位の礼・大    嘗祭と憲法」ジュリスト九七四号七一頁)と批判している。

    

    () 皇位継承に伴う伝統的儀式だから大嘗祭は国民主権原則に反しないとする原      判決の憲法解釈の誤り

      原判決は、大嘗祭は、皇位継承に伴う伝統的儀式だから国民主権原則に反し     ないとするが、この解釈は誤っている。

      日本国憲法第二条は「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範     の定めるところにより、これを継承する」と定め、さらに皇室典範第一条は      「皇位は、皇統に属する男系の男子がこれを継承する」として、皇位の継承の     原則が男子による世襲であることを規定している。これはあくまで皇位継承の     方法として世襲を採用している旨を憲法・皇室典範が定めていると解釈できる。     これらの規定は皇位継承の原則を定めているにすぎないのであって、そこから、     世襲に付随するなんらかの儀式や行為に法的根拠をあたえているわけでは全く     ない。

      天皇制についての専門的な研究者として知られている横田耕一教授は、「憲     法上で『世襲』というのは、皇位継承の方法を定めたものに過ぎず、『世襲』     であることを理由に、伝統的・歴史的天皇に認められていたことがすべて容認     されることには毛頭ならない。したがって、世襲制は、憲法上認められない行     為に『公的性格』を付与する根拠とはなりえない。同様に、それは内閣総理大     臣等が公人として参加することを根拠づけることもできないのである」(『憲     法と天皇制』(岩波新書・一九九〇年)二〇五頁)と指摘している。

    

    () 大嘗祭にはなんらの法的根拠もない。

      皇室典範は、天皇が死去したときに「大喪の礼」(第二五条)、即位したと     きに「即位の礼」(第二四条)を行う旨さだめている。それは皇位の継承があ     った場合の儀式についての規定をさだめているが、それらの儀式は世襲である     かそうでないかとは全く別のことがらである。これらの儀式は皇位の世襲制に     付随する儀式のゆえに規定されているのではなくて、皇位継承に付随する儀式     として、認められているにすぎないのである。さらに、その儀式の内容・形式     が国民主権・政教分離原則等の憲法のさだめる諸原理にしたがっていなくては     ならないことはいうまでもない。

      しかし、問題となっている大嘗祭については皇室典範にもなんら規定はない。     天皇家の「代替わり」として、天皇家が私的に大嘗祭なる行為・儀式を行うこ     とは憲法のあずかりしらぬところであるが、いかなる意味でも「公的性格」は     付与できないはずである。

    

    () 大嘗祭は象徴天皇制の原則にも反している。

      憲法は、第一条で「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と     して、国民主権をかかげ、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴     であつて」として、いわゆる象徴天皇制を定めている。その象徴天皇制の法的     意義については、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、     国政に関する権能を有しない」とあるように、積極的になんらかの権能を付与     している規定ではなくて、消極的・権力制限的な規定と考えるべきである。

      その理由は、日本国憲法が大日本帝国憲法の天皇中心の政治体制を否定する     原理に立っているからである。その「否定」の内容は、三つの内容からなって     いると考えられる(前掲、樋口陽一「もういちど憲法を読む」)。

      第一には、統治権を総覧した旧憲法下での天皇の政治的な権能をいっさい剥     奪した。第二に、陸海軍を統帥し、宣戦講和の権限を有した旧憲法下での天皇     の軍事的な権能をいっさい剥奪し、「皇軍」それ自体の復活を否定した。第三     に、神聖にして侵すべからずと神格化され、神道とむすびついて国家神道を形     成し、信教の自由を抑圧した旧憲法下の天皇と神道との結びつきをいっさい否     定した。

      象徴天皇制がそのように神権天皇制をきびしく否定した意義をもつものと考     えると、旧登極礼に基づいて神道様式で行われ、天皇が神とともに新穀を食す     るという内容をもつ大嘗祭が、憲法の定める象徴天皇制に反すると考えられる     のは当然である。

      そのさい、原判決や政府が考えるように「天皇が皇祖及び天神地祇に対し、     安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊     穣などを祈念される儀式」と意義づけたからといって、神道との結びつきが緩     和されるわけではない。天皇が皇祖及び天神地祇という「神々」に祈るという     行為・儀式が公的になされるとしたら、それは国と神道の結びつきに他ならず、     憲法の定める象徴天皇制に反している。

    

    () 大嘗祭はあくまで皇室の私事である。

      大嘗祭は、憲法論からみれば、なんら「公的性格」をもつものではない、と     考えるべきなのである。

      実際、裕仁天皇から明仁天皇への世襲にあたって、天皇家では、一九八九年     一月七日の天皇死去直後の「賢所の儀」「皇霊殿・神殿に奉告の儀」からはじ     まって、一九九〇年一二月六日の「即位礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀」まで     延々と数々の儀式がつづけられたが、政府によって国事行為とされた「剣璽等     承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の     儀」(これらの儀式も、政教分離原則・国民主権原則などの憲法規定・原則に     違反する内容をもっていたことが問題となった)など一部の例をのぞいて、お     もに宗教的性格を理由にすべて私的儀式としてとりおこなわれた。「大喪の      礼」に先立つ「葬場殿の儀」もしかりである(なおその葬場殿の建設・とりこ     わし作業に公費が支出されたことも大嘗祭への国の関与と同様に違憲であると     考える)。

      とすれば、政府はまさに宗教的性格を理由として、国事行為ではなく皇室の     私的儀式としてとりおこなうことを決めたのだから、大嘗祭もなんらその例外     ではなく、なんら「公的性格」を有しないものと考えるのが常識的な結論であ     る。そうでないなら、宗教的性格をもった数々の一連の天皇家の私的儀式もす     べて、世襲にともなう儀式として憲法の国民主権原則に反しないとされてしま     うだろう。

    

    (10) 国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念する」儀式だから憲法に反し     ないとした原判決の誤り

      原判決は、政府見解をほとんど踏襲して、大嘗祭について「本来、国家及び     国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念する」儀式だから、国民主権原則に反し     ないとした。おそらくは、「旧憲法下におけるように天皇の神格化儀式として     神道色の濃厚な意味内容を及び性格を有する」場合には、国民主権原則に違反     すると考えていると思われるが、この区別自体が明確でない。「天皇において     新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民の     安寧と五穀豊穣を祈念する」内容が、神道色が濃厚でないとはかならずしもい     えない。人によっては、そこに深い神道色を見出すことも当然考えられる。

      しかも、実際に行われた内容は、原判決も認めるように、旧登極令にしたが     って、神権天皇制の大嘗祭とほぼ同じ式次第で行われたのである。儀式当日の     深夜、悠紀殿および主基殿の内部で、天皇がどういう行動を行ったのかは国民     にはまったく公開されていない。それは皇室の「秘事」とされ、おそらくは旧     憲法下での大正天皇、昭和天皇が大嘗祭で行ったと同じ行為をしたのであろう     と推測される。そうであるとすれば、これは事実の内容としては「旧憲法下に     おけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容を及び性格を      有」していたといわざるをえない。

      原判決は「国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念する」儀式だから     国民主権に反しないとしたが、その正当化の論法は、自分の結論に都合のいい     ように一方的に事実を解釈しただけの内容になっている。

    

    (11) 原判決の事実認定と結論は論理的に一致しない。

      原判決が、「旧憲法下における旧皇室典範及び登極令の思想を引きずるもの     であるとの印象を払拭しきれない」と判示したのは、大嘗祭の内容が、旧憲法     下におけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容を及び性格     を有していたと、事実認定したからこそのはずである。原判決の事実認定から     すれば、本件大嘗祭が憲法の国民主権原則にも違反すると判断するのが論理的     には当然であった。

      また、原判決が争点としなかった、本件大嘗祭への国の財政支援もまた祭政     一致の神権天皇制の「思想を引きず」ったものであって、当然に政教分離原則     に違反すると判断されて当然であった。

    

    (12) 大嘗祭についての憲法違反の疑義があるとした裁判例

      大嘗祭について”問題はあるが、憲法に違反しない“とした原判決とはちが     って、主文としては控訴人の訴えを棄却したが、判断理由の中で、「違憲の疑     い」を指摘した裁判例があることも指摘しておきたい。大阪高裁一九九五年三     月九日判決は以下のように判示している(行裁例集四六巻二=三号二五〇頁)。

    

       「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり、これを公的      な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、前記最高裁大法廷昭和五      二年七月一三日判決が示したいわゆる目的効果基準に照らしても、少なくと      も国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違      反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」

    

       なお、この大阪高裁判決は、本件では訴訟の対象となっていない即位の礼      についても、国民主権原則及び象徴天皇制に照らして、以下のように述べて      いることに留意する必要があろう。

    

        「即位の礼については、一般的にはこれを国事行為即位の礼については、       一般的にはこれを国事行為として実施することは、法令上の根拠に基づく       ものと解せられる(憲法七条一〇号、皇室典範二四条)。しかしながら、       現実に実施された本件即位礼正殿の儀は、旧登極令及び同附式を概ね踏襲       しており、剣、璽とともに御璽、国璽が置かれたこと、海部首相が正殿上       で万歳三唱をしたこと等、旧登極令及び同附式よりも宗教的な要素を薄め、       憲法の国民主権原則に趣旨に沿わせるための工夫が一部なされたが、なお、       神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと、天孫降臨       の神話を具象化したものといわれる高御座や剣、璽を使用したこと等、宗       教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離原則に違反       するのではないかとの疑いを一概に否定できないし、天皇が主権者の代表       である海部首相を見下ろす位置で「お言葉」を発したこと、同首相が天皇       を仰ぎ見る位置で「寿詞」を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲       法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できな        い」

    

      この大阪高裁判決では、即位の礼について「現実に実施された本件即位礼正     殿の儀は、旧登極令及び同附式を概ね踏襲し」たこと、「神道儀式である大嘗     祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと」を理由にして、憲法の政教分離原     則に違反するのではないかとの疑いを呈している。「その良心に従ひ独立して     その職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される」裁判官としては当然の     判断と考えられる。

      大嘗祭が旧登極令をほぼ踏襲して挙行されたことを、原判決は事実認定して     いるのであるから、当然に憲法に違反する判断を行うべきであった。

   

    (13) 原判決の「大嘗祭改革」論について

      ちなみに原判決は、大嘗祭について”注文“を出していることも、特徴であ     る(一一六乃至一一七頁)。この”注文“は、裁判官の主観的な意図がどこに     あるかはともかくも、原判決の争点の理解の欠点を示している。

      皇室が、私事として自分の信仰する宗教で何をどう行うかは、皇室の「自由     と考えるべきであり、裁判官ふくめて公権力が内容を指示することは、それこ     そ宗教的儀式の自由に反することになろう。憲法は、国家からの財政支援によ     らないかぎり、あるいは判例でしめされているように身体・生命を侵すなど信     教の自由の限界を逸脱しないかぎり、そのような「自由」は認めていると考え     られる(講学上、「皇室の人権」として議論されている問題群)。

      原判決は、大嘗祭が公の儀式であると想定したからこそ、このような”注文     “をつけることができ、大嘗祭をより憲法に適合的なものにしようと考えたの     であろう。しかし、大嘗祭はあくまで皇室の私事で行うべきであると考えるの     が、憲法の要請である。

      したがって、憲法論からすれば、日本国憲法に適合的な大嘗祭などありえな     い。日本国憲法に適合的で、本件被上告人などの公人が公費で出席できる皇位     継承儀式(それを旧憲法下と同じ名称の「即位の礼」と呼ぶことは憲法上好ま     しくないことは指摘しておきたい。)は、大嘗祭とはまったく異なった非宗教     的で、かつ国民主権原則および象徴天皇制に則した内容をもった儀式でなくて     はならない。識者の中には、たとえば国会において、国民の代表である国会議     員ほかを前にして、天皇が、就任を宣言するような儀式が日本国憲法の諸原則     にふさわしい、とする指摘もみられる。

  

 二 まとめ

   前述のように、憲法の政教分離規定及び現皇室典範は、公権力と神社神道ないし皇  室神道との厳格な完全分離を目的として制定されたものであった。皇室の祭祀は、右  のような政教分離原則に従って、いかなる意味においても全く公的性格を持たない天  皇ないし皇室の純粋なる私事となったのである。とりわけ、大嘗祭及びその関連儀式  も公的行為の外に置き、皇室の純粋な私事としたのであった。したがって大嘗祭及び  その関連儀式については、公権力と宗教との完全分離ないし厳格分離が要求されてい  るのである。

   したがって、公費を使用しての、公人としての被上告人らの大嘗祭への参列行為は、  明白に政教分離規定に違反しているのである。

   当時の政府は大嘗祭に「公的性格」があるとの見解を表明したが、この見解自体、  憲法の国民主権原則、政教分離原則に違反するものであると同時に、時の政府の単な  る見解にしかすぎない。仮に被上告人らの参列意思が、主観的には天皇に対して敬意  を表するもので、新天皇に儀礼を尽くす意思であったとしても、公人としての被上告  人の大嘗祭への参列し、神道儀式に則り、拝礼を行うなどという行為は、憲法制定時  にかたく否定されたはずの、公権力と神道との関わり合いを復活・助長するものであ  り、目的・効果基準を適用するまでもなく、直ちに政教分離規定に反し違憲であると  言えるのである。

   要するに原判決は、憲法の政教分離規定が特別に否定したはずの国家神道(皇室祭  祀)の中核的儀式とされた大嘗祭に対する公権力の関与について慎重な判断も欠き、  政教分離規定をないがしろにする解釈をしているものと言わなければならない。

    

第三 憲法解釈の誤りー主として目的・効果基準の解釈適用の誤り

 一 原判決は、政教分離規定の解釈基準である目的・効果基準を不当に改変し、また適用に  あたっても同基準を主観的・恣意的に用いて、政教分離規定の解釈を誤っている。

   すなわち原判決は、津地鎮祭訴訟最高裁大法廷判決以来政教分離規定の解釈基準とし  て採用されている目的・効果基準を採用し、これに従って本件支出の違法性の有無につ  いて検討すると言いながら(九四乃至九八頁)、実際には最高裁大法廷判決が示す目的  ・効果基準を不当に改変して、違憲性審査基準を緩やかにしてしまっており、また基準  に当てはめる事実関係についても、最高裁判決が求めるような客観的な検討に基づく判  断をなすのではなく、極めて主観的・恣意的な判断をしており、その結果、政教分離規  定の解釈を著しく誤っているというべきである。

  1 目的・効果審査の前提となる事実関係の認定が主観的・恣意的である

  () 大嘗祭の本質について

  原判決は、大嘗祭の本質論について一〇五頁以下で_真床襲衾説、_服属儀礼 説、_神饌供進説等の諸説があり、定説を見ないとしながら、何の根拠もなく、 一一四頁で「大嘗祭には、本来、国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念 する意味があり」と認定しているが、結局、大嘗祭の性質について政府見解をそ のまま援用しているに過ぎない。

  また、大嘗祭は皇位継承儀式ではないとする学説が学界において有力に唱えら れ、現段階で異論のない状態であることが証拠上認められるのに(甲二〇号証、 岩井忠熊証言一三項及び一四項)、一一四頁で大嘗祭は「皇位継承に伴う重要な 皇室の伝統儀式の性格がある」と認定している。

  このように、大嘗祭の本質についての認定が全く主観的・恣意的であり、その ことが、目的・効果の適用、判断を誤らせていると言える。

   () 今回の大嘗祭の意味合いについて

    ()  原判決は、一一二頁で、現行憲法下において、廃止された登極令にならい、 神道様式による大嘗祭を行うことは、旧憲法下における旧皇室典範及び登極令 の思想を引きずるものであるとの印象を払拭しきれないものがあると指摘し、 また一一三から一一四頁で、戦前に大礼使事務官星野輝興及び国定教科書によ る天皇と神とが一体になるとの説明が、国並びに天皇及び皇室に是認され、国 民の心の奥深くに刻みつけられた歴史的事実は否定できないとしつつ、一一五 頁乃至一一九頁で、このような客観的な歴史的事実の検討を判断の前提とはし ないで、

       _ 大嘗祭には天皇が皇祖・天神地祗に安寧と五穀豊穣を感謝・祈念する性   格があり、成立以来皇位継承の重要な儀式の一環として伝承されているこ   と

       _ 神道指令、天皇の人間宣言、現天皇の憲法尊重の発言

       _ 現行憲法が施行後四〇数年を経て一部の勢力を除き、国民一般の間特に   戦後世代の間では、神格化された天皇観は改められ、現行憲法に則った象   徴としての天皇観が定着してきている。

       _ 戦後、天皇制の原理について一大転換がなされたが、天皇制そのものが   憲法上存在を認められている以上、何事も全てを一気に新しいものに切り   替え、旧制度下のものは伝統をも含め一切合切全てを切り捨てることは必   ずしも必要ではなく、むしろ皇室の伝統的なものは憲法の定める国民主権   の原理及び象徴天皇制に反しない限り、これを受け入れ、様式などについ   ては時代に即応して徐々に工夫していくことも必要である。

       _ 儀式にはある程度伝統的な荘厳性、神秘性、宗教的性格は付きものであ   るから、一定限度のものは社会通念上是認しても差し支えないと考える

       _ 宮内庁は、本件大嘗祭の内容及び性格を皇祖・天神地祗に安寧と五穀豊   穣を感謝・祈念するものと位置付けており、天皇及び皇室も同じ見解と解   される

      といった事実や裁判所の見解を列記して、「本件大嘗祭が現行憲法の基本原理 である国民主権並びに象徴天皇制の下において認められる限界を超えていると まで断定することはできない。」と結論付ける。

    ()  しかし、今回の儀式が登極令にならって行われたならば、それは、登極令当 時に通用していた大嘗祭の性質に基づき再現されたものと推定するのが客観的 かつ論理的な解釈というべきである。

       この推定を覆すためには、相当に客観的根拠がなければならないというべき である。しかしながら、原判決が列記する右の_乃至_根拠はいずれも極めて 主観的・恣意的なものである。

       _の、大嘗祭には天皇が皇祖・天神地祗に安寧と五穀豊穣を感謝・祈念する 性格があり、その趣旨で成立以来皇位継承の重要な儀式の一環として伝承され ているとの性格付けについては、何ら歴史学的にも根拠がなく、むしろ、証拠 上、大嘗祭が皇位継承儀式ではないとする学説が学界において有力に唱えられ、 現段階で異論のない状態であることが認められるのであるから(甲二〇号証、 岩井忠熊証言一三項及び一四項)、大嘗祭の性質論に対する原判決の認定は恣 意的である。

       _の、神道指令、天皇の人間宣言、現天皇の憲法尊重の発言等については、 法制度や天皇の発言等によって社会の現実が変わり、憲法が遵守されたことに なるわけではない。問題は現実になされた行為の憲法適合性なのであり、法制 度が代われば違法行為がなされなくなるとか、行為者が憲法を守ると公言して いるから憲法は守られているといった解釈が法解釈論的に誤りであることは論 を待たないであろう。

       _の、現行憲法が施行後四〇数年を経て一部の勢力を除き、国民一般の間特 に戦後世代の間では、神格化された天皇観は改められ、現行憲法に則った象徴 としての天皇観が定着してきているとの見解は、何ら根拠のない主観的な楽観 論に過ぎない。憲法制度が四〇数年を過ぎたから定着しているなどと言えない ことは、戦争放棄に関する憲法九条の状況を見れば明らかであろう。また、原 判決が象徴天皇観の定着の根拠として掲げている証拠は、甲八九号証の四及び 九〇号証の三のジュリストの年表や資料であるが、例えば甲八九号証の四の年 表を見れば、その中には

        一九六九年  自主憲法制定国民会議結成

        一九七五年  三木首相靖国神社参拝

        一九八一年  みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会一九七名靖国神                              社参拝

 日本を守る国民会議結成

  一九八五年  中曽根首相靖国神社公式参拝

        一九八六年  建国記念の日を祝う国民式典で「天皇陛下の御在位六            十年を寿ぎ、更なる御長寿を祈念し」万歳三唱

               天皇陛下御在位六十年記念式典

  一九八七年  東久留米市の教頭会研修会で「皇室国家に生まれた誇            りを教えよ」などを内容とする文書が使用される

  一九八八年  マスコミのご容体報道により各地で行事の自粛始まる

      

     といった記載もあるのであり、象徴天皇観が定着してきているなどといった評

 価は決してできない。

      「戦後、天皇制の原理について一大転換がなされたが、天皇制そのも

 のが憲法上存在を認められている以上、何事も全てを一気に新しいものに切り

 替え、旧制度下のものは伝統をも含め一切合切全てを切り捨てることは必ずし

 も必要ではなく、むしろ皇室の伝統的なものは憲法の定める国民主権の原理及

 び象徴天皇制に反しない限り、これを受け入れ、様式などについては時代に即

 応して徐々に工夫していくことも必要である。」との判断は、憲法九八条一項

 が憲法に反する法律、命令、詔勅等の効力を排し、九九条に天皇を含む公務員

 一般に憲法尊重擁護義務を課したことからすれば、憲法制定段階でこれに反す

 る伝統も排されたものと解すべきであり、「時代に即応して徐々に工夫する」

 ことを許すものではないことは明らかである。問題は、今回の大嘗祭の行われ

 方が国民主権原理や象徴天皇制に矛盾しないか否かの明確な判断なのであり、

 「伝統であること」それ自体には何の意味もないというべきである。

      儀式にはある程度伝統的な荘厳性、神秘性、宗教的性格は付きもので

  あるから、一定限度のものは社会通念上是認しても差し支えないと考えるとの

 見解は何ら根拠のないもので、「一定限度」という範囲も不明確である。そし

 てこのような見解は、「儀式」の厳粛な挙行自体が持つ布教効果を十分に理解

 していないものである。

     宮内庁は、本件大嘗祭の内容及び性格を皇祖・天神地祗に安寧と五穀

  豊穣を感謝・祈念するものと位置付けており、天皇及び皇室も同じ見解と解さ

  れるという点も、行為を行う者の主観は一応参考にすべきことではあるが、第

 一次てきには儀式の性質は儀式の客観的な性質の検討によって判断すべきもの

 であり、行為者の一方的な主観の表明によって儀式の客観的な性質を否定する

 ことは、恣意的な判断と言わざるをえない。

 

  2  目的審査の誤り

    (一) 目的基準の不当な改変

  原判決は、目的審査にあたり、一二四頁では(拝礼に)「特別な宗教的意義が

     あるということはできない。」「神道に対する信仰の表明ないしはそれに準ずる

     宗教的意義のある行為と認めることはできない。」とし、一二六頁では(大嘗祭

に宗教的意義があることを知っていたからといって)「宗教的目的から出たもの

ということはできない。」とし、一二九頁では(代替手段があったからといっ

     て)「神道に対する支援の目的、意図等があったということもできない」との判

    断を示しているが、津地鎮祭違憲訴訟最高裁大法廷判決が示した目的審査は、

   「当該行為の目的が宗教的意義を持つ」か否か、「宗教に対する援助、助長、促

    進になるような行為か」否かの審査なのであり、原判決のように「特別な宗教的

    意義」「神道に対する信仰の表明ないしはそれに準ずる宗教的意義」「神道に対す   る支援の目的、意図」までは必要ではないのである。原判決の目的審査は目的基準を不当に狭く設定しており、違憲審査基準を緩やかにするものであって、不当である。

    () 原判決は目的審査を客観的に行っていない

    () 原判決も引用している通り、津地鎮祭最高裁大法廷判決以来の政教分離規定 の判断基準である目的・効果基準については、「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」とされているのであり、行為者の主観だけでなく、その他の事実についても詳細に検討した上で、客観的な判断をなすべきことが求められている。

      ところが、原判決は大嘗祭が神道固有の儀式を行い、神道施設が設置される など、神道様式に基づくものであったという事実を認定し(一一一頁)、また被上告人が祝詞の後、式部官の合図に従い拝礼を行ったという事実を認定しているのであるから、被上告人の行為は外形的には完全に宗教行為と認められるものであるにもかかわらず、

  _ 大嘗祭について宮内庁長官から案内を受けた者の範囲は、国の機関である立法、行政、司法の関係者、地方公共団体の関係者、各界の代表等であった。

  _ 被上告人の拝礼は、式部官の合図に従い、椅子から立ち上がり前方を向いて一礼する方法だったと認められる。

  _ 儀式の行われた場所は暗く、幄舎から遠いため参列者には儀式の様子は分からなかった。

  _ 被上告人は参列の目的について「宮内庁から案内をもらい、出席するのが自然」と回答し、監査委員に対しては「宮内庁長官から正式にご案内をいただき、大嘗祭にまた大嘗祭に関する政府見解も出されたことから、これに出席して祝意を表すことは社会的儀礼行為であるとの認識で出席したものである」と回答し、同様のコメントを報道機関にも公表した

     という四つの事実を列記したうえで、「それらの事実からすると、一般に慶弔 事で執り行われる儀式に参列するに当たって、参列者はその儀式の宗教的性格というよりも、その慶弔事に係る人との関係から参列するかどうかを考えるのが通例であり、そこでは参列者の宗教的意識が希薄であるのと同様に、被控訴人の本件参列行為の意図、目的等における宗教的意識は希薄であり、むしろ前記1に認定した事実並びに本件大嘗祭が皇位継承に伴う皇室の伝統的儀式であることを総合すると、被控訴人には社会的儀礼としての意識が強かったと認められる」と述べ、被上告人の「公表された目的」を重要視し、大嘗祭の歴史的観点からの問題点を自ら指摘したことを忘れて、問題を「慶弔事」一般の例に すり替えてしまって、本件における参列の目的の宗教的意義を否定してしまっているのであり、極めて主観的・恣意的な判断である。

     () 右のような判断の問題点を具体的に論じる。

   第一に、このような主観を重視する見解に立てば、「慶弔事」に対するおつき合いであれば、いかに深く宗教に関わる行為でもなしうることになってしまうのであり、極めて問題である。いかに慶弔事であっても、そこにはおのずから関与の限界があるはずである。原判決はその限界の検討を怠っている点で全 く不十分である。

   第二に、一般の慶弔事の場合、儀式の主催者の意識も慶弔そのものにあるのであるが、本件儀式では、主催者の意識は、皇祖・天神地祗に対する感謝・祈念という宗教意識である。そして参列者としても当然に主催者の目的意識を支え、協力することになることは認識できるはずであるから、参列者が主催者の 目的意識を認識しうる以上、参列者にも宗教的目的意識が存在すると認定するのが自然である。

   第三に、本件では天皇と県知事との間には、個人的にも、国家組織上も何ら直接の関係はないのであり、そのような者どうしの関係について、一般の私人間の慶弔事に置き換えて判断することは全く恣意的であり、誤っている。

 第四に、本件の儀式は高度に国家神道に関わる儀式であり、しかも現行憲法下において初めて行われる儀式であり、一般国民の間で広く行われている慶弔事とは全く性質が異なるものであるから、これを比較することは許されない。愛媛玉串料違憲訴訟における最高裁大法廷判決も、社会的儀礼と言えるのは時 代の推移によって宗教的意義が希薄化し、慣習化した場合である旨の判示をしている(「一般に、神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料等を奉納することは、建築主が主催して建築現場において土地の平安堅固、工事の無事安全等を祈願するために行う儀式である起工式の場合とは異なり、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず、一般人が本件の玉串料等の奉納を社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難いところである。」と判示する。)。

       

 第五に、原判決が参列の目的を社会的儀礼と判断する前提となった_乃至_ の事実はいずれも参列の目的を社会的儀礼だと判断する根拠とはなり得ない。

 すなわち、

 宮内庁長官から案内を受けた者の範囲については、宗教において、多くの参列者、しかもより社会的地位の高い者を招いてより大々的に挙行することが、その宗教の権威を高め、布教効果を高めることになるのであるから、多くの公人が招かれているから宗教的意義が低くなるというものではないのであり、この点を社会的儀礼性を強める根拠として用いることは許されない。

  被上告人の拝礼が、式部官の合図に従い、椅子から立ち上がり前方を 向いて一礼する方法だったという点については、宗教において、式次第に則った厳粛な挙行が参列者に対する感銘力を高め、布教効果につながるという宗教学の観点からすれば、何ら社会的儀礼性を基礎付ける根拠とはならない。

 儀式の行われた場所が暗く、幄舎から遠いため参列者には儀式の様子 が分からなかったという点は、むしろ儀式の神秘性を表している事実であり、岩井忠熊証人の証言も宗教性の高さを基礎付ける事実として述べているものである。この証言を原判決が拝礼行為の社会的儀礼性の根拠とすることは、極めて恣意的な判断である。

  被上告人自身が公表した目的は、あくまで客観的事実から認定される目的を補完する要素であり、公表した目的自体から目的認定を行うべきではない。

   () 「社会的儀礼」という用語の安易な使用

      原判決は、一二四頁で被上告人には社会的儀礼としての意識が強かったと認定    し、結論として参列の目的の宗教性を否定している。

 しかし、天皇に対する敬意や、地元の責任者として新天皇に儀礼を尽くすという目的は、決して「社会的」基盤を持った目的とは言えない。日本国憲法は第一条で天皇を象徴と定めるが、その地位は主権の存する国民の総意に基づくとされ、象徴であること自体から何らの法的効果も定めていないのである。そして、国家組織上も地方公共団体の責任者が天皇に対して一方的に儀礼を尽くすというような関係も導き出せない。それにもかかわらず、地方公共団体の責任者に、天皇に敬意を示し、儀礼を尽くさなければならないという意識があるとすれば、それは天皇が主権者であり、地方公共団体に対しても統治者であった戦前の意識の残滓というべきであり、日本国憲法のもとではむしろ否定されなければならない意識なのである。

 それを安易に「祝意」や「儀礼」であるから「社会的」相当性を有すると判断した原判決は、目的審査にあたり憲法の解釈を誤ったものというべきである。

 裁判所が、天皇が即位にあたって私的な宗教儀式を行う際に、地方公共団体の責任者が祝意を表し、儀礼を尽くすことは社会的な儀礼だとの判断を示せば、一般人に対して天皇が私的に信仰している宗教である神道が特別な宗教であるという印象を与え、神道に対する特別な関心を呼び起こすことになるのであって、裁判所は自らの判断の持つ効果にも特に注意を払わなければならない。

   () 代替手段の有無の基準について

 次に、原判決は、一二九頁で「他に祝意を述べる代替手段があっても、その中から自己の真心を伝える方法としてより適切と思われる方法を選択することは人間の自然の情であるから、他に代替手段があったことを捉えて、被控訴人に神道に対する支援の目的、意図等があったということもできない」と判示するが、いくつかの手段の中から、宗教に関わるものを選択するということは、政教分離原則の趣旨からいって国・地方自治体の機関としては回避すべきことなのであり、それをあえて宗教に関わるものを選択するということは、宗教に対して積極的な姿勢というべきである。しかも「自己の真心を伝える方法として」宗教的手段を選択することは、まさにその行為は宗教を真心を伝える手段としているわけであるから、宗教的意義を有する行為であると判断するのが合理的である。

 この点につき、愛媛玉串料違憲訴訟最高裁大法廷判決は、玉串料奉納について被上告人が「遺族援護行政の一環として、戦没者の慰霊及び遺族の慰謝という世俗的な目的で行われた社会的儀礼にすぎない」と主張していたのに対して、遺族や県民が戦没者の慰霊を行うことを望んでいるというような「希望にこたえるという側面においては、本件の玉串料等の奉納に儀礼的な意味合いがあることも否定できない」としながら、「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられる」として、結局「本件玉串料等の奉納は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない。」と結論付けているのであり、代替手段の存否の判断は、目的効果基準の客観的解釈適用において極めて重要な要素とされている。原判決は、右大法廷判決にも反している。

3 効果審査及び過度の関わり審査の誤り

  ()  効果基準の不当な改変

 原判決は、一二九頁末尾から一三〇頁にかけて効果審査と過度の関わりの検討を併せて一気にしているが、結論として、一般人としては本件行為を「社会的儀礼の範囲内のものとして受け止め、それ以上に神道に協賛するなどの宗教的意義のある行為であるとか、神道、特にかつてのいわゆる国家神道に対する関心を呼び起こす精神的、心理的効果があるとまで評価するものではないと考える」と断じているが、津地鎮祭違憲訴訟最高裁大法廷判決が示した効果基準は、本来「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為か否か」という基準なのであり、原判決のように「神道に協賛するなどの宗教的意義」「神道、特に国家神道に対する関心を呼び起こす精神的・心理的効果」まで要求するものではないのである。

 したがって、原判決は効果基準も不当に基準を狭く改変し、違憲審査基準を緩やかにしてしまっている点で極めて問題である。

   ()  原判決は効果審査を客観的に行っていない

  原判決は、本件行為が一般人が社会的儀礼の範囲内のものとして受け止め、神 道等に対する関心を呼び起こす効果まではないと評価する根拠として、

      大嘗祭は天皇が皇祖・天神地祗に対して安寧と五穀豊穣を感謝・祈念する意           味内容及び性格があり、その趣旨で成立以来皇位継承の重要な儀式の一環として伝承されている

     _ 神道指令、天皇の人間宣言、現天皇の象徴天皇制を尊重する姿勢、憲法施行後四十数年経て、国民の間に象徴天皇観が定着してきている

     _ 本件大嘗祭は皇室の儀式として行われ、宮内庁長官から案内を受けた者の範  囲は、国の機関である立法、行政、司法の関係者、地方公共団体の関係者、各界の代表等である

     _ 被上告人の拝礼は、式部官の合図に従い、椅子から立ち上がり前方を向いて  一礼する方法だったと認められ、儀式の行われた場所は暗く、幄舎から遠いため参列者には儀式の様子は分からなかった。

     _ 被上告人は参列の目的について「宮内庁から案内をもらい、出席するのが自  然」と回答し、監査委員に対しては「宮内庁長官から正式にご案内をいただき、大嘗祭にまた大嘗祭に関する政府見解も出されたことから、これに出席して祝意を表すことは社会的儀礼行為であるとの認識で出席したものである」と回答し、同様のコメントを報道機関にも公表した

    という五点を列挙するだけであるが、前にも述べたように、

     歴史的事実としても誤りであるうえ、戦前の登極令の方式にそのまま則った今回の大嘗祭の性質の判断として恣意的である。

     _については、宣言や天皇本人の発言だけで、それと矛盾する行動の性質が問題のないものとなるわけではなく、国民の天皇観については何ら根拠のない楽観論に過ぎない。

     _はむしろ大々的に公人を招いた宗教儀式は国民に与える影響が大きいとみるべきである。

     _は儀式次第に従った厳粛な行動は宗教の感銘力を高め、儀式の場所が暗くて様子が分からないことは儀式の神秘性を高めたと評価すべきである。

     _は、行為者の主観に過ぎず、それが行為の効果を規定するものではない。

    したがって、原判決の効果審査は事実に反する根拠に基づき、また極めて主観 的・恣意的に審査がなされている点で極めて問題である。

 

 二 原判決は、愛媛玉串料最高裁大法廷判決が目的効果基準を厳格に適用する解釈姿勢を  示したことを無視してルーズな判断をしており、結局憲法解釈を誤っている。

 1  愛媛玉串料最高裁大法廷判決が示した政教分離規定の解釈

  (一)  愛媛玉串料最高裁大法廷判決は、津地鎮祭最高裁大法廷判決が示した政教分離 規定の解釈基準である目的・効果基準を基本的には維持しつつ、津地鎮祭最高裁大法廷判決以降の多くの下級審判決が、同じく目的効果基準を引用しながらも、国家神道消滅論・復活杞憂論や社会的儀礼論などの異なる価値基準を持ち込むことによって政教分離規定を極めて緩やかに解釈し、国家と宗教との関わりについてほとんど限界がないかのような結果となっていたことから、「目的・効果基準」が解釈基準としての役割を果たしていないとの批判を受けていたことを踏ま えて、政教分離規定の解釈、特に「目的・効果基準」を厳格に適用する解釈姿勢 を示すことで目的・効果基準を再生させ、厳格的に補正したものである。

 そこでは、目的・効果基準の適用にあたり、憲法制定経緯に照らして解釈し、たとえ相当数の者が望んでいるとしても、そのことのゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが相当される限度を超えないものとして憲法上許容されることになるとは言えないとして、「憲法制定経緯」を強調するとともに、社会的儀礼と言えるのは、時代の推移によって宗教的意義が希薄化し、慣習化した場合に限るとか、目的審査にあたり世俗的目的も併存する場合に、それが特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくても行うことができるか否かという審 査基準を示すなど、目的・効果基準をより客観的に適用する解釈姿勢を示したといえる。

 右大法廷判決は一五人中一〇人の多数意見によるものであり、残る五人のうち三人もより客観的な基準の定立を求める意見である。そして判決後の法律雑誌に発表された学者の評釈もほとんどが同判決の姿勢を支持している(甲八六乃至八八号証)。したがって、右大法廷判決が示した解釈基準は憲法判例としての拘束力が極めて高いというべきであり、安易に同判決の示した解釈基準を変更したり骨抜きにする判断をすることは許されない。ましてや最高裁自身が事案ごとの判 断で簡単に自ら示した審査基準を変えてしまうようなことがあれば、国民の間に 混乱を来すのであり、許されることではない。

   ()  原判決は、一三三頁末尾から一三五頁にかけて、愛媛玉串料違憲訴訟の事案と     本件事案の相違を指摘する。

しかし、まず、原判決が指摘している事案の相違は、愛媛玉串料の事案では、秋季例大祭やみたま祭という神社神道における中心的宗教活動であり、献灯料や供物料は各神社が宗教的意義を有すると考えているものであるのに対し、本件の事案では、大嘗祭は天皇が主宰者として天皇の即位に伴い一世に一度行われる儀式であり、儀式の内容、性格が全く異なり行為の関わり方も全く異なるというのであるが、大嘗祭も国家神道の最も中心的な宗教活動であり、行為者も宗教的意義を有すると認めており、しかも一世に一度の儀式であるからこそ国民に与える 影響も大きなものだったというべきであり、本件について愛媛玉串料違憲訴訟最高裁大法廷判決の厳格な基準を適用しなくても良いという理由はない。

 また、津地鎮祭違憲訴訟最高裁大法廷判決以降の最高裁判決が、金銭給付の事案だけについて目的・効果基準を採用しているわけではないことは明らかである。愛媛玉串料違憲訴訟最高裁大法廷判決は、金銭給付、参拝訴訟の両方に通用する 政教分離規定の解釈基準である目的・効果基準を厳格的に補正した解釈基準を示 したのである。したがって、本件事案についても、解釈基準としては愛媛玉串料 最高裁大法廷判決にならうべきなのである。

  (三)  したがって、原判決が愛媛玉串料最高裁大法廷判決が示したより客観的で厳格     な解釈態度に反した点は改められなければならない。

    ()  原判決は、本件大嘗祭が登極令に則って行われた点に問題があると言いながら、 神道指令や天皇の人間宣言、国民の象徴天皇観の定着等を理由に今回の大嘗祭を追認してしまったが、憲法の制定経緯を踏まえれて検討すれば、国家神道こそ憲法が不断に解体し、忌避しているものなのであるから、その中核的儀式である大 嘗祭が、しかも国家神道の時代のまま行われたのであれば、これへの関与は絶対に許されないものと解さなければならないのである。

    ()  原判決は、目的審査において安易に社会的儀礼性を認めるが、愛媛大法廷判決     では、社会的儀礼と言えるのは時代の推移により宗教的意義が希薄化し慣習化した場合だとされているのであり、大法廷判決の立場からすれば、宗教的意義が明らかで慣習化したとは認められない本件大嘗祭への参列につき社会的儀礼を認めることは許されない。

    ()  愛媛玉串料違憲訴訟大法廷判決は、地方公共団体と特定宗教との特別のかかわ り合いは、一般人にその宗教団体が特別なものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものだとする考え方を強調したが、この基準に従えば、本件も神道という特定宗教とのかかわり合いに関する事案であるから、基本的に一般人に神道が特別なものであるとの印象を与えることになると解さなければな らない。

    ()  さらに、愛媛玉串料違憲訴訟大法廷判決では目的審査にあたり、世俗的目的も 併存する場合に、それが特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくても行うことができるか否かという点を客観的な審査の方法として示しているのであるが、本件の原判決は代替手段があっても、自己の真心を伝える方法としてより適 切と思われる方法を選択することは許されるとの態度を取っており、明らかに大法廷判決の基準に反する。

三 以上のとおり、原判決の政教分離規定の解釈には根本的に誤りがあり、その結果、結論を誤ったものであるから、憲法解釈の誤りを理由に破棄すべきである。

 

第四 理由不備もしくは理由齟齬

大嘗祭の意義及び性格の解釈について

原判決の論旨(傍線は上告人代理人による)

    原判決は、

    「大嘗祭が宮中の新嘗祭と同様な意味において神事としての意義を有することは明   らかであるが、(中略)」(一〇五頁)

 「特に、明治天皇の即位式・大嘗祭の様式、とりわけ即位式の様式は、先代の孝明天皇の様式を一新したものであったといわれている。(中略)その後、歴代の皇霊も従来の仏式を改めて神祗官による神式で祀られるようになり、(中略)明治四一年には旧皇室典範が制定されると共に、同日新たに儀式体系として登極令及び登極令附式が発布されて即位の礼及び大嘗祭の具体的内容が定められたが、それらは神道形式によるものであり、これにより神格化された天皇による祭政一致国家体制が完備された」(一〇七乃至一〇九頁)

 昭和一八年度「初等科修身四」の教科書において「大嘗祭は、天皇が御一代に御一度おこなう我が国でいちばん尊い、いちばん大切なお祭りであり、天皇がこれを行うのは我が国が神の国であるからであり、大嘗祭は大神と天皇が一体となる神事であって、これは我が国が神の国であることを明らかににするものである」旨を説き、この国定教科書は終戦まで使用され、国民の心底に深く刻まれることになった。」(一一〇頁)

   と認定した上で、

本件大嘗祭は前記政府見解に基づき、皇位継承に伴う伝統的な皇室の行事として行われたが、その中心的儀式である大嘗宮の儀は戦後昭和二二年に廃止された登極令が定める大嘗宮の儀とほぼ同じ次第で行われた。そこでは、宮中三殿(皇祖天照大神を祀る賢所、歴代天皇及び皇族を祀る皇霊殿並びに国中の神々を祀る神殿)との関連が強く、伊勢神宮の祭式による神官に奉幣の儀があるなど神官に直接の関わりを持つ儀式が多く、また、大嘗祭のための施設の建設に先立って地鎮祭が行われ、お祓いがなされるなど神道固有の儀式がなされ、鳥居(神門)などの神道施設が設置されるなど、神道様式に基づくものであった」(一一一頁)

「かかる現行憲法下において、廃止された登極令にならい、神道様式による大嘗祭を行うことは(中略)、旧憲法下における旧皇室典範及び登極令の思想を引きずるものであるとの印象を払拭しきれないものがある。」(一一二頁)

「そして、そのことが、大嘗祭には、本来、国家及び国民の安寧と五穀豊穣を感謝し、祈念する意味があり、また、皇位継承に伴う重要な皇室の伝統儀式の性格があるにもかかわらず、本件大嘗祭の意義及び性格を曖昧なものにした。」(一一四頁)

と一旦は結論づけた。

ところが、以下のとおり、理由にならない理由、もしくは今までの認定と矛盾する理由で結局「現行憲法の基本原理(中略)の限界を超えているとまで断定することはできない」としてしまった。

即ち、

 _ 「他方、大嘗祭に、天皇において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民の安寧と五穀豊穣を祈念する意味内容及び性格があり、その趣旨で成立以来、即位式とともに皇位継承の重要な儀式の一環として伝承されていることも前記認定のとおりである。」(一一四頁)

_ 「我が国は、ポツダム宣言受諾後、(中略)国家と神社神道の完全分離がなされ、皇室もこれを受け入れて皇室神道は公的性格を失い、(中略)本件大嘗祭挙行当時、現行憲法も施行後四〇数余年を経て、一部の勢力(旧天皇制を懐かしみ、それへの回帰を願う勢力及びその対極的立場での天皇制そのものを否定する勢力)を除き、国民一般の間、特に戦後の民主主義社会において育った世代の間では、明治憲法下における異常なまでの神格化された天皇観は改められ、現行憲法に則った象徴としての天皇観が定着してきている。」(一一五乃至一一六頁)

_ 「戦後、天皇制の原理について一大転換がなされたが、天皇制そのものが憲法上存在を認められている以上、何事も全てを一気に新しいものに切り替え、旧制度下のものは伝統を含め一切合切全てを切り捨てることは必ずしも必要ではなく」(一一六頁)

_ 「また、儀式にはある程度伝統的な荘厳性、神秘性、宗教的性格は付きものであるから、一定限度のものは社会通念上是認しても差し支えないと考える。」(一一七頁)

_ 「そして、宮内庁は、本件大嘗祭の内容及び性格について、(中略)今後の国家国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であり、それ以外に天皇の神格化を意味する要素はないとし、神社本庁の神道教義(中略)とは一線を画する内容・性格のものと位置づけており、(以下略)」(一一七乃至一一八頁)

以上を並べた上で、

  「その様式においてなお現行憲法に明確に適合するように工夫すべき問題を残して   はいるものの、その意味内容及び性格については、旧憲法下におけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容及び性格を有するとは言えないと考える。」(一一八頁)とした。

原判決の右論旨が理由なき判断であること

 上記の論旨は、何れも理由になっておらず、「まず結論ありき」であって、牽強付会の誹りを免れない。

即ち、

_について、

    大嘗祭に、天皇において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、安寧と五穀豊穣を感謝し、今後の国家国民の安寧と五穀豊穣を祈念する意味内容及び性格があるとしても、他方で、戦前の教科書では、「大嘗祭は大神と天皇が一体となる神事であって、これは我が国が神の国であることを明らかにするものである」旨を説かれており、しかもその戦前の登極令に基づく様式で行われた事実は原判決も認定しているのであるから、この点の評価こそが問題であるはずなのに「別の一面があるから」という形で、この点の判断を避けており、理由になっていない。

    また、上告人が特に強調したいのは、むしろ、証拠上、大嘗祭が皇位継承儀式ではないとする学説が学会において有力に唱えられ、現段階で異論のない状態が認められるのであるから(甲二〇号証、岩井忠熊一三項及び一四項)、この点について何ら触れることなく、「皇位承継の儀式である」と認定するのは、証拠を無視した理由のない認定であり、失当である。

_について、

要するに現行憲法で象徴天皇制になり、神格化がなくなったので、この憲法下で行われた行事に神格化の意味づけは考えにくいということのようであるが、これは問いをもって問いに答えるようなもので、やはり理由になっていない。即ち、上告人は、原判決も認める宗教行事としての側面を持つ大嘗祭が現行憲法下で行われた事こそを問題にし、この事が政教分離や象徴天皇制に相反すると主張しているのであって、これに対して現行憲法は象徴天皇制になっているのだからそんなことは心配しなくてよいと答えるのは、問いをもって問いに答えることに他ならない。

    また、原判決も認めるように、現在も「一部の勢力」とは言え、「旧天皇制を懐かしみ、それへの回帰を願う勢力」が存在するのであり、これらの者にとって、原判決も認める宗教行事としての側面を持つ大嘗祭が現行憲法下で行われた事は何よりの励ましになったことは明らかであり、他方でこれは宗教的潔癖性を持つ人々にとっては耐え難いことであり、このことこそ信教の自由の侵害、ひいては政教分離原理違反として問題にされるべきなのである。

_について

 「旧制度下のものは伝統を含め一切合切全てを切り捨てることは必ずしも必要ではなく」との論旨は単なる一般論であり、本件では、原判決も認める宗教行事としての側面を持つ大嘗祭が現行憲法下で行われた事が政教分離原則に違反するものであると上告人は主張しているのであって、上記一般論で片づけれられる性質のものではないのである。

_について

    「儀式にはある程度伝統的な荘厳性、神秘性、宗教的性格は付きものであるから」というのも一般論であり(そもそも「儀式には宗教的性格が付きもの」という一般論が正しいかどうかも極めて疑問であるがとりあえずそれはおくとして)、再三述べたとおり、本件においては、原判決も認める宗教行事としての側面を持つ大嘗祭が現行憲法下で行われた事が政教分離原則に違反するものであると上告人は主張しているのであって、この宗教性自体を問題にしているのだから、「儀式には宗教性は付きもの」という一般論で片づけるのは、全く憲法判断になっておらず、結局上告人の主張に答えていないのである。

_について

要するに、宮内庁が神格化の意味はないと言っているからということであり、一方の主張を理由なく肯定するに過ぎないものである。

    なお、大嘗祭の本儀である大嘗宮の儀の悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀の意義、性格につき「諸説があり、未だ定説を見ない。」(原判決一〇六頁)としながら、ここでは宮内庁見解を無批判に引用し、「旧憲法下におけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容及び性格を有するとは言えないと考える。」(一一八頁)との結論の論拠にしており、理由なき事実認定もしくは理由の齟齬と言うべきである。

    また、上告人が特に強調したいのは、むしろ、証拠上、大嘗祭が皇位継承儀式ではないとする学説が学会において有力に唱えられ、現段階で異論のない状態が認められるのであるから(甲二〇号証、岩井忠熊一三項及び一四項)、この点について何ら触れることなく、前記のとおり宮内庁見解を無批判に引用し理由付けしているのは、理由なき事実認定をしているに他ならないということである。

  3 小括

以上のとおり、原判決は、戦前の教科書において「大嘗祭は、天皇が御一代に御一度おこなう我が国でいちばん尊い、いちばん大切なお祭りであり、天皇がこれを行うのは我が国が神の国であるからであり、大嘗祭は大神と天皇が一体となる神事であって、これは我が国が神の国であることを明らかににするものである」旨を説き、この国定教科書は終戦まで使用され、国民の心底に深く刻まれることになった。」(一一〇頁)と認定した上で、さらに、「本件大嘗祭は前記政府見解に基づき、皇位継承に伴う伝統的な皇室の行事として行われたが、その中心的儀式である大嘗宮の儀は戦後昭和二二年に廃止された登極令が定める大嘗宮の儀とほぼ同じ次第で行われた。そこでは、(中略)神官に直接の関わりを持つ儀式が多く、また、大嘗祭のための施設の建設に先立って地鎮祭が行われ、お祓いがなされるなど神道固有の儀式がなされ、鳥居(神門)などの神道施設が設置されるなど、神道様式に基づくものであった」(一一一頁)、「かかる現行憲法下において、廃止された登極令にならい、神道様式による大嘗祭を行うことは(中略)、旧憲法下における旧皇室典範及び登極令の思想を引きずるものであるとの印象を払拭しきれないものがある。」(一一二頁)とまで認定しながら、最終的には前記_乃至_のとおり、理由にならない理由やそれまでの大嘗祭の性格についての右認定と矛盾する内容(例えば宮内庁見解)を無批判に持ち出して認定しており、理由不備もしくは理由齟齬の謗りを免れないのである。

二 知事の意図、目的及び宗教的意識の解釈について

原判決の認定

「一般に、慶弔事で執り行われる儀式に参列するにあたって、参列者はその儀式の宗教的性格というよりも、その慶弔事に関わる人との関係から参列するかどうか考えるのが通例であり、そこでは参列者の宗教的意義が希薄であるのと同様に、被控訴人の本件参列行為の意図、目的等における宗教的意識は希薄であり」(一二三頁)として、宗教的意識がなかったと認定している。

2 右解釈が理由不備もしくは理由齟齬であること

 まず、一般的な慶弔事への参列の際の認識を持ち出して、大嘗祭という明らかに国民的な議論のあった行事への参列に関する被控訴人の意図を認定するのは強引すぎ、とても合理的な判断とは言い難い。

 また、原判決自身引用しているように、戦前の教科書では神格化行事として教えていたこと(被控訴人自身その教育を受けている)や、参列しない知事が相当数にのぼることを認定しながら(一二八頁)、これらの点には何も触れずに一般的な慶弔事への参列の際の意識なるものを持ち出して認定しているのは、理由不備もしくは理由齟齬の謗りを免れない。

 なお、参列しなかった知事がいる点については、「他方、宗教的性格には着目せず、(中略)儀礼を尽くす趣旨で参列した知事も相当数あったことが認められる」として、このことが知事の認識を左右しないかのように述べているが、前記のとおり、大嘗祭が宗教行事としての側面をもつことには争いがなく、当時新聞紙上などでも議論され、異論があることは誰もが承知だったのであり、しかも戦前の教育を受けている人が殆どである中、宗教的性格に着目しなかった人がいたとは考えられず、このような中で参列した知事はこのような批判を承知でこれを「無視して」参列したと見るのが正確であり、このような知事が相当数いたからといって、結果として宗教の助長促進の意図がなかった理由にはならないのである。

三 国の支援行為の違憲性の判断について

1 原判決の論理

原判決は、本件の争点を整理する際に、「本件は被控訴人が悠紀殿供饌の儀に参列し拝礼した本件行為の違憲性の問題であるから、直接その点の判断をすれば足り、本件大嘗祭について国が関わった行為についての違憲性を判断する必要性はないので、控訴人が主張する右の点は判断を要する争点ではない」と述べている。

ところが、前記のとおり、大嘗祭の宗教行事性を検討する中で、「そして、宮内庁は、本件大嘗祭の内容及び性格について、(中略)今後の国家国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であり、それ以外に天皇の神格化を意味する要素はないとし、神社本庁の神道教義(中略)とは一線を画する内容・性格のものと位置づけており、」(一一七乃至一一八頁)と宮内庁見解を引用した上で、結局「憲法下におけるように天皇の神格化儀式として神道色の濃厚な意味内容及び性格を有するとは言えないと考える。」(一一八頁)とした。

理由の不備もしくは理由齟齬

そもそも上告人は一審段階より、本件において被上告人の大嘗祭への参列、拝礼行為の違憲性を判断するにおいては、当該大嘗祭を主導的に運営した国の関わりの違憲性判断が必要不可欠の前提であると主張していたのであり、現に原判決も結局宮内庁見解を引用して大嘗祭の性格を論じているのであり、にも拘わらず原判決は宮内庁見解そのものは検討せずそのまま受け入れており、他方で国の関わりは争点ではないとしており、理由のない判断と言わざるを得ない。

また、右のように、一方では国の関わりは本件の争点ではないとしながら、他方で本件の中心的争点である大嘗祭の性格を検討する際にはその理由付けにそれ自体吟味していない国の公式見解を持ってきており、理由不備もしくは理由齟齬の謗りを免れない。

また、そもそも、上告人は、本件県知事の参列は宮内庁からの案内によるものであり、それゆえ国の関与の違憲性の判断が本件参列の違憲性の判断と密接不可分の関係になっていると主張してきたのであるが、この関連性について判断しないままに、「本件は控訴人が(中略)参列し拝礼した本件行為の違憲性の問題であるから、直接その点の判断をすれば足り」と結論のみを述べており、この点も理由なき判断である。

四 本件行為に対する一般人の評価の解釈について

原判決は、「本件大嘗祭そのもの及び本件大嘗祭に対する国費の支出については、様々な意見があり、国民がこれをどのように受け止め、どのように評価したかは、にわかに判断できない。」としながら、「しかしながら、被控訴人が本件悠紀殿供饌の儀に参列し礼拝した本件行為に限って言えば(中略)、一般人としては被控訴人の本件行為を天皇の即位に関連する社会的儀礼の範囲内のものとして受け止め(以下略)」(一三〇頁)と結論付けている。

このように、一方で大嘗祭そのもの及びこれに対する国費の支出についての国民の評価はにわかに判断できないとしながら、どうして大嘗祭の一部である悠紀殿供饌の儀に参列し礼拝した行為については突然一般人が「社会的儀礼の範囲内のものとして受け止め」るというのか理由が存しないと言うべきであり、理由不備にあたる。

                                       以上