ソウルの秋・景福宮



光化門


旧朝鮮総督府の建物の跡はなく


12日(日曜)
ホテルを6時40分にバスででて、関西空港へ。チェックインもまだ人影まばらで簡単に終わる。ラウンジで休んだあと、全日空701便ソウル行きに搭乗。約20分遅れる。ソウルまでは約1時間半。時差が1時間あると思っていたら、なく、日本と同じ時刻。中は軽食でごく簡単な食事。11時18分にソウル着。まだ名古屋からの日航機はついていなかった。すこし到着口で待って、森正さん、大石進さん、金容俄さんと合流。しかし迎えるはずの韓国勢が現れず。30分ほど待って、ようやく出会えた。
 まず、3人の宿舎のヨイド観光ホテルに。その2階で昼食。僕は焼肉定食。けっこうおいしい。キムチが4種類くらいでてくる。朴栄一さんの話によると、食べようと食べまいと残りは捨ててしまうとのこと。そのあと、自由時間になったので、サボイ・ホテルにチェックインにいく。3人は西大門刑務所史跡見学に。
 4時30分に景福宮の光化門で待ち合わせ。残念ながら宮殿自体はすでに閉門して入場できなかった。5年前に来たときは、旧朝鮮総督府である国立民族文化博物館がでんとあったが、いまはすでにその姿はなく、新しく復元工事が進行中である。
 そのあと、4人で仁寺洞あたりの古道具屋、筆屋などを見学。韓国風の喫茶店で「なつめ茶」を飲む。韓国独特のにおいはこのあたりからきているのかな。夕食は、カキとビール。他の人はブルコギ(肉の煮込み汁)を注文した。カキは安いのに量が多かった。小さ目のカキなので、北の寒い地方でとれたのだろうと解説された。大石・森の両氏は以前にあたったことがあるとかで、食べなかったので、金さんと二人で食べたが、食べきれず。私もふたりの話で、やや自粛。
 それから地下鉄を1号線でソウル駅まででて、4号線に乗り換え、明洞へ。
地下鉄料金は、市内なら600ウォン。
 ホテルではNHKの衛星放送をみることができたので、外国という感じがしない。

13日(月曜)
 朝、地下鉄の東大門競技場で乗り換え、5号線でヨイナールまで。川の中州であるヨイド(汝牟島)。漢江のほとりを散歩する。
 12時、国会議員会館で会食。李洛淵国会議員、日本大使館の猪狩正道さんらと懇談。13時30分から「布施辰治先生記念事業会」が始まる。布施の孫である大石さんが自分に関わる布施の思い出を語る。ついで、森正先生の講演。通訳つきなので、けっこう時間がかかり、このふたりで4時ちかくになる。4時30分終了の予定が大幅に遅れて、観客がひとりひとりと帰っていき、光州から来た朝鮮大学の学生もかえっていった。田舎からでてきた人たちはソウルから帰ると深夜になってしまっただろう。最後に残った人は10人。そのうちのふたりのおじいさんが猛烈に話し、それに鄭さんが応えるものだから、ますます会がのびて、終了したのは6時前になる。

14日(火曜)
 金浦空港まで地下鉄でいき、荷物をあずけて、まだ時間があったので、2階に上がったところで見送りの鄭さんとばったり。しばらくして、朴さんはじめ一行が到着。2階で珈琲をのむ。12時すぎの名古屋行きにのる3人を出国口まで見送る。
1102番というバスで市内まで。外国人客が主にのるバスかと思ったが、市民向けのバス。女性の運転手で、けっこうスピードも出す。携帯で話しながら運転したのにはまいった。市庁舎前までいき、ちかくのロッテデパートに。10階の免税店でおみやげの万年筆とボールペンを買う。
それから、昌徳宮へ。景福宮の離宮である。韓国人、日本人、英語を話す人が時間ごとに区切られて、入場して、それぞれハングル語、日本語、英語を話す案内人がつくしくみになっている。2時30分からは約100人以上の日本人団である。
景福宮のような雄大さはないが、こじんまりと伽藍が配置されている。仁政殿は即位儀式などを行った重要な建物で、国宝とか。16世紀の秀吉の朝鮮出兵(壬辰戦争)で焼失したということ。朝鮮の宮廷に日本から嫁いだ梨本宮の内親王・方子がつい最近までここで生活していたとの説明があった。秘園という裏の庭園に入る。晩秋のソウル。紅葉が鮮やかで美しい。燃え出るというような鮮やかさはないが、黄色、赤と豊かな色彩を誇る。約1時間30分の散策。
16時すぎに宮殿を出て、ちかくの銀杏並木の通りをあるき、地下鉄5号線で空港に。空港までは700ウォン。ロッテ・デパートで買った免税品を出国審査を済ませた中で受け取る。金浦空港の免税品店はヒースローやチャンギ空港のそれを見て来たものにとっては、それほどたいしたことはない。もう少し自由にくつろげる場所があればいいなあと思う。
 19時40分発の全日空機で大阪へ。ついたのは21時すぎ。