音楽雑感〜日記風
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2002年10月30日(水) 暗譜で弾くべきか?(3)

 暗譜の話が続きますが、ここで辻井伸行くんの登場です。この驚くべき少年の登場で、暗譜に対する私の考え方が少し変わりました。彼にピアノを教えるようになってから、いろいろなことを考えさせられることが多かったですが、今でも新鮮に驚くことがあります。それは、通常ピアノ学習者は当然のこととして楽譜を頼りにして譜読みを始め、練習をしていく上でだんだん暗譜が確かになっていくわけですが、彼の場合は“まず最初に暗譜をして、それから練習する”という順番です。彼とやっていると、暗譜という作業はそれほど困難なことには思えないのです。

 でも、「“まず暗譜をする”って、一体どういうこと?」と訊かれそうです。普通の場合、「暗譜=ほぼ完成」を意味することが多いので、私たちは、“弾けるようになってからでなければ暗譜はできない”と思いこんでいるのです。ここが重要なポイントなのですが、実は、まだきちんと弾けなくても“最初の段階で曲を細部まで(音の一つ一つまで)頭に入れてしまう”ことは可能なのです。でも、そういう練習方法を私たちは今までとってこなかったのでできないだけなのです。辻井くんの場合には、しかも楽譜を見ることができないので、楽譜なしで覚えているのですから、細部まで暗記するのはさらに大変なはずです。頼るべき媒介が少ないのですから。ところが、完璧に近い暗譜が可能なのは、彼はやはり頭の使い方が素晴らしく、感性もきっと細かいのだと思います。
 さらに言うと、「暗譜というのは“楽譜”を覚えているのではない」ということです。楽譜の音符や記号を一つ一つ覚えているのではなく、音と曲全体を一つの概念として覚える、という感じが本当だと思います。もし楽譜が“絶対”であれば、誰が弾いても同じ演奏になるはずですが、実際はそうはなりません。演奏者によって同じ曲がこれほど違うかと思うほど変わることもあります。でも、誰が弾いても「幻想即興曲」は「幻想即興曲」なわけです。“幻想即興曲”という曲を統一している概念、というか作曲者ショパンの頭に鳴っていたその曲に対する音楽(概念)そのものが“幻想即興曲”であって、楽譜はあくまでも二次的なものです。楽譜は、不完全なものなのです。その曲の統一体というべきものがあるからこそ、楽譜を介在しなくとも曲が演奏できるのです。ショパンは、楽譜を譜読みしないで最初から暗譜していたことになります。自分の曲だから当たり前の話ですが。だから、そこまでいくと、暗譜するということは何ら特別のことではないようにも思えるのです。でも、一般的に言って演奏者が作曲家と同一の境地になんか立てるわけない。だからこそ楽譜が絶対で、楽譜しか頼るものはないのだ、という意見はあるかと思います。それは半分は正しいと思うのですが、半分は安直な考えだとも私は感じているのです。(さらに続きます…)



2002年10月28日(月) 暗譜で弾くべきか?(2)

 暗譜をして弾くことのメリットは何なのでしょうか。もちろん、暗譜ができるところまで練習が積まれているということが、お客さんの信頼を買うことにもなるでしょう。例えば、管楽器のソロの演奏会で、楽譜を見ながら一人で吹いたりしていたら、なんだかオケの一員として演奏しているみたいで気合いが入っていないようにも見えるから、ピアニストだけではなく管楽器奏者もソロの演奏は暗譜すべきだ、との声を聞いたこともあります。でも、楽譜を見ながら演奏するからといって本気を出していないわけではないのですよね。

 暗譜をすることのメリットと、楽譜を見ながら弾くことのメリットをそれぞれ考えてみましょう。
 暗譜をすると、まず良いことは、もう楽譜を介在しない境地まで音楽と一体となることができます。それから、譜めくりも要らないし、見ているお客さんにとっても目障りにならず、演奏に集中しているように見えます。実際、演奏に集中できます。
 一方、楽譜を見ることのメリットは、これも意外とあります。まず、安心感を得ることができます。十分に練習を積んでいても、ずっと一緒に練習してきた楽譜が目の前にあるというのは、さらに精神的な安定につながります。それからもう一つは、練習のときに暗譜をするための努力が要らない、ということです。これが大きいのです。だいたい、ピアニストの悩みって、暗譜が100パーセント自信がない、それなのに本番の日が来てしまう、ということが非常に多くあるのです。100パーセントというのは大変なことなのです。最後の20パーセントを詰めるのに、信じられないほどの労力と時間を使わなければなりませんし、しかも時間は有限なのです。ここの部分の苦労があるので、ピアニストは大変だと言われるのだと思います。(特に現代という時代はそうなのかもしれません。)楽譜を置いて良いなら、80パーセントの暗譜でも悠々と音楽に没頭して演奏することができるのに、楽譜から離れてしまうだけで、精神的な不安定さにつながってしまうのです。だから、室内楽なら楽譜を置いて弾くから、練習量はソロ曲より格段に少なくとも、余裕を持ってもっと良い演奏ができたりするのです。たった1度だけ(数度だったとしても)お客さんの前で何かを披露するのに、これほどの量(天文学的な音符の数ですよね)を暗記しなければならない仕事って、なんかやっぱり異常なような気がするのですが、皆さんはどう思われるでしょうか?(続く…)




2002年10月26日(土) 暗譜で弾くべきか?(1)

 「演奏会でピアニストは楽譜を絶対見ないで弾くべきか」という議論があります。ソロ・リサイタルは、今では暗譜で弾くのが当然のこととされていますから、これをあまり疑問に思わない人もいるでしょう。でも、なぜ暗譜しなければならないのか。ピアノをやっていて暗譜で苦労している人は、この習慣を呪いたくなる人もいるのではないでしょうか。

 そもそも、昔は楽譜を見て弾くのが当然だったのです。ピアニストというものが職業的に独立していくなかで、高い能力を持ったフランツ・リストやクララ・シューマンなどの“大”ピアニストが暗譜で弾き始めたので、いつのまにか皆がまねをするようになって、これが習慣化してしまったのですね。でも、その習慣がヨーロッパ全域に、そしてもっと大きく全世界的に広がり、ピアニストの義務のようなものとなって定着するには100年ほどかかっているはずです。暗譜で弾けなければ、まず“準備不足”というレッテルを貼られるようになってしまいました。その証拠に、世界の国際コンクールでは、現代曲や新曲の演奏を除いては、すべて暗譜で弾くことが当然の条件になっています。

 ところで、私が留学中にある現代音楽の国際コンクールで経験したことですが、演奏当日の朝になって、突然、「今朝の審査員会議の結果、現代曲は楽譜を置いても暗譜で演奏してもどちらでも良いことになりました」と言われ、「いまさら言われても…」と、コンテスタント一同その瞬間悩んでしまいましたが、私はせっかく暗譜してきたのだから、もう腹を決めてドビュッシーからシェーンベルク、リゲティーまで全部暗譜で弾きました。ある、フランス人(だったかな?)の参加者(男)は、悩むに悩み、結局楽譜を譜面台に置いて弾くことにしたのですが、そんな経験は実はなかったらしく、弾き始めてから自分で譜めくりしなければならないことに気がつき、ヤケに忙しそうに弾きまくり、しまいには曲の途中で思いあまってページをめくるスピードが速すぎて、楽譜を左にすっ飛ばしてしまい、床に落としてしまうというハプニングがありました。しかし、動揺するかと思ったら、ちゃんと手だけは慣性の法則に従って演奏を最後まで続けていました…。(その曲は、確か弾くだけでも大変なリゲティのエチュード“ファンファーレ”という曲で、譜めくりすることによってさらに超絶技巧になるという代物で、あれは一つのショーとしては笑えるシーンではありました。)

 脱線してしまいましたが、暗譜するというのは実は大変な作業であって、ここにピアニストの悩みの80パーセントぐらいはあるのではないか、と考えています。当日になって楽譜を見て良いと言われ、暗譜していても見ようかと迷ってしまう人がいるのですから。でもその気持ち、とてもよく分かるのです。このテーマ、もう少し真剣に考えてみたいので、続きを書くことにします。



2002年10月24日(木) 練習時間は少ない方がいい?!

 ピアノを習っている人は、「一日何時間練習するんですか?」と訊かれたことが絶対あるはずです。この質問、好きな人あまりいないんですよね。時間で努力を計るのか!と思ってしまうんです。でも、そんな質問に対して、たくさん練習してることを誇る人(私かな?)と、少ない練習時間で弾けることを誇る人(これも私だ!)が必ずいるわけなんですね。(つまりあなたはどちらにしても自慢したいのかい?)

 ホロヴィッツが、何かのインタヴューで「私は、演奏会の本番前はあまり曲を弾き過ぎないように努力します。」というようなことを言っていたと思いますが、それを聞いて、そのときは、「キザなこと言うんだな」と思っていました。でも、確かにその通りで、曲を弾き過ぎてしまうのは新鮮な感覚が麻痺してしまって、味気ない演奏になってしまうということがあります。その辺のコントロールは本当に難しいと思います。曲が完全に頭に入っていれば、3日や4日間弾かなくても曲を忘れることはありませんから、そのぐらい完璧にさらいこんだ上で、本番直前はあまり弾かないようにする、というのが本当は理想的なのだと思います。

 私は、東京での学生時代は恵まれていて、練習時間を気にすることはあまりありませんでした。ところが、ウィーンに留学したとき、最初に住んだアパートで隣人から苦情がきて、ピアノが自由に弾けないところだったのです。結局交渉して、一日2時間だけ弾いて良い、ということになり(契約の時に、大家さんは自由に弾いて良いと言われたのですが、隣人はまた別人ですから)、私は最初は困りましたが文句も言えないので、その2時間をどのように能率の良い練習をするかということに頭を悩ますようになりました。そうして、能率的な練習方法を自分なりに築きあげていきました。練習時間を少なくした方が、頭がクリアーになり、無駄な指の運動のためだけに時間を使うということはなくなりました。限られた時間で練習するという経験は、私にとって貴重なことでした。これは学生の皆さんにも是非考えてほしいことだと思います。ただ、10代などの若いうちは、まだ指を作る段階ですから、ある時期はハノンなど練習曲を効果的に使って、筋力や指の敏捷性を身につけるということは大事だと思います。そのために、一日…そうですね、やはり4〜5時間の練習時間というのは、音大生またはピアノを勉強している人にとっては一般的な数字ではないでしょうか。ピアノというのは、時間の食う仕事ですが、でもほかの勉強をしている学生にとっても、やっぱりその専門の勉強をそのくらいやっているのでしょうから同じだと思います。しかし、ストイックな生活を強いられるということでは、少なくとも音楽の世界は厳しいことは確かです。



2002年10月21日(月) 日常のこと

 このところ、少し安定期に入っています。(^_^)
それで、今日はたまには日記らしいものを書いてみようかなという気分です。この音楽雑感のページも、考えてみれば8月から気まぐれで書き始めたものですが、もう途中で止めることができなくなってしまいました。(笑) 読んでくださっている方には、本当に感謝しています。

 今日は、少し自分の日常を振り返ってみたいと思いますが、まず暴露すると私の生活スタイルはきわめて規則的なものです。起床は7時、就寝は12時。忙しい時期に、それぞれ1時間ずつ起きている方にずれ込むぐらいで、海外へ行って時差ぼけにでもならない限りは、規則正しくこの時間を守っています。夜中にメールを書くこともありませんし、夜電話をしたまま12時を過ぎることもまずありません。規則正しいのです。昼間はほとんどの時間を仕事か、または自分のための勉強に当てていることになりますが、ひょっとしたら私は遊ぶことに関しては下手な方かもしれません。ストレスなんて、自分には全然関係ないものだと思っていましたが、体調を壊したことで去年あたりからちょっと意識するようになりました。これからは、ストレスのたまらない生き方をしようと。で、何がストレスになっているのか・・・は、ちょっとここでは言えません。^^; まあ、いろいろあるかもしれませんがあまり想像はしないでください。(もし、なにか思い当たる人がいたら、私のストレスを軽減してください。(笑))でも、基本的に私は人間関係にはたいへん恵まれていて、あれこれ思い悩むことは少ない方だと思います。ありがたいことです。

 人間に悩まされることよりは、睡眠不足とかの方が機嫌が悪くなる可能性が高くなります。また、時差が多い外国へ行った時などは、普通の体調に立ち直るまでが丸3日ぐらいはかかるので、けっこう体は弱い方なのだろうかと思ったりもします。ちなみに、辻井伸行くんとアメリカやヨーロッパへ一緒に行くことがありましたが、彼はどこでも平気なのです。時差ぼけもなく、どんな過密スケジュールで知らない土地に行っても大丈夫なのです。私が、太陽はまぶしいし頭もガンガンして話もできないような体調のときに、おいしそうに土地の見知らぬ食べ物などに挑戦しているのですから驚きです。寝てもいないはずなのに。彼は、生来ピアニスト向きなのかもしれません。演奏家や指揮者はとにかく移動が多いですから、体力が強靭でないと失格です。そして、どんな食べ物もOKでなければいけません。私などは、日本食に戻りたい!と、結局7年ほどでめげてヨーロッパから帰国しました。飛行機の中では眠れない性格だし、まったく本当にわがままな体なのです。この昼間に眠れない性格、早く直したいと思っています。(性格を直して体質が変わるのかどうか知りませんが…。)



2002年10月18日(金) ザラフィアンツ氏公開レッスン 

 うちの音大では、“作品解釈”という、ピアノ演奏家コース必修科目の授業があります。私が学生の頃からありましたが、国内外の著名な演奏家や教育者、さらには指揮者や作曲家などを招聘し、講座や公開レッスンをしていただくというもので、普通では聴けないような価値の高いものもあります。現在ではほとんど毎月のように、海外からの教授やピアニストを呼んで授業をしてもらっていますが、これを無料で(厳密には授業料に含まれているのでしょうが)聴ける学生達は、幸せだなと思ったりもします。今までは私も忙しくて、あまりこの授業に顔を出していませんでしたが、とても勉強になるものが多いので、これからはできるだけ学生達に混じって一緒に聴講しようかなと思っています。(私こそ勉強しようと思ったら無料だ。…いや、厳密には給料から引かれているのかも。(笑))

 それで、昨日はエフゲニ・ザラフィアンツ氏に来ていただいて、300人の前で公開レッスンをしていただきました。私が彼を大学に紹介した経緯もあり、通訳は私が引き受けました。曲目は、ラフマニノフの「楽興の時」作品16です。時間が限られていたこともあり1番、4番、5番の3曲に絞っていただきました。演奏してくれた海瀬さんはテクニックも申し分なく、素晴らしい演奏をしてくださいましたが、ザラフィアンツ氏の指摘は的を得ていて、なかなか普通には言えないような演奏法のさまざまな問題点を、見事に言葉にして伝えていたように思います。後期ロマン派に独特な奏法や、演奏法におけるちょっとした秘密、また楽譜に書いてあることをどうとらえるか、ということに関して示唆に富んだ指摘があり、皆さんたいへん勉強になったことと思います。

 ところで、こういう公開の場での通訳は私もときどき引き受けることがありますが、いつもやはりそれなりに緊張します。何を言い出すかわかりませんからね。向こうの人は、話の中に突然ラテン語とか詩の一部を引用したりすることがあるので、そういうことがあるとドキドキします。ザラフィアンツ氏は、特に文学好きで外国語も勉強し(ヘブライ語やイディッシュ語まで!)、さまざまな言語でたくさんの本を読んでいらっしゃるということも聞いていたので、「お願いだから難解なことは言わないでくれ!(>_<)」というのが私の本音でした^^;(私の勉強がもう少し進めばいいわけですが。)
昨日はまあ無事に終わりましたが、「楽興の時」第5番の冒頭で、曲想を語っている時に“nirvana”(涅槃)という言葉が出てきたのにはビックリしました。仏教まで知っているのでしょうかね。確かに、あの曲は安らぎと喜びの音楽ですから、「なるほど」と感心したのですが。彼の特徴は、話し方はゆったりしていますが、常に的確な表現を選び出し、難しい概念についてもわかりやすくまとめて言葉で説明できるというところでしょうか。頭の中は、けっこう難しいことをきちんと整理して考えているということなのですね。私も刺激になりました。レッスン後は、ご自身の演奏でラフマニノフのソナタ第2番を演奏してくださいましたが、これもまったく疲れを見せずに弾きとおした精神力と体力には脱帽しました。



2002年10月16日(水) 辻井伸行コンチェルト2002 無事終了 

 辻井伸行コンチェルト2002と銘打ったコンサートは、昨日満員の聴衆の皆様をお迎えして、無事終えることができました。三枝成彰さんほか、演奏会に関わってくださった関係者の皆様に感謝を申し上げます。皆様どうもありがとうございました。

 三枝氏が、ステージでのトークで、「コンチェルトはソリストとオーケストラの主導権争い」みたいなことを言われていましたが、もちろんオケと競争をしているわけではなく、一緒に音楽を奏でているだけなのですから、どちらに勝ちも負けもありません。でもそんな言い方をされたのには、話を面白くする三枝氏独特の話術もあったと思いますが、他にも思い当たることがありました。伸行くんは、生来遠慮がちな性格で、人に合わせるタイプなのです。とても人が良いのです。それで、指揮の金 聖響さんに初めてお会いしたときに、聖響さんが、もちろん指揮者の立場からですが「好きなように弾いていいよ。どんな風に弾いても合わせるから大丈夫だよ。」と言うと、伸行くんも「僕も大丈夫です…。」ってな感じ。二人とも、「相手に合わせます」という感じになってしまい、誰が音楽を引っ張っっていったら良いのか、困ってしまいました。普通はソリストがオケを引っ張るものですが、伸行くんにはそんな大それたことはできない。でも、やっぱりそれではいけないし、とみんなで「頑張れー」みたいな感じの応援を送ったわけです。あの発言は、きっと伸行くんに対する三枝氏の優しい応援コールだったのですね。

 本番では、いつもながら集中力のある演奏を2曲とも実現できていたように思います。ショパンのコンチェルトは、今だから言いますがあれは弾くだけでも大変な難曲なのです。三枝氏もそうだったようですが、リハーサルを聴いていて私も本番前日まで青い顔をして食べ物も喉に通らなかったのですよ、今だから言いますが・・・。決して伸行くんの出来不出来にビクビクしていたわけではなく、この難曲を演奏するということの重みを自分のことのようにひしひしと感じていたわけなのですね。でも、そんな心配も杞憂に終わり、演奏会が無事終了した後は皆で成功をお祝いし、乾杯しました。(伸行くんは、シャンパンを一気飲みしていたような…いや、たぶん見間違いだと思う。)



2002年10月14日(月・祝) 

 昨日始まったばかりの毎日曜夜9時放映の、田村正和がお父さん役を演じるTBSの新ドラマ「おとうさん」を見てしまいました。4人娘の末っ子(深田恭子)が音大生役でコンクールを受けている設定なのですが、さっそく第一話からショパンのオクターヴのエチュードop.25-10を弾いたりしているわけです。深田恭子さんもピアノを弾けるそうですが、あの弾いている手の映像と音はちゃんとほかの人がやっていたりするわけです。まあ実を言いますと、あれはなんと私の生徒である大学生のSさんなのですが、それでどう弾いているか心配になってこの番組を見てしまったわけなのです。Sさん、最近欠席が多いと思ったら、そんなところに出入りして面白い収録なんかしていたのですね。(-.-)(私にもそういう面白い仕事があったら教えてくださいよ。)
次回からも弾くシーンがあるらしく、目が離せなくなってしまいました。(でもなんでこの忙しいのにTVドラマなんか見なきゃいけないの?)

 さて、辻井伸行くんの大舞台「コンチェルトリサイタル」(東京オペラシティ・タケミツメモリアルホール)もいよいよ明日(15日)に迫りました。今回は特別にオケとのリハーサルが普通より多いので(といっても2回の合わせとゲネプロのみ)、少しは安心しています。昨日、東京交響楽団との初合わせがありましたが、リハーサルは順調です。伸行くんは合わせるたびにコツをつかんで、みるみる上手くなっていくので、その勢いのままいつも本番で一番良い演奏をするのです。でも2曲もコンチェルトを弾くとなると、普通は体力も精神力も消耗して、弾くだけで精一杯になりそうなところですが、伸行くんの場合は、そんなときでも“ピアノが大好きでたまらない”という感じで弾いているのですね。これは驚きだと皆さんによく言われますが、私も本当にそう思います。そのままの伸行くんで、明日は主役ですからぜひともいつもの力を発揮して良い演奏をしてほしいと願っています。



2002年10月9日(水) ピアノ音楽の行方

 先日、新しい出会いがありました。ピアニストで作曲家でもある金澤(中村)攝(かなざわおさむ)氏です。早い時期にアルカンの作品を手がけ、録音までしてしまった実力の持ち主ですが、驚くべきなのは、彼はさらに知られていない作曲家を次から次へと掘り出して録音していく、あのエネルギーでしょう。一般のクラシックファンには聞いたこともないような作曲家ばかりです。彼にとっては、それが自分のやるべき仕事だという確固たる確信があるようです。ものすごいエネルギーです。彼にとって、例えばメトネルなんていう有名な作曲家は、誰かがそのうちやってくれるだろうと思っていた、というような感じなのです。

 それから彼の自説では、ピアニストは自分の曲を作曲するべきである、ということです。最初はたいしたものが作れなくても、1年に一曲でも二曲でも書いているうちに、そのうちに作曲の腕も上がってくるのだ。表現者たるものは、自分の中から新しいものが生み出せないようではダメである、と。私も以前、表現者は創造者たるべきだ、というようなことを言ったことがあるけれども、彼の場合、はっきり「作曲をすべき」という意見で、私もこれには感じ入るところがありました。現代においては、過去のレパートリーが膨大になり、ピアノをやっている人はとてもそのすべてを勉強することはできません。音大で学生たちは、300年以上も前に生まれたバッハから順番に勉強していき、十分に勉強したら古典派・ロマン派などと課題曲などをこなしているうちに、結局気がつくと近代作曲家までたどり着かない、という現象まで現れていて、これでは何のために勉強しているのかわからない。現代に生きているならば、同じ時代の素晴らしい音楽を知ろうとしないのは片手落ちである、と、こういう意見です。これには深く賛同しました。私などは音大の現場でもやっておりますが、個人的にはやはり試験などで弾くものは、完全に自由曲にしたら良いと思っています。どのジャンルでも、自分が勉強したいものをやれば良いと思います。しかし、現実的にはいろいろな問題があってまだ言い出せないのでおりますが^^;、でも近い将来、音大の試験等は課題曲の抜本的な見直しが絶対に必要だと思っています。入試では副科など、一部自由曲を謳っていることはあるのですが。(今年のうちの音大の入試で、作曲科のある受験生が自由曲のピアノの試験でカプースチンのエチュードを弾いたとき、偶然試験官に私が居たのは、あれは何のいたずらだったのだろう??)



2002年10月6日(日) 辻井伸行 コンチェルト2

 毎回自分にとって新しい課題に挑戦している人がここにも一人いました。皆さんご存知の辻井伸行くんです。関西方面では、先日放映されたテレビで8月に行なわれたヤングピープルズコンサートを始めて知ったという方もいまして、多数のメールを頂きました。感動しました、という声が多かったので、とても嬉しく思います。

 そして、いよいよ来週10月15日(火)には、東京オペラシティーでコンチェルトリサイタルを控えています。協奏曲を一晩に2曲続けて弾くということは、ピアニストにとって滅多にあることではありません。しかも、14歳の伸行くんにモーツァルトの20番とショパンの2番という大曲です。どちらも彼が大好きな曲ということで選びました。指揮者の金聖響さんとも数日後に初顔合わせ。現在、本番に向けてのラストスパートをかけているところです。どんなステージになるか、当日になってみなければわかりませんが、きっと今までのように、伸行くんにしかできない素晴らしいステージを繰り広げてくれるでしょう。「人に感動を与えるピアニストになりたい」という、彼の夢が、また一つ実現する、そんな機会になると確信しています。今回のこの大きな大きな舞台で、また多くの人に彼のことを知ってもらえたら嬉しく思います。皆さんのご声援、よろしくお願いいたします。




2002年10月1日(火) メトネルのピアノソナタ

 この間、そのミルン大先生に演奏会終了後、「実は今、私はメトネルのト短調ソナタやってるんですよー、えへへ」と言うと(えへへとは言っていないが)、「うわあ、あれは難しいね。長いし、複雑で、さらうのに時間がたっぷり必要だよね。」みたいなことを言われ、「おお、分かってくれる人がいたー(^^)、あれは本当に難しいんだよね。やっぱりミルン氏はすごいなあ(当たり前か)」と喜んだのもつかの間、「そうだ、あんな大曲には時間がたっぷり必要なのだ。それなのに、なんで私はこんなに忙しい生活をしていたのか・・・(^_^;)、もう手遅れかも(゚.゚)」と、その場で汗が噴き出してしまいました。(汗は誰にも見せていない。)

 とにかく、そのト短調ソナタ、昨日の演奏会で弾きました。人前で演奏するときに集中しなければいけないことは当たり前のことですが、メトネルの難しい作品ほど頭の冷静さを要求されるものはあまりないのではないでしょうかね。ラヴェルの「鏡」だって全曲弾くのはたいへんですが、メトネルの複雑さからすると、エネルギーはそんなに要らない、というのが真相です。自分でプログラムを決めることのできる演奏会では、毎回自分に新しい課題を課すことにしてきましたが、あまり無謀な課題には、だんだん体力も何もかも、もうついてこない年頃(というより“歳”か?)になってきたということなのでしょうか。自分自身の感覚として、そんなことを感じるこの頃です。辛いことですが。そう言えば、もっと若かったころには(と言ってもつい最近とも言えるか?)、超絶技巧のバラキレフのタランテラから弾き始めるという暴挙に出たこともありましたが、まあ若い頃の過ちということで許されますかね。(許されない。)

 考えてみると、リサイタルをどの曲から弾き始めるかというのはすごく重要なことですね。それは、お客さんにとってというよりも、弾く人にとってなのです。ウォーミングアップされていない状態でも、すぐになんとか取り繕える曲にしなければいけないということなのです。私がウィーンにいた時についていた先生は、「絶対にモーツァルトでは始めない」、と常々言っていました。モーツァルトはそれだけ最初に弾くのは恐いということなのでしょうね。私自身はよくモーツァルトで始めるのですが(どうして人の言うことを聞かないの)、それはほかに適当な曲がないからです。技巧を極度に要する曲で始める人は絶対いないでしょうが、前半と後半の両方に大曲を持ってくるということも、多くのピアニストが避けることでもあります。サービス精神だと思って大変な曲をたっぷり入れたりしても、実際は弾く人が苦しむだけですから、あまり効果はないのですね。欲張りはダメですよ。(私もこれからは人の言うことをよく聞くことにしよう。)とにかく、たっぷり疲れた一日でした。(+_+)



過去の日記 … 2002年8月9月


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