音楽雑感〜日記風
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2002年11月25日(月) 名曲「カンパネラ」?

 実は今、私は、カンパネラの魅力に完全に取りつかれています。カンパネラと言っても、フランツ・リストのそれではなく、ニコライ・メトネルの方です。メトネル作曲 「2つのおとぎ話」作品20の第2曲目の曲です。これがまたすごく良い曲なのです!!(もう頭から離れない。)

 この「2つのおとぎ話」作品20の第1曲目 変ロ短調の方は、メトネルのもっともポピュラーな曲であり、友人であったラフマニノフも気に入って、当時自分の演奏会でもたびたび取り上げたことが知られています。(ちなみにメトネルの方は、ラフマニノフの曲からは、「楽曲の時」作品16の第3曲 ロ短調を好んで弾いたとか。)
 このポピュラーな第1曲目に隠れてしまって、第2曲目「カンパネラ」には、私は最初あまり興味を示さなかったことを告白しておきましょう。
 この第2曲は、「カンパネラ」(鐘)というタイトルに加えて、“この曲は、鐘についてではなく、鐘によって語られる歌またはお話”という注釈付きの、風変わりな曲です。それにしても、ピアノという楽器でここまですごい曲が作曲できるのか!、というほどのハーモニー感覚と全体を貫いている統一感があります。実は、この曲に最初に目をつけたのは私ではなく、私の妻でした。ご存知の通り、うちは二人がピアノ弾きでして・・・。(^.^)
 彼女がこの曲を演奏するために練習しているのを毎日のように聴いていて、聴けば聴くほど発見する曲の素晴らしさに耳を疑いました。ピアノ曲でこんなすごい趣を呼び起こすものがあるのか!! 私は、それまでこの曲をCDでは何度か聴いていましたが、恥ずかしながらすぐにはこの曲に興味が湧きませんでした。私たち夫婦は、それぞれ違う感性を持っているので、お互いに補い合うことがあります。ある曲が名曲であることを発見するタイミングも、それぞれ違っていて面白いことがあります。例えば本なども、それぞれ違うところに目をつけて買ってくるので、お互い相手の持っているものを面白いと思って読んでしまいます。

 とにかく、この曲(メトネルの「カンパネラ」)が今、頭から離れないほど好きなのです。うーん、あと1000回聴いても飽きないと思う。でも、聴きすぎてしまって、さすがに今と同じ感動は得られなくなってしまう時が20年後くらいには来るのだろうなあ、と思うと、それだけでなんだか寂しくなってしまいます。(;_;) そのくらい好きなのです。
 ちなみに、現在は妻がまたメトネルの曲から、アラベスク作品7-3というのを練習していますが(これも彼女が発見)、これまたすごい曲! この曲も最初は訳がわかりませんでしたが(笑)、聴けば聴くほど、もう自分は作曲などする気がなくなってしまいます。小品なのだけど、とにかく発想がすごい。ピアニスティックな音の動きの発想で書かれた作品ですが、ハーモニーとリズムの絡み合いが異様な世界を創っています。独特の世界です。こんな曲がはたして“無”から生み出せるものなのか!天才メトネル! ほとんど一つのモチーフでこんなすごい曲を作り上げるなんて、メトネルという作曲家のスケールの大きさを垣間見てしまいます。このような一貫した作曲の完璧さを見せつけるピアノ小品としては、ほかにはショパンのエチュードくらいしか思いつきません。

 当時友人だったラフマニノフは、メトネルが次々と斬新な曲を創っていくのを見て、「ねえ、メトネル君、そんなにメロディーがたくさん浮かぶのだったら、僕にも少し分けてよ。」と、言ったとか言わないとか。メトネルが自作を披露するのを、ときどき聴かせてもらっていたラフマニノフは、きっといつも唖然(゚o゚)としていたことと思います。(私は絶対そうだったと、ひそかに思っています。)





2002年11月21日(木) ピアニストは生き残れるか?(2)

 ピアニスト(他の演奏家も)の仕事について語っていますが、埋もれている天才を発掘するのは、私たちの仕事の一部だと考えています。まだ人にあまり知られていない素晴らしい事というのは、実は世の中のさまざまな場所にたくさん存在しているわけで、それを私は音楽家という立場で伝える使命があると思っています。聴衆には、やはり多くの名曲に親しんでほしいと思うし、それにまだ知られていない近過去〜現代の天才たちを紹介するのは大きな喜びでもあります。まだ評価は正しく出ていないけれども、後世確実に残っていくような作品は、今も次々と生み出されているはずです。現代の人たちが創造する新しいものの中には、可能性が無限に広がっているという意味で、やはり大きな価値があると思います。ポピュラー音楽は、ただ新しいというだけで、ほとんどの曲は時とともに忘れられていく運命にありますが、でもその中にも良質のものは残っていくものがあるわけです。同じように、クラシックの世界で生み出される、さまざまな現代音楽の中にも素晴らしいものがあるとも思います。

 音楽家は、やはり音楽によって社会を変えていかなければならないと思います。もし、そういう意識がなく音楽をやっていたとしても、芸術というものはやはり人に大きな影響を与えるものです。良いものは良い影響を、悪いものは悪い影響を与えるでしょう。思想は言葉によって伝えられますが、音楽は、もっと感性とか深いところに訴える形で、人間に大きな影響を与えていると思います。音楽家は何か特別なことをやっているようにも見えますが、実はそういう意味では社会と密接に結びついているとも言えます。もちろん、必要な時には音楽家だって言葉を使っても良いのですし、音楽と言葉の両方を通して、社会とのかかわりを積極的に持っていく可能性を模索するべきでしょう。

 ピアノを続ける人たちも、「ただ、音楽が好きだから」という一見消極的な言い方を理由にするのではなく(音楽が好きなのはもちろん良いですが)、自分は何を発信していくべきなのかを、よく考えなければならない時代が来たと言えるでしょう。
 現代は、インターネットの時代になって、多くの情報の交換が高速度でなされ、さらに音楽もCDや楽譜によって簡単に大量に手に入れることができるようになりました。私たちは、何でも勉強し、吸収できる速度が速くなったことを感じていると思います。音楽の道を志す人たちも、やらなければならないことが以前より増えてきたように思います。ピアニストも、今後は多種多様でなければ、存在価値がないことになってしまうでしょう。
 先日挙げた類型で言えば、第1類型の職業型ピアニストがまだまだ大きなパーセンテージを占めているでしょうし、第1類型のピアニストがさらに他の付加価値をつけて活動していくような形態も考えられますが、今後は、第2・3類型の考え方が一つの主流になっていくことと思われます。




2002年11月20日(水) ピアニストは生き残れるか?(1)

 日本だけでも、毎年音楽大学を卒業する人が数千人もいるわけですが、特にピアノ科を卒業する人のパーセンテージは大きいことは周知ですよね。これらの人たちが、みんな演奏家になりたいと思っているわけではないでしょうが、それでも毎年毎年誕生するピアノ弾きの数は尋常ではありません。近年、さまざまな音楽家の活動によって、クラシックを聴くことを喜びとする聴衆や、楽器をやる人の数などが増えてはいるそうです。(大人のためのピアノの本「お父さんのピアノ」(?)だったかな?)が20万部も売れたというのを聞いて、ビックリしました。)とはいっても、演奏家の数に比べ、クラシックを聴く人口が少ないことは永遠の事実でしょう。

 ピアノの名曲は数え切れないほど存在すると言いますが、一般の聴衆に好まれるものは、かなり限られていると思います。それは、今も昔もそうだったのでしょう。ただ、今はもう時代が変わってきて、どのようなレパートリーを持って活躍するかということにおいて、近年のピアニストは三種類ほどの類型に分けられるのではないかと思っています。
 1種類目は、長い年月に耐えてきた名曲や作曲家の曲だけを演奏するというタイプです。たぶんこの類型が一番多いでしょう。現代においては、もちろんそれだけでも大変なレパートリーになりますし、バッハ(以前?)の時代から今までに名前の残っている作曲家の、主要な作品だけ集めても無限にあるように見えます。専門的にやれば、一人の作曲家について調べたり勉強するだけでも何年もかかるでしょう。ましてや、演奏家が“練習”する場合はなおさら時間のかかることです。そんなわけで、つい先ごろまでは、“モーツァルト弾き”や、“ショパン弾き”というような考え方もあったと思います。
 2種類目は、従来のクラシックレパートリーに加え、自分のオリジナルな視点からの曲目を付加するピアニストです。例えば、あまり知られていない作曲家の作品や現代曲を取り入れたり、自分で作曲や編曲を行なうようなピアニストも、この部類に入ると思います。名曲ばかりを聴き飽きたような聴衆や、新しいもの好きな聴衆にも興味を持たれることでしょう。
 3種類目のタイプは、さらに自分のポリシーを持って、新しいもの珍しいもの志向でもなく、あらゆるレパートリーから現代の聴衆に伝えるべきものを選んでいる演奏家だと思います。このタイプは、少し説明が必要です。

 クラシック音楽がなぜ素晴らしいのかと言えば、長い歴史の中で残ってきたものだからでしょう。何度も聴くに値しないようなものは、歴史から消えてしまったはずです。もちろん、残っているものの中にも怪しいもの(?)はあるかもしれませんが、今後さらに時代を下ればもっと淘汰されていくことでしょう。天才の創造したものというのは、凡人が生み出すものとは根本的に違います。大作曲家と言われる人は、やはり皆天才です。その中には大天才もいれば小天才もいるとは思いますが、やはり価値のあるものを生み出した人達で、それは多くの人々に影響を与えるものです。おそらく現代の世の中にも、天才は多く生きているわけで、さまざまな分野にいらっしゃるはずでしょうし、音楽の世界にももちろんいるはずです。自分自身が素晴らしい芸術品を創る才能に恵まれていないことを自覚するなら、そのような天才たちのメッセージを伝える役目を果たしたい、というのが私の考え方でもあり、その意味で私自身は第3番目の類型に入ります。古い名曲ばかりではなく、また、単に目新しいものでもなく、後世まで残るような作品であって、まだあまり知られていない近過去、また現代の作品を紹介することは使命のようなものでもあります。(続く)



2002年11月14日(木) 忙しいのだけど…

 うわ、気がつくともう書かないで4日も経っている。書きこみは、義務にしないとだんだんダラけてきてしまいますね。ダラけているつもりはないのですが、なんだか単に忙しいのです。一体毎日何をして忙しいのか、ちょっと分析してみる必要がありますね。例えば、今日は一日何をしていたのだろう。朝、けっこう早く起きて、午前中は都内の区民ホールに大学4年生の卒試のためのリハーサルを聴きに行っていましたね〜まあ、ボランティアみたいなものです。仕事とは言えないでしょう。お昼になり、いつも2〜3冊は持ち歩いている本をおもむろにカバンから出し、読書をしながら電車で移動。待ち合わせで人を待っている時間にも本は離さない。やがて、北海道からの友人(カメラマン&詩人…芸術家だ!)と会い食事をして、音楽談義にふけったりし、しばしの時間を過ごしたあと、歩いて大学へと向う。途中で、CD店に寄ってCDをチェックしたり、そして衝動買いもし、その後大学へと向う。まあ、学生と同じような行動パターンです。ただ、今日はレッスンのためではなく、夕方からの公開レッスンを聴くためなのです。大学へ着くと、その時間まで1時間ほど空いていたので、しっかりレッスン室へ直行。カプースチンなどをさらう。ここで一汗をかくのがポイント。汗ぐらいかかないと、結局一日何をしたのか分からなくなり、あとになって空しい思いをすることがあるので。(笑)(これを、“ピアノ病”と呼ぶ。)

 そして夕方になり、外国からの教授による公開レッスンが始まる。聴講は自由。普段はあまり聴く暇もないのだけれども、これからはたまに聴くことにしようと決めたので、今日は真面目に座っていました。今日は、シュトゥットガルトからいらしたコンラート・リヒター先生です。氏は、室内楽奏者として名高い方だということですが、講座では、ソロ曲のシューマンの謝肉祭「4つの音符による面白い情景」(最近はこう表記するのですね)をレッスンしてくださいました。熱が入って、授業を大幅に(45分ほど)延長してしまいましたが、学生達は熱心に最後まで聴いていました。真面目なドイツ人だと思われますが、突然ワルツを踊り出した時だけは、聴衆の学生達はビックリしたようでした。(私はビックリしませんでした。ときどきそういうドイツ人、いらっしゃるのです。)

 とにかく、大幅に予定時刻を過ぎて家に帰ってきたら、妻が「遅かったわね〜(^.^)」とか言いながら、夕飯の支度をして待っていました。そうして、ご飯を食べて一日が終わりました。これで、今日の日記はおしまい。あれ?、一日振り返ってみると、やっぱりあまりたいした仕事してないなあ…。(やっぱり昼間に1時間でも汗かいておいて良かった…と思ってしまうところに、職業病の感があります。)

※通常の日は、ちゃんと働いております。



2002年11月10日(日) ショパンの晩年と作品について

 先日書いたジム・サムソン氏の講座では、ショパンの作品に関して今まで知らなかった新しい事実についても知るところがいろいろあったのに、すっかり書き忘れていることもありました。

 ショパンが最後に書いたという「マズルカ ヘ短調」作品68‐4は、未完に終わっている作品であることは有名です。200年近くにわたって学者によって語り継がれている、「これがショパン最後の作品」というのは、実は間違いらしいのですね。この未完のマズルカは、ショパンが亡くなる5年ほど前にスケッチされたものらしいのです。書き始めてから、ショパンはあまりよくないと思って、作曲を途中でやめた作品だというのです。もちろん、ほかにも遺作の作品に関しては、ショパン自身が出版してほしくないと思っていたものがたくさんありました。それにもかかわらず、現在では公に出てしまっているわけでもあります。最近になって、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(ピアニスト・ポーランド初代首相)が所持していたらしいショパン関係の資料が、音楽関係の博物館や図書館ではなく、政府関係の図書館から偶然出てきたことで新しい事実がわかったということもあったそうです。

 ところで、2〜3ヶ月前に、ある小説が書かれて出版されましたね。ショパンとドラクロワを中心に、その当時のパリとショパンの晩年を描いた「葬送」(平野啓一郎著)というタイトルのものですが、第一部と第二部に分かれていて、それぞれ551ページ、709ページという分厚い大作です。こんなの一体誰が読むのだろう?と思いながらも、やはり手にしてしまいました。(笑) これが20代の作家の作品というのは驚きです。ショパンやジョルジュ・サンド、そしてその時代にショパンがかかわった人物に関する現在まで残っている史実や資料に基づいて、残りの部分は想像をめぐらせて書いた小説だと思われますが、この作家には芸術や哲学に関してすごい洞察力があると感じました。しかし、それにしてもものすごい文字の量です。

 この本は、ショパンの晩年3〜4年くらい前の時代から話は始まり、ショパンが没する2年前の1847年の冬までで第一部が完結。(150年以上も前の1〜2年の出来事に500ページを費やすこのエネルギー!。)第二部は、ショパンがパリで最後の演奏会となった1848年2月16日の出来事から始まります。(そのあとは、今まだ読んでいる最中なのでわかりません。(^_^;))ショパンの晩年を詳しく知りたい人、また、ジョルジュ・サンドやその家族のことなどについてもっと知り、いろいろと思いをめぐらせたい人にはもってこいです。
 しかし、この合計1300ページほどもあるこの小説、いくらショパンが好きといっても全部読み切れる人は少ないかも。練習時間を割いてまで、これを全部読み切った人がいたらぜひ連絡ください。(笑)
(でも本当にどんな人が読むのだろう…? やっぱり小説家か?)




2002年11月7日(木) 楽譜を読むこと(2)

 「楽譜」というものはとても不完全なものです。作曲家にとってみれば、決められた規則と制約のなかで曲を作っていて、きっと作曲しながらも、楽譜に書けないことがありすぎて、困っていらっしゃるはずです。だから、演奏家は“作曲家が楽譜に書けなかったことを探る”使命があると思うのです。

 かなり前のことですが、面白いエピソードがあります。辻井くんが小さい頃にピアノに向って作曲した曲がとてもきれいだったので、楽譜に書いてあげようと思いました。全体的に古典的なハーモニーを使っているし、すぐに楽譜に書けると思ったのです。ところが、その曲を弾いてもらい始めて数小節後に、一応楽譜を書くことにおいては専門の教育を受けてきた私が、鉛筆を握ったまま考え込んで止まってしまいました。それは、序奏のところで辻井くんが低音のドとレとミを三音同時にアトランダムに音を鳴らす部分があり、三音トリルとでも言うべき弾き方をするのです。「そんなのは、楽譜に書けないからどうにかならないかな?」と言うと、彼は小声で「え、そうなんだ・・・」とショックを受けた様子。私はすぐに、いや楽譜に書ける書けないにかかわらず、音楽は自由に浮かんできて良いのではないか、と思い直しました。
 作曲家は、頭の中で鳴らしたい音楽を、楽譜の制約にしたがって、例えば拍子を決めたりリズムの書き方を決定したり、記譜上の制約に縛られて翻訳するのに、このようないろいろな苦労がきっとあるのです。書きたいのに書けないことが山ほどあるはずです。西洋音楽は、“楽譜”とともに発展してきたのも事実ですが、それでもすべてが書いてあると思うのは無理があります。それは、バッハの時代(以前)にもそうだったし、それ以後もずっとそうなのです。私たちは、できるだけ作曲者が作曲した際の情報を集め(それが勉強や研究でもありますが)、作曲者の意図を読み、その上で演奏者が自分で考えて判断し、演奏に反映させなければならないと思います。決して、“楽譜がすべてである”、という極端な考えは持つべきではないでしょう…。(もちろん、音の読み間違えをして良いということではありません、念のため。)




2002年11月5日(火) 楽譜を読むこと(1)

 先日から、ちょっと専門的な話を続けています。“楽譜を正しく読む”とはどういうことなのだろうか、というピアノ学習者にとっては大事な問題についてです。これについては、専門家の間ではけっこう頻繁に語られるほど難しいことです。素人から見れば、楽譜なんて音符が読めればそれで終わりかと思われるかもしれませんが、ショパンの楽譜の話でちょっと触れたように、楽譜を正しく読むためには、知らなくてはいけないことがけっこうたくさんあったりするわけです。ピアノは、ただ音符が読めるようになっただけではダメなのですね。

 昨日のニュースステーションに辻井伸行くんが出ましたので、見てくださった方も多いかと思いますので、ちょっと話題にしたいと思います。(昨日は生中継にもかかわらず、彼は良い演奏をして偉かったです(^_^)。)
 
※生中継の時の演奏曲目の表示が間違っていました。正しくは、プーランク作曲「即興曲第15番 ハ短調」です。(メール等での問い合わせが多かったため書きました。)

 よくされる質問ですが、「辻井くんはどうやって楽譜を読んでいるの?」と訊かれます。楽譜を読む、ということは、ピアノを弾くために避けられないことだと皆さん思っていらっしゃると思います。だから、不思議に思われてこの質問をされるのだと思いますが、もちろん、この場合は楽譜を読んでいるのは実は教えている私であって、辻井くんが読んでいるわけではありません。彼が、あれだけ難しい曲を正しく理解して演奏できるのは、実際の音を聴き、また言葉による説明によって楽譜の内容を正しく伝え、それを正しく認識する能力と音感が辻井くんにもあるからです。
 先日面白かったのは、別のあるテレビ番組で“辻井くんはこのようにして頭の中で楽譜を作り上げているのですね”という表現がありました。この表現が間違っているということに気がついた人がどれだけいたかは分かりません。頭の中では、きっと音楽が鳴っているだけのはずです。決して音符が頭の中を泳いでいるわけではないと思います。この、最初に楽譜を読み、毎回曲を覚えるということのために、私にも辻井くんにも、とても大変で気の遠くなるような作業があります。彼のずば抜けた聴音能力を持ってしても、楽譜の概念はある程度知ってほしいし、作曲家が楽譜に託したことは言葉で伝えています。私は、彼の理解力と、驚異的な音感にかなり助けてもらっていると思っています。

 結局、楽譜を読むということは、音符を正しく読むだけではなく、作曲者の意図を正しく理解しようとすること、音楽を正しく理解して再現するための努力が大事であり、それがなければ楽譜を見てもしようがないということだと思います。その意味においては、辻井くんは、驚くべき謙虚さで音楽に対して接し、音楽が求めるものに対して忠実で素直なのです。(続く…)



2002年11月3日(日) ショパンの自筆譜をめぐって

 楽譜の話に関して前回までの日記でも少し話題にしましたが、ちょっと今日は角度を変えて学者の立場からの意見です。
 先日、「ショパンの自筆譜をめぐって」というタイトルのジム・サムソン氏の講演を聞きに行きました。氏は、現在ロンドン大学の音楽学教授で、ショパンの作品に詳しく、ポーランド文化省からも勲位(Order of Merit)を受けているということです。ショパンの最新の研究による楽譜を出す準備を長い間進めているということで、それに関する詳しいお話を聞きました。たぶん、近いうちにその楽譜は(たぶんPETERS版から?)出版されることと思います。
 当日はたくさんのショパンの自筆譜を提示してくださり、自筆譜を見ることで知ることができる内容、また最近の研究で明らかになったことも含めて、多くの興味深い点がありました。我々が今までに勉強して知っていたことも多くありましたが、いくつかここでご紹介しましょう。

・ チェロ・ソナタとともにヴァイオリン・ソナタのスケッチが1ページ存在することで、ショパンは後年、チェロソナタだけではなく他の室内楽の作曲も考えていた!?

・ 幻想ポロネーズは、もともとショパンはポロネーズとして構想せずに作曲した。どちらかというと、作品49の「幻想曲」との結びつきが強い。第22小節に初めて出てくるポロネーズのリズムの箇所は、最初はただの8分音符で書いていた。そのほかにも中間部は半音高く書いてある草稿があり、いくつかのエピソード(ノクターン部分など)をさらに付け加えて、現在のような一見複雑な形式に仕上がっている。(元は、全体でABAの単純な三部形式で考えられていた。)

・ 「子守歌」は、最初「変奏曲」として作曲するつもりだったので、最初の2小節はなかった。後に、このララバイ(子守歌)の形式にすべく現在のような伴奏の2小節を加えた。

・ 即興曲第2番の第82小節以降の32分音符のパッセージは、最初16分音符で書いていたものを、あとになって現在の32分音符にし、それによって真中の小節線もすべて消した。

など、他にもたくさん論点はありました。特に、バラードの1番と2番における楽譜上の問題点に関しての言及が一番多かったように思いますが、ここでは全部を書くことはできないのが残念です。上のような例をたくさん挙げて、ショパンの作曲の仕方から出版社に譜面が送られるまで、また、出版されたあとにもイギリス版、フランス版、ドイツ版(ショパンの作品はこの3箇所で出版されているため混乱が多い)の初版以降、どのような問題がどんなふうに起きていったか、などについても、氏によれば7つのカテゴリーに分けて、それぞれについて詳しく説明されていました。だから、音符やフレーズなどが版によって違いがあるのは、実はそれぞれに違う理由があり、その理由を正確に知った上で、演奏者が自分で判断して演奏に反映できるような、そのような詳しい注釈のついた楽譜を、現在の最新の研究成果も盛り込んで世に出したい、ということでした。

 ショパンの音楽は、死んだショパンに訊くことができない以上、現在までに出版されている楽譜とショパンの自筆譜のデータから推測する以外にないわけです。たった一つの音符がシのフラットなのか、シのナチュラルなのかといった問題に関して、学者さんたちは心血を注いで問題を明らかにしていっているわけで、演奏する側も作曲家の意図を正しく読み取る努力が当然必要なわけです。専門家というのは、間違ったことを後世に伝えることは許されないので、地道な研究が必要なのです。その意味では演奏家も同じように勉強が大切だと思います。





2002年11月1日(金) 暗譜で弾くべきか?(4)

 前回までの暗譜の話の最後で、“楽譜とは何か”という、また別の議論に話が飛んでしまいそうでしたが、楽譜の話も大切なことですから、いつか突き詰めて考えてみたいと思っています。しかし、これはまた別の機会に譲ることにしましょう。話を暗譜に戻して、やはり少し結論めいたことも言わなければいけないでしょうか。

 いろんな意見はあっても、私はまあソロやコンチェルトの演奏会であれば、ピアニストは基本的に暗譜で弾くべきであろうという意見です。ただ、そんなにピアニストは暗譜ということを堅苦しく考えずに、それは自由に考えれば良いと思うのです。私自身は、今後もソロの本番では暗譜というスタンスを崩すことはないと思いますが、楽譜を見てよいと言うピアニストもいるかもしれませんし、そういう演奏スタイルを好む人もいるかもしれません。状況に応じて使い分ければ良いと思います。例えば録音の際などは、楽譜を見ても暗譜でもまったくかまわないわけですし。まあ私の場合、現場でピアニストの卵を教えている立場としては、人前での本番で楽譜を見て良いということになれば、大学の試験やコンクールで審査をする資格さえなくなってしまいますし、模範を示さなければならない立場上、現在のところやはりステージで楽譜を置くわけにはいかないとは思っています。暗譜できるならばやはりするべきでしょう。その方が、やはり見ていて美しい。以前、マルク・アンドレ・アムランがブゾーニのコンチェルトの日本初演のときに、あの演奏時間70分も要する難曲を、楽譜を置かずに暗譜で颯爽と弾ききったのは、もうそれだけで感動するものがありました。“すごい!”という気持ちが、演奏の素晴らしさとともに増幅したのは確かです。人間の潜在能力というもののすごさを改めて実感したものでした。

(次は辻井伸行くんの暗譜のメカニズムについて、もっと詳しくお話ししてみたいと思います。それから、そもそも“楽譜”って一体なんなのか、というこの根源的な問題についても。)




過去の日記 … 2002年 8月9月10月


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