音楽雑感〜日記風
毎日のできごと、日頃考えていることなどを書くページ



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2002年9月28日(金) ヘイミッシュ・ミルン

 世界を代表するメトネル弾き、ミルンを聴きに行くことができたのは大きかったです。CDでは聴いていたけど、ピアニストは実際に聴いてみなければわからないから、実演を聴きに行けたのは本当に良かった。あれだけの人が、今まで日本でのリサイタルがなかったのだから、この世界、本当に不思議です。ミルンが日本に来てくれたことで、メトネルという作曲家がまた聴衆にとって近い存在になったと思うし、それ以上にあのクオリティーのメトネルの演奏を、今、日本のホールで堂々と鳴らしてくれたということは、まさに一つの事件と言っても良いでしょう。メトネルを愛する日本の聴衆にとっては、一つの歴史的瞬間であったと思います。誰が言ったというわけではないと思うけど、メトネルをプログラムに入れて日本に持ってきたというのは、一体どういうことなのだろう。そのあたりを今度本人に聞いてみたいと思っています。あまりにもプログラムの中でもずば抜けて良い演奏だったから、ただ単にメトネルを愛している、ということなのかもしれませんね。とにかく、嬉しい一日でした。



2002年9月24日(火) 演奏中のハプニング!?

 そういえば、先日の本番中に面白いことをしてしまいました。アンコールに弾いたプーランクのトッカータですが、一番大事な最後の音が出なかったのですね。(ーー;)
最後を締めくくる大切な音なのですが、その音はフォルテで鳴らすピアノの最低音A(ラ)なのです。ラストの大事な音をはずすようなことなど普通は考えられないので、「おかしいな…」とは思いましたが、私も根が謙虚な性格ですから(笑)、自分がミスタッチをしてしまったのだと思っていました。ところが・・・、後でわかったのですが、やはり間違えずにA音を正確に叩いていたのですね。家に帰ってから、本番を録音したMDを聴いていたら、かすかではあるけどA音が鳴っていたのです。(もしピアノの端の黒いところを叩いていたら音が出る訳ない(笑)。)そしてよく聴いてみると、「あ、こういう鳴り方をしているのは!」とやっとそこでわかったわけなのです。

 ピアノという楽器は繊細なもので、楽器によっても違うし、気候や湿度、調整の具合によっても微妙に変化する楽器なのです。あの日弾いた楽器は特にタッチが重くて鍵盤の戻りが遅く、連打などの奏法においてはかなり不利な楽器ではありました。ラヴェルの「道化師の朝の歌」なども、もうこれまでに何度もさまざまなピアノで演奏していますから、ピアノのアクションに指は敏感なのです。(こういう話は演奏家同士でしか理解し得ない裏話ではあるのですが。)でももちろん、これはメーカーさんの責任だと言っているのではなく、そのときそのときの楽器とその状態によって違うので何とも言えないのですが、「鍵盤の戻りが遅い」場合、演奏においてかなり不利になるし(お客さんはピアノのメカニックのことまでわからないので)、実際に演奏不可能と言えるような曲もあります。ヨーロッパのピアノは昔からタッチが非常に軽いものが多かったので、撫でるようにして奏する奏法があるし(日本に帰ってきて、まず最初に絶望したのがこの奏法が通用しなかったこと)、シューベルトのソナタなどにある信じられないような和音の連打や、ラヴェルなどに出てくる軽やかな連打やグリッサンドは、現代ピアノで行なうよりもはるかに易しかったと思えます。グリッサンドをすると手が痛くなる、とよく言う人がいますが、作曲家が当時想定していたピアノと、現代ピアノではタッチが全然違うからなのです。

 そんなわけで、本番最後に気迫のこもった力任せの速いスピードと強打による私の打鍵に、なんとあの重たい最低音の鍵盤(とハンマー)は即座に反応することができないまま、演奏会は終わってしまったというわけなのです。(そんなことあるの??と思う人もいるかもしれませんが、まあ実際にはごく稀にはありそうなことではあるのです。本番で経験したのは初めてですが・・・)




2002年9月23日(月・祝) 演奏会「超絶の世界」〜フランス編をとにかくクリア…!?

 昨日のリサイタルに聴きに来てくださった方々、本当にありがとうございました。演奏についてもいろいろ厳しく言ってくださる友人もあり、とても嬉しいです。(面と向かって言ってくれる人は本当はあまりいないのですけど。自分で自分に言い聞かしているところがあります。)本番が終わった後というのは、さっぱり頭の中がまとまらなく、一日中ぐるぐる回っている、というのが実際の姿なのですが、冷静になるとやらなければならないことが次第にはっきりしてきます。次の本番に生かしたいことは山のようにあるし、次こそは自分の思ったとおりにできるような気がするのですが、いかんせん人間の成長というものは一足飛びにはいかないところが悲しいです。悲しいけど確実に少しずつ成長を遂げていくしかないのですよね。

 カワイ楽器さんには今回の演奏会では本当にお世話になっています。ところで、「超絶の世界」というサブタイトルは、カワイさんにも気に入られてしまったので使ってしまいましたが、こんなタイトルでやれるのも今のうち(若いうち?)なのかな、とも思ったりしています。このタイトルで次のロシア編がまだ残っているわけで、何だか大変なことになりそうだと今から恐くなってきたのですけど。いつかもう難曲なんて弾く必要もなく、易しくて好きな曲だけを悠々と好きな時だけ弾いて、それで食べていける日が来るのだろうな(^.^)と信じています。(たぶん妄想だと思う。)
 聴いている人からみると、本人が好きであのような曲をプログラミングしているのだろうと思っていることでしょうね。うーん・・・、そう言われてみるとそうなのだろうか。



2002年9月18日(水) ドビュッシーの「12のエチュード」

 いよいよ4日後の9月22日(日)には、青山カワイショップでのフランスの作曲家作品をプログラムにしたピアノ・トークコンサートがあり、目下準備中です。

 そんなわけで、ドビュッシーのエチュードというものも練習しているのですが、考えてみると、この12のエチュードはどれもそんなに聴く機会はあまりないものかもしれません。私自身も人が弾くのを演奏会で聴いたことはないかもしれない。確か海外の音大の演奏会か試験で聴いたのが初めてだったと思います。一曲一曲がドビュッシーの個性を凝縮したような、一つ一つが種類の違った宝物のような珠玉のピースですが、この傑作がいまだポピュラーになり得ないのは、もちろん技術的に難しいということもあるでしょうが、あまりにも独創的というか演奏法が・・・やっぱり難しいのでしょうかね。今日、私のwife(ゆかりといいます(^^))に演奏を聴いてもらったのですが(彼女は昔からドビュッシーが大好きで、12のエチュードにも造詣が深いはずなのです…(^.^))、「8本の指のための」エチュードを弾き終わると、「こんなに面白いもの聴いたことない(^○^)」と転げまわってウケているのでした。(・・;)
 確かにこれはかなり風変わりな曲ですよね。不思議な雰囲気を持った曲ですが、なんだかサーカスのようでもあって、ホロヴィッツなどがやっぱり弾いたりしている曲なわけですが、途中グリッサンドが出てくるあたりで興奮を押さえきれずに“笑ってしまう”という、ワケのわからないリアクションをされてしまいました。弾いているすぐそばで見ていると、とても面白いらしいのです。そんな彼女はまた、ドビュッシーの「オクターヴのための」エチュードが大好きでたまらない、というかなり風変わりな性格なんですが、でも、曲を聴いて「笑いがこみ上げてくる」境地に達するまでには皆さん、長い長い修行が必要だと思いますよ。あの、そういうわけで、決して会場の一番前の席には集まらないようにお願いいたします。




2002年9月17日(火) 発表会

 昨日終了したピアノ発表会の報告をゆかり先生に書いてもらいました!
こちらです




2002年9月16日(月・祝) 練習と体調

 体調の良い時と悪い時って、自分の意思とは関係なくやってくるから困ります。一日の間にも、比較的体調の良いときは練習にも集中できますが、体調の悪いときはかならずあって、そんなときはピアノなんか弾けません。大げさに言うと、天国と地獄ぐらい違うんです。もう「寝る」以外にないほど疲れてしまうときもありますが、どうして体調ってこんなにリズムがあるのでしょうね。体調の悪いときは、「もうピアノなんかやめてしまいたい」なんて本気で思ったりするのです。あ、あんまり心配はしないでください。でも、本番とかがあって一発勝負の仕事(決められた日時の決められた時間に大きな仕事をしなければならない)をする人は皆、そういう悩みがあるのでしょうね。人前で喋るのだって大変ですが、指を操るのはさらに大変なことです。だって、ぜんぜん動かないのですから・・・。(笑)

 今日はピアノの発表会がありました。皆さん、本当に偉いと思いました。今日だって演奏は一発勝負で、けっこう皆さんそれなりに緊張していたかと思いますが、なかなか素晴らしいと思いました。人の演奏を聴いていると、「みんな本当に偉いなあ」、としみじみ感じてしまいます。この気持ちを大事にしたい。人のことばかり言っていずに自分も頑張らなければならないのですが…。今日の発表会の報告は、明日にでもゆかり先生に書いてもらおうと思っています。



2002年9月11日(水) 1日8時間練習

 ピアノを一日8時間練習していると言ったら、普通の人から見たら変人扱いされるのは間違いないでしょうね。けれども、ときどきこれを本当に実行している者にとっては、決して冗談なんかではありません。一応の経験者の立場から、一日8時間もピアノの練習をすると、どういう現象が起きるのかを語ってみたいと思います。

 まず大前提として、「家族の理解」というものがあるでしょう。8時間といえば、ほぼ一日中ピアノに座っているわけですから、それを“異常な人”だと思われないで、“偉い人”だと思われなければならない家庭環境というものが必要です。2番目には、「時間」が必要です。遊びに行きたいとか、ほかのことをしたいとかいろいろ思っても、そういうものを排除して物理的な時間をピアノならピアノにすべてを捧げなければならない、という本人の意識が必要です。私などは、移り気なのでこの意識を集中するのに多大なエネルギーを使います。でも、これもやはり一歩間違うと変人になってしまうので気をつけなければなりません。決して“ピアノバカ”になってはいけないですから。3番目には、これは私自身の話ですが、8時間も弾くとやはり腕や手が疲れるのです。(もう少し若いときはそんなことなかったのに・・・。)だから疲れないように練習するのに工夫が必要なのです。どうしたら疲れないかというと、良い方法があるのです。それは、“ムキにならない”で練習することなのです。練習しているとだんだんムキになってくる(無理をする)ことがありますが、そうなると腱鞘炎になります。難しくて弾けない箇所であればあるほど、冷静さを装って弾くのがコツです。(装っているだけじゃダメですが・・・。)まあそうやって休み休みやっていれば、手だって8時間以上は持ちます。

 でもこのような生活は、良い子の皆さんにはお勧めしません。(^.^)あまりに大変な職業だし、得られるものも少ないですよ・・・こんなに努力しているように見えても、出ていくものの方が多かったりしてね。音楽家って、皆たいへんなのですから。メシより好きでなければやっていけません。そのメシもお金がなければ食べられないのですけどね。そんなこと、かまやしないのです。ほんと、子供はたくさん遊んでくださいね。ピアノもやるけど英語も勉強し、そのほかの勉強もがんばり、たくさん友達とも遊んでください。子供が一日6時間も7時間も楽器を練習していたら、ちょっと恐ろしいです。すでにプロになってコンサート活動に追われている人ならともかく・・・。でも、ひょっとしたら今の世の中には、そんな若者もたくさんいらっしゃるような気もします。「一日8時間なんて当たり前でしょ」、というようなヴァイオリニストやピアニストの方、たいへん失礼いたしました。



2002年9月7日(土) フランシス・プーランク

 日記の更新が滞っていました。というのは、夏休みが終わって大学が始まる直前に練習に明け暮れる日が続いたからなのですが、こういうときは自分の時間というものの貴重さが身にしみてわかります。ピアニストに必要といわれる、1日6時間から8時間という時間(とても大きな時間です)は、ほかの職業の人にとってみると、一体どういう時間にあたるのだろうか。これは実益のある仕事時間でもなく、労働時間でもなく趣味の時間でもなく・・・ほかのこともたくさんしたいのに・・・。でも、やっぱり仕事時間なのだろうな。

 ピアノの練習をするといっても、もちろん弾くことがメインの仕事ですが、同時に勉強中の作曲家に関する本を読んだりCDを聴いたりすることも欠かせません。自分の場合はストックが少ないと認識しているので、学生や弟子達の勉強中のものも同時進行で自分も勉強するので、読むこと、さらうこと、聴くことの繰り返しです。離れてしまうとすぐに感覚が鈍ってしまうのですから。先日なんて、(偉いなあ)と思いつつ大学からCDをまとめて28枚くらい借りたときに(欲張りだった…)、その場でケースを持ちきれなくてバランスを崩して「おっとー」とか言って、持っていたCDを全部床に落としてしまい、大ひんしゅくを買いました。(・・;)
一枚は割ってしまいました…。ケースですよ、ケース。CDは割れませんでしたから。

 最近の収穫と言えば、プーランクの音楽が好きになってきたことでしょうか。私は誤解していたのですが、プーランクの音の使い方は気まぐれだと思っていたので、今まであまり真面目に理解しようとしていなかったのです。プーランクは、8歳のときにドビュッシーの音楽を初めて聴いたらしいのですが、そのときのドビュッシーの弦楽曲を聴いて感動したのです。しかも、音の調子の外れているところが好きだという理由で。彼はやはり普通の人とは違う感性を持っているようで、9度音程とかが好きなのですね。(たぶん7度音程も好きでしょう。)そのあたりが、とても真面目ではない雰囲気が漂うので、私も誤解をしていたのですが、彼の作品はよく見るとものすごく独自性が確立されていて、ゆるぎない個性があって、私はその個性が好きになってきたのです。決してふざけているのではなく(当たり前ですが)、作品はきわめてよく考えられて作られているし、どれにも新しい発想やアイデアが詰まっていて、また彼は偉大なメロディーメーカーでもあるということがわかりました。プーランクは、とても一口で語れるような才能ではなく、信じられないほどの多様性をも示していて、重要な作曲家であったということが再認識されました。以前からそのように疑ってはいたのですが、最近確信に至ったわけです。ここから先は、実際の音楽を聴いていただかなければならないかも…。話の続きはまた近いうちに。




2002年9月1日(日) カプースチンとジャズ

 クラシック音楽というものがどちらの方向へ進んでいくかということは、日頃とても興味を持ちつづけていることの一つです。時代が進んでいくとともに、古いクラシックはこのままでは本当に古くなってしまいそうです。数え切れないと思われた交響曲やピアノ曲やその他の音楽作品が、現代では誰でもCDを手に入れたりすることによって、すべて聴くことができます。それだけでも、クラシックにもジャズにも両方に深くかかわろうと思えば、それができる時代になってきたように思います。

 数年前から自作自演のCDなどで日本に紹介されてきたロシアの現代作曲家カプースチンは、信じられない才能を持った奇跡の作曲家だと私は認識しています。彼の美学は、クラシックの形式にジャズを持ちこんだという点で独特です。即興の要素もすべて楽譜に書かれていますが、まったく無駄な音がない作曲法と、一線を超えた超絶技巧はクラシックピアニストの興味を強く引きます。とにかく、聴いたことのない人にはまず聴いてもらうしかありません。聴けば必ず好きになります。例えば、東京音大出身の森 浩司&山崎 裕は、いち早くカプースチン作品に取り組み、すでにレヴェルの高い演奏を実現し、聴衆を唖然とさせました。カプースチン作品の演奏会もさらに10月から11月にかけていくつかあるようです。
詳しくはHP「ピアニストの苦悩」へ → http://www.interq.or.jp/producer/yamazaki/


 ジャズは、100年も前からクラシックの世界の作曲家にも多く影響を与えてきましたが、未だに分離しているのが実情でしょう。今日N響アワーで、見てはいけないと思いつつ、山下洋輔のラプソディー・イン・ブルーを見てしまいました。でもすごいものはやっぱりすごいですね。圧倒されました。良いか悪いかと訊かれたら、・・・やっぱり素晴らしいとしか言いようがありませんね。作曲できたり即興できたりという能力は、音楽家には必要なことですよね。それから、ハーモニーとコード進行、リズム体系などに関しては、やはりジャズが最先端を行っているということだけは間違いがないような気がします。もっと、ジャズにしかない知的な部分と、クラシックの素晴らしさが、お互いに融合されていくような方向で音楽が発展していくといいな・・・、と願っています。





過去の日記 … 2002年8月


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