音楽雑感〜日記風
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2003年2月26日(水) 音楽の道に進むこと

 この時期は、大学へ入学する人もいれば、卒業生もたくさん出ます。音大を出たあとの進路というのがまた問題になってくるのですね。“大学入学”は、もちろん一つの目的ではあるでしょうが(だって大変なのですから!)、でも卒業をしてから何をしていきたいのかということを、漠然とでもいいからやはり最初から考えていた方が良いでしょう。もちろん、大学で勉強している間に自分のやりたいことや興味がはっきり見えてくるということもありますけれども。でも、特に音楽の世界は、卒業したあとの決まった就職先が保証されている訳ではないのですから、進路に関してはある程度自分の考えを持っていた方が良いと思うのです。

 大学入学が決まったばかりで嬉しい人たちには申し訳ないですが、卒業生たちもいますので、そういう人たちのためにもちょっとだけ書いてみましょう。
 基本的には、大学を出たらその時点で社会人となってしまうわけですが、この世界は大学を出たからといって、それで勉強が終わりになってしまうわけではありません。音楽の勉強は無限にあるわけで、どんなに実力があっても大学を卒業したくらいでは、すぐに使える人(?)などいないのが現状です。ピアノを教えると言ったって何を教えるのか…楽譜の読み方ぐらいでしょうか。あ、ゴメンなさい。もう少しちゃんとしたことを教えられる人ももちろんいるでしょう。スクリャービンやメトネルみたいに、20代でモスクワ音楽院の教授となって教鞭をとる人もいるのですから。(しかし、彼らは作曲が忙しくてすぐに辞めてしまいますが…何、もったいないって? でもその教授職を捨てなかったら、あれだけの傑作が生み出されなかったかもしれないのですよ!)
《注1》
  まあ、そういう天才たちは別としても、普通は何かをして稼ぐ場所を見つけなければならない、と考えるわけです。ただこれも、仕事を充実させていければそれで良いと考える人と、仕事をしながらも専門の勉強を続けていきたいという人とでは、ちょっと考え方が異なります。勉強を続けていく人は、音楽の道で社会に何か役に立っていかなければならないわけで、そこまでやらなければ、結局自分のためだけにやってきたということになってしまいます。

 勉強を続けていくには、大学院やその他の教育機関に進んだり、外国へ留学したりという道がありますが、どこにも所属せずに、人から“学生”という社会的認識をされずに、勉強をひたすら続けていくというのは、ものすごい意志の強い人でなければ無理でしょう。だって、人からは何をやっているか分からないと見られてしまうのですから、それを跳ね返すほど自分の中で目的がはっきりしていなければなりません。もちろん、勉強したい気持ちが強くあればどのような状況でもできますが、ほかにも経済的なこととか、いろいろ問題があったりします。お金を稼いでから勉強するという考え方もありますが、そういう人はぜひとも稼ぎながらも勉強を平行してすべきでしょう。仕事などは、今の世の中ずっと同じ仕事を続ける方が珍しくなってきているのですから、アルバイトでも何でもやりながら勉強していけば良いのです。もちろん、アルバイトの方がメインになってしまってはいけませんが。人生の時間は限られているのですから、数年後の目標を常に明確に持っていることが大事です。若いうちは、その明確なヴィジョンを作るのさえ確かに難しいのですけど。

 また留学というのも一つの決断ですが、これも遊びに行くわけではないのですから、留学生活がちゃんと成功して帰ってきた場合と、帰ってこないで向こうの人となってしまった場合の両方を考えて、どちらにしても、成功した場合どうなるか、しなかった場合(?)でも、「いや自分はこれを成功と言うのだ(笑)」というイメージは持っていなければならないと思います。これも、空想と夢の世界だけではダメで(夢を持つことは素晴らしいですが!)、一生懸命がんばった上で、自分の実力を客観視して、現実的な自分の人生を作っていかなければならないと思います。ただ、留学をすると、普通はなかなかできない外国生活の経験もできるし、いろんな国の人間とつきあって視野も広くなりますから、それだけでも大きな財産であることは事実です。日本だけにずっと住んでいると分からないことってたくさんあります。
 でも、外国へ行くと、なんか開放的な気分になっちゃうんですよね。細かいことなんかどうでも良くなってくるような…(笑)。人間関係もアバウトになってきます。特に、留学生などは特殊な環境に入り込むことになりますから。数年くらいの滞在では、現地の人との関わりや人間関係を築くのにはちょっと時間的に足りない感じがするし、逆にその土地の日本人社会というものがあって、お互いに助け合ったりもするんですが、そういう特殊な狭い空間というのもあって、けっこう関わり方が難しいのですね。

 音楽の勉強を続けていくという話でした。とにかくどこで勉強しても良いですが、その先の出口がたとえ今はまだ見えなくとも、自分の明確な目的意識を持ってやっていることが大切だと思います。環境に流されるのではなく、“環境を自分で作る”ことが、何かをやりたい人には必要なことだと思えるのです。

※《注1》:正確には、メトネルは35歳の時からさらに5年間だけ再びモスクワ音楽院で教えている。




2003年2月21日(金) 入試が終わって

 うちの東京音大も入試がほぼ終わったところです。今年もたくさんの人が受験しました。ピアノを弾く人のレヴェルは、毎年毎年さらにまだアップしてきているようです。きっと他の音大も全国的にそうなのだと思います。

 すでにちょっと昔のことになってしまいましたが、自分自身の入試の時のことが懐かしくなりました。課題曲も今とはだいぶ違いました。私は、母校東京音大の“ピアノ演奏家コース”を受けました。別に、演奏家を絶対目指すという人でなければ受けてはいけない訳ではないのですが、ピアノ科とは別にそういう名前のコースがあるのです。課題も少し高度なものが出ています。私が受験生の頃は、ショパンのエチュードを5曲用意しなければなりませんでしたが、当日試験の部屋に入ってから、弾く直前にくじを引いて2曲演奏させられたりしました。初見の試験もありましたし(私は初見演奏が大好きだったので、ほとんど楽譜を見ずに(それは嘘でしょう?)ノーミスで弾いたのに、誰も褒めてくれませんでした^^;)、まあ今よりもちょっと楽しい時代だったかもしれません。その後課題曲は微妙に変わり、エチュードはショパン以外にも、ラフマニノフ、ドビュッシー、リスト、スクリャービンからも1曲選ばなければならなくなり、少しは進化したのでしょうか。演奏家コースを受ける人だったら、もうそのほかにもゴドフスキのショパンのエチュードに基づくエチュード集からとか、リャプノフの超絶技巧練習曲から、果てはカプースチンのエチュードから選んでも良い、という風になると面白いのですけどね。(この意見、誰にもまだ受け入れられません…^^;)

 ショパンのエチュードが名曲であることに疑いはないのですが、これが試験曲やコンクールの課題曲となって繰り返し繰り返し聴くようになると、また全然本来のものと違って聞こえてくるようになるのでちょっと恐ろしいのです。まあ、他の曲でも何度も聴けば同じかもしれませんが。ヨーロッパの音大の良さは、受験生の絶対数が少ないということでしょうか。(笑) 一人の教授が持つ生徒の人数も最高10人とか、贅沢な環境なのです。最近は日本や韓国から受ける人が多くなり、倍率自体は上がっているようですが。それから、向こうでは卒業試験もリサイタル形式なのです。学内と学外のリサイタルがあり、それぞれに大きなプログラムを用意しなければならず、卒業時には完全に一人の演奏家として認められなければ卒業できないわけです。嫌でも自立する環境です。でも考えてみたら、そんな贅沢なことができるのもやっぱり人が少ないからで、とにかく日本では何でも人口が多いので、システム上いろんな不自然さを解決しなければならず、ちょっと頭を使わなければならないのです。例えば、規模の小さな音大が全国各地にできるとか、もっと一人一人の重要度が増すような環境が日本には必要だと思うのですね。とにかく、すべてが例えば東京に集まってしまうような、まだまだ一極集中型という現状がネックだと感じます。田舎の子供の方が、すくすく育つのではないでしょうか、そんな気がします。

 私はよく知りませんが、“子供の個性を尊重することが大事”だとか言われていますが、音楽の世界でも、例えばコンクールなどで、数百人が次から次へと出てきて同じ曲を3分ずつ弾くのを聴いていても、“個性を尊重する”、とかいう思考にはなかなかなり得ないのですね。外国人から見ると、笑ってしまうような光景かもしれないです。ピティナのコンクールで、ある外国からの先生と審査が一緒になった時に、彼は私に「なぜあんなにも皆が同じ曲を弾くのか?」と質問をしていましたが、私は、「いや、あれでも皆がまったく同じにならないように、4つのカテゴリーにそれぞれ3曲ずつの課題が出ていて、そこから選択して弾いているわけです」などと答えてみても、そんな小さな選択肢まで決めてしまうという発想が、彼らには通じなかったようで、私も説明しながら困った記憶があります。この課題の出し方は、よくわかりませんが、向こうから見るとちょっと日本人的思考なのかもしれません。(私自身は、「では他に方法があるのか」と問われると困ってしまいますし、現在の課題曲のあり方も、長年の苦労の末に決まったことでもあると思うので、毎年課題曲を決める先生方には、その御苦労に感謝をしています。)
 でも、他の解決案が出てこない限り、本当に仕方がないですね。
あー、ヨーロッパにいる時は本当に良かった。自分という一人の人間がとても大切にされているような感覚を持ちました。向こうの生活を終えて日本に帰ってきたら、なんだが皆が一緒で、“自分”という価値が薄くなっていくような気がしました。欧米的な性格を持った人は、そんな環境が窮屈で、わざと他人とは変わった自分を演出しようという本能が働いてしまい、それで変わった行動を取る人もときどきいたりするような気もします。自分も本当はそういう性格なのですが、普段は隠して行動しているのです。海を越えて一歩外へ出ると、性格が変わります。(笑)



2003年2月17日(月) エフゲニ・ザラフィアンツ氏

 エフゲニ・ザラフィアンツ氏のことは、数年前に初めて来日した時に、いろんな音楽雑誌でインタヴューを受けているのを見て知りました。「面白そうなピアニストだなー」とは思っていたのですが、その後こんなに親しくさせていただけることになろうとは、想像もしていませんでした。

 昨日は、彼によるチャイコフスキー作品の公開レッスンが青山カワイショップで行なわれたので、私は行ってきました。隣でニコニコしながらマイクを持っている予定でしたが、実際はそんな余裕はありませんでした。(笑) 通訳というのも厳しい緊張を強いられる仕事で、意識はしていませんでしたが、かなり神経を使ったようです。帰ってきて体はぐったり…昨夜は、10時間は眠ったでしょうか。ザラフィアンツ氏もかなり連日の仕事(演奏やCD録音)で疲れていたようで、英語で喋っているのに、いつもよりもロシア語や日本語、さらにドイツ語、フランス語の単語が混じってくる割合が多かったように思います。一度は、無意識に(?)ロシア語で喋り始めたので、私は一応意味は分かりかけたのですが、「うわあ、このまま続いていったら困る!と思い、“あのー、english……”」と、慌ててさえぎると、彼はすぐに気が付いてくれました。とっさのやり取りだったので、たぶん誰も気が付かなかったとは思いますが。それにしても、彼はかなりタフであることに間違いはありませんね。長時間のレッスンをした後、また涼しい顔をして(昨日はそれほど涼しくはなかったか?)、素晴らしい演奏も披露してくれたのですから。

 昨日は、聴衆も受講者も熱心な方(レヴェルの高い方?)が多く、皆さんが「四季」の楽譜を持参して(それも、さまざまな版を)、レッスンの内容を熱心に書きこんでいました。ところで、日本語では「四季」となりますが、本来の意味は、ドイツ語の“Die Jahreszeiten”が一番ロシア語に近い訳で、奇しくも、昨日ある方が持っていて偶然に見た古い全音の版に書いてあるタイトル“12ヶ月集”というのが、唯一その面影を残していて、面白いと思いました。英語では、普通は“seasons”となっていますが、あえて、自分のCDに“months”と表記しているピアニストもいるとか。
 ところで、レッスンの方はいつも通り興味深いものでした。ピアノが一台しかなかったので、前半は遠慮がちだったザラフィアンツ氏も、後半は実演を多く見せてくれて、お客さんは満足した様子でした。彼の演奏の特徴は、音のバランスを意識的か無意識かわかりませんが、ものすごく注意深く操っているように思えます。前面に出てくるべき音と、陰に隠れるべき音が、あれほどはっきりとコントラストを持って聞こえてくる演奏は、そう多くはないでしょう。そのあたりに、彼の音楽のスケールの大きさや詩的なものを感じるような気がします。音楽の解釈はいろいろあるでしょうが、やはりまず主張がはっきりしているということは、大事なことだと思いました。彼の場合、まず主張があって、その後にテンポが決まってくるような気がします。ちなみに彼は、「テンポはあまり遅くなりすぎてはいけないのです…」と言いながら、彼自身が弾くと、もっと遅く弾いているのが笑えました。私の場合は逆で、「そんなに速く弾いてはいけない…」と人には言いながら、自分が弾くと、かなり速いテンポになってしまいます。みんな、自分自身が気をつけなければいけないことを他人にも言うものなのでしょうかね。(笑)

 ザラフィアンツ氏、昨日の仕事が終わってすぐさま、クロアチアに帰っていきました。本当にお疲れさまでした。また近く会える日を楽しみにしています。(5月16日にリサイタルがあるそうです。メトネルの「回想ソナタ」op.38-1、グラズノフのソナタ1番を弾くということで、メトネルのページに情報をUPしておきました。)



2003年2月14日(金) チャイコフスキーのピアノ曲

 うちの音大の実技試験で、短い課題曲が一曲だけ指定されることがあるのですが、今回はピアノ科の3年生にチャイコフスキーの曲が出ています。ノクターンop19-4 嬰ハ短調という曲です。チャイコフスキーのピアノのソロ曲には、あまり人気の高いものが多くありません。(だから課題になったという訳ではないでしょうけど。)ロシアの作曲家の中でも、チャイコフスキーのピアノ曲は演奏されない方だと思います。あまりエネルギーを注いで作曲したとは言えないような(?)小品が、ときおり演奏されるくらいでしょうか。ピアノソロ以外の名曲が多すぎるのでしょうね。ピアノ曲では、まあ「四季」などは、好まれています。そういえばモスクワ音楽院の隣の楽譜屋にも、チャイコフスキーの楽譜を何か…と思って探したら、「四季」しか見つからなかったくらいです。(笑) そのぐらいポピュラーな曲とも言えますが。(ちなみに、プロコフィエフは「つかの間の幻影」、ラフマニノフは「楽興の時」しか見つからなかった…一体どういう楽譜屋だ。)
 そのピアノ曲「四季」(1月〜6月)と、上に挙げたノクターンop.19-4を教材にして、ロシア音楽を公開レッスン形式で勉強しようという企画で、たびたび来日しているエフゲニ・ザラフィアンツ氏を講師に呼ぶイベントが、明後日(16日)の日曜日にあります。実は、私もこの日は立ち会います。(立ち会って何するの?) 目立ちたがるわけではありませんが、ザラフィアンツ氏のすぐ隣でニコニコしてマイクを持っているのが私です。(笑)

 ザラフィアンツ公開レッスン情報↓
 http://www.h4.dion.ne.jp/~premier/page004.html

 彼が、どのようなレッスンをするか、今回だけはちょっと読めません^^;。受講者が7人もいますから時間も限られますし、最後にご自身が演奏もするというのですから……でもそんな大変なスケジュールでも、いつも結果的に聴衆を満足させるのが彼の手腕のすごいところでもありますから、ちょっと今回も楽しみです。
 ちなみに、チャイコフスキーってやっぱり控えめな演奏が多いので、あまりインパクトがないと感じられている方も多いかもしれませんが、ポンティーの演奏は面白いです。これは嬉しくて笑ってしまいます。音楽とはこうこなくては!、という感じです。以前雑誌にも書きましたが、チャイコフスキーを面白く聴こうと思ったら、もうこのCDです。(VOX CDX5087 piano=マイケル・ポンティ) 私は、この演奏ならチャイコフスキーが好きです。(というより、これを聴いたおかげで好きになりました。)

 では、明後日は気分転換に青山のお馴染み某サロンへ足を運んできます…。



2003年2月12日(水) 外国語の勉強について考える

 「外国語の勉強」ということでは、私も今までに人生のかなりの時間を投入してきているのですが、そのわりに上達しているという実感が全然ないのですね。何事も「身につける」というのは本当に大変なことです。
 ところで、日本人の英語勉強熱は、以前と比べて下がるどころかますます上がっているのではないでしょうか。外国語を話す日本人は、確かに少しずつ以前よりも増えてきているように感じます。海外への行き来が今後さらに楽になり、地球はまだまだこれから狭くなっていくでしょうから、これからは若い人たちも国際的な視野を常に持って、自分の仕事を考えていく必要があるでしょう。一人日本国民のことだけを考えていてはダメだと思います。そのためにも、外国語の習得は、まだまだ大切なポイントとして外せないのではないでしょうか。

 私は子供の頃から外国への興味がありましたので、小さい時から英語・独語などに触れていたことは確かです。中学生の時くらいからラジオやテレビで勉強を始めました。いろんな理由がありますが、私の場合、世界中の人たちと仲良くしたい、理解し合いたいという気持ちが子供の頃から強かったことも、語学の勉強に打ちこんだきっかけだと思います。私の性格は、ものすごく強く“平和”を求めているようです。音楽を職業に選んでいるのも、それと関係があるような気がします。言葉や文化が違うと、どうしてもお互いを誤解しやすく、敵対してしまったりするわけですが、それはとても悲しいことです。もちろん、言葉が同じでも人間は喧嘩をしてしまったりもするわけですが、やはり理解したり、共感したりするということはとても大事なことですね。ちょっと宗教っぽいですが、私は人間は互いにみんな愛し合わなければいけない、と思っています。民族が今も半永久的に対立し続けているのは、長く複雑に絡んだ歴史的な意味があるから難しいですけども、やっぱり基本的に大切なのは、“理解し合おう”という努力だと思うんですね。理解し合えないと言ってあきらめてしまうと、もう戦争するしかなくなるわけです。そんなのって、とても悲しいです。私は音楽や言葉を通して、人間と人間を優しくつなぐような仕事、自分がそのための役に立てたら、という夢を持っています。

 そんなわけで、語学の話に戻りますが、私の机にはほとんど収集家とも思えるくらいに辞書が山積みなのです。学者でもないのに、辞書は10年経つと必ず新しいものに買い換えます。辞書は10年を一応寿命ということにしていますから、英和や独和などは、ポケット辞典を含めると4〜5冊ずつはあります。だから、辞書はどんどん増えていきます。ちなみに、ざっと見渡してみると、机と本棚ですぐ手の届くところにあるのは、英和、和英、英英、独和、和独、独独、英独、独英、仏和、仏英、英仏、伊英、英伊……なんだかドミノ遊びをやっているような気分になってきましたが(笑)、このほかにも、西和、露和、中日、漢和……日本語関係でも、国語辞典はもちろんのこと、大辞林、類語例解、四字熟語、知恵蔵、イミダス、etc.…、それに音楽辞典類もたくさんありますね。私は、ひょっとしたら辞書マニアだったのかもしれません。しかも、持っているのはどれも分厚い“中辞典”クラスの辞書です。というのは、その都度本気で勉強しようと思って手に入れているのです。そのわりに、全然教養が上がらないのはなぜなのか…^^;。
 まあ、種を明かすと、上に挙げた辞書に関係した言語はすべてかじっています。本当は、話せるようになるまで勉強するということで最初は始めるわけですが、いつも挫折しています。学者さんの中には、たとえあまり喋れなかったとしても、読解力がすごくて数か国語から何でも訳してしまったりする人がいますが、あれは真似できませんね。訳せちゃう人というのは、外国語の知識と正しく読解する才能があるのはもちろんでしょうが、たぶん自国語の能力もものすごく優れているのです。
 実のところ、日本語であまり難しい言葉をこねくり回して、何を言いたいのか分からないような文章を読むのは好きではないし、だいたいそんな難解な言葉をたくさん覚えるよりは、自分は外国語の知識をできるだけたくさん…、それも、会話ができることが大事なのだ、と思ってやってきたわけなのです。(とにかく私は人と話をすることが好きなのです(^^)) でも、やっぱりそれだけではダメで、自国語の能力(語彙力・教養力を含めて)を少しでも上げようという意識がなければ、外国語ができてもあまり質の高い仕事はできないのですね。これは、けっこうたくさんの外国語を勉強した後に気がつき、考え直して本をたくさん読むようになったのです。(小さい頃は、読書が嫌いだったのです。)

 外国語の勉強の方法と自分自身の経験についても、いずれ書いてみたいと思っていますが、とにかくこれからは、音楽に携わっている人に限らず、国際的に通用する教養と広い視野を持ち、地球のさまざまな人たちとさまざまな言語で交流することのできる、次世代のスーパー日本人が数多く育ってくることを私は願っています。(もちろん、自分も勉強を怠ってはいけない、と強く感じてつづけています…。)



2003年2月10日(月) “アムランと8人のコンポーザー=ピアニスト”

 いや、まったく先週はちょっとしたハプニングがあり、ひどい目にあいました。インフルエンザが流行っていたのは知っていましたが、まさか自分に同じ災難が降りかかってくるとは。熱が39度7分まで上がったなんて、子供の時以来でしょうか。ビックリしました。本当に苦しかったのは、約丸一日でしたが、休息が大切だということを、あらためて考えました。しかし、熱が39度を越えると、頭ってまったく使えなくなるのですね。(笑) 自分が何を考えているかをコントロールできなくなる、というか、つまり頭が朦朧として熱で冒されていると、ものを考えることをやめざるを得ないのですね。先日書いた、楽譜を頭の中で歌わせる、なんてこんな時はとてもできません。勝手に次々に浮かんでくる断片的で無意味なことや、同じメロディーばかりが一日中鳴っていたりして、どうしようもありません。苦しいだけでした。(ただ、うなされているにまかせるだけなのです…情けない。) 健康な時って、体が疲れていても頭の中だけは健全に働くのですけどね…。

 ところで、最近新しい本を手に入れました。“The Composer-Pianist - Hamelin and The Eight”(アムランと8人のコンポーザー=ピアニスト)というタイトルで、著者は、ロバート・リム。昨年アメリカで出版されたばかりの本です。一見、マニアックに思われるかもしれませんが、この本はピアニストと作曲家の今後のあり方を考える上で、重大なことがいろいろ書いてあるのではと思い、私は目の色を変えて入手しました。思った通り興味深い本です。ここで取り上げられている、8人のコンポーザー=ピアニストとは、すなわちアルカン、ソラブジ、ブゾーニ、ゴドフスキ、フェインベルク、スクリャービン、メトネル、ラフマニノフです。これらの作曲家と、現代に生きるスーパーコンポーザー=ピアニスト、マルク・アンドレ・アムランを含めた著述で、著者の現代的な見解と解釈、そしてあまり知られていない歴史的情報を、ハードカバー一冊300ページ以上にわたって惜しみなく公開しているのですね。写真も多いです! 初めて目にしたものも多く、感動しました。現在、手を振るわせながら読んでいる最中です。(まだ読み始めたばかりで、内容はこれからです。)

 作曲家はもともとピアノが弾けたものだし、即興演奏もできたりしたものですが、フランツ・リストが出てきて活躍を始めた頃から、ピアノ曲のレパートリーが膨大に増えて、ピアニストはそれらの曲をたくさん弾きこなすことが必要になり、次第に分業するようになっていったのですね。作曲家とピアニストは完全に分かれてしまいました。これは現代までずっと続いている現象で、人々の評価を得て現代まで作品が好んで演奏されている大作曲家たち、また、やはり評価されて名の通ったピアニストたちとは別に、もう一つ注目されて然るべき一群がいたわけです。これが、19世紀後半から20世紀にかけて活躍した一部の「コンポーザー=ピアニスト」と言われる人たち(この本に出てくる作曲家では、アルカンだけがもう少し前の時代)で、作品は共通して複雑で長大なものも含まれ、文献は少ないし謎に包まれた部分も多く、最近まであまり知られることはありませんでした。しかし、これらの非常に才能に恵まれた一群がいなかったら、ピアノの世界がここまで高い所まで引っ張られることはなかったであろう、と思われるのです。そして、その流れは、はっきりと現代に生きるアムランによって、引き継がれています。彼がこれまで行なってきた録音を含む仕事は驚くべきものですが、その行く先はまさに未知の世界です。

 この本は、上の8人のコンポーザー=ピアニストを中心に、彼らの業績や様々な事実、作曲家同士の関係や逸話、今後のピアノ界の行方についての著者の見解など、興味深いことが山のように書かれてありそうで、ここ数日間は虜になりそうです。未知の歴史的事実など発見したら、皆さんにお教えしますね。(それとも、あまり興味がないかな?)(笑)



2003年2月4日(火) ピアノがなくても練習できるのです

 ピアノの練習って、普通は当然ピアノに向かうことを意味すると思いますので、ここに書くことは、本来あまりピアノの練習が好きではない人には、勧められません。そのような人は、10分でも多くピアノの椅子に座ることをお勧めします。これは、時間と環境に恵まれない時にも練習をしなければならないという、ちょっと特殊な人(?)にだけ通用する方法と言えましょうか。以前も書きましたが、練習時間が少ないのに弾けてしまうという人は、たぶんメンタルな訓練が行き届いているのですね。または、そういう才能に最初から恵まれている人だと思います。もう一つは、経験で身につく可能性もあります。

 ピアノの練習は、本当はよくよく頭を働かせてやらなければいけないことなのですが、とにかく譜面台に楽譜を置いて、ただひたすらに弾き続けるしかないような練習をする人もあります。ピアノから離れて音楽を考え、楽譜を読み、音符の一つ一つを頭の中で作り上げる訓練は、実はとても大事なことなのです。ピアノに向って何も考えずに指だけを動かしている、という練習が一番良くないのですね。
 ピアノを弾く時間のないときなど、私は夜就寝したあと、頭の中で暗譜をさらうこともあります。これは慣れれば決してできないことではありません。私が学生時代には、アルバイト中にも頭の中でさらっていました。つまり、“ただ立っていればいい”ようなバイトもやっていたのですが(一体何をやっていた!)、その最中に、コンチェルトの全楽章を最初から最後まで頭の中で歌わせたりしていました。その訓練がとても役に立ったのを覚えています。

 全然話は変わりますが、最近映画でちょっと話題になっている「戦場のピアニスト」でしたっけ、私は原作(「ザ・ピアニスト」)しか読んでいませんが、その中でビックリした記述がありました。主人公のユダヤ人ピアニスト、シュピルマンが、戦火の中かろうじて生き長らえて、その日の食料を探しながら、まだ生きるか死ぬかもわからないような状況の中で、一人孤独に生きながらえていたときの話です。彼は、そのような惨事が起きる前はピアニストだった訳ですが、彼が過去に弾いてきたすべての作品を、頭の中で一小節ずつ繰り返したというのです。そして、それはのちに戦争が終わり、またピアニストとして復帰した時にすべてを暗譜していた、ということに繋がったというのです。恐るべきメンタルトレーニングですが、それよりも凄いのは、そんなやっと生きているという状況で、はたして音楽のことなど考えられるかどうか、です。私だったら自信がありません。いや、人間というものはそのような時にこそ、最後の希望を捨てずに強くなれるものなのか…、しかしどちらにしてもすごい話です。ピアニストが苦労した話では、例えば、ダン・タイ・ソンも、ショパンコンクールで優勝する前は、防空壕の中で紙の鍵盤(木の鍵盤?)をたたいて練習していた、というのも聞いた記憶があります。

 人生でそこまで追い詰められたことは、私には経験ありませんが、ピアノがない状況で本番を迎えなければならないケースはいくつかありました。そのようなことは、特に珍しいことではなく、ピアノがなくても楽譜だけあれば練習ができる、というピアニストの話は、特に外国人にはよく聞きます。私などの場合は、きっと恵まれていたのでしょう。ピアノを弾きたいと思って、弾くことができない日などあまりなかったのですが、スペインのあるコンクールを受けに行った時には、ちょっと不安な経験もしました。現地に着いて、右も左もわからない中、コンクール事務所とも連絡が取れず、いつ練習ピアノにたどりつけるか分からない中で、丸4日間もまったくピアノに触れなかった時です。その2日後にはコンクールの本番を控えていて、初めての経験にちょっとパニックになりましたが、すぐに自分は冷静になって楽譜を取り出していました。そんなことやったこともなかったのですが、楽譜を開いてバッハのフーガからすべての課題曲を、頭と指を動かすだけで、ホテルの机の上で練習しました。ものすごく真剣に練習したので、ピアノを本当に弾いているのと同じような感覚で、頭と指の意識が整理され、自信が持てた記憶があります。熟練すると、楽譜を見るだけで音が全部頭の中でちゃんと鳴りますから、ピアノがなくては練習ができない、などということは本当はないのかもしれません。(とかなんとか言っても、今でも一日中ピアノに触れない日があると、二日目あたりから機嫌が怪しくなってはくるのですが…)




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