音楽雑感〜日記風
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2003年3月28日(金) 辻井伸行ピアノ・ソロ「深夜の音楽会」収録

 昨夜は、辻井伸行くんのソロでグリークのピアノ協奏曲の本番がありました。読売日本交響楽団との初共演で、しかもTV収録付きです。私もこの4日間は、付きっきりで辻井君のオケ合わせなどにくっついていましたので、自分の本番ではありませんが、やはりこういう時は同じテンションを保っていますからそれ相当にエネルギーは使いました。しかし、大変だったのはもちろん辻井君の方でしょう。いつものことながら、リハーサルでは力をセーブし、お客さんが聴いている本番ですべてを出しきりました。「素晴らしい演奏」と多くの人が感動し、涙を流している人も昨日は多かったですね。テレビ放映の方は、地上波(日テレ)が7月23日(?)で、BS「ブラボークラシック」は、もう少し先になるとのこと。(私もまだ詳しく知りません。) きちんと分かり次第、HPに書きこみたいとは思っています。しかし、昨日の生演奏を聴くのに、抽選(早い者順?)とはいえあれだけのコンサートを無料で聴けるというのは良いですよね。

 辻井君の本番直前の過ごし方について、ここだけの内緒で教えますが、とても変わっているんですよ、これが。ゲネプロが始まる前や終わった後に、「ステージのピアノが空いているから自由に弾いて良いですよ」と言われたら、普通のピアニストだったら、まあ一応少しは触るでしょう。弾いているうちにさらい始めたりして…時間ギリギリまで。まあ自由に弾ける時間は、一応疲れない程度には普通は弾いておくものです。ところが、辻井君の場合はそう言われても「あー、そうですかー」と言って、「弾く?」と訊いても、「どちらでも」ってな感じで、どちらかと言うと「弾かない」のですね。こちらも最初は心配したりしていましたが、今ではもう私も慣れています。「そうだね。疲れすぎてもいけないから、じゃあ楽屋で休もうか」といつものごとく提案すると、「はいー」と言って、すぐ引っ込むのです。彼の場合は、練習はしなければしないほど上手く弾けるということなので、私ももう何もうるさいことは言わないようになりました。本当の力を出すのは本番一回だけだから、その前の練習で弾けば弾くほど、無駄にエネルギーをロスしてしまうということなのでしょう。確かにそれはその通りなのですが、でも私がそれを悟ったのは確か30歳を過ぎてからだったと思うのですが…。とにかくもう大人と言いましょうか、大人物ですね、彼は。司会の奥田佳道さんと茂森あゆみさんもビックリしていましたよ。演奏が成熟していて、とても14歳の子供なんかには見えないと。そう言えば、彼ら二人とのトークも堂々と喋っていたりして、もう私の出る幕は完全になくなったようです。(;_;)

 今日は、久しぶりに辻井伸行君の話題でした。(^_^)



2003年3月24日(月) 良い音楽を広める価値

 アンケートなどというものを先週から始めて、いろんな方のメッセージを読むのが楽しい日課となってきました。(^_^) しかし、これにのめりこんで時間を忘れてパソコンの画面の前に座りすぎると危ないのです。ピアノの練習のことを忘れてしまうのです。(忘れるな!)

 どんな本番であれ、リサイタルプログラム(70分〜90分)を弾く場合は、本番2〜3日前からは普通の生活はできなくなります。(まったく同じプログラムを続けて弾く場合だけは例外ですが。)頭と指が、なるべくそれ以外のことを考えないように統制しないと、とてもそれだけの量の音符を正確に記憶していることなどできません。
 そんなわけで、昨日もサロンコンサートとはいえ、量も質も一応普通のリサイタルでしたから、その数日前からは、やはり規則正しいピアノ最優先の生活を強いられました。つまり、体が疲れ過ぎないようにしたり、ロシア語の勉強で頭を使いすぎたりしないようにする(笑)とか、いろいろあるのです。そういえば子供の頃、風邪で熱を出しているとき、病院の先生に、「熱がある時は、頭をよく使う勉強などをやってはいけません」と言われたことがありますけど。まあ、それとはあまり関係ないのかな。
 頭と体力が擦り切れる本番が終わったあとは、やはりホッとします。帰りの電車の中で、“驚速ADSL”とかいう広告を、隣に座っていた妻がニコニコしながら見ているので、「どうしたの?」と言うと、「だって・・・“驚速”って・・・今日のカプースチン(^^)」、というコメントをいただきました。言われてみれば、私も昨日は自分で弾きながらルデンコがライヴで演奏した時のカプースチンのエチュード1番を思い出していました。(笑)
 ところで、昨日のプログラムでは、「偉大なるショパン様」を、メトネルとカプースチンでサンドイッチにしたのですけど、はたして聴衆に違和感はなかったのでしょうかね。感想を伺ってみたいものです。

 私が回収しているアンケートだということもあるかもしれませんが、皆さんが感動された曲の中には、カプースチンを聴いてクラシック(?)に目覚めた、などという人もすでに複数回答(若い世代?)がありますし、決して有名曲だけが人の心を動かしているわけではないようですね。つまり、かなり多くの種類の音楽が人々に感動を与えている事実があるようで、やはり「名曲」だけがこれからは陽の目を見るというわけではないかもしれません。「クラシック」と限っても、ピアノ曲以外にオペラから声楽曲、交響曲、協奏曲など(「室内楽曲」はやはりあまり人気がないのかな?)、こういろいろ出てくるのですから、「クラシック以外でも」、という条件だったらさらにジャンルは広がるのでしょう。クラシックに限ったアンケートですので、やはり回答者には楽器を演奏できる人などが多いのでしょう、自分で楽譜を読んで、「弾いているうちに好きになった」というケースもかなりあるようです。この場合は、その音楽を知ったきっかけは、楽譜そのものから、又はピアノの先生からということになるのでしょうか。CDやレコード、それからメディアの力が現在においてどれだけ大きいのか、まだまだ予断を許しません。もう少しのあいだ、様子を見ていきたいと思います。

 結論というわけではありませんが、良い音楽を広める仕事(作曲家や演奏家など)の価値は、決して小さなものではないような気がしてきました。




2003年3月19日(水) アンケート中間報告(1)

 「クラシック音楽感動体験」のアンケート用紙を置いてまだ3日しか経っていませんが、すでにかなり興味深いですね、これは。さっそくご回答をくださった方々、ありがとうございました。皆さん、お忙しいでしょうに…本当に申し訳ありません、こんな企画考えてしまって…。でも、ご送信いただいた方、感謝しています。m(__)m

 アンケートを読むと、皆さんの音楽を愛する気持ちが伝わってきて、お話を伺っているだけで感動してしまいます。現在までに届いたアンケートを読ませていただいて一つ感じたことは、皆さんの音楽との出会いや感動の体験を聞き、「実はこんなにも音楽に思い入れがあり、感動の体験を語ってくれる人たちがいたのだ…」ということを知り、嬉しくなってしまったのです。音楽が素晴らしい力を持っていることは疑いがないでしょうが、それを言葉にして聞いたことなどあまりなかったので、私にとって新鮮な感動がありました。思わず、アドレスが分かる人には共感のメールを返信してしまいます。(現在も返信に追われています(^_^))。)
 それからもう一つ、私の勉強不足にも気が付かされました。名曲アルバムに偏るだろうという私の臆測は、現在のところ完全にはずれています。クラシックと言っても、皆さんそれぞれがあまりにも多種の音楽に感動を味わっていらっしゃのですね。ビックリするほどです。それらの音楽への出会い方もまた多様です。これから書いてくださる方もいらっしゃるでしょうからあまり詳しく言いたくないのですが、皆さんが挙げてくださった曲は今のところかなりバラエティーに富んでいて、ほとんどダブっていないのです。ですから、これはアンケート数がもっともっと集まらないと、全然集計できそうにもありません。少し期間を長くとってはありますが、この先どうなるのか…。(先がまったく読めないので…(^^;) とにかく、曲と作曲家の人気度上位入賞を決めるには、まだまだデータが必要なようです。どうか、引き続き一人でも多くのご回答者をお待ちしていますのでよろしくお願いします!



2003年3月16日(日) あなたの感動した曲を教えてください

 昨日の日記にも書きましたが、クラシック曲の人気投票をしてみたくなりました。(笑)
というのは、皆さんの素朴な疑問を集めると、「どうしてある曲はよく演奏されるのに、ある曲は全然演奏されることがないのか」、という見解も出てきたからです。私の言葉にすると、「どうしてメトネルは素晴らしいのに、誰も知らないの?」ということになります。それは演奏されてきた回数や出回っているCDなど、どれだけ世の中にその作曲家と音楽が知れ渡っているかということに関係があるのですが、その実態を調査してみたいと思いました。「本当に一般に多くの人に好まれ、素晴らしいと思われる作品はどれなのか」という根本的な問いかけを、アンケートによって割り出してみたいと思いました。これは、専門家たちの視点を超えて、クラシックをポピュラーなものにしていく大きな可能性を秘めている点で、意義のある調査だと思っています。小さい頃、音楽を聴いて感動した記憶は誰でもあると思いますが、それが何の曲だったか…そして、それをいつどこで聴いたのか…等を思い出してもらって、皆さんに答えてほしいと思うのです。下にアンケートの趣旨と、アンケート用紙まで作成しましたので、よろしくお願いしますね。(^.^) 面白い結果が出たら、きっとお知らせしますから。プロの方々も、一般の人の意見に一緒に耳を傾けてみましょうね。
 一番人気のある作曲家が一体誰なのか…かなり興味が沸いてきました。

アンケートの趣旨
アンケート用紙




2003年3月15日(土) クラシック音楽と聴衆

 最近ますます充実してきた「PTNA(ピティナ)」のHPに、「ピアノの広場」というコーナーがあります。ここには、「ピアノ曲事典」というのがあって、これを見るとあらゆるピアノ曲が検索できるようになっているわけで、すごいものができたなあ、と思っていました。で、さっそく「メトネル」と入れて検索すると(笑)、2曲しか出てこなくてショックを受けていたら、やがて私のところへ連絡がきました。(^^) 何か協力できることがあれば…と思いまして、リンクもさせていただきましたが、私の「メトネル作品リスト」も、いよいよ手落ちのないようにしておかなければいけなくなってきました。(^_^;) この事典は、今後も他の作曲家の作品も含めてさらに充実していくようで、とても楽しみです。音源を公開するところまでは、なかなか私などにはできないので、このページには期待をしているところです。
 その「ピアノの広場」に、「今週の1曲」というコーナーがあり、今週は私の演奏が取り上げられました。バラキレフから選曲されるかなと思ったら、メトネルの作品でした。外は寒いけど、もう《春》なのですから、考えてみればバッチリな選曲です。(ありがとうございました。)

メトネル:《春》(プリマヴェーラ)が聴けます(3月14日の週の『今週の1曲』)
http://www.piano.or.jp/enc/index.html
(ピティナ「ピアノの広場」のページにリンク)

 とはいえ、メトネルという作曲家の知名度は、まだまだ低いかもしれません。マイナーな作曲家だと誤解されている向きもあると思います。私が、最近プログラムで取り上げるのは、専門的とかマニアックとか言われそうなものも含まれるようになり、メトネルまでがそう思われてしまっているのかもしれません…。
 私としては、決してマニアックではなく、かといってアカデミックでもなく、そうかといって大衆迎合的なものだけを求めているわけでもありません。素晴らしい作品を広めたいと思っているだけです。ただ、メトネルがいくら素晴らしいと口で言っても、現時点ではまだまだショパンにかなわないわけです。それにしても、一般の世の中とクラシック音楽との接点が少ないというのは本当に残念ですね。音楽に特に興味がある人でなければ、例えばテレビで流れていたとか、映画で使われていたとか、そんなことで偶然耳にしなければ、クラシック音楽に触れるきっかけなどないでしょう。コンサートに足を運んで感動した、などという体験はそれから先の話になるわけです。でも、クラシック音楽と聴衆との接点を多く作りたい、という視点から考えると、どのような曲に多くの人が感動したのか、ということはとても興味のあるところです。クラシックは知られている曲の方がずっと少ないわけですが、その中でも、いろんな人が好きだと言う曲、子供の時に聴いてすごく感動した曲とか、涙が流れてきたとか、そういう経験をたくさん教えてほしいです。アンケートをとって、どの曲が実際に多くの票を得るのか、それをもし取材したら、クラシック音楽を広める上において、なんらかのヒントになることが出てくるかもしれません。ぜひ近いうちに、皆さんのご協力をお願いしたいと思っています。
 世の中に良い音楽はたくさんありますが、「感動した曲」のリストに挙がってくる曲は、実際はかなり限られてくるのではないかな、と推測しています。それは、「知名度」のある曲、世に多く出ている曲に、ある程度偏ってくるだろうと思われるのです。データを取れば、素晴らしい曲でも意外に知られていない曲や、逆に、「名曲」といわれる曲でも、誰もそんなに感動した経験はない、というようなものも出てくるでしょう。そうすると、今後の演奏会のプログラムや、他の音楽活動のあり方を考える際にも、需要がどのあたりにあるのか、又は、なければならないのかが見えてくると思っています。



2003年3月12日(水) 時間の使い方が上手い人

 楽器の練習は大変だという話をしましたが、そんなに10時間も練習する生活が一生続くなんて絶対無理だと思う人は、じゃあ演奏家になれないのかと言うと、そうでもないように見えるのですね。あまり練習してない(ように見える)のに、弾けてしまう人も確かにいるように思えるのです。この違いは何なのでしょうか。

 ある識者の説で、どんなことでも10000時間をそれに費やしたら、その分野のエキスパートになれるという話があります。例えば、英語を全然勉強したことのない人でも、1万時間をこつこつと毎日その勉強に費やしたら、知らないうちにその専門家になれるということです。1万時間というと、1日2時間をその勉強に当てたとして5000日ですから、約13年半ぐらいでしょうか。確かにけっこうな年数です。楽器を始めるのなら小さい頃の方が良いとは思いますが、他の分野なら30歳から初めても、そのくらいの時間を投入すればまったく縁のなかったものに関しても専門家になれるわけです。1日3時間ずつやっても10年弱かかります。考えてみたら、私も確かにピアノに費やした時間は1万時間などはるかに越えていますね。そのくらいやっているのだから、逆に言えばプロになれなきゃおかしいのかもしれません。外国語の勉強も、同じように時間がかかります。しかし、英語だけに13年もかかっていたら、他の言葉を勉強するひまなどないように思えます。ところが、やはり何ヶ国後も喋る人がいたりするのです。どうも時間の使い方を超越しているのではないかと思われるのです。
 今、私も来月のロシア旅行に向けて、ロシア語の勉強に再び本格的に取りかかっているわけですが、なかなか大変です。朝起きたら、ロシア語のテープをかけながら朝食を取ったりしているわけです。妻もうんざりしていますが、私が1日中発音練習をしていたりするので、きっとうるさいことでしょう。でも、一生懸命発音練習やっているのに、隣で発音を真似したりして茶化したりしないんでほしいのですけど。(+_+) とにかく、夢中になってやる時期は、ある程度はやっぱり必要だと思っているのです。ただし、1万時間はたぶんもう投入できないですね。

 ロシアという国には、実は最初から興味を持っていたわけではないのです。興味のある作曲家やピアニスト、身の回りになぜかロシア出身という人が多く、それで次第にこの国に興味を持ってきました。メトネルもそうですし。私が北海道生まれというのは、あまり関係ありません。(北海道にいた頃、ロシア人と会って握手をした経験は記憶にありません。) 作曲家にまず興味を持って、この国のことを少し勉強するようになったわけです。例えば、ショパンがポーランド出身というのを知らなければ、ポーランドという国のことなど知ろうとも考えなかった人は多いのではないでしょうか。先日から話題になっている「戦場のピアニスト」だって、ショパンの影がはっきりあるわけです。そんなことがきっかけにもなって、戦争の事実や歴史を知るようになり、人間というものについて考えさせられたりするわけです。ある国とかその歴史に興味を持つよりは、私の場合はやはり、人間と、人間が生み出したもの(芸術作品という意味)にまず興味を持ち、そこからいろいろ勉強したくなってきたという順番です。

 気がついたら題名と全然違う方向へ話が行ってしまいました。結局、時間の使い方が上手い人はどこが違うのだろうかという話でした。まず、やりたいことと意思がはっきりしていて、それをどのように限られた時間のなかでこなしていくか、ということだと思います。そして、やっているときは集中していないと何事も意味がないのですね。その場合は、時計をそばに置かない方が良いのです。ピアノの練習も、ホントは無限の時間の中でやらなければならないのです。「あと15分しかない」、とか思いながらやっても能率が上がりません。(そうはいかない場合もあるのですけど。) まるで永遠の時間(感覚として)の中で、精神も満たされた状態でやれるのが理想的なのです。実際は、そんな夢のような生活はできないわけで、何でもできるように見える人だって、たぶん決して素晴らしい環境でやっているわけではないと思います。環境が最悪だったり、経済的に自由にならなかったりすることもあるでしょう。もしすべてが与えられていたとしても、例えば体が疲れていてだるかったり、気分が乗らなくてやる気が起きなかったり、とても眠かったり、はたまた指を怪我したり、腕が痛くて弾けなかったり、花粉症で鼻が大変で集中できなかったり……と、できない理由はたくさんあるのです。そういう人は時間がたっぷりあっても、ちょっとダメかもしれません。結局、“できる人”というのは、何が違うかというと、「熱意」が違うと思うのです。(今日の結論です。)

と言っても、花粉症…これ確かに苦しいのですけど。(+_+)



2003年3月11日(火) 音楽家を目指すこと

 自分のこのページの日記を、軽い気持ちで読み返してみたりするのですが、つくづく「なんて重たい文章」と、自分で感じてしまったりします。かと言って、今日はご飯は何を食べたとか、日常の生活っぽいことをわざわざこんな所に書いても意味ありませんしね。そんな事だったら毎日でも書けるんですけど。
 日常生活では確かに面白いこともありますし、普段考えていることもいろいろあるのですが、ここで話題にできることは、やっぱり限られてきますね。あまり喋ってはいけないこともたくさんあるような気がして…、でも、もしもっと自分に文章力があったら、そのあたりもうまく濁しながら、面白く書くことができるのかもしれません。今後の課題です。(-_-メ)

 ところで、楽器を演奏できる人って、弾けない人から見ると本当に楽しそうに見えるのに…、それなのにそれなのに、どうして練習はこんなに辛いのでしょうね。(笑) 練習しなくても弾けるならどんなに良いか…とは皆の考えることでしょう。芸事って、たくさん練習しなければならない上に、それを維持するために休むことも許されない、という大変な仕事なのですね。ときどき、「なんで自分はいつまでたってもこんなに下手なんだろう?」と悩んでいたら、悩んでいるばかりで、実は1日に2時間も練習していなかった、なんてことに気付く場合もあります。考えてみたら、すごい演奏家たちは平気で1日8時間もさらっているのですから、まずそのくらい練習してから言えと。(笑) インタヴューなどで練習時間を訊かれて、平然と、「そうですねー、1日10時間から12時間ぐらいでしょうか」、なんて答える人を、私は10人と言わず目撃しています。そのたびに自分も反省はするのですけど…でも時間をそんなに使うことができない事情って、次から次へといくらでも出てくるんですよね。つまり、これだけの練習時間を自分の人生の中で確保することができる才能も、ひょっとしたら演奏家の資質に必要なことなのかもしれません。
 子供時代は、いろいろなことに興味を持って、何でもやってみたら良いと思いますが、ある程度大きくなったら、だんだん自分が強く興味を惹かれるものに集中して、夢中になって取り組んでみる必要があるような気がします。そうすると他のことをする時間がだんだんなくなってきますが、何かを為す人には大切なことかと思います。でも、だいたい人間なんて途中で気分が変わっちゃうものですから、一つのことを一生懸命やっている時があっても、また何か他のことに興味が出てきたら続かなくなるのですけどね。

 音楽の勉強は、特に気の長いものだと思います。続けている人は、間違いなく、「精神力」だけはつくでしょう。それだけは言えます。ところが、音楽の世界一筋に生きるのってこんなに大変なのに、これが世間からすぐに認めてもらえるような仕事ではないのです。どちらかというと、一般的には変わった人に見られているでしょうか。普通の仕事をしている方が偉いように思われています。私も学生の頃、「早く足を洗って、まともな職業につこうよ」、なんて大人の人(その人は、確かちゃんと立派な公務員だったと思う)に言われてビックリしたこともあります。学費を出してくれている私の父親を気遣っての発言だったとは思いますが、ちょっとムッとしたことは覚えています。(「足を洗って…?」がすごく気にかかりました。) この人は、練習の厳しさというものを知らないのだろうな…と思いましたが、まあすぐに機嫌は直しました。でも、「まともな仕事」って何なのかよく分からないけれども、それでもやっぱり音楽をやりたいのだ、という信念のある人がやるのでしょうね。他の仕事よりはよっぽど良いと思っている。そのくらいでなければダメです。親がやらせて成功する場合もありますが、結局は本人に強い意思があるかないか、で決まるような気がします。
 「指揮者になるなんてけしからん!」と、父親に大反対され続けたバーンスタインは、大変だったと思いますね。ある程度の成功を形にした後も、決して認めてもらえなかったというのですから。でも、本人の意思と才能がものすごかったから、その後に本物の大成功を得ることができたのでしょうね。バーンスタインのおかげで、現在では私たちにとって、“指揮者”も花形職業の一つとなったのです。



2003年3月6日(木) 音楽が持つ力とは

 演奏家が何の役に立つかを考える前に、“音楽”そのものには一体どんな力があるのか、それを考えることが先かもしれませんね。良い音楽を聴くと、幸せな気分になりますね。音楽で癒される、ということもありますが、ただ癒されるだけではなく、ものすごい共感を感じたり、高尚な気持ちになったり、人生を肯定したくなる強い衝動を持ったりします。(私の場合です…だから職業にまで選んだのかもしれませんが。)
 ただ、ひとくちに音楽と言っても、良い音楽も悪い音楽もあるでしょうから、あくまでも自分の心の糧になるようなものを選んで聴くと良いのではないでしょうか。

 「良い音楽」、と言いましたが、その定義はとても難しいのですが、私はあえて、「人間に良い影響を与える音楽」が良い音楽で、その反対が悪い音楽だと思っています。これは、見分け(聞き分け?)がつかないのが普通です。なぜかと言うと、音楽というものは本当にいろんな要素を含んでおり、人それぞれに感じ方が違うため、その音楽のいずれかの部分に感応して、良いとか悪いとか感じるのが人間の常だからです。でも、この世に善悪の絶対の尺度があるかないかの議論に繋がるようなところがありますが、音楽にも絶対尺度での素晴らしさの基準があるのではないかと私は感じています。決して、娯楽で聴く音楽が悪いと言っているわけではありません。好きで聴く音楽は、もちろん人を惹きつける何かがあるでしょうし、逆に娯楽でクラシックを聴いていただいてもかまわないのです。ただ、どのジャンルかに限らず、良い音楽とそれほど良い影響力を持たないものとがあると考えられるわけです。それは、例えば講演を聞いても「とても良い話だった」というのと、「いまいちよく分からなかった」ということがありますが、それと同じことです。一応、クラシック音楽で現在まで残っているものは、一概に(あくまで一概にです)は良いものだと考えられているわけです。それでクラシック音楽には重要な価値があると思う人も多いのだと思います。

 しかし、クラシックを“聴く人”となると、依然としてまだ少ないのが残念です。良いものはやっぱり広めなくてはなりません。“ベートーヴェン”なんて聞くと、あまり知らない人は「きっと難しい音楽なのだろう」と思うでしょうが、実はそんなことはないのですね。最近は、「第九」を歌う人も増えてきているようですし、あんなに長くて難解な曲にあこがれて共感を得る人が多いのですから、誰だってクラシックに親しむことはできると思います。ベートーヴェンは、それこそ日記のようにピアノソナタを32曲も書き上げたわけですが、1曲1曲の楽章はそれほど重厚なものではないのです。4楽章からなる曲も多いですし、実際には思いつくままに筆を進めたような曲も多いはずです。そうでなければ、あれほどの量の音符を書けるはずはないのです。楽想は、よく見ると実は重たいものの方が少なく、dur(長調)の曲なんて、どれもものすごく快活で楽しくなるような音楽です。いたって単純と言いましょうか、子供が好きなことをやって遊んでいる時に、嬉しくて楽しくて仕方がないという…そんな感じとも言えるでしょうか。演奏する上での大切な点と言えば、「楽しく明るい気持ちを持って、それを音楽で表現する」ってなところでしょうか。そんな簡単なことです。しかし、気持ちがはしゃいで(!)いなければ、音楽も生き生きとしたものにはならないのです。思い浮かべてください、あの屈託のない明るさを…ソナタ第2番の第1楽章、同じく第3番、第4番、第6番、第7番、第9番、第11番……どれも同じような…と言ったら叱られますが、ベートーヴェンがいかに明るく、“無邪気!“な性格だったかが分かります。顔で判断してはいけないのです。(笑)

 特に古典派の形式とスタイルでは、ハイドンなどもそうですが、長調の曲は変化も少なくずっと明るい調子が続いていったりするので、現代人の耳には少々退屈なほどです。これがショパンとかになってくると、長調の曲でも翳りがあったりして、微妙な調性の陰影が深みを帯びていて、“とことん明るいだけ”というような曲想は姿を消していくのですが。ベートーヴェンのソナタでは、ハンマークラヴィア・ソナタ(第29番)だけが、私には特別にとてもロマン派のスタイルに近く聞こえます。他のソナタは、後期のソナタまですべてベートーヴェン的に聞こえるのに…。「ハンマークラヴィア・ソナタ」の第1楽章を聴いていると、音の使い方や感性はまったくショパンのようです。(ショパンのソナタ第3番や、幻想曲 へ短調を私は強烈に思い浮かべてしまうのです。) やっぱりベートーヴェンは時代を先取りした天才だったのでしょうね。

 (実は、ここのところピアノの実技試験続きで、一週間もベートーヴェンばかり聴いていたので……こんなことは珍しいのですが、たまたま古典派の曲目が課題になる学年と科を、一週間にわたり聴くことになってしまったのです。)



2003年3月2日(日) 音楽家が社会の役に立つのか?

 前回の日記で、音楽を続けるなら、それがなにか社会のためになるところまでやらなければ…ということを書いたのですが、実際に音楽家って何の役に立つのでしょう。大学を出たくらいでは、すぐにその道で食べていけるようになるなんて無理というのがこの世界です。卒業してさらに、長い長い研鑚を積んでいけばいずれ何かをやっていけそうな感じはしますが。とにかく、世の中というものは、何か社会の役に立たなければお金はもらえないようになっているわけです。どんな仕事もそうでしょう。人が便利に過ごすために良いものを作って売ったりとか、例えばお医者さんであれば実際に人助けをしたりして世の中に役に立っています。でも、音楽家って何のために必要なのか…このあたりに答えを出さなければいけないでしょうね。

 世の中に必要な仕事というのはたくさんありますが、芸術分野や精神世界に関することなどは、一見人間がただ生きていくためにはそれほど必要ないのでは?と思う人もいたりするのですね。もちろん、生きていくことで精一杯という考え方をする人もありますし、文明が発達して文化水準がある程度高い国や環境でなければ、そういう心を育てるような仕事にそれほど需要がないということもあるかもしれません。芸術とは、もともと精神とか心の豊かさというようなものに関することなのですから。だから、ピアノが好きで好きで仕方がないから、あるいは音楽が好きだから、こんなにも多くの人が楽器を習ったり歌を習ったり、踊りや演劇をやったりしているわけでしょう。小説を書きたいという人だって、お金のために書いているのではなく、やっぱり純粋に“書きたい”という気持ちから来ているのでしょう。(作曲家もそうでしょう。)だから、たとえば音楽でお金を稼ごう、なんていう考えはまず無理な話です。「え、でもお金を稼がなければ生活していけないじゃないですか?」という人は、そういう人は生活をすることだけを考えてください。純粋に音楽が好きだからやっているわけで、例えば音大を出て就職がないとか言うのは、それはたぶん『やりたいことが分からない』という意味だと思うのです。だって、就職などいくらでもあるのです。お金を稼ぐためならたくさんいろんな仕事はあります。それが楽しい仕事かどうかはともかく。もちろん、世に役に立つことをしなければお金にはならないという考え方ですから、音楽を続けるにしろ、ほかの仕事をするにしろ、人のためになっていなくてはいけないわけで、“音楽の才能、知識、技能を生かして、需要のある仕事をしていく”ということが、大変に至難なことなわけです。国内でのピアノ人口は相変わらず多いですし、楽器を少しかじったことのある人、音楽をかなり長い間勉強してきた人、クラシックファンで知識も多い人などたくさんいる中、専門分野でそれを凌駕する実力を兼ね備えていなければ、決してこの世界ではやっていけないのではないか、と思うのです。

 じゃあ具体的にどのような音楽の仕事があるか、ということですが、ピアノ科を出た人なら、まずピアノを教えるということがあります。それから、学校の先生になるという道もあります。どちらにしても、専門的には学ばなければならないことが多いですし、だいたい大学を卒業してすぐなんて、たとえ運良く先生になれたとしても、経験も知識も少ないのにそんなにまだ教えられることはないでしょう。さらなる勉強を続けながらやっていく、という心構えが必要だと思います。なんとか時間を稼ぎながら、仕事をしながら勉強のピッチをさらに上げていかなければならないと感じるはずです。学生の頃は、けっこう勉強で忙しいなどと思っているのですが、いざ社会に出て働き始めると、忙しさはその比ではないことに誰でも気付くようになります。その限られた時間の中で、自分の勉強スタイルを確立し、知識や見識をさらに深めていかなくては、将来多くの人にとって決して頼もしい存在にはなれないと思います。

 そのように仕事をしながら勉強ができればそれも幸せですが、本格的に音楽の道で何かをなしたいと思う人には、勉強だけを続けていくという道もあります。音大を出て22歳、音楽院を出て24歳。まあ、その先自分の中でどこまで行ったら自立できるかをだいたい決めておく必要はあるでしょう。もし高い志があるのなら、そうですね、29歳くらいまでは自分に賭けてみても良いのでは? 経済的には、多くの場合は苦しい立場を長期間強いられるでしょうが、頭をよく使って能率的な勉強方法を考えて研鑚を積んでいくことです。30歳になったらやっぱりちゃんと働きましょうね。(^^)
(私が自分にはそう言い聞かせてやってきました。(笑))

 ところで、「演奏家」は社会の役に立つのか…この問題も重要です。^^;





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