音楽雑感〜日記風
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2003年4月30日(水) ニコライ・カプースチン氏〜続き

 帰ってきてから少し時間が経ってくると、カプースチン氏と実際に会ったなんてことが夢のように思えてくると同時に、向こうで撮った写真なんかが出来上がったのを見て、「おおっっ!」と自分で驚いてみたりしています。

 カプースチン氏は、写真で見るとかなりかわいいんですけど(あ、すみません)、 ところが実際には表情をあまり変えない人で、発言する内容はかなり面白いのですが、最初は戸惑う人もいるかもしれません。堅物っぽく、自分からは決して笑顔を見せたりしませんが、とても面白いことがあったときだけはさすがに表情を崩します。一昨日の日記で、高沖氏が登場した時に嬉しそうだったと書きましたが、実際は、高沖氏がカプースチンの曲を次から次へと歌い出し、「彼はカプースチンさんの曲を全部歌えるんですよ」と誰かが言った時に、肩を揺らして喜んでいたのでした。私も妻もその瞬間を目撃しました。(ちなみにその時も顔は下向き加減。) それを見たとき、何と暖かい人だろう…と思いました。
 ところで、マルク・アンドレ・アムランが、オールカプースチンの曲目で近々CD録音するんですよね、と言うと、当然彼はそれを知っていて、曲目も暗記していました。「全部で75分だよ」と言ったあとに、しばし会話は進み…そしておもむろに数秒経ってから、「…いや、73分だったかな」、などという細かいコメントをするあたりがいかにも彼らしく、嬉しくなってしまいました。(^_^)
 カプースチン自身による今回の録音も、かなり長いプログラムとなるようです。もちろん全部未公開の曲です。アムランの方は、「5つの異なる音程によるエチュード op.68」以外は、すべて作曲者による録音がすでに出されているプログラムですが、どちらにしても、発売がものすごく待ち遠しいことには変わりありません。カプースチンの作品番号は現在全部で108を数えますから、まだまだ未知の曲はたくさんあるというわけですね。

 彼の素晴らしい作品がなぜ埋もれているのか私は理解できませんが、たぶん時代をもう少し下らなければいけないということなのでしょうか。彼自身がもう少し世渡りの上手い性格であったなら、もっとロシアで有名になっていた可能性もありますが、まったく欲もなく、ただ作曲に没頭していることが好きで、人間同士のいろいろな嫌なしがらみを避けて生きてきたのだろうな、と察します。
 今回、この作曲家に直接に出会ったことで、ますます作品への愛着と確信が沸いてきました。私としても、何年ぶりかで凄い人から直接教えを受けて、良い刺激になりました。ちょうど私の父親と同じ年の生まれですから親子ほどの差があるわけで、なんだか久しぶりに生徒になったような気分でもありました。別に、彼の前で演奏して特別なことがあったわけでもないのですが、家に帰ってきてから、私はピアノに再び目覚めてしまい、真剣にさらい始めている自分を発見しました…。氏のこだわりの一つは、「リズムとテンポの正しさ」と「それを持続できることができるテクニック」にあると感じました。これは、当たり前の観点のようで、実は音楽上とても大切なことで、これを普通に実行しようとしてみても、なかなか半端なテクニックでは上手くいかなのです。特に、カプースチンのような作品においてはそうですし、ショパンのエチュードなどでもそうでしょう。この辺りに関して私は、彼から受けるアドヴァイスを通して重要なことを学んだような気がします。ずいぶん以前から、私は「良い演奏をするためにはテクニックではなく音楽性が重要で、本当にこう弾きたいという気持ちがあればテクニックも身につく」、という考え方をしていましたが、やはりそれは間違いだったような気がします。「まず正しく弾く」というアプローチも決して見逃せない方法論だとは思っていましたが、今回のようにそれを確信したことはありませんでした。
 それから、指使いに関してもすごく参考になりました。彼の作品の中によく出てくる難しいユニゾンの弾き方などにおいても、参考になる考え方を学びました。ちなみに彼の手は、私よりははるかに大きかったです。(手を合わせさせていただいたんですけど。) しかし手がほんの少し大きいだけで、指使いに無限の可能性が出てくるのですね。彼の指使いは、私にはちょっときついという理由で選んでいないものでしたが、実際に弾いているのを見ると、ちょっと無理っぽいけどやってみると価値のあるものばかりでした。「ソナタ・ファンタジー」においても、彼とのやり取りがあったおかげで、一部かなり合理的なものに変更することができました。



2003年4月28日(月) モスクワ行ってきました!

 たった今、ロシアから無事に帰国して我が家に帰りつきました。一週間ほどの小旅行でしたが、とても有意義なものになりました。今回、モスクワは以前とまったく変わったという印象を受けました。ものすごく活気があって、街はパリなんかと区別がつかないくらい、もう物も豊富ですし、ほとんど西洋的なイメージです。少なくとも私にはそう感じました。私がロシアそのものに慣れたということもありますが、前回は一人ではちょっと怖いと思っていた地下鉄にも乗りまくり、特に何の問題もなく街を満喫し、一週間楽しく過ごすことができました。空港の税関では、面倒な申告書を一応書かなければならないものの、せっかく書いたものがほとんど役に立たないほどあっけなく通してくれて、ビクビクしていたのは自分たちだけだったのかもしれないと思いました。とにかく、ロシアという国は、少なくとも良い方向へ、すごいスピードで走っているように私には感じました。時代は本当に変わるものなのですね。

 そして、念願のニコライ・カプースチンとの出会い! 今、一番会いたいと思っていた作曲家に会えたのですから、最高の喜びです。レコーディングにお邪魔させていただくという、演奏家であればさぞ嫌がるようなことを許可してくれて、本当に申し訳なかったです。そしてこの日、私たちは、2001年作の「ピアノソナタ第12番 op.102」の録音を一部始終見ることができました。この曲、私も初めて聴きましたが一発で気に入ってしまいました。こんな曲を現在進行で書いていて、しかもまったく衰えない書法とテクニック! この曲は、しかも日本人の高沖秀明(Hideaki Takaoki)氏に献呈(!)と楽譜に書いてあり、ビックリです。この録音を体感した感動は一言ではとても言い表せませんが、この旅行中には、ほかにもたくさんの出来事がありました。実は、録音終了数日後、マエストロを囲んで我々が食事をしているなんとそこへ、件の高沖氏本人がなぜか日本から登場!! 別段強烈なことでもない限り、ほとんど笑顔を見せないカプースチン氏も、この瞬間だけは嬉しそうに笑みを浮かべたまま下を向き、肩をゆさゆささせていました。(たぶん、これが彼の最高の喜びの表現だということがあとでわかった。) マエストロをここまで喜ばせる高沖氏は確かにすごいと思いました。私たち4人の訪問に加え、その彼も加わったことで、日本の大ファンたち(?)による異常なる盛り上がりを見せました。そしてその翌日には、何と私が「ソナタ・ファンタジー」や「トッカティーナ」をマエストロの前で弾かせてもらうという、^^;^^;^^; そんなすごいことをさせていただき・・・ここらへんの話はまたゆっくりと書きたいと思いますが、とにかくあまりの感動で、たくさんの出来事がありすぎて、実はまだ頭の中がよくまとまっていません。作曲家に会う前と会った後では、私の作品に対する思い入れがはっきり変わったことは事実ですし、なにより私はカプースチン氏が大好きになりました。私が想像していた通りの面白い人で、質問には一捻りも二捻りある返事(ギャグ)を思いつくまでなかなか言葉を発しないところとか、本当に全部好きです。(彼は、自分自身からは絶対に笑いませんから、面白いことを言っているということを理解するのに、ロシア語がかなり堪能な人でも数秒かかるようです。)彼が言葉を喋る時の思考回路と、彼の音楽に現れている作曲の発想とがまったく似ていて、とても嬉しくなりました。(^_^)

 とにかく、今日は飛行機で一睡もできなかったのですが、それにしてはけっこう元気です。でもかれこれ時差の関係で30時間も起きっぱなしなので、今日はこの辺でやめておいて、また新しく書きたいと思います。まだ、今日は夜まで起きていなければならないのがちょっと辛い…。




2003年4月21日(月) アンケート終わりましたが…

 ちょっと忙しくしていると、うっかりネットの世界が全然別の世界になってしまうというか、HPの更新を忘れてしまいそうですね。やっぱりピアノに向かうのとパソコンに向かうことは、似ているようで全然違うということでしょうか。これだけ世の中進んでも、ネットの世界だけではやはり完結できないものがありますね。普通の生活なしでは生きていけません。普通の生活の方が本当で、ネットの中の方は、なんだかやっぱりバーチャルな世界に感じます。ときたま来る場所とでも言いましょうか。孤独な時は、こちらが本当の世界になったりすることもあるのかもしれませんが。(笑)

 さて、先日からの「感動した曲」アンケートの集計がまだちょっと終わっていないのですが(^_^;)、本当にさまざまな音楽が聴かれているのだな、ということがわかりました。私自身も、ときどき今でも他人が音楽を演奏するのを聴いて、又はテレビなどの音楽番組を見たり聴いたりしている時に、純粋に「いいなあ」と思ったりすることがあります。あまりにさりげなく単純であっても、美しい音楽を聴いて素直に感激することがあります。そんな時は、「ああ、あんな難しいカプースチンなど弾かなくても、もう十分に良い音楽は存在するのだな」、と思ったりもします。まあでも、音楽も時代と共に変化していくものですから、今存在すべきものは存在する理由があるのでしょうが。世の中は、物や情報で溢れ、すべてが複雑でスピードも速くなってきました。テレビのコマーシャルなどの目まぐるしさと色の鮮やかさには、びっくりしてしまいます。そんな中で過ごしている現代人にとっては、やはり動きが活発であったり、精緻で複雑なものを好む傾向も強くなってきていると思います。そして、そういう感性と、現代に好まれる音楽との接点もあるような気がします。

 だから、最近よく言われる「癒す」ということだけが、もちろん音楽の真の目的ではないのですね。音楽にはいろんな役割があると思うのです。バッハが好きな人がいれば、リストが好きだという人がいる。モーツァルトが好きだという人がいれば、ラフマニノフが好きだという人がいる。(けっこう最近多いようで。) で、例えばカプースチンのアレグロは、「休むところがない」とか、「聴いていると満腹状態になる」とかいろいろ言われることもあるのですが、それはたぶんそう言う人は表面的にしか聴いていなくて、ちょうどメトネルに対して、「何度聴いても分からない」と言うのと同じ類だと思うのですが(笑)、結局音楽は一回限りですべてが分かるようなものでもないし、すべてが一回で語られるようなものでもないのですね。上に挙げた二人の作曲家は、ある意味でそのように正反対ではありますが、不思議なことに私はどちらの音楽にも癒されるのです。癒されるというより、カプの方には元気づけられるといいましょうか。そんなふうに、人それぞれが生活していく途上で、音楽やそれ以外の芸術などいろんなものに触れていくうちにその人なりの感性が磨かれ、そんな中、あるときある音楽に出会い、何かが不意に一致してものすごく心を動かされたりするということがあるわけです。その音楽は、必ずしも一般に知られた名曲ではありませんが、でも名曲と言われる作品が媒介になる確率はやはり高いということも、アンケートの結果から分かってきました。

 そのアンケート用紙ですが、さりげなくもう少しの間、どこかに置いておこうと思います。一定の数が集まったら、近いうちに(決して見ごたえのある結果ではないかもしれませんが)、集計してまた考察してみたいと思います。



2003年4月16日(水) 練習時の工夫について

 先日から引き続いて、本番で上手く弾けるためのコツについて書いてみたいと思います。本番で必ず成功するような普段からの練習方法はあるのでしょうか。私は、実は“集中力”というものを意識しながら練習することが大切だと思っています。

 よく、「演奏中って、頭の中は何を考えているのですか?」という質問をされることがあります。何を考えていると答えたら満足してもらえるのか分かりませんが、きっと「演奏に集中している」と答えれば良いのでしょう。では、演奏に集中するとは、どういうことでしょう? 次の音をどんな音色で弾こうとか、どんな流れを作ろうとか、そんなことを考えながら弾くということでしょうか。又は、指を次にどの鍵盤に持っていくとか、そういうことを考えるのでしょうか。確かグールドが言っていたかと思いますが、ピアニストは、指を次にどのように動かすなどと考えなければならない状態から、完全に抜け出していなければ、本番で満足のいく演奏はできないわけなのです。そういう物理的なことは、一切考えてはいけないのです。だから、暗譜も一音ずつ頭でしっかり覚えて、それを集中力でつないでいって最後まで途切れずに演奏する、などということができたとしても、もしそんなことを終始考え続けながらでなければ弾けないのは最悪なのです。集中力をつけるための練習法の一つとしてはもちろん結構なのですけれども。実際には、その段階を越えた上で、音楽だけに心を集中して演奏できなくてはならないのです。では、頭が空っぽでも指が自動的に弾いてしまうようなところまでさらいこめば良いのか、と言うと、それだけでもまた問題があるのです。頭はいつも冷静でいなければなりませんし(“空っぽ”と“冷静”は違う)、指は頭といつも直結していなければならないのです。理想的には、無意識に音を出してしまうということが一音たりともあってはならないんです。

 まず、家での練習で絶対にやっておかなければならないことは、曲の最初から最後までを雑念がまったくない状態で通せるようになること。つまり、頭がずっと冷静でいて、曲に没頭している状態のままで、最後まで弾き切る練習ができていなくてはいけないということです。これは、本番で最高に気分が乗って弾けた場合の想定です。逆に本番で調子が悪かったり、あまり集中できなかった場合も想定しなければなりません。わざと雑念を浮かべて練習する必要はありませんが、“半分”の集中力くらいで通してみる。または、断片的に途中から、それもいろんな箇所から入れるようにしておき、あるセクションを集中して弾いたり、少し気楽に弾いたり、又はもっと気楽に弾いたりしてみる。どれくらいの集中度合いの時に、指の動きが一番危なっかしくなりやすいかということを自分でチェックして、その状態をわざと作って、何度も自分の思った通りに弾けるまで練習する。それでも弾けないところは、もちろん別途の部分練習が必要です。今述べているような練習は、曲がある程度弾ける(通せる)ようになってから必要になってくることです。

 こうして、いろんな方向からさらっておくと、頭と指がいかなる状態になっても、まず演奏が大きく崩れることはないでしょう。あとは幸せなるかな、純粋に音楽だけに集中して演奏することができるのです。そこまで練習が完成していると、良い演奏ができる可能性も高くなります。ただ、それだけ練習できる環境と時間がたっぷり与えられていて、雑念もなく日々幸せに満たされて過ごしているかどうかということがもっと重要な問題なのですけど。(^_^)



2003年4月14日(月) 本番でどうしても上手く弾けないのは

 昨日、うちの生徒さんたちの子供と大人のためのミニ発表会がありまして、私も(聴きに)参加してきました。皆さん、もちろん上手く弾いていらしたのですが、それぞれ本番の自分の出来には完全には満足されていない様子でした。でも、たとえプロだって、弾き終わった後はステージ上では満足そうな顔をしていたりしますが、本当は誰一人(内緒ですが)、「100%良く弾けた」と思っている人はいないはずなのです。(超楽観的な性格の人は別ですが。)
 昨日の発表会のあとにも皆で話題になったので、どんなふうに練習したら少しでも本番で良い演奏ができるのかについて書いてみたいと思います。

 「本番で実力が出せない・・・」とはよく言われますが、そういうふうになってしまうのは、例えば次のように二つの大きなケースがあります。

1、指が思うように動かない。
2、アガってしまい、完璧なはずの暗譜が怪しくなる。

 まず1つ目の、指が思うように動かないのには、いくつかの理由があります。それは、まず本番直前にはウォーミングアップができないからなのです。家で練習している時は、指も暖まっていて、かなり動く状態で弾いているから分からないのですが、ステージ上で曲を弾き始めると、いかに自分の指がいつものように動かないかということを知ることになります。では、完璧に指が動いているように見えるプロの人たちは一体何なのか?という疑問が出てくるでしょう。
 実はつい先日、横山幸雄さんとお話をすることがあって、私は面白い質問をしてみました。彼は、ショパンコンクールに出場した時に、一次予選を「三度のエチュード」から、二次予選を「op.10-1」と「op.10-2」から弾き始めるという、絶対誰もやらない(誰にもできない)ような無謀な順番で弾き始めて、審査員たちをあっと言わせたことでは有名です。ご存知のように、上に挙げた三つのエチュードは、難易度が恐ろしく高いことでも有名ですが、ウォーミングアップなしで弾くのには最も不利な曲でもあります。では、横山さんはそんな難しい曲でもいつでも楽に弾けてしまうのか?と誰でも思いますよね。「そうなんですか?」と私は訊きました。ところが、彼にしてみてもやはり本番ではいつもの80%しか力が出せないのだそうです。だから、その80%のレヴェルでもって、人に聴かれて納得できるレヴェルを求めて練習したということです。これは、たいへん意味深長な言葉です。そうすると、普段の練習の時に自分が納得できる「良い演奏」が100%だとすると、120%の仕上がりを常に求めなければいけないことになります。これは、言うのは簡単ですがやってみると大変なことだということが分かります。結局彼は、自分の実力の8割方の演奏で、ショパンコンクールで入賞するだけのレヴェルを保っていたということになります。コンクールでは、そんなに大差が出ないほどのすごい実力者たちによる競争の中で、さらに“2割”ほどの差をレヴェルアップするというのはとてつもなく大きなものだと思います。ちなみに、ショパンのop.10の2は、もちろん譜読みから難しい曲ですが、弾けるようになってからも、テンポで演奏すると途中で手が疲れてしまい、なかなか最後まで手がもたない曲なのです。弾いたことがある人はお分かりかと思います。コンクールで完璧に弾いたという、あの横山さんでも、今いきなり弾くとやっぱりop.10の2は、「疲れて最後までいかない」のだそうです。(私は安心しました。)ただ、いくらかさらっていると、すぐに復活するそうですが。(「○○日あれば大丈夫。」とはっきり言ったのですが、この辺りはプライヴェートな話題になりますので発言は控えることに・・・。)

 では、2番目のアガってしまって、弾けてたはずのところが分からなくなってしまう、というケースですが、これもかなりの部分は練習中の工夫で防ぐことができます。ステージ上では、いつも弾いてきた曲なのにもかかわらず、自分で演奏しながら、まるで初めて聴く曲のような錯覚に陥ることがあります。これは、もちろんいつもと響きの違うホール、違うピアノ、その他お客さんがいたりと、いつもと全然違う環境で弾いているということもありますが、もう一つ自分の中の問題として、「普段考えないことを考えながら弾いている」ということも理由としてあると思います。普段の練習中は、人に聴かれていませんから、かなり「安心した」状態で弾いているわけですが、本番では「逃げられない」ために、精神状態が普通とはかなり違う状態になるのですね。例えば、いつもよりも”慎重”になりすぎて、「次の音は何だったっけ?」などと思ってしまい、指を見てしまったため暗譜が分からなくなったとか、または、いつもより異常なまでに音楽に集中してしまって緊張したり、逆に全然集中できなかったりと、普段の精神状態とかなり違う自分になるのが普通です。だから、これら考えられるすべてのケースについて、練習の時からすべてシミュレーションしてさらっておけば良いのです。先日の「暗譜の仕方」という話と重なってしまいますが、大事なことですので、また機会をあらためて書いてみたいと思います。



2003年4月11日(金) アンケート中間報告(2)

 ところで、「感動した曲」に一番多く票が入った曲は何だろう・・・と思って、そろそろ集計しようかとひととおり見てみたのですが、あまりに曲も作曲家も分散しすぎていて、これではまだ結果を出すのは難しいですね・・・。現実にネット上の用紙で回答を送ってくださった方は、数えてみるとまだ40通弱でした。なぜ来週まで集計を待とうとしているかというと、実は大学が始まるので生徒たちにその場で紙を提出して書いてもらおうと思っていました。そうすれば集計数が一気に増えるので。でも、そんな面倒なことはやっぱりやめましょう。それにしても、大学生たちは遠慮しているのか面倒くさいのか・・・とにかく一人もアンケートを送り返してくれないのですよ!一人も! ひょっとしたら、音楽に感動したこともないような音楽家がはびこっているのかと思いましたよ。(本当の理由は、単にインターネットができる有能な生徒がいないだけなのでしょうが・・・。)

 とにかく現在までの集計で分かったことは、意外にも生の演奏で感動したという数が多いということです。現代の世の中では、CD等で音楽を聴いて感動したというのが圧倒的多数かと思ったら、“生演奏で”とほぼ同数でビックリしました。まあ、回答してくださるような方は、音楽ファンが多いのでしょうからそうなったのかもしれません。もう少しの間、回答が増えるのを待っています。もう3曲に絞らなくても良いですし、「人生を変えた1曲」でも、「好きな曲ベスト10曲」でも何でも良いですから、どうかアンケート書いてください。複数の人から投票された曲がいくつも出てきたら、「名曲」がどの辺に存在しているのか・・・、について何かわかってくるかもしれません。(ちなみに現在のところ、本当に不思議ですが3票以上入った曲がないのです!)
 あまりアンケートにこれ以上目立った動きがなければ、もう早々に店を閉じます。(;_;)



2003年4月9日(水) 春休みも終わりましたが

 4月の始めという時期は、まだそれほど忙しくはないですが、子供たちや学校関係で働いている人にとってはやるべき仕事が始まり、これから徐々に忙しくなっていく時期です。これから夏に向けては日増しに暑くなるわけですし、7月頃にかけて日増しに忙しくなっていきます。人間は、冬の間は動物のように眠っているわけではないけれども、やはり活動は鈍くなりますよね。冬にはやはり音楽会なども少ないようですが、気候の良い季節にはドサっと固まってきます。ちなみに、もっと寒い地方だと、冬にはなおさら家に篭もっているように思いますが、北海道の人などは真冬でも関係なく音楽会に出ていくのですね。吹雪であろうが関係ないのです。一度、1月の始めに北海道の市街から離れたあるホールで演奏会を行ったことがあるのですが、直前のリハーサルの時に、外に出てみるとものすごく寒く、それに雪が積もっているためにあたりはシーンとして静かで、人っ子一人いなくて、この世から隔離されたような気分になりました。「本当に今日ここで演奏会あるのかなー…(このように思った記憶は他にもいくつかある)」、と心配になりましたが、不思議なことにちゃんと開演の時間が来るとどんどんと人が集まってくるので感動したこともありました。

 とにかく、この時期から7月頃までは一年のうちでも特にたくさんの仕事をこなさなければならない時期です。今年はインフルエンザにもかかってしまったし(咳の後遺症がやっとなくなったところです)、なんとなく冬に仕事がはかどらなかった分を、早く取り返さなければならない気分になっています。しかし、ことピアノの練習とレッスンに関しては、まとめてやってしまうことができない性質のものですし、常に仲良くしていかなくてはいけない仕事(^_^)でもありますから、いつものことながらバランスを取れた生活をすることに意識を集中しなければなりません。来月5月の東京文化会館でのリサイタルには、特に力を注いでいるとは言え、大学をあまり休講にすることは許されないでしょう。大学のレッスン開始後、すぐにロシアへ行くことになったのは予定外の展開ではありましたが、まあ自分でもちょうど今バラキレフ、メトネル、カプースチンを弾いていることですし、これはタイムリーだと思わなければなりません。そんなに誰でもしょっちゅう行く場所でもないですしね。皆さんの代わりにいろいろ勉強してきます。まあおかげさまで、一週間早く大学へ勤務なのですが…。でも、この旅行には実はもう一つの大きな目的があるので、今回だけは絶対外せないのです。(^_^;)

 さて、「感動した曲アンケート」ですが、これももうすぐ片付けたいと思いますので、まだこれから書いてくださる方は、お早めによろしくお願いします。「好きな曲をたった3曲になんか絞れない…」という意見がとても多く、ほとんどの私の知り合いは、回答を引き延ばしにされているようなのですが…、どうかこの機会にお願いしますね。思い付きでもなんでも結構ですから、今すぐ書いてくださいね。(^_^) アンケートなのですから当然かもしれませんが、私の知らない方からの回答を実にたくさんいただきました。皆さんのご協力に感謝しています。いよいよもう少し経つと結果報告を書かなければ・・・(^_^;)ですね。はたして結果などというものが出るのかどうか心配ですが…。



2003年4月4日(金) 普通の数倍の仕事ができる人

 私は以前、「一つの外国語を習得するのに、1万時間を費やせば誰でもスペシャリストになれる」というようなことを言いました。でも、人生そんなに何万時間も自由になる時間はないのですから、じゃあ何ヶ国語も喋れる人はどうなっているんだ?という疑問がわきます。人生そればっかりやっていたわけではないでしょう。ピアニストも、一生の間に持てることができるレパートリーの数は限られているという見方もあるわけですが、じゃあ、アムランみたいなのは何なのだ?という疑問もわきます。あれだけの新しい曲を次々に譜読みしてレコーディングをし、しかも演奏会でも弾けるレパートリーとして定着させる曲の数は無限に見える。時間をどのように使っているのか。持っている能力が違うと言われればそれで終わってしまいますが、それ以外にも理由はあるかもしれませんね。少なくとも、自分の能力の限界というものを決めていないのでしょう。

 多くのことができる人というのは、「多くのことに関心がある」ということではないかと思います。数ヶ国語を操る人は、それだけ多くの国や人間に関心があるということでしょう。ピアニストであるアムランは、未知の楽譜に出会った時はきっと胸が騒いで、すぐにでも全部譜読みしたくなるのだと思います。そして、ものすごい短期間に新しい曲を自分のものにしてしまうのでしょう。何事もモチベーションが大事なのです。動機が強ければ何でも身につくし、しかも時間も短縮できます。早く身につくのですね。だから本当は、例えば、「一週間後に暗譜して来い」と言われたら、誰でもできるのです、絶対。でも、普通はそれだけ強いモチベーションがないから、できないだけなのです。ピアノをやってきた人であれば、それまでに人前で長くて2〜3曲しか弾いたことのなかった人でも、「2ヶ月後にリサイタルをやれ」と、もし言われたら、たぶんできるのです。誰もそんなことを本気で言ってくれないからできないだけなのです。だから「やりたい」という強い意識を持つことで、何でもできるようになるのですよ。ところが無関心、無感動に生きていると何も発見しませんし、やる気も起きないのです。「無関心」は恐ろしいです、本当に。いろんなことに関心を持つことのできる人が、結局優しい人間にもなれるのだと私は信じています。そして、せっかく何かに関心を持つなら、社会のためになることにつながっていくと良いですね。

 話がまったく変わりますが、この4月からなんとNHKラジオ講座で「アラビア語入門」が始まったようですね。アラビア語の講座は、日本では初めてだということです。すごいと言えばすごいですが、見方によれば、今になってようやく?という感じもします。国際的に見ても、どうなのでしょうか。日本人は、国外で起きていることや外国そのものへの関心がそもそも薄すぎるという気がします。これは、地理的な意味でも歴史的なことからも、仕方のない部分ももちろんあるわけですけれども。しかし、世界のいろいろな問題は、政治家だけの問題ではなく私たち一人一人の問題でもありましょう。海外の国で何かが起きたとしても“自分たちは直接武力を持って戦うことはない”というところから、甘えに似たようなものもあるかもしれません。そのため、ハッピーでお人好しな国民であるとは言えます。アメリカには本当に甘く見られていますよね。本当に何とかしたいです。世界の国々というものはすべてつながっていて、戦争だって決して対岸の火事ではすまされないのですね。もう、日本という国は世界でも大国なのですから・・・、まあ徐々にではありますが日本人も国民レヴェルでそれを意識し始めたというところでしょうか。例えば地球全人口の大きなウエイトを占めるイスラム世界のことを私たちもよく理解することは必要でしょうし、アメリカという国のことももちろん、ブッシュ大統領の考えに至るまで、もっと知ろうとしなければならないと思いますね。一人一人が本気で関心を持つことが大事だと思います。まず理解することから、直接語り合うことにつながっていくのですから。その点、海外に住んでいらっしゃる日本人の方は意識がかなり違うと思います。一対一で、日本人とアメリカ人が語り合うときもあるでしょうし、議論を交わしたり意見を言うことだってなくてはなりません。
 音楽家だからといって、世界情勢に対して無言でいるわけにはいかないでしょう。それこそ戦争の時に音楽家など必要ないように見えるかもしれませんが、そんなことはありません。言葉が人を動かすなら、音楽にもそれは可能でしょう。それは、演奏によってというだけではなく、クリエイティブな部分ではいろんなことが可能ですし、言葉と結びつけば、その影響力はさらに強くもなるでしょう。また、音楽それ自体が人間の心に与える、不思議な精神的波動というものも、目に見えない力を持っているでしょう。例えばモーツァルトの音楽を聴いている時に、敵と戦いたいという気持ちになる人はたぶんいないでしょう。ただ、「音楽は言葉を越えたものを表現する」と豪語するなら、もちろん音楽家も(音楽家に限りませんが)、これからはあらゆることに通じている必要があるのではないでしょうか。単純に“音楽を奏でる”以上の仕事をする使命が、音楽家にはあると思っています。



2003年4月1日(火) 暗譜は怖くない!?

 そろそろ新学期ですね。私はちょうど今くらいの季節、まだ春になりかけているくらいの季節が一番好きです。東京あたりだと朝晩まだちょっと肌寒いくらい。この気候が好きなのです。昼間は太陽が照ってきてポカポカして気持ち良く、夕方また少し温度が下がります。北海道で生まれたことと関係あるのかもしれませんが、朝晩は少し寒い方が良いのです。それはさておき、この時期に新学期が始まる日本という国はやっぱり好きですね。桜も咲きますし、新学期の気分に気候がぴったりです。これが、欧米だと9月に新学期が始まりますし、どうも私には中途半端な季節だと感じます。国によって、新学期が始まる月が全然違うようですね。中国は欧米と同じ9月始まり、これがオーストラリアだと1月で、韓国は3月だとか。ほかの国も全然違うようですが、世界では珍しいとも言われている4月という季節に一年が始まるという習慣、これだけは日本が一番ですね。

 さて、ピアノには季節はありません。今日もせっせと練習をしているピアノ人間たちもいるでしょうね。今日は、前から書きたかった暗譜の話です。それというのも、「暗譜が怖い」という言葉の存在をなくしてしまいたいと前から思っていたのです。どのように曲を暗譜するかという技術的な話は別にして、本番になって暗譜が突然怖くなる話、または、本番が近いのにいつまでも暗譜ができないという人のための話です。暗譜の恐怖がなくなる場合というのは、次の3つの場合が考えられます。

 1 かなり長い時間をかけて練習してある場合
 2 すでに人前で本番を経験している場合
 3 そもそも覚えるのにそれほど困難な曲ではない場合

 1のように、例えば半年も一年も同じ曲をじっくり練習できるのであれば、そんなに問題はないでしょう。2のように、本番で弾く体験をしていれば、たとえその時大成功の演奏が出来なかったのだとしても、本番の時のコツがつかめているので次の時は楽なのです。また3のように、簡単な曲であるのなら問題は少ないのです。
 実際には、上のどれにも当てはまらないことが多いから皆苦労するのですね。ここで紹介したいのが、辻井伸行くんの練習方法です。彼は、ご存知のようにまず暗譜をしてから曲を勉強していきます。(日記のページ2002年10月を参照) そして、なんと彼は今までに暗譜を忘れたことも、忘れかけたこともないのです。私は、これまで8年の長きにわたって彼とつきあってきましたが、一度彼が覚えた曲は、曲の細部まですべて覚えているのです。本番ではもちろん、レッスンの時でさえ、ちょっと音が分からなくなってしまうなんてことは一度もないのです! 結局、楽譜を記号として覚えているわけではなく純粋に音で記憶していると、曲のどこからでも入れるし、忘れる恐怖などというものはないのです。だから、逆の言い方をすれば、本当は“楽譜を忘れてしまうほど”覚えていなければならないのです。それには良い方法があるのです。それを実行すれば、あなたも明日から暗譜の恐怖から解放されます。それは次の方法です。

 新しい曲を覚える時は、かなり早い段階で、「楽譜を目で追う」ことをやめるべきなのです。あるセクションが弾けるようになったら、もうその時点ですぐにその部分を記憶することに努めるのです。その繰り返しでさらっていくのです。そして、もし長い曲であったなら、その曲のどこからでも楽譜を見ないで入れるよう、あらかじめ意図的に練習しておきます。そのような頭出し箇所をたくさん設けることです。もし、演奏中になんらかのミスがあってわからなくなっても、すぐにその前後から復帰できる部分があるということは、大きな安心につながるのです。結局、不安になるのは、もし途中で分からなくなった場合、頭が真っ白になって、結局最初に戻るしかない(笑)ってなことにならないだろうか、と思ってしまうからなのです。そのような練習をしておくと、楽譜なしでもどこからでも入れるし、楽譜なしで部分練習さえできます。これをやっておくと何も怖くないのです。この上さらに暗譜に確信を持ちたければ、こんな方法もあります。例えば、ある長い楽章の頭出し箇所を40ヶ所設定した場合、まず楽譜なしでその「40番目」から入って最後まで弾いてみます。次に、やはり楽譜を見ないで「39番目」から弾いてみる、次は38番目から・・・と最初に戻るまでやってみるのです。これができるかどうか。どこかで楽譜を確認するようではまだ暗譜ができていないということです。これが全部できただけでもものすごい自信につながります。もちろんこんな面倒なことしなくても、普通に弾いていて覚えられれば楽なのですけれど。でも、ものすごく複雑な曲で、さらう時間が無限に与えられていないような時には、この方法はすごく有益です。私もカプースチンのソナタでやっております。あんな激しいリズムの中で音が速く動いていても、ちゃんと理解しながら一応弾いているわけです。決して、腕の運動にまかせて“自動的に”弾いているわけではありません。だから、この練習をやるためには和声をきちんと理解していなければできません。前後の脈絡に関係なく、ある部分をすぐに音として頭の中で鳴らし始めなければならないからです。こういうときには、辻井君のように絶対音感があるともちろん役に立ちますが、必ずしも持っている必要はないと思います。




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