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〜旧「音楽雑感」のページ、音楽の話題その他を日記風に綴る〜



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2003年9月29日(日) さらに、もう一つ「新ページ」を作りました

 自分が直接・間接に関わっている演奏会や、セミナー、公開レッスン・講座等のお知らせを掲載するページを新しく設けました。広く宣伝するわけではありませんが、安く譲れるチケットを持っていたり(稀ですが!)、自分も企画に関わっていたりするものを優先的に書いていきたいと思います。イベントに関するご質問などは、メールでお問い合わせいただければ、なるべく早くお答えしたいと思います。(手が空いていればですが。)

 ところで、今でもぽつぽつと「感動した曲」のアンケートに書いて送ってくださる方がいるんですね。先日も、名前の欄に“7才”との記名があり、曲は、「英雄ポロネーズ」、どこで?は、「映画で流れていて」(これは初めて!)と書いて送ってくれた方がいました。お名前を知りたいものですね。誰でしょう?? しかもコメントは、「いつかこの曲が弾けるようになりたい」。私がそんなこと思ったのはたぶん10歳を越えてからだったでしょうから、この子はちょっとすごいんじゃないですか??

 暗譜のアンケートに関しては、一段落したようですが、まとまりがつかず棚上げに。激論の末、やはり自分の行動としては、以前から何も変わることなく、これからもできる限り暗譜で演奏することを決意したということのみ。暗譜の弊害を語ろうと思って始めたのに、やはり暗譜の効用のほうを大きく認識。愚痴など言わず、さらうのみです。しかし、曲を勉強するのに時間を短縮する方法は常に模索するべきという意見は固持。テクニックを磨くことにも賛成。逆説的ですが、その結果、音楽に深く没頭できる時間が増えるのです。



2003年9月25日(木) 新ページ「演奏のためのヒント」

 また、最近の日記の内容が真面目な演奏に関することばかりで少し重たくなってきましたので(笑)、いっそのこと、新しいページを作ってみました。つまり、“ピアノ演奏のガイド”的な要素や小論考風の内容を持った文章は、今後は「演奏のためのヒント」というページに書いていくことにします。こちらも日記風な装いを持ったページということではあまり変わらないといえば変わらないのですけれども。過去に書いた日記の中にも、いくつか真面目な話題(ちょっとだけ専門バカ的な話題?)を取り上げたものもあったので、自分でも見つけやすいように、そのページからリンクできるようにしておきました。今後、こちらのページにはもう少し軽い、息抜きになるような内容を…ということで、分けていきたいと思っています。実際どうなるか…は続けてみないとはっきりはわかりませんが、今後そのようにしてみたいと思います。「演奏のためのヒント」ページへは、トップページからリンクしています。



2003年9月21日(日) 強靭な手

 ピアノを弾くためには、ある程度の手の握力というか、強い手を持っていなければいけないと思います。小さな子供はともかくとして、ある程度大きくなっても蚊の鳴くような音しか出せないようでは、演奏は難しいと言えるでしょう。ピアノは指や腕の筋力が強くなければ、そう弾けるものではないのですね。

 欧米人ピアニストには、強靭な手を持っている人が多く、我々にとってはうらやましい限りです。骨格からして違いますからね。私などは、普段から腕や手が疲れてしまわないよう、常に筋力のトレーニングの必要にせまられています。以前も書いたかもしれませんが、自分の経験上、ハノンの練習曲はとても有効です。スケールやアルペジオはもとより、特に重要なのは、「オクターヴ」と、「重音」が絡んでくる練習曲です。そして、極めつけが最後(第60番)の「トレモロ」。少しの期間練習から離れていると、この第60番は1ページを弾かないうちに手が疲れてしまって持たなくなります。メトネルの「カンパネラ」をたとえ通すことができても、このハノンの第60番「トレモロ」は、1ページも弾き切ることができないのです。それが6ページも続くのですから、いかにこれが筋肉を鍛えるために有効に書かれているかが分かります。

 これは、私の持論なのですが、「手や指(腕も)が強ければ強いほど、指は速く動くようになる」と思うのです。指の筋力というか、手前に引っ張る関節の力が弱い人は、鍵盤に指を乗せる力が弱く、音も弱い音しか出ませんが、やはりテンポもスピードが出ないのです。自由自在にテンポを操り、自在な表現をすることができるためには、やはり“強い指”がまず必要だということです。その上で、演奏上のいろんなコツのようなものがあるわけです。

 例えばリストの曲には、無理ではないかと思うほどのオクターヴや、和音を伴う速い連打のパッセージが出てきたりします。ケマル・ゲキチなどのピアニストは、それを平気で弾いているように見えるので、何かコツがあるのか、あるならぜひそれを訊いてみたいと思っていました。そして、ゲキチに会った時に、目の前でリストの「ウイリアム・テル序曲」を弾いてもらったのですが、笑ってしまいました。コツなど何もない。とにかく、腕力と気合だけで弾いていました。全然違う指使いを使っているとか、実は音を一つ二つ抜いたりとか、いろいろやっているのかと思っていたのですが、とんでもない。すべての音をちゃんとまともに弾いていました。(笑)

 華奢な日本人には、手が小さいということと、手が弱いこと(鍵盤が重く感じる)の両方のハンディがあるようにも思います。それからもう一つの問題は、現代のピアノという楽器の問題です。ピアノは昔から改良され続け、変化してきていますが、それにしてもなぜ現代のグランドピアノは、どれもこれもこんなにタッチが重くなってしまったのか、ちょっと理解に苦しんでいます。コンサートで使うスタインウェイも、どれもものすごくタッチが重いのが常です。ショパンの難しいパッセージは、実はもっとタッチが軽いピアノなら楽に可能なのではないか、ラヴェルに出てくるグリッサンドもそうではないか。そういう疑問が沸いてきます。誰も文句を言わずに弾いています(ように見えます)が、多くの現在の楽器(グランドピアノ)では、曲によっては弾けないということも多くあるはずだと思っています。そういえば、かのカプースチンも、タッチの軽いピアノを好んでいると言っていました。重いタッチのピアノではダメで、家では軽い鍵盤のピアノを使っているとのこと。
 
 かなり以前になりますが、テレビでアルゲリッチとフレイレが2台のピアノのアンサンブルをやっていた(確か“ラ・ヴァルス”か何か?)のですが、フレイレがグリッサンドの途中で鍵盤に手が引っかかったのを、私は目撃しました。演奏には大きな支障はありませんでしたが。(笑) 「フレイレでもあんなことあるのか」と子供心に思った記憶がありますが、実はピアノによっては反応の鈍い、というか、鍵盤が重くてグリッサンドが困難な楽器があるのだということは、その後かなり経ってから分かりました。まあ、楽器に対して愚痴ばかり言っても仕方がないのですけれども。



2003年9月18日(木) ショパンはなぜ難しい?(2)

 再びショパンの話を続けます。結局、考えれば考えるほどショパン自身が相当の演奏技術の持ち主だったと思われるのですね。しかし、実はショパンの曲の中で出てくるテクニックは、ほとんどすべてハノンの60番練習曲に入っているもので、これさえきちんとやっていれば、曲のどのパッセージもそんなに難しくなくなるだろうと思われます。私は子供の頃、ショパンのピアノ作品をほとんどすべて譜読みしましたが、やはり難しくて弾けないパッセージはあって、何度も弾き直しをしたり、必ずつっかえる箇所があったりした記憶があります。(多くは自己流で弾いていたことにも原因があるとは思うのですが。) それがなんというか現在でも“トラウマ”になっていて、技術的にはもう問題ないはずなのに、今でも同じ箇所へ来ると弾けなくなり、どうにも抜け出せなくなってしまうこともあります。(笑)  だから、子供の時には弾けない曲は無理せずに、自分に合ったものを、しかも正しい弾き方を教わって弾くのがやっぱり良いのでしょう。同じように、「我流の指使い」も、10年もそのままにして弾いていると、もう直せなくなってしまったりします。

 ショパンを弾くために大切なこととして、よく言われるのが「テンポルバート」です。よく、カチカチ弾いている人に「もっと自由に弾きなさい」などと、先生に注意されたりするけれども、どうすればそのように「自由に」弾けるのか、それが分かれば苦労しないんですけど…(;_;)という気持ちになってしまいますよね。まあ、抽象的に「自由に弾きなさい」という助言にも問題があるかもしれませんが、結局、表現上どのように工夫できる可能性があるのか、その具体的な技術を学びたいわけなのですね。テンポ・ルバートとは、わざとテンポを揺らすことでも、わざと拍をずらして弾くようなことでもありません。「音楽の自然な流れを感じること」とでも言いましょうか。それを自分のセンスと照らし合わせ、表現に取りこんでいくということです。
 もう数年前になると思いますが、テレビのインタヴューでスタニスラフ・ブーニンが、ショパンの演奏に関して、「僕は今までショパンの演奏で何かを表現しようとしていたけれども、そうではなく、ショパンの音楽そのものに自分自身が身をゆだねるだけで良いのだ、何もする必要はないのだ、そうすることで一番自然な音楽が生まれるし、ショパンの良さが伝わるということを悟った」というようなことを言っていました。その時番組に出ていたコメンテーターのような人は、この言葉の本当の意味を理解しないで、確か否定的に解釈していましたが(誰だったかも今は覚えていないが)、このブーニンの発言は私にはとてもよく分かりました。でも、「音楽に自然に身をゆだねる」ことができるところまでいくには、大変な演奏経験の道のりが必要だと思います。真似事で「上手いルバート」などできるものではないのですね。テンポを揺らすのではなく、一音一音に対して丁寧に表現をつけて練習することが大事なのです。例えば、大切な音には微妙に長く留まり、大事に扱う。軽やかな音は軽やかなタッチで、ある音には決してアクセントがつかないようにする。というように、一つ一つの音には、音の出し方(タッチ)が微妙に違うはずで、それを意識していると一つ一つ表現できるようになっていきます。最初は、細かな音に対して一つ、二つとニュアンスをつけられるようになっていくのですが、だんだん熟練してくると、すべての音にニュアンスがつけられるようになっていく。それが連続した状態で演奏が進んでいくわけですが、そうした時に、なんとそこには自然な“テンポ・ルバート”というものが生まれているのです!



2003年9月15日(月・祝) ショパンはなぜ難しい?

 昨日、うちの教室のピアノの発表会『リトルマエストロたちの会』が無事終わりました。(^_^)
昨日は聴く側に徹して、私も楽しませて(手に汗握りながら?!)いただきました。感想の詳細やコメントは、是非ともゆかり先生に書いていただくとして、私はさっそく他の話題について書きたいと思います。以下に書くことは、昨日の発表会で思ったこととは何の関係もありません。ただ、ふと思いついて書いているだけですので、そういうふうに読んでください。

 「ショパンが難しい」ということはもちろん周知のことでしょうが、最近本当につくづくそう思います。なぜそうなのかと考えてみました。(というか昔から考えてはいるのですけど。)
 技巧的にはもっと難しい曲はたくさんあるのに、ここまでピアノ演奏の究極の技術を必要とするのは、やはりショパンが断然一位なような気がします。ショパンの音楽は、一つ一つの音をどう扱うか、ということがとても重要だし、音楽に求められるものが限りなく繊細で、しかも難しいパッセージが突然出てきたりします。例えば、バッハはたくさんの崇高な作品を書いていますが、そのクラヴィーア曲はポリフォニックな難しさはあるけど、声部をよく理解して弾き分けることさえできれば、表現上の難しさはショパンと比べられるものではないでしょう。変な例えですが、バッハの曲をコンピュータで演奏したとしても、音が緻密で構成がしっかりしているので、曲の良さは少なくとも伝わってくるような気がします。また、他の楽器で演奏したり、編曲されたりしても、音楽的な本質はそれほど変わらないような作りになっているとも言えます。これに対して、ショパンの音楽は表現上とても繊細なものが求められ、ピアノという楽器以外では出せないような音のニュアンスや、テンポルバートの妙などが不可欠で、そういう意味でとても難しいのです。足が地につかないような感覚とでも言いましょうか。そして大曲には(大曲でなくとも?)、難しいパッセージが多く出てきます。この難しさは、実際メトネルなんかの比ではありません。弾きにくいのです。メトネルは、聴く人には難しく感じられても、そういう意味では実にすべてが弾きやすく書かれています。「何度練習しても絶対弾けない(笑)」というようなパッセージはないのです。そして、ロマン派の音楽ですから、許される自由が多いという意味では、ラフマニノフやメトネルのような作品は、本当に演奏家にとっては弾いていて喜びを伴うものです。それに対して、ショパンは同じロマン派でもちょっと特別です。繊細さが違う。そういう喜びを得るところまでいくには、かなり高い境地にまで達していなければいけないような気がします。特に初学者にはショパンの多くの曲は弾きずらくて、不自由な気がしてたまらないことかと思います。そういう難しさをみんな知っているから、ショパンのエチュードは試験やコンクールの課題曲第一位の座をほしいままにしているのでしょうね。聴くのはとても素晴らしいのに弾くのはこんなに難しい、なんていう作曲家は他にはあまりいないのではないでしょうかね。

 同じような難しさは、例えばモーツァルトを演奏する際にも感じます。音の数はそんなに多くはないし、装飾音もまだショパンから見れば単純ですが、求められる繊細さや音楽的なセンスは、やはり高いと言えるでしょう。モーツァルトの音楽は、古典派だからといってまったくルバートをせずに演奏するのが正しいわけではなく、むしろテンポやリズムの感じ方、間の取り方などに微妙なセンスがなければ曲にならないようなところがあります。また、一つ一つの音の扱い(アーティキュレーション等)についても、すごく繊細で確かなものが求められます。その上、ただ正しくリズムを刻んでいても、何かそれだけでは生き生きした音楽に聞こえない。良い演奏を聞かせるのが難しい作曲家の一人ということが言えるでしょう。では、そういう曲を演奏する際の表現力はどのように身につけたら良いのでしょうか。これは、ショパンの演奏におけるルバートの問題などとともに、じっくり考えてみたい点ではあります。

 この続きは、ショパンの話を中心に、演奏に必要な“テクニック”と、“演奏技術”(特にテンポ・ルバートの問題)というものについて考えてみたいと思います。



2003年9月9日(火) メトネル・リサイタルVol.2を終えて

 オール・メトネルプロのリサイタル、東京で2年ぶりの第2回めとなりましたが、これも皆様のお陰で先日無事に終了しました。この、一見マイナーとも思われそうなプログラムのリサイタルに、あれだけの方が聴きに来てくださったというのは“奇跡”とでも言いましょうか。本当に嬉しかったです。メトネルだけでもけっこう音楽はバラエティーに富んでいると思ってくださった人、なんだメトネルって素晴らしいじゃないか、と思ってくださった人などがもし(“もし”、ですが)いたとしたら、とてもとても嬉しいです。しかし、弾く方はさすがにあれだけ弾くと、その後、丸二日間ほどは体が正常な生活ができなくなっております。(翌日から、一応外見は平然と出勤したりしましたが。)今日は、まるまる一日(次の曲をさらいながらも(?))休養しています。

 今回は、さすがに少しは成長したかな(?)と自分で思えるだけの演奏ができれば良いな、と思って一応本気で臨んできましたが、はたしてどんなものだったか…、ぜひ皆さんに感想などを謙虚に伺ってみたいと思っています。(こういう心境になれたというのも、ひょっとしたら自分にとってもいつもよりは充実感があったということなのかもしれません。) 自分自身の精神と肉体のコントロールというものが、やっと少しできるようになってきたとでも言いましょうか。ピアノを弾くだけなら(ただ“弾く”ということは)簡単ですが、また、暗譜をして弾くということも訓練すればそれほどのことではないでしょうが、それを決められた条件下で自分が持っている最高のものを出すという技術は、これだけは他人に教われるものではありません。ここがもっとも難しい部分で、たぶん当事者(といっても演奏を少なくとも数十年以上続けている人)でなければわからない部分でしょう。しかし、ここが、かなり完全にできるようになってきたときに、いわゆる「円熟した」と言われるようになっていくのだろうな、とも思います。今の自分には、まだまだそのような境地は程遠いですが、まあ少しずつでも近づいていっているかな、というか、その方向性は分かるような気がしてきました。でも、何かを究めるというのは、たぶんどの世界でも本当に長い道のりを歩まなければならないのだろうな、と思います。

 ところで、メトネルの楽譜「忘れられた調べ 第1集 作品38」も、お陰様で無事に出版されました。9月20日以降には店頭にも並ぶそうですが(「メトネルピアノ曲集」ついに国内版デビュー!)、先日さっそく購入してくださった方々はありがとうございました。(どんどん練習してください(^_^) …そして研究してください(..)。) 第2冊目の「名曲選集」には、「おとぎ話」が8曲(Op.14,20,26,34,51より)のほか、計13曲が収められる予定で、これも早い出版が実現するよう頑張りたいと思います。そちらの曲集の方には、さらに易しい中級程度の曲が多く含まれることになると思います。2冊目には、「おとぎ話」を中心とした、また詳しい解説が載るということも小耳に挟んでおります。(^.^)




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