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〜旧「音楽雑感」のページ、音楽の話題その他を日記風に綴る〜
2004年



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2004年5月30日(日) カプースチン情報〜少しだけ

 最近、またカプースチンを弾きたいという人が増えてきたようですね。なんと私に問い合わせてくるより先に楽器店に駆け込んで楽譜を求め、「カプースチンの楽譜なら東京音大の川上先生が出されたようですよ」(実際は出していない)などとお店の人に言われ、そこで初めて、「そうだったんですかあ?」などと私に訊いてくるという私の生徒がいたりして、けっこうびっくりしました。ピアノ・ソロの作品の楽譜は、具体的にすでにいくつかが全音から出版されることが決まってはおりますが、まだすぐというわけにはいかなそうです。秋頃までには、一つ二つと順々に形になっていくはずです。広く普及する良い内容のものができるよう私も働いております。難易度としては、とても初級者向けとは言えませんが、作品が素晴らしいですから、長いスパンで見ればショパンのエチュードのように好まれていく可能性もゼロではないと思っています。

 カプースチンのエチュードには、ポピュラーな「8つのエチュード」のほかに、「異なる音程による5つのエチュード」Op.68というのがあって、これも音楽的にはとても素晴らしい作品です。この作品が収録されているアムランのCDもそろそろリリース時期が確定したようですから、マニアックな方々のために収録曲をここに書いておきましょう。ただし、まだ出版前ですから曲名までは書かずに、作品番号のみで書きます。決して暗号を装っているわけではありませんが…。
 まずアムランのCDですが、収録順に作品41、作品40、作品59-9、作品28、作品62、作品100、作品68で、合計78分ちょっとです。興味のある方だけ、曲名を検索してください。さてそれから、カプースチン自身の新しい録音も今年の終わりまでには出るらしいですから、こちらの収録曲も一応作品番号で…。(ただし、まだ内緒ですよ。) こちらは、作品64、65、66、67、作品83、作品108、作品102で、合計68分余りです。もうとにかく素晴らしい演奏で涙が出ます。

 「5つのエチュード」Op.68の第1番は、「短2度」のためのエチュードですが、「短2度」のエチュードなんて、とても響きが汚いのではないか?と想像してしまいます。楽譜を見ても、冒頭から一見グロテスクな曲ではないかと疑うのですが、実際はとんでもなく明るい曲想で素晴らしい構成感を持った曲です。ここで思い出されるのは、ドビュッシーの「12のエチュード」です。このエチュード集の「3度のための」や「8本の指のための」と題された曲も、かなり意表をついた曲に仕上がっていて、ドビュッシー独特の作曲に対する強烈なこだわりがありますが、カプースチンにも同じようなものを感じます。だいたい「短2度」という音程から、あのような「明るい」曲を作り上げるという発想が信じられません。基本的にカプースチンの人間性というか、根が明るいのでしょう。そういうところも私はとても好きです。ちなみに、Op.68の第4番などは、こちらは「長2度」、「長9度」、「短7度」を駆使した曲でこれも傑作。第5番は、「オクターヴのための」エチュードですが、これもまたよくできていますが一筋縄ではいかない難しさを秘めていそうです。アムランは、このエチュードのオクターヴを全体的にノン・レガートで演奏していますが、作曲家の意向としては、もっとレガートで弾いてほしかったようです。楽譜には確かに最初の方の小節にしかスラーは書かれていませんが、ショパンのオクターヴのエチュードOp.25-10のように、レガートで弾かれるイメージを持っていたようです。しかし、それ以外にはアムランの演奏についてカプースチンは、「素晴らしい演奏です」以外の言葉は何も言いませんでした。

 カプースチンの音楽は音が多いとよく言われますが、私自身はそう思ったことは一度もありません。不思議なのですが、全然そう感じないのです。音の多さはこういう音楽にはちょうど良いくらいだと感じますし、聴いているととてもくつろぎます。(もちろん、決してそういう音楽ばかりが好きなわけではありません。シューベルトだって好きです。) 時は200年以上も遡りますが、モーツァルトの「フィガロの結婚」を聴いて皇帝ヨーゼフ二世が、「素晴らしい作品だが、音を多く使いすぎる」と言って批評したということですから(「後宮からの誘拐」を聴いた時に批評したという説もあり)、音が多いか少ないかなどということはあくまで人間の相対的な感覚なのだと思います。モーツァルトの時代であっても、新しいことを試みればやはり革新的で奇異なものに感じられたのでしょう。カプースチンにとってはアレグロが命とも言えますが、もともとジャズなど、こういうノリが好きな人はともかく、慣れていない人には長時間聴くと元気が出すぎて疲れてしまう人もあるかもしれません。でも、私にとってはまぎれもなくカプースチンの音楽は、一つのヒーリング・ミュージックの役割をはたしています。



2004年5月29日(土) 体力というもの

 少々ハードではありましたがレコーディングもとりあえず終わり、一時的には辛い日々から解放されています。体力はさすがに20代と同じというわけにはいきませんが、いやまだまだ自分もタフな人種なのかな?思ってしまいました。CD録音の時などは、私はどちらかと言うと最後の最後まで弾きまくるタイプなのです。今回は、それでも早めに切り上げたつもりでしたが、頑健なはずのベテラン技師たちもほとんどみな息絶えていました。リヒテルなんか、録音の時にリストのソナタか何かの大曲を確か7回も続けて弾き通した(?)と読んだ記憶がありますが、それと比べると全然たいしたことはありません。メトネルの「カンパネラ」を3回も弾けば、さすがにもう鍵盤を押す行為がだんだん嫌になってきます。

 冗談はさておき、昨日は自分の誕生日であったことも忘れて朝から晩まで仕事をしていましたが、それにしても、自分が「弾く」という仕事は、いかに他の仕事と比べて比較にならないほどのエネルギーを要するかが分かりました。とにかく普通の仕事であれば、ハードであってもペースさえきちんと守り、それぞれに投入するエネルギーをよくコントロールしていれば一日も休まなくともけっこう機嫌よく仕事が続けられますが、「弾く」ということだけは、そうはいかないということです。まあ、ピアノをやらない人にはあまり理解ができないかもしれませんが、60分ほどのプログラムを次々に確実に覚えて弾き続けていくのは本当に大変なことではあります。(土壇場でレッスンをほんの少しだけ休んでしまったのは不覚でしたが、今後はちゃんと働きますのでお許しください。) 最近はスポーツジムに通うひまもなく、自分では運動不足だと思っていたのですが、究極に辛い仕事を自分に課し続けてそれを乗り越えてみると、けっこう自分もまだまだ強靭な体力を持っているのかなと、ある意味驚きました。(健康にはもちろん感謝しています。) とはいえ、本物の体力はやはり今後も重要だと感じたので(そういう年頃なのでしょうか)、今後の生活は少し変わる予定です。つまり、仕事を減らすのではなく、体力作り中心の生活に切り替えようかと思っています。体が疲れ果てて「もう弾けない〜」という苦しみは、暗譜ができない苦しみをはるかに越えていると感じます。(ちなみに今回のレコーディングですが、なんだかんだ言っておりましたがやっぱり全部暗譜でやってしまいました。)



2004年5月20日(木) 腕が疲れてしまうのは仕方がない

 カプースチンを必死でさらっていたら3〜4キロほどやせてしまいましたが、本番が終わっていったんどっと疲れたあとに、ふたたび体調は復活してきました。ところが、まだレコーディング等があって練習を続けなければいけない日々なのですが、この期におよんで防音室のエアコンの調子が悪くなり冷房が壊れてしまったのです。汗をかきかき練習する毎日でしたが、暑さに弱い私には本当に辛かったです。ついに一昨日になって、やっとエアコンの修理が終わって部屋が冷えるようになりましたが、それ以来なぜか涼しい日が続きますね…。^_^;

 現在は、カプースチンではないプログラムを一生懸命練習しているのですが、同じように長い時間弾いているのに腕の疲れ方が全然違うのですね。それほど疲れないのです。カプースチンは、作品も人間も素晴らしいのに、どうして弾く人にとっては意地悪というか、こんなに疲れるのでしょうかね。欧米人、ロシア人など腕の強い人にとっては何でもない問題なのかもしれませんが。でも、やはり練習用のピアノは作曲家本人も愛用しているようなタッチのものすごく軽いピアノでなければ駄目なのかもしれません。(カプースチンとモスクワでお会いして来た時のエピソードは今回ほとんどこのホームページには書いていませんが、ある音楽雑誌の最新号(6月号)に貴重な写真付きで原稿を載せました。ご興味のある方はお探しください。(^^))

 話を戻しますが、エチュードが一般に難しいと感じるのは、指や腕が疲れてしまって最後まで持たない、ということもあります。疲れてしまうので、速いテンポでの部分練習には限界が出てくるのであまり長い時間練習できないという訳です。パワーがあれば難なく弾けてしまうこともありますが、それでもやはり疲れてしまう曲というのはあります。例えば、ショパンのエチュードOp.10のNo.2。これをテンポで弾くと、途中で疲れてしまうという経験をされたことはないでしょうか。ショパンでなくとも、例えばチェルニーの50番などにも、きちんとヴィルトゥオーゾで弾くと、疲れてしまって最後まで手がもたない曲がいくつもあります。これを克服するには、とにかく練習し続けるというのも一案ですが、やはりハノンを使うのが早道です。けっこうな大曲を弾き通せる腕を持っていても、ハノンの50番以降のどれか1曲を弾き通せないはずです。それくらい、ハノンの特に50番以降を毎日弾くのは有効です。手が辛くなりますが、そう感じるのはそれだけ鍛えられているという証拠です。筋トレをしているように、発達していくはずです。でも、小さな子供はハノンの50番以降は弾かないでくださいね。(手の大きい人は中学生くらいからたぶん大丈夫でしょう。)



2004年5月1日(土) 「楽譜」について考える

 今のように楽譜がたくさん出版されていると、どの版を使って良いかが分からなくなってしまうことがあります。しかも、ある曲集がどれか一つに統一される方向へ行くのではなく、反対にどんどんと種類が増えてきます。新しいレパートリーが増えるという方向もありますが、すでにポピュラーになっている大作曲家の曲が最新の校訂によって出される場合もあります。

 以前から気にはなっていましたが、ショパンのいわゆる「ナショナル・エディション」がそうです。ヤン・エキエル氏が研究を始めてすでに数十年という長い年月が経っていますが、ようやく次々と完成して世界で売られています。現在は、その仕事のほとんどを氏の元弟子であるカミンスキ氏にゆだねられていますが、ショパンが作曲した原点に迫り、新しく入手した数々の資料に基づいて作ったという点で、根本的に他の版とは性格を異にしています。ポーランド在住ピアニストの河合優子さんがいろんな雑誌で連載していますから、ご存知の方も多いかもしれませんが、曲によってはけっこうショッキングな部分もあったりして予備知識なしで使うと混乱する可能性もあります。ただ、ここまでの研究が進むと、もう「どの版が正しいか?」などの議論を超えて、譜面についての知識をできるだけ正確に知って、演奏に反映させていくという考え方が大事なような気がします。実際には、このエディションでは聴き慣れない音があったりするわけですが、「ではどの音が正しいのか?」というような議論は無意味で、ショパンの自筆譜や写譜に関することや、印刷・出版された経緯を正しく知った上で、この版に見られるヴァリアントの数々を解釈するべきではないかと思われます。ショパンを深く勉強しようと思ったら、たぶん避けることのできない版だと言えるでしょう。カミンスキ教授はこの5月に初来日して、音大などを回ってこのエディションについて講演される予定です。そのうちのいくつかは一般のお客さんのためにも開放している講座もあるようです。私はワルシャワで氏にお会いしましたが、学者風の「堅い」感じの人を想像していたのですが、なんとも温厚で頭の柔らかい方で感動しました。お話をお聞きしてから、このエディションについて私の見解が変わったことは事実です。この5月の一連の講座はたぶん興味深いものとなることと思います。

 さてまったく話は変わりますが、現在キース・ジャレット・トリオが来日していて、日本で5回の公演を行なっている最中です。今年1月の日記のページでも少し書きましたが、私はさっそく東京の2公演とも聴いてきました。こちらは、楽譜の原点版とかという話とは無縁で、楽譜のない世界です。しかし、ちゃんとキースの頭の中には200曲以上とも言われるスタンダードのメロディとコード進行がすっかり入っているわけで、しかもそれを毎回新しい発想を付け加えて演奏できるという意味では、もうこれはちょっと信じがたい能力です。クラシック演奏家で言えば、200曲ほどのレパートリーをいつでも暗譜して弾けるというぐらいのことでしょう。そういうのとも比べて良いのかどうか分からないほどです。スタンダードとは言えども、ただそれを覚えているだけでなく、即興演奏の能力とずば抜けた創造力がなければ決してできることではないからです。今回の3人の演奏は期待を裏切らずに、というより今までの境地を確かに越えた部分さえ感じましたから、もう本当に脱帽です。キースの、あそこまで生涯をかけて自分を高め続けることのできるパワーには圧倒されました。




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