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〜旧「音楽雑感」のページ、音楽の話題その他を日記風に綴る〜
2004年



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2004年6月18日(金) クラシック音楽の進路は?

 忙しい日が続くと、簡単に書けていた更新がやはり滞りがちになってしまいます。仕事は単純で小さなものから壮大で複雑なもの(大げさに言えばですが)まであって、どれからやろうかというと、やはり簡単なものから終わらせようとする傾向が強くなってきます。手がつけやすく、早く終わるものから仕上げていくのが賢い人のやり方だという意見もありますから。ここのところ、いろんな仕事を一気に抱え込む生活をしてしまったことで、幻の楽譜『メトネル名曲選集』の解説をまだ仕上げてくださらない某先生の気持ちが最近少しだけわかってきたような気はします。(完全に理解するにはまだ修行が足りませんが…^_^;)

 私の「仕事」の中には、「勉強」という部分も多く、そのために確保したい時間ということを考えると、これまた1日の24時間というのは本当に短い時間であると毎日感じています。インターネットの時代だというのに、なんでこんなにもまだ自分の足で歩いて行かなければいけない用事って多いのでしょうかね。
 ところで、先週はタワレコに出没したりもしました。店内をさすらっていると、ふと聞き覚えのあるピアノの音楽が聞えてくるではありませんか。3秒後には、「これは、カプースチンのソナチネではないか!」と分かったのですが、「でもなぜそんなことが?!」 いや、すぐその2秒後には、ハイペリオンから出たアムランのCDがすでにもう店頭に出ていて、「ただいまの演奏CD」とか書いてカウンターに置いてあって、きっとそれをかけているのだろう、とひらめきました。(もちろんその通りでした。) もう皆さんはきっと買って聴いているのでしょうね。しかし、このCDに限らず、ハイペリオンというレーベルはどうして知られざる名曲をあれだけたくさん出版できるのでしょうかね。よくここまで!と思うほど、すでにものすごい実績です。普通だったら経営が成り立たないのではないかと思ってしまいます。これは、かなりきちんとしたコンセプトのもとにやっていることと、やはりそういう時代にもなったということなのでしょう。世界の音楽家たちのレパートリーは、かなり増えてきて広がりを持ってきたと思います。そして、いろんな音楽を聴く人間が増えていることも事実だと思います。その中でも、特に日本人はマニアたちも含めてけっこうすごいレヴェルにあって、これがアマチュア的な意味ではなくて、プロの音楽家たちやアカデミックな場において、もっと興味と知識欲と研鑚がきちんとミックスしてくればけっこう日本の音楽界もすごいのではないかと思っているのです。

 私などは、決しておごっているわけではないのですが、もう保守的なヨーロッパ(特に大陸?)の人たちの方が時代から置いていかれてしまうのではないかと、少しだけ心配したりもします。保守的なドイツ人のピアノ教師には、「私はフォーレは知らない(理解できない)」と平気でいう人もいます。日本人は一般的に、何でも積極的に知りたいというスタンスですから、すでにフォーレでもメシアンでも勉強して詳しい人がおりますし、逆輸出ではありませんが、知識や経験という意味ではヨーロッパ人と対等、もしくは教えることのできる人さえいると言えるでしょう。今では、留学する学生も山のようにいますし、たくさんのことを普通に吸収してくることができる時代です。だから、海外からピアノの教授や演奏家などが来日して教えに来るということにしても、つい数年前までは有難く珍しいことであったはずですが、現在では誰でも希望すればレッスンを受けられるようになってきたし、情報や教育の面でも日本で音楽を勉強している人には有利な面もかなりあります。すでに世界に誇れるレヴェルの知識と見識があり、一流になれるとしたならば、外人コンプレックスもなくなって良いはずです。あと、ネックになっているのは、意外に「英語の能力」でしょうか。国際的なレヴェルで見ても十分に外国語を操る能力を持った日本人がたくさん出てくれば、もうまったく対等にやっていけるようになっていくでしょう。西洋音楽は、あくまで発祥の地としては西洋が原点ですし、作曲家が生きてきた歴史や文化などの重みはあります。でも、時代が下るにつれて状況はますます変わっていくことと思われます。私たちは、いつまでも受身でいてはいけないでしょう。



2004年6月8日(火) 少しだけコンクールのこと

 この時期はピティナのコンペティションが始まっていて、生徒たちが頑張っていますから、私などもまったく無関係ではいられなくなります。コンクールと名のつく以上は、それは大変な緊張を強いられます。最近は、低学年の部門であっても演奏レヴェルがとても高く、だんだん信じられないようなプロフェッショナルな光景が普通になってきているようで、未来がちょっと心配になってきます。「うまく弾けて当然」という風潮が今後さらに強くなってくると、ますますコンクールを受ける気がしない子が増えていくような気はします。

 さて、コンクールでいつも問題にされるのは、「審査に結果」についてですが、たとえ仕方のないことだと思ったとしても、常により良いもの(審査員、審査方法等)を求めたいという気持ちは人情でしょう。結果だけではなく、「コメント」(アドバイス)をもらえるというのは良いシステムですが、これもまた審査の先生側の認識をきちんとしておかないと大変な問題も起きることがあります。「コメント」には、特に小学生など対象の部門では「良かったこと」を中心に書くべきではないかと私は思っていますが(そうでなくともシビアな点数をつけるのに!)、これも人によって考え方が違うようです。今回ちょっとびっくりしたのですが、小学生へのコメントに、あまり良くない点をつけた上で、「あなたはこの曲が好きなのですか?」などと書いていらっしゃる先生がまだおられるのですね。「あなたの演奏を聞いて、好きで弾いているとは思えませんでした」などと言われて、上手くなる生徒がいるわけはないでしょう。たぶんその先生に悪気はないのだと思いますが、その曲が好きなことと、表現能力やテクニックがついていることとはまったく別のことなのだということを悟ってほしいと思います。また、身体が動いているから音楽に乗って弾いているとか、そういった見た目からくる判断も短絡的で危険な部分があります。ホロヴィッツの演奏は、どう見たってあれは身体が硬直しているでしょう。(笑) 私自身は、みんな音楽が大好きでやっていると信じているし、一体どれだけの努力をしてコンクールに参加しているかということを汲みとってほしいと思っています。良心的な審査員の先生方が増えることを期待しています。

 しかし、上に書いたようなことは、普段から切実な気持ちでレッスンをしたり、自分が実際に演奏をしたりしていないと、子供がちょこっと弾いているのを端から見るだけでは正しい判断はなかなか難しいことだと思います。おまけに審査とコメント書きの時間は限られていて、ふさわしい言葉を見つける暇もない状況でやっていますから、ある程度のミスは許されるかとは思いますが(しかし演奏者のミスは許されないというのか!)…、私もコンクールの主催者になった気持ちで何かもっと改善策はないものかといろいろ考えをめぐらしています。

 ちなみに、人間ですからやはり100パーセントの自信はありませんが、自分が審査をさせていただくときのスタンスとしては、出場者一人一人が自分自身の生徒であるような気持ちで大切に聴くようにしています。つまり、演奏の最後の音を弾くまで心の中で応援し続け、最後の最後まで「合格点をつける」気持ちで聴きます。それでも足らざる部分を感じた場合に、不本意にも今後はここを頑張ってほしいと思うことだけを少しだけ(なるべく具体的に)書こうという気持ちになり、少なくとも「傷つけるような」書き方だけは避けられるように思っています。
 今回は少々ショックではありましたが、審査員の方の問題はそのまま今後の自分への戒めとして捉えて、生徒さんには今後もめげずに頑張ってほしいと思うばかりです。




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