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〜旧「音楽雑感」のページ、音楽の話題その他を日記風に綴る〜
2004年



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2004年8月26日(木) カプースチンへの導入

 ピアノの正しい演奏とはどうあるべきか、という問題がありますが、これは一口に言えるものではなく、まず作曲家についてよく勉強することは何より大事ですが、その作曲家がどの時代の人か、どんなスタイルで弾くべきか、ということをよく知っておかなくてはならないでしょう。バロックと古典派でも演奏において気をつけなければならない違いはすでにたくさんあるし、さらにドイツ・ロマン派、ロシア・ロマン派、また、フランスもの、など、それぞれ全然スタイルが違います。それから、さまざまな国で今も作曲され続けている現代曲は、現在のところ分類不可能と思われるものもあります。私は、レパートリーをいわゆる“四期”と分類されているものに加えて、さらにいくつかの分類を増やしたい気持ちになります。“近・現代曲”は、すでに一つにおさまりきれないほど多くなりました。そして、そこにもちろんカプースチンという作曲家も入ってくると思います。

 カプースチンはジャズか?と問われると、これは つきつめるほど、ジャズでもあり、クラシックでもあるのですね。「楽譜に書かれたジャズ」などという言葉では表わしきれません。だって、ジャズのナンバーのアドリブ入りの楽譜はいくらでも出ていますが、そういうものともカプースチンの音楽は全然違うからです。カプースチンの楽譜が今後出版されていきますが、これを弾こうとする人がはたして当たり前のようにたくさん現われるのか、という問題があります。現われたとして、良い演奏ができるのか、という懸念を表わす人もいます。でも、自作自演を聴いたことのある人なら、きっと自分でも弾いてみたいと思うことでしょう。しかしその時に、ジャズなど一度も弾いたこともない人は、一体どうすれば良いか困ってしまうと思います。もちろん楽譜を見れば音符や指示はすべて書いてあるものの、しかしどうすればカプースチンのようにあのカッコいい演奏ができるのかについては分からないでしょう。ひいては、結局ジャズだから、などと言った理由で敬遠する人がいたりしたらもったいないと思うのです。そこで、楽譜が出る前に、クラシックしかやってこなかったような人たちに、いくつかのヒントをお教えしておきたいと思います。

 カプースチンの演奏(と作曲)に影響を与えたジャズ・ピアニストはもちろん数多いと思われますが、私が分析するに、まず代表的な二人が挙げられます。一人は、オスカー・ピーターソン。そして、もう一人がエロル・ガーナー。この二人がキーワードです。この二人の演奏にアクセスすれば、カプースチンの演奏の魅力の秘密を探り当てることができます。カプースチンの自作自演から何が感じられるかというと、まず、信じられないほどの正確なタッチとシャープなリズム、それに信じがたいほどのテクニシャンで非常に切れ味の良いものを感じます。オスカー・ピーターソンのスタイルは、かなりカプースチンそのものを思わせますが、当然彼からそういうものを受け継ぎ、作曲にまで影響を与えていると思われます。一方、カプースチンの音楽には、とても明るくユーモアがあり、例えばスウィングのスタイルにおいて右手を左手の刻みに遅らせて弾く奏法(ビハインド・ザ・ビート)など、ルーズな一面があって、とても心地良い雰囲気をかもし出します。これが、エロル・ガーナーの奏法です。例えば、「24のプレリュード op.53」の中の第23番で彼がそれをやっているのはよく知られているかと思いますが、第4番の左手の弾き方(出だし)もその奏法から来ています。とにかく、これらの正反対とも言える二人のピアニストが、カプースチンの中にはうまく同居しているのです。その上、彼自身のクラシックの勉強の上に積み上げた知識や感覚を通して、それに独自のテクニックも手伝って、あのすごい魅力が実現されているわけです。

 だから、例えば先頃アムランもカプースチンのCDを出しましたが、その演奏は素晴らしいけれどもどこかクラシック的で、カプースチンの演奏とはまるで違います。アムランの演奏にもユーモアはありますが、いうなれば真面目なユーモアで、めちゃくちゃ気楽で明るいエロル・ガーナーのものとは明らかに違うし、テクニック面でもクラシック的ピアニストの個性を感じます。カプースチンの個性で弾けば、自作はあういう素晴らしい演奏になるというわけで、おそらく他のジャズ・ピアニストが弾くと、また違った演奏になるでしょう。逆にクラシックだけをやってきた人は、少しばかりジャズの影響を受けなくては、カプースチンを演奏するために必要な感性というものが不足すると思われます。

 でも、あまり恐がる必要はなく、カプースチンがどんな音楽に影響を受け、どんな勉強(や経験)に基づいて作曲をしているのかを知り、そのスタイルを少しでも勉強すれば、誰でもそれなりに(完璧にとは言わなくとも……やたらと完璧ばかり求める人もいますが)演奏することが可能だと思います。
 まず、カプースチンの作曲におおいに影響を与えていると言える概念は、まずもって、「スウィング」、「ブルース」、それから当然「ビ・バップ」、それに「ラテン音楽」…などと来ると、いかにもやっぱりジャズのようですが、そういうものを基盤にして、その上に、クラシック音楽の“ソナタ形式”、プレリュードやフーガ、室内楽形式、それにロマン派の音楽の語法(ハーモニーや音の使い方)のようなものもあるし、クラシックの作曲家(ラヴェル・バルトーク・プロコフィエフ・ヒンデミットなど)たちから大いに影響を受け、さらに「ドデカフォニー」に至るまで、クラシックの流れのすべての要素が加わり、そこからまったく独自のものを産み出したのです。普通は、「ジャズ」か「クラシック」か、どちらかに偏ってしまうものでしょうが、彼の場合は、すべてを取り入れた上で、新しいものを創ってしまったわけです。だから当然、カプースチンを演奏するためには、「ジャズ」も「クラシック」もある程度学んでおくことは、どのような演奏家・学習者にも必要なことと言えそうです。ここを明らかにしておかないと、クラシックの人にも、ジャズの人にも今後いつまでも誤解されていく可能性が考えられるので、あえて述べておきました。

 今日は、長い文章になってしまい申し訳ありません。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。そこで、一つお知らせですが、今日から3日以内に、カプースチンの新しいソナタ(12番・13番)のいくつかの楽章あたりを、“とある場所”(怪しくない場所)で、皆さんの前で試演させていただく可能性があります。あくまで可能性であって、実際は当日にならなければ分かりませんが…。(リクエストがあれば、弾かせていただくわけです。ないかもね。(;_;))



2004年8月23日(月) ここ数日は…

 コンクールの審査に明け暮れる日々を過ごしました。この時期といえば、ご存知の通り、“ピティナ”のコンペティションの決勝大会ということになるわけですが、まずは、私が関わらせていただいたのは、名前が新しくなった「グランミューズ」部門。“大人のための”とも言うコンクールで、子供たちが競い合うコンクールとはかなり趣が違います。“競争”という熾烈な雰囲気はないものの、皆さん真剣に取り組んでいらっしゃるのがひしひしと伝わり、“アミューズ”部門という名前では、確かにもう物足りなく、不適当かな、と思われるほど豪華な部門という印象を受けました。私個人の意見ですが、この部門がある意味においてとても生き生きとした雰囲気を感じるのは、音楽に対するこだわり=自分はこれを弾きたい!とか、こう弾きたい!というのが強い参加者が多くて、それだけではなく、けっこうテクニックも磨きがかかっていて、聴いていて面白いということが言えるのではないかと思っています。この意見は、ちょっと当日の審査委員長の先生の講評の内容とは異なるのですが、私自身は少なくともそう感じています。どうして、おそらく練習時間が少ないであろう状況で練習していらっしゃると思われる方々が、あれだけのテクニックをつけることができるのか、それが本当に不思議です。皆さん本当にすごかったので、賞の数が足りなかったのではないかと感じました。

 ところでこの日、審査で御一緒だった斎藤雅広先生は、Tシャツ姿で登場されたのはさすがだと思いました。(私にはできませんが。) きっとアミューズな会だから、ラフな印象を与えて場を和ませる意味もあったのだろうと思っていましたが、あとから別の場所で他の先生に聞いた話では、去年は、真面目な(?)子供たちの級の審査員として登場した時もTシャツ一枚だったとか?! それを聞いて、ますます好きになってしまいました。(私にはできませんが。(笑))

 さて、翌日は子供たちの部門の審査もさせていただきましたが、こちらはまた違った意味ですごくて、もう全員がピアニスト! 「リトル・ピアニスト」ではありません。もう、本物の「ピアニスト」たちです。すごすぎるほどの表現力と、恐ろしいほどのコントロール力を持っている人ばかりで、もう皆さんが素晴らしいとしか言いようがありません。90から100人が弾きましたが、全員が天才少年少女に見えました。とにかく、地方の本選会で、最優秀として一人だけ選ばれたというような子達が集まってきているのですから、それはものすごいはずです。もう点数をつけるなんてとても嫌でしたが、それだけは仕方ありません。せめて、全身を耳にして、すべての演奏を真剣に聴く努力をするくらいしかできません。「しかしコンクールってなんと異常な場所だろうか」、とこういう時には特に思ってしまうのですが、しかし考えみれば、こういう状況が作られることでどれだけの人が本気で頑張り、実力を上げていくか、また、何にも挑戦せず何の苦しみもないような人生と比べると、どれだけすごい経験をしているかということを思うと、コンクールを主催・遂行している方々は本当に偉いと思えてきます。弾いている参加者たちと家族も、聴衆も、審査の先生方も、皆が一緒に素晴らしい経験をしているように思えました。
 点数の結果というものは出ますが、もうそれは肩の力を抜いて受けとめれば良いと思います。賞にもれてしまった人の中にも、本当に素晴らしい演奏をした人が何人もいたことは私が保証します。落とされる理由なんかないのですよ。だって、全員が本当に素晴らしかったのですから。



2004年8月16日(月) まだ暑いですが…

 暑すぎた夏もようやく一段落かなと、昨日今日の気候で少し安心したので、今思い出したように日記の更新をしています。(暑いととにかく動けなくなってしまい、寒くなると、俄然、元気になるのです。)

 気候が暑かろうと、疲れていようと、やる気がなかろうと、それでも毎日変わらずピアノの練習ができる人は本当に偉いですね。モチベーションを常に持ちつづけるのは、本当に大変なことです。偉い人たちというのは、結局、自分をやる気にさせ続けるのがうまい人なのだと思います。ピアノをやっている人であれば、コンクールを目標に頑張るというのも一つの方法ですが、それが終わってしまって目的がなくなっても、またすぐに自分にエンジンをかけられるかどうかです。

 オリンピックの選手の中には、たくさんの人に見られている重要な場所でこそ新記録が出せるという人がいます。大勢の人に応援されて、大事な舞台でこそ自分のエネルギーのすべてのすべてを出すことができるというのはすごく理解できます。また、期待されているからこそ、毎日の辛い練習に励むこともできるのだと思います。ところが、もし今の自分がそういう状況になかったとして、毎日毎日を真剣に頑張ることができるかどうか。これが、ポイントです。黙っていればサボってしまうのが普通の人の姿かもしれません。

 いつ人に見られても恥ずかしくないという状態で毎日が生活できれば理想ですが、なかなかそうはいきません。私なども、なんと過去の時間を無駄にしてきたかと、いつも反省しているので、そういう充実した生活にあこがれたりします。極端に言えば、「いつも自分にTVカメラを向けて回されている」と思って、毎時間、毎分を過ごせるかどうか…。こういう発想をもっと前から持っていれば良かったのです。しかし、実際には、今でも寝転がりたくなるような気分になったりはします。
 まあ、そこまで「出来すぎた」生活が送れなくとも、いつも新鮮な気持ちで毎日を過ごすということは、工夫次第でできるかもしれません。そんなこと考えなくとも、追われるように毎日が忙しいという方は、もうそれだけで充実しているという考え方もあるかと思います。例えば、子供たちは、日々新しいものに触れ、驚きの連続で過ごしていますから、あまり工夫しなくともけっこう充実した生活を送っているかもしれません。しかし、大人になってくると、あまり物事に驚かなくなってくるし、新しいものに出会う確率が減ってきます。新鮮な気持ちを保つということがだんだん難しくなってくるのです。だからこそ、常に自分に課題を与え、フレッシュな感覚を持ちつづけるのは大切だといえるでしょう。

 一番恐いのは、毎日のルーティーンの中に埋没してしまうことで、本当は24時間の使い道をよく頭で考えて行動しなければならないのです。24時間すべてを追われている人はたぶんいないと思います。自分の自由になる時間をどう使うか、これを「意識的に」使うことが大事で、目標を持って生きるということと同義だと思います。そして、生きるということは、何らかの仕事(学生は“勉強”も仕事)をしていることだとも言えるでしょう。そして、客観的な成果がすぐには出ないような仕事をしている時が、実は一番辛い時なのです。しかし、それを乗り越える工夫こそが大切なのだと思います。

 例えば、ピアノを頑張っている人はコンクールを受けますが、コンクールは、一つの目標ではあっても、成果はかなり近い未来に出てきます。しかし、本来はもっと長いスパンでの頑張りを必要とする世界なのです。コツコツと地味に一つのことを続けられるかどうか。物事は、それほど単純に結果が出るものではなく、長い時間をかけて磨き続けていく中にこそ本当の価値もまた生まれてくるものだと思います。



2004年8月3日(火) 「暗譜のアンケート」集計

 昨年から皆さんのご協力をいただいていました「暗譜をするべきか、否か?」のアンケートの集計を出してみました。たくさんの票と、コメント(こちらのほうがより重要なことが多い)をありがとうございました。回答がかなりあったと思っていましたが、数えてみると意外にも40人弱ほどでした。きっと、質問がやや専門的であったのと、質問の内容が少なくともピアノを弾く人を対象にしていたいうこともあったのでしょう。

現在までのところ、集計結果は次のようなパーセンテージになりました。

(ピアニストが楽譜を置いて演奏した場合・・・)
まったく気にしない   25%
なぜと思うが、あまり関係ない  39%
少し評価が下がる  36%

(自分自身が弾く場合は・・・)
暗譜で弾きたい  64%
楽譜を見て弾きたい  28%
その他  8%

 これでわかったことは、聴衆としては「あまり気にしない」人が多いということでしょう。評価を下げない人が、合計64%。この数字が、自分が弾く場合には「暗譜で弾きたい!」というパーセンテージと一致している(偶然)のが象徴的です。弾く側の欲求としては、暗譜をしたいという気持ちが強いのでしょうね。ピアノを弾く人にとって、暗譜はもはや当然のことではありますが、これにあえて疑問を投げかけたいのは、結局ピアニストたち自身なのだと思います。なぜかと言うと、これは気分とかの問題ではなく、演奏会をこなしていく毎日毎日の問題として切実に頭を悩ましているからです。その理由は、覚えなければならない曲がとても多いからだといえます。10分程度の曲を1曲覚えるのだったら、それほど思い悩む必要はないのです。だから、一般のピアノのコンクールでコンテスタントが暗譜をするというのは当たり前で、これについては疑う必要もありません。子供たちも頑張って練習していますが、コンクールや試験、演奏会に臨むなら、数少ない自分の曲を完璧に暗譜する段階くらいまでは練習する必要があるでしょう。台詞を暗記しなければ演劇に出してもらえないのと一緒です。しかし、大きな国際コンクールにおいては、プロが求められるレヴェルの準備を要求されることになります。

 例えば一つのリサイタルでピアニストが演奏する場合、だいたい75分相当の曲を覚えていなくてはなりません。同時期に二つのプログラムを抱えていると約150分(2時間半)相当です。これに、さまざまな演奏や録音の仕事などが前後して絡んできたりします。これらの音楽(音符たち?)を、ただ頭で覚えているというだけではなく、ミスもなく本番の時間の流れの中で再現していくというのは、単なる暗記力をはるかに超えているのです。これをピアニストは要求されているわけですから、この当然の習慣を放棄するというのは、逆にとても勇気がいることです。リヒテルが、晩年に自分の演奏会で楽譜を見るようになったときに、あれほど言葉が必要だった(弁解しなければいけなかった?)気持ちがよく分かります。

 KAPUSTINのアンケートの方も、票が次々に入ってきているところです。未来を見据えて冷静な判断をしてくださる方もいれば、愛着とこだわりを重視する人もいます。いろんな意見がたくさん出てきてとても心強いです。しかし、こちらの結果も予断を許さない感じで、なんだかだんだん難しいことになってきました・・・。最終的には、アンケートに票を入れてくださらない人(=どちらでも良い人)の方が日本中に大多数なのだから、出版の際にはどちらに転んでも許してもらいたいとは思っていますが・・・。




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