2001年9月6日 川上昌裕リサイタル
〜オールメトネル・プログラム



プログラム・ノート
久 暁
(当日のプログラムに載る解説・予習用)



 今夜、川上昌裕が弾く記念すべき第1回全メトネル・プログラムは、「天使」の歌う静かな歌で始まり、やはり「天使」がかき鳴らす壮麗な鐘の響きで終わる……この天使こそ、メトネルが生涯その創作に求めてやまなかった「詩神」ミューズと重なり合う。

《8つの情景画》op.1から第1曲「プロローグ」、第6曲、第7曲、第8曲
1900年、「ダイヤモンドのメダルに値する」と言われた最優秀の成績でモスクワ音楽院を卒業したメトネルは、すぐに新進ピアニストとして活動を始めた。作曲は10代半ばから試みていたが、作品番号1を与えたのは1902年末に完成したこの作品が最初である。楽譜は翌年、メトネル初めての出版譜としてユルゲンソン社から出版された。ドイツ語タイトルの「Stimmungsbild」は、情景や風景を描いて雰囲気や気分を喚起させる19世紀の絵画ジャンル。転じて性格小品のタイトルに用いられた。どの曲もひとつの音楽的着想(=情景)が展開され、クライマックスを迎えて終わる。メトネルの音楽の大きな特徴である、リズム面の工夫もうかがわれる。旧ソビエトの名ピアニスト・教育者ゴリデンヴェイゼルによれば、「このような作品1を誇りにできる作曲家は決して多くない。自信のない作曲の実験はなく、成熟した独創的な才能の作品である」

第1曲「プロローグ」4分の4拍子、ホ長調。
ロシア・ロマン主義を代表する詩人のひとりレールモントフの詩の一節が掲げられている。「真夜中の空に天使が飛び/ひそやかな歌を歌った」 のちにメトネルはこの曲を歌曲に編曲し、詩の全文を著書『ミューズと流行』の冒頭に引用した。希望と憧れに満ちた「夜の音楽」が、コンポーザー=ピアニストとしての旅立ちを歌い上げる。

第6曲 変ニ長調。三部形式。
主部は3拍×3小節+2拍×2小節という興味深い拍節構造をもつ。中間部では短調に転じ、伴奏音形のリズムは古いタイプのタンゴである。なお「humore」は作曲者の誤りで、「umore」が正しい。

第7曲 嬰ヘ短調。
シンコペーションがどこか苛立った身振りを感じさせる。主部は4分の4拍子。中間部は8分の5拍子となる。

第8曲 イ長調、4分の4拍子。
「ワルツのように」と記されている。左手で弾かれるワルツの伴奏音形に対して、右手は16分音符8つが配される。同じ趣向は、のちに《忘れられた調べ》第1集op.38の最後の曲でも用いられた。

ソナタ ヘ短調 op.5
 メトネルは生涯にさまざまなタイプのピアノ・ソナタを14曲作曲した(習作は含めない)が、その第一作が1903年に完成された作品5である。4楽章形式で後半二つの楽章が通奏されるものは、14曲のうちこの一曲だけである。メトネルはこのソナタを大ピアニスト、ヨーゼフ・ホフマンや実質的な作曲の師タネーエフに聞かせている。ホフマンは「同時代のピアノ・ソナタで最も重要な作品」と評し(メトネルが3回弾くとホフマンは耳から曲を覚えてしまい、その場で暗譜で弾いてみせて作曲者を驚かせた)、タネーエフは日記に「大変才能があるが、形式はところどころ不完全」と記した。楽譜は1904年にベリャーエフ社から出版され、1955年には細部を改めた改訂版が刊行されている。

第1楽章 ヘ短調、4分の4拍子。ソナタ形式。主題の構築法、展開部やコーダの作法などに、すでに後年のソナタで活用されるやり方が見られる。第1主題の後半で聞かれる、同じ音を3度反復して始まるタイプの動機は、《ソナタ=バラード》の「ミューズの主題」や《ソナタ「夜の風」》にも登場する。第2主題はのちにメトネルの妻となったアンナ(当時はまだメトネルの兄エミリーの妻だった)がイメージされているという。

第2楽章 インテルメッツォ ハ短調、2分の2拍子。一種の常動曲。15歳ごろに作曲された習作に基づいている。半音階進行が不安感や不安定な気分を助長する。最後に次の楽章へのブリッジが導入される。

第3楽章 変ホ長調、4分の3拍子。熱烈な「祈りの音楽」。「divoto」はメトネル独自のイタリア語で、たぶん「神々しい」ほどの意味である。最後に第2楽章と同じブリッジが転調されて再現、アタッカで次の楽章へと続く。

第4楽章 フィナーレ 4分の2拍子。ソナタ形式。第2主題は第1楽章と同じ「アンナの主題」である。再現部はかなり自由に扱われ、第3楽章が回想される。その後でへ長調で輝かしく「アンナの主題」が再現されて終わる。

《3つの短編小説》op.17から第1曲「ダフニスとクロエ」
1908年までに完成。当時のメトネルは活動の場をドイツに求め、主要都市で自作自演のリサイタルを開いていた。すでに小品のジャンル名として「おとぎ話」を用いていたメトネルにとって、「短編小説」は「おとぎ話」よりも規模の大きな曲という含みがあったようだ。第1曲(4分の2拍子、ト長調)は、古代ギリシャの田園物語「ダフニスとクロエ」をタイトルに持つ(ラヴェルのバレエ音楽に4年先立つ)。アンダンテで始まるのどかな音楽は、次第にテンポが加速されて伴奏音形が細かくなり、いっそう喜びと輝きに満たされてゆく。なお、ト長調はバロック時代の音楽ジャンル「パストラール」で好んで用いられた調であり、1938年に作曲された《ソナタ=イディル(牧歌)》op.56も同じ調で書かれている。

《6つのおとぎ話》op.51から第1曲、第5曲、第6曲
1928年作曲。この時期のメトネルはパリを拠点に欧米各地で公演を行い、次第にイギリスとの関わりを深めていった。6曲は「ゾールシカ(灰かぶり姫、シンデレラ)とばかのイワーヌシカ(トルストイ『イワンのばか』の原型)」に捧げられ、作曲者自身によって「おとぎ話」とロシアの民話世界との関わりが示唆されている。

第1曲 ニ短調、4分の2拍子。6曲中最も長い。メトネルによれば「登場人物たちの紹介」。民俗舞曲を思わせるダイナミックな主要部はイワーヌシカ、中間部はゾールシカと見なすこともできるだろう。

第5曲 嬰ヘ短調、4分の3拍子。主に中音から低音域に現れるもの悲しい旋律とせわしなく動くパッセージの対比。メトネルはこの曲の演奏でほとんど実現不可能なペダリング(16分の1ペダル!)を求めている。

第6曲 ト長調、4分の2拍子。メトネルによれば「イワーヌシカの踊り」。同音反復とアルペッジョが、第1曲よりもさらにひなびた楽天的な雰囲気を醸し出す。最後に現れるヘ音のオルガン音の効果が意表を突いて面白い。

ソナタ=バラード 嬰ヘ長調 op.27
 メトネルの最も重要な作品のひとつ。1912年に単一楽章のソナタとして構想されて第1楽章が作曲され、1914年までに後続の楽章が書かれた。メトネル自身が最晩年に録音した数少ないソナタでもある。この作品で語られる「バラード=物語」は極めて宗教的な性格のもので、19世紀ロシアの「純粋芸術派」の詩人アファナシィ・フェート(1820〜92)の詩に触発されている。この詩は「荒野のキリストの誘惑」(キリストが荒野で40日間の断食を行ったときに、悪魔からの誘惑を退けたことを示す)に題材を求め、キリストが誘惑に打ち勝つと「悪魔は消え/荒野で彼の命令を待つために/天使たちがやって来た」 このエピソードにメトネルの創作者としての信条、信仰、倫理がこめられていると見てよい。だからこのソナタは、メトネルの「聖書ソナタ」でもある。

第1楽章 8分の6拍子、嬰ヘ長調−嬰ヘ短調。大規模なソナタ楽章。メトネル研究者たちは、この楽章に「春のイメージ、自然の美しさと喜びと歌」を見出だしている。しかし、「造物主への信仰がない」ので「すべてはかない」(B・パンソノール)。かなり長大なコーダでは音楽は加速されて短調へと傾き、悲劇的なカタストロフへと突き進んでゆく。アタッカで次の楽章に入る。第2楽章・第3楽章 「序奏とフィナーレ」として続けて演奏される。「ベートーヴェンの弟子」を自認したメトネルが形式のモデルとしたのは、恐らく《ワルトシュタイン・ソナタ》である。

「序奏」:4分の4拍子、嬰ヘ短調。冒頭、2オクターヴ離れたユニゾンで導入される聖歌の断片のような旋律は、悪魔の誘惑を表す「誘惑の主題」である。続いて和音で荘重に演奏されるモットー(同じ和音が3回続き、次に長6度下降する2つの和音)は、誘惑に打ち勝つ人間の気高い精神力の象徴である。後者は「ミューズの主題」とも呼ばれる。

「フィナーレ」:4分の2拍子、嬰へ長調。ソナタ楽章であるが、展開部以降の構成は「物語」からの影響も大きい。第1主題は符点リズムが特徴的。第1楽章の「春のイメージ」の再現でもある。第2主題は変ホ長調。「序奏」のモットーが組み込まれている。展開部は「誘惑の主題」によるフガートで大きく昂揚、善と悪の激しい闘争が繰り広げられる。再現部の第2主題は長いカノンで扱われ、勝利と祝福の鐘の響きに包まれながら第1楽章の第1主題が回帰、圧倒的なエネルギーを放って全曲を輝かしく閉じる。メトネルが持っていたこのソナタの出版楽譜には、最後の小節の下にフェートの詩の一節「神の前ではただひざまずくのみ」が書き込まれているという。
                       (たかく さとる)