なぜ「気象予報士」ができたのかなぁ?

天気予報といえば、今までは気象庁の独占(?)の仕事でした。なぜ天気予報を国が行わなければならなかったかというと、例えば集中豪雨のような災害などが発生しそうなとき、「ある人は明日は雨と言ってたけど、この人は晴れと言っているよ」のような、バラバラな気象情報が飛び交っていては、災害対策をしようにも的確な対処ができないし、何より社会の混乱を招きかねません。
また、気象情報というのは国防上の重要な情報であり、そのような情報を安易に民間に流していいものだろうかという問題も暗にあったのでしょう。(日本は今ではあまり戦争に直接的に関係はないですが。でも、湾岸戦争のときは、実際にイラクからの気象情報は途切れました)
そのような混乱を避けるために、「気象業務法」という法律が制定され、天気予報の業務は国がやるものにして、社会性・公共性の高い仕事として、長年の間、気象庁が行っており、マスメディアは気象庁から出された天気予報を分かりやすく解説するにとどまっていました。

しかし、平和な?日本では、天気予報に関わる環境もここ最近で大きく変わりました。
私たちの社会は高度情報化し、生活環境も大きく変わってきました。気象情報に対するニーズもそれに伴い変化し、より便利な生活を望み、ほしい時に、ほしい所の気象情報を入手したいという要望が強くなってきたのです。
これは単に天気予報が、毎日の生活の中で「傘を持っていくか否か?」くらいの次元から、「今度の日曜日は晴れてお客がたくさん来そうだから、行楽用弁当をいつもより多く発注しよう!」というレベルまで利用価値が高まった…と言って分かるかな?
まぁ、とにかく、天気予報が、今まで不特定多数の人に、主に毎日の生活に利用されていた時代から、特定の産業の人の損得を左右する情報にまでのし上がったということなんですよ。
で、特定の産業ということなら、それぞれの産業ごとに、欲しい天気予報の現象・地域や時間など、それぞれのニーズに合わせた情報が必要になります。でも、気象庁にそれをやらせようとしても、気象庁は国の機関だし、そんな余裕も義理も人情もありません。しかし、気象情報が産業を左右するのは間違いなく、これからの日本を経済的に豊かにするためにも、さまざまなニーズに応えられるような制度を作ろうという話になったのです。

ということで、「気象庁は、防災気象情報および一般向けの天気予報の発表を担う。メソスケール気象現象の量的な予測技術を開発し、分布図等画像情報(メッシュ分布図)も活用して、これらの情報の拡充するを図ることとする。一方民間気象事業者は局地的な予測技術を開発し、メッシュ分布図の加工あるいは情報メディアを活用した情報提供を受け持ち、上記データを活用して国民の高度化・多様化する要望に応える事とする。」という、官・民の役割分担によって、気象情報サービスを推進していく形になりました。しかしさっきも言ったように、いろんな人がバラバラの天気予報をしたのでは、混乱や情報の質の低下が心配されます。そこで、「気象予報士」という制度を設けて、気象予報は必ず気象予報士に行わせるように気象業務法の改正が成されました。ここから、気象予報は気象庁のみの仕事ではなくなっていったのです。

まあ、難しい述べ方をしましたが、要するに一種の「規制緩和」と考えてもらえばいいと思います。おおざっぱに考えて、観測は気象庁、情報の加工は民間気象事業者という分業体制が出来上がったといえるでしょう。また範囲においては、府県単位の範囲は気象庁、局地は気象予報士と分ける事ができます。それによって、今まで隠れていた気象ビジネスチャンスを発掘し、民間気象事業者どうしの競争により気象技術が進化するメリットがあると考えられたのです。要するに、民間気象事業を活発にするために気象予報士制度が生まれたと考えてもらえば結構です。