無印新聞

12年 正月 (転版式・般若札) 8月 (先住17回忌・因果応報)

13年 正月 (鎌倉流御詠歌50周年) 8月( 精進 )

14年 正月  (修行の場)

15年 正月  8月 11月

12年正月号

新年、明けましておめでとうございます。
 昨年中は、住職就任に伴い多大な御支援、御寄付をたまわりましたこと、厚く御礼申しあげます。おかげさまを持ちまして無事任命式〔転版式〕を大本山建長寺に於いて厳修する事が出来ました。当日は心配された雨も影を潜め、未だ明けぬ空に気を引き締めながら本尊斉田地蔵菩薩の待つ仏殿へと足を運びました。
 本山では毎月一日と十五日には、決まって朝、日の出る前に日本国内の安全と五穀豊穣を祈願して一時間にも及ぶ間、読経と回向をくりかえします。
 この行事のことを祝聖(しゅくしん)と言いますがこれだけでも初めての人には気が遠くなるほど長い時間に感じられたに違いありません。それが済むとやっと転版式と言うことになるのですが、先ず初めに老師との対面を果たさなければなりません。一般の企業では、目の前に相手が来て、二〜三分ほどの出来事でしょうが、この時は無言で十五分ほどかけて対面です。
 禅宗は比較的昔の作法を残している様です。いまでも将軍家が立ち寄られた寺の本堂には一段高い部屋があって、そこに将軍様が座られ要人は一段下から謁見を果たしたと言われます。
 今の時代に正式に老師と相見(しょうけん)するのに十五分もかかっているのだから、時の将軍に謁見するのにどんな作法があったかは想像を絶するものがありますね。
 式はその後、住職の任命へと進みます。
 老師が一句唱えて伝承の袈裟と任命状を手渡され、読経。場所は開山堂に移って開山大覚禅師に報告、決意を漢詩(転版香語)に乗せて唱えた後、開山様にお経を上げて建長寺を後に。
 山門をくぐって向かう先は、能満寺の本寺であり、建長寺の大スポンサーで八代執権の北条時頼の眠る明月院(あじさい寺)。開山堂で住職就任を報告しました。京都の曽根造園の手がけた庭園を観ながら一同お茶をいただいて帰路に就く。 ここまで終えるとほっとしてしまいがちなのですが後は、能満寺での住職の披露(晋山式)が待っています。また今年は前住明也和尚の一七回忌も予定しております。皆様には何かと御多忙と存じ上げますが、御協力の程お願い致します。

大般若のおふだ
毎年、新年を迎えるにあたりと建長寺からお札をいただいてきます。このお札のことを般若札と呼んでいますがいったいどんなお札なのでしょうか。
 そもそもこの般若というのは智慧という意味の言葉で皆さんおなじみの般若心経の般若です。
 その昔、唐の玄奘三蔵はインドに行って経典を翻訳し中国へ持ち帰りました。その数六百巻にも及ぶこの経典の名前が大般若経です。
この大般若経、丁寧に読むと何日もかかるということで今ではそのエッセンスだけ選び出してまとめた般若心経の方が日常的でよく親しまれています。
 そんな長い長い大般若経も正月や特別の機会に数十人の和尚様方が集まって転読(経本を勢いよく広げて読んだことにする)して五穀豊穣や国家や家庭それぞれの安全を祈祷します。
 このお札出来るだけ人の出入りする玄関などに貼って出かけるときに気を引き締めていただきたいと思います。
(古くなった般若札は正月のお飾りと一緒にその役目を終えた感謝と共に火の中へ投じてください。)
ゴミの減量とダイオキシン
 人が作るもので便利で安定性のあるものがなにやら地球にとって良くないものであることが解ってきて久しいのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
つい十年くらい前には、フロンという夢の物質が有ったのですが、自らの性質にによりオゾン層を破壊し人や自然に害をもたらしています。
 最近では、家庭で便利に使われるビニールやプラスチックが人に与える害について大きく新聞などに報じられています。
 私達仏教徒は少なからず輪廻転生、因果応報について考えを巡らさねばなりません。
 ビニールが自然に帰るために私達が出来ることは、非常に高い温度で消却することであるし、それ以前に
石油製品以外のものを利用してゴミを出さないようにする努力が必要なのではないでしょうか。能満寺では以前より石油製品を燃やさないように分別廃棄してまいりました。去年から大変お手数とは思いながら皆さんにもゴミを出す時点での分別をお願いしております。
 ダイオキシンとは眠れないと思われる方々の協力をお願いいたします。トップ

平成12年8月号

御陰様で明也和尚一七回忌無事圓成
去る五月二十日、あいにくの雨にも関わらず、二十二名の和尚様、並びに百二十名もの壇信徒の方々の参集を賜りまして、明也和尚十七回忌が無事圓成したことをご報告申し上げます。
 今回大導師をお願いしたのは厚木の長福寺様でこの十七年間能満寺を兼務してくださった方です。大導師が九拝したあと読まれたお経は建長寺の開山忌などで読まれたり、僧堂では夏になると毎朝、国の安泰と五穀豊穣を祈って読まれる楞厳呪です。今回は先住の十七回忌なのでお経のあとに十七回忌のためにお経を上げましたという事を念じる回向文を読み上げます。
 これが済むと和尚様方は塔前諷経といってお墓参りに行く代わりに墓の見える部屋からそちらに向かって焼香をします。
江戸の床の間現る
 今回気付かれた方もいるかと思われますがこの塔前諷経をしていた場所、この四月までは位牌をおく場所になっていた所です。この部屋は〔じょうかんの間〕と言って将軍様が来られていたような寺では一段高くなっている部屋です。
 戦中に疎開などで人が大勢この能満寺にやってきたときに床の間は押入となり、やがて部屋は位牌堂となって今日にいたっていたものでこの床の間の存在は七十歳の人も押入と思っていた程、深く忘れられていたものでした。
 この度十七回忌を執り行うに先立ち今後建長寺の老大師をお迎えすることも考慮に入れてこのじょうかんの間を復元するに至りました。また今まであった位牌は本堂裏にきれいに並びました。お参りもできます。今回のこの計画に対し、本堂裏の東司(とうす・トイレのこと)を取り壊すのに総代の長嶋藤五郎さん青柳三郎さん護持会役員の大貫登さん長嶋廉治さん、また建設には丸栄工務店さん位牌の掃除に御詠歌講の長嶋さん(お二方)増井さんそして何より檀信徒皆様の御喜捨の賜と厚く感謝する次第であります。

因果応報
 因果応報とともによく言われる言葉に自業自得と言う言葉があります。また似た言葉では因縁などもたびたび耳にします。
 この因果応報や自業自得と言う言葉を皆さんはどういうときに使われますか。
 「それは自業自得だよ。」
などと言っては人に対して使ってしまうことが多くないですか。
 業とは行為のことで、自業自得とは自分の行いの報いは自分が受けるという意味の言葉です。自分が何をしているかを意識すれば自業自得と人に言われてしまうことも少なくなると思われますが、今考えてみると修行中はやたらと静かにそれこそ針が落ちても判るくらい静かに行動することが求められます。熱いみそ汁をすする音も箸の音もお椀を置く音にいたるまでが音のない世界で進みます。このようにしてみるとホントに今自分が何をしているのかが一秒単位で意識できるものです。そうやって自分の行動を反省する訓練をしていたのかなと思います。
 ですから決して自業自得とは人を攻めたり慰めたりするためのものではなくて自分の行いを反省し良かったと言える未来に向かって努力をするための言葉なのです。
 この良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が待っているというのが善因善果、悪因悪果の大法則であり、これが因果応報と言うことです。
 そのようなことを言っても自分一人がいくらがんばっても他人や自然の力と一緒でないと良い結果が得られない場合がでてきます。こればかりはどうしようもないとさじを投げてしまってはいけません。
 このどうしようもない繋がりこそが因縁と呼ばれるものです。
 因縁とは因が原因、縁が繋がりと言うことです。
 つまりは生まれてきた原因があって自分がここに居り、認識する頭があって友達がいて家族がいると言うことです。雨も風も雷もみんな自分の外の出来事と思って生きている私達に本当は自分がそこまで広がって存在しているんだと気付かせるための言葉なのです。
 このことによって人とも自然とも協力しあい認めあう心を育てて善因善果の加護を求めるものでる。トップ

平成13年正月号

新年の仏法、万里に同じ風が吹き渡り、まず持って檀信徒各位ますますご清祥の報、お慶び申し上げます。
 西暦でいうと今年から二十一世紀となり、何やら期待と不安が昨日やってきたように感じる人もいられるかと思いますが、仏教的には何ら珍しくもおかしくもないのです。
 去年が特別でも今年が特別でもなく、ほんの少しバランスを崩したら無くなってしまう今有るこの身こそが特別であり尊いものなのです。
 こんな事を言うととても利己的で自分勝手な感じを受けられる方がいられるかと思いますが、そのまま何もしなければ人は自分勝手な方に傾き自分も人も信用できないつまらない人生になってしまいます。
 正しく思い正しく努力することで、釈尊の言われた「天上天下唯我独尊」という言葉は自分だけではない生きているもの、そこにあるものはすべてが尊く愛おしいものであると言っていると気付くことが出来るのです。
 そのように考えていくと隣に住んでいるあの人もこの人も、それぞれが尊いものとなりすべてのものが尊く見えてくるはずです。
 苦しみは期待と現実が矛盾したときに起こります。
まずは尊い自分を正しく修めて現実と期待が矛盾しないよう努力をつとめ、最後は自分の身を投げ出す気持ちで物事に当たれば、必ず盛大な結果が待っていると信じるものである。
本年も宜しくお願いいたします。
鎌倉流御詠歌創始五〇周年
 鎌倉・報国寺(竹寺)の先代菅原義道和尚の呼びかけで始まった鎌倉流御詠歌講は今年で五〇周年を迎えようとしています。現在は千名を越す講員の方ヶが関東各地で日々練習に励んでおります。この地三ノ宮に御詠歌講ができて十年前には四十周年記念大会にも参加いたしました。。
念仏・御詠歌・座禅など。どれも自分の中にある欲しい惜しい憎い可愛いというこだわりから離れるための方法です。
 欲しい惜しい憎い可愛いと何度も言うと、言ってるときはその事から離れられることに気がつきます。
 これが小さい悟りであります。
 先日、この五十周年を機会に新たに御詠歌を始められる希望をお聞きいたしました。その際心強い賛同の声を頂きましたこと厚く御礼申し上げます。トップ

平成13年8月

精進
遺教経に曰く

《もし勤めて精進すれば、則ち事として難き者無し。是ゆえに汝等当に勤めて精進すべし。たとえば少水の常に流れて則ち能く石を穿つがごとし、もし行者の心しばしば懈廃(げはい)すればたとえば火を鑚(き)るに、未だ熱からずして而も息(や)めば火を得んと欲すと雖も火を得べきこと難きが如し、是を精進と名づく。》
 遺教経というのはお釈迦様が亡くなられるときに集まった弟子に向かって言われた最後の言葉をまとめたものであるとされています。
 精進というのは、仏教の言葉で、教えを生活の中に活かして、それに努力し邁進するという意味です。
  遺教経の中ではわかりやすく『どんなに硬い石でも極少量の常に流れる水によってへこむではないか、逆にもう少しキリで擦ってあげれば火が着くものを、まだ熱くないのに息をふーふーやっても、いくら欲しい欲しいと言ってもだめですよ』と示してくれています。
 精進というと、なまぐさを使わない精進料理というのがありますが、最近は出汁からなまぐさを使わないで作るというのは難しくなってきました。ましてやバターなどはいけませんね。
 ここで世界で初めての合成食品が思い当たる人がいるかと思います、そうマーガリンです。最近ではマーガリンが良いかバターが良いかとの論争の末、マーガリンみたいなバターというものまで出てくるしだいであります。
 便利で美味しければいいと言うものの考え方に待ったをかける事件が海外から報告されていますが、やはり合成の食文化に感化されてしまうと生きているものをいただいているという意識が薄れてしまうのでしょうか。本来は生きてる命をいただいているわけです。野菜もそうです。だからご飯の前には、「(命を)いただきます」と言うんです。
 お釈迦様がいられた頃の修行は虫までも親の生まれ変わりかもしれないと殺すことはしなかった。野菜も自分で摘むこともしなかった。どうしても命をいただくので結局人が作ったものを分けて貰い(托鉢)修行を続けていました。この精進こそが精進料理の原点なんですね。建長寺の修行道場では粉末の出汁の素は使わせてもらえなかった。毎日昆布の出汁でみそ汁を作ったものです。遺教経の精進は二千三百年前の精進であって今と少しは違うと思われますが、少なくとも合成ではなく本当の自分を見つけて正しい努力と控えめな欲で確かな成果を実感する生活を手に入れることに変わりはありません。昔は火すら大成果の対象になっていたのですから。仕事も何も、当に精進すべし。
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鎌倉流御詠歌
五〇周年記念大会

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 去る三月二九日に熱海で開催された鎌倉流御詠歌五〇周年記念奉詠大会に能満寺支部から八名が出場いたしました。当日は雨の中八百人にも及ぶ講員の方々が集まり大盛況のうちに幕を閉じました。
$◎ホームページ開設
能満寺のホームページは
http://www.now-man.comです。歴史や写真などを紹介していきたいと思っております。ぜひアクセスしてみてください。
◎晋山式の日程決定
 六月二十九日に建長寺の吉田正道老大師に相見し、老大師のご予定を考慮して平成十五年四月十三日に晋山式を行うことが決定いたしました。御寄付いただいて起きながらなかなか具体化できずにおりましたが日程もはっきりしましたので準備のお手伝い等重ね重ね宜しくお願いいたします。
◎茶と禅の旅
 この度親睦を深める意味を込めまして広く檀信徒各位に呼びかけ京都へ研修旅行に出かけることにいたしました。普段見ることの出来ないところ(特に茶室や非公開の長谷川等泊や狩野探幽の絵など)も案内できればと思っております。どうぞ お忙しいとは思いますがふるってご参加ください。平成十四年三月三日〜
四日 費用四万円以内トップ

平成14年正月

新年あけましておめでとうございます。

  檀信徒各位益々ご清祥の報、お慶び申し上げます。
 昨年の末には、日本中を喜ばせる良い知らせが舞い込み、沈みがちな私たちの気持ちも晴れる思いがいたしました。
 昔のお坊さんで一休宗純というと皆さんおなじみの一休さんですが(室町時代の禅僧、晩年大徳寺住職となる。)元日にあたり次のような言葉を残しております。
 元日や
  冥土の旅の一里塚
   めでたくもあり
    めでたくもなし
 この言葉はめでたいときにはめでたいで良いんだけどもそれだけで終わってしまって本来のところがおろそかになっておりはしませんかと言うことです。。
 つまり「私といえどもいつ死ぬか判らないこの命、一日生きることは一日死ぬことであると真剣に生きていますか。」と言われているわけです。
 一日死ぬんだと思えば、とてもではないが人といざこざを起こしたり憎まれ口を言ったりしている余裕はないはずです。そのことは今日産まれた赤ちゃんにも言えることです。
 しかしながら赤ちゃんはその時を一生懸命に生きていて、愚痴も何も言う余裕がありません。つまり人は生まれながらにして本来の自分というのを備えているわけです。いつの頃かその本来の自分というものを見失ってしまっている、それが自分なんだと気づくことが大事なのではないでしょうか。
◎今年は能満寺においても晋山式にむけて様々な準備を計画しております。
 一、境内の整備
 二、修行の場としての環境づくり(御詠歌・写経・茶道等)
 三、晋山式のプログラムにそった諸準備
 四、檀信徒京都研修(茶と禅の旅・時代劇の舞台を訪ねて)

一、境内整備三ノ宮橋が車両通行止めとなって大変不便をおかけしておりますが、この度田中工業様側の裏参道を車のあがれる参道とすることになりました。測量などがすでに終わっております。晋山式といずれは訪れる本堂の改修までも視野に入れて多目的スペースとしての修行道場兼仮本堂を増築いたします。いずれの費用も今までいただいた浄財を基本に進めていきたいと思いますが、使い勝手の良さにさらなる御芳志を賜りますようお願い申し上げます。
二、修行の場
 本来修行の場である寺を禅に関係する諸文化の研鑽の場として門を広げたいと思います。つきましては書道、茶道、など能満寺でお教えいただける先生を紹介していただけたらと思っております。能満寺としては四月より写経と座禅の会を月一回のペースで行いたいと思っております。
 さらに御詠歌講の講員さんも募集いたしております。
三、晋山式の準備
 只今、内容に関して役員さんと検討中です。大まかには御稚児さんをどのような形でお願いするかなど話し合いを進めております。
 四、檀信徒京都研修(茶と禅の旅・時代劇の舞台を訪ねて)
今年三月三日〜四日
で京都大徳寺への旅行を計画しておりますが四十名をまだまだ満たすことが出来ません。皆様の気持ちよい御参加をお願いいたします。
 費用 三八〇〇〇円
費用を添えて世話人さんへ(市外の人は直接寺へ)申込下さい。
坂の上にそびえる南無延命地蔵願王菩薩の旗ホームペ-ジ(www.now-man.com)をご覧になった方はもうご存じと思いますが、能満寺の古図によるとあの場所には地蔵堂があったとなっています。能満寺に地蔵菩薩は二体在ります。一体はこの地蔵堂にあった地蔵菩薩で、もう一体は西富岡の新田堀江家の菩提寺である松山寺の御本尊です。お地蔵さまは土の力を表しております。土より作物が出来、私達が出来、枯れて土に帰り全てを受け入れてくれます。そのようなエネルギーを持った土のいわば誕生と吸収の象徴なのです。お地蔵様を拝むときは大地の力に感謝しましょう。
餅つき大会盛大のうちに終わる去る十二月二十八日境内に於いて餅つき大会が行われ少林寺拳法の関係者、総代さん、沢山の子供達の参加をえて鏡餅を作ったりしました。。つきたての餅はとても美味しかったです。

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15年正月

 今年は建長寺が鎌倉の地に建立されて七五〇年目の節目の年です。七五〇年前、執権北条時頼は日本の国を治める為に師となる人物を捜していました。それまでの鎌倉は頼朝がたてた八幡宮寺の別当を中心とする寺門系の僧侶の影響が強かったようです。まだ禅宗というものが独り立ちできてない時代のことです。そのようなときに禅を伝えようとして一人の若い僧侶がはるばる海を渡って宋から九州にたどり着きました。その方が建長寺の開山様であられる蘭渓道隆禅師(大覚禅師)であります。当初は東国を廻ったら西へ帰られるつもりであったのですが時頼の願心に応じて鎌倉に留まり純然たる禅の道場を建てることを決意いたします。
 その時より時頼もその法門に加わり教えを請うこととなります。
 当時の外国の情報に詳しかったのはこうした渡来僧であったので、時頼、時宗親子は大覚禅師の話に耳を傾けて政治の難局を乗り越えたのです。
 そうして建長寺は今から七五〇年前の建長五年に大法要を執り行って禅の専門道場として動き始めます。
ちなみに年号が寺の名前になっているところは少なく建長寺以外では比叡山延暦寺など数えるほどしかありません。
 建長寺創建当時の建物は中国の経山万寿寺を模して建てられました。それまでの寺院と違うところは、トイレ(東司)や浴室までもが伽藍に加えられているところです。創建当時の建物は今ではもう残っていないのですが、そこにかけられた梵鐘が今も三門の右に見ることが出来ます。この梵鐘は現在国宝に指定されていて七五〇年経った今でも毎日時を告げ続けています。もう一つ創建当時のなごりが岩山の中に隠れています。それは岩をくりぬいた洞窟です。坐禅窟とも言われますがそのような穴がいたる所に見ることが出来ます。
やぐらと言われるこの洞窟は今ではお墓として利用されています。鎌倉に行ったら崖に目を向けてみてはい
 伊豆の修禅寺は真言宗の寺でありましたが大覚禅師が鎌倉を追われてこの寺に住したときに臨済宗となっており、伊豆から山梨にかけての臨済寺院はこのようなきっかけで広がっていきました。(修禅寺は後に北条早雲の保護を受けて曹洞宗となっています。この修禅寺に伝わる摺り袈裟の信仰が能満寺にもあることも興味深いですね。)
 得難い師を持った時頼は早くに隠居のみとなりましたが、その影響力は益々大きくなっていきました。 
 時頼が館を設けたのが後に最明寺となり、この寺はその後大覚禅師を開山とした禅興寺という寺になって受け継がれていきます。この禅興寺から三ノ宮の寺門系寺院へ禅を広めるために来られたのが能満寺開山無印素文禅師です。
 お釈迦様は全てのものは移り変わって二度と同じものはないと言われましたがゆっくりとした変化が私達の周りにもあります。せわしない世の中でもう一度七五〇年の変化に目を向けてみてはいかがでしょうか。
! 晋山式
 平成十五年
   四月十三日
 午前十時より
 (行列は九時半頃より)
  詳細は後日お知らせいたします

建長寺創建七五〇年記念檀参
 (建長寺が創建されて七五〇年の節目の年にあたりお世話になった末寺の檀信徒の方々に建長寺を訪れて頂いて先祖の法要を行います。)
 平成十五年
  十一月十七日
  
御詠歌
  五十年たった今でも人 を引きつけ続ける旋律。
 鎌倉流御詠歌講は約千人 の仲間がいます。
 毎月 第一・三
    土曜日
 夜 七時半より
  二月 一日・十五日
  三月 一日・十五日
  四月 五日・十九日

写経の会
  お経の意味にふれて、 真剣にお経を写す一時間。 心を耕しましょう。
 
 毎月 第二
    土曜日
 夜 七時より
  一月 十一日
  二月 八 日
  三月 八 日
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平成15年8月

広げた扇の
 たたみ方
坐禅会
新規開催・十月より
 毎月第四土曜日
  朝七時から八時
     過ぎまで

 人生を謳歌している人はいわば扇を広げたようなものです。しかしながら今日明日のいのちすら自分でもどうにもなりません。迷わず怒らず怠らず一日を一所懸命に生きること、そして自分が反省して感謝して謙虚な心を持つこと。これらのことが実は広げた扇をたたむことに繋がるのではないかと思うのです。その為に禅定という方法を行います。正しい姿勢には正しい呼吸が宿り、正しい呼吸には正しい心が宿る。朝のひと時、大いなるものに抱かれてみませんか。

"
御詠歌講
 第三期生募集
毎週第一・第三土曜日

 夜七時半より
 年に一度建長寺で発表を行っています。
 
写経の会
 毎週第三土曜日

般若心経を唱えて写経をします。一時間たったらお経の意味について勉強します。

平成15年11月

建長寺創建七五〇年
   慶讃大法要  " 去る十月一日十一時より建長寺法堂において慶讃大法要が行われました。
 当日は晴天にも恵まれ円覚寺、建仁寺をはじめ各本山から老師様を招いて感謝と報恩の読経朗々と響き渡りました。
▲▲●特別檀参●▼▼
 十一月十三日
 創建七五〇年を記念いたしまして能満寺檀信徒特別檀参総供養会に行ってまいりました。
 朝から少しばかり天気が心配されましたが総勢七十七名バス二台で鎌倉へ出発いたしました。建長寺では法堂(龍の絵が掲げられた御堂)で建長寺の安泰と壇信徒各家の家内安全を祈る祈祷、先祖代々の供養を致しました。昼を食べてから国宝館へ行きました。北条時頼は承久の乱以後、念願であった三浦氏を討ち取ります。その三浦氏処刑した地獄谷に建長寺を建てました。敵味方の霊に想いをはせながら三浦氏ゆかりの寺満願寺へ向かいました。そして時頼、時宗親子の知恵袋であった北条実時の金沢文庫へ。鎌倉時代随一の浄土式庭園が私達を迎えてくれました。最後に無礼講で中華街にて食事をして帰路につきました。
 七五〇年の記念事業に対しまして壇信徒の皆様から以前御寄付をいただいておりました。今回の檀参を機会にその御礼として記念品を預かってまいりました。 建長寺の境内には開山蘭渓道隆禅師がお手植えになった柏槙があります。この柏槙が台風で被害に遭い枝が折れたことがありました。その枝を乾燥して数珠の玉として利用して造られた数珠です。これを今回の記念品として皆様に配らせていただきました。ご愛用いただければ開山禅師もお慶びのことと思います。

本尊虚空蔵菩薩
  光背再建記念
 臘八特別夜間
紅葉ライトアップ
 十二月一日
から
    七日まで
   六時〜七時半
 
光背は仏様の徳を表しています。まぶしくどこまでも伸びる光がけして止むことなく私達を包んでくれています。虚空蔵菩薩さまは福と智慧を与えて下さります。福と智慧は家内安全、健康増進、学業成就、夫婦円満、安産など意味します。
 また臘月八日はお釈迦様が悟りを開いた日で一日から八日まで瞑想をしたと言われています。今全国の僧堂では八日間を一日と見立てて横になって眠らずに坐禅する修行を行っています。ここにその徳をしたって紅葉のライトアップをいたします。是非皆さんでおいで下さい。

新規開催
 毎月第四土曜日
  朝七時から八時
     過ぎまで

 御詠歌講
 第三期生募集
毎週第一・第三土曜日

 夜七時半より
 年に一度建長寺で発表を行っています。
 写経の会
 毎週第三土曜日

般若心経を唱えて写経をします。一時間たったらお経の意味について勉強します。

平成16年正月

孫 悟 空

 今年は申年です。猿の出てくるお話で仏教と関わりが深いものに西遊記があります。玄奘三蔵法師が孫悟空と沙悟浄と猪八戒を連れて天竺へ(実際には大般若経を求めて)旅をする話です。ここに出てくる孫悟空の名前には「空を悟る」とあります。猿である悟空が「空を悟る」とはどういうことでしょうか。
 例えば今、目の前にご馳走があったとします。見るからに色も良く、香りも素晴らしい。食べてみれば味も歯触りも全て申し分のない料理だったとします。一通り食べ終わってお腹も一杯になったところに、また同じものが出てきたら先ほどのような感動は持てないものです。しかし料理に罪はないですよね。あれほど美味しく見えたものが次には見たくもないとはどうしてでしょうか。
 心もこれに似ています。見るもの聞くことは楽しかったり苦しかったりしますが、その事で心が一杯になってしまっていては、素直な感動はありません。心に写ることは増えることも減ることもなく、奇麗でもなく汚くもないことに、本当に気付いたとき初めて空を知ることが出来るのです。
 それにはいつでも心を空っぽにしておくことが空を悟る第一歩なのです。
 薬師寺の高田前管長さまの言葉に「かたよらない心、とらわれない心、こだわらない心、ひろくひろくもっとひろく。」というのがあります。
 皆様も「食う」と「空」を精進いただき御多幸あらんことをお祈り申し上げます。

佛日増揮
本尊 虚空蔵菩薩光背再建なる
 今から二百年ほど前能満寺が火事に遭った
頃からでしょうか、本尊様の光背はなくなっ
てしまいました。
 光背とは仏像の後光
をあらわしたもので、そのお姿が太陽のように輝いている様子をあらわしています。
 台座には光背が立てられていた穴があいており、その大きさから本来のものは舟形の光背であろうということになりました。
 時代的な考察も入れて国宝級の模刻、舟形唐草光背が適切であると決め作業に入りました。一番気を付けなくてはならないのは室町時代の本尊様の姿を傷つけることがないようにとの配慮でした。実際には台座を保護するために台座を削ることはせずに座椅子のように下から支柱を出してそこにはめ込むようになっています。
 光背を再建するにあたって台座の飾りが落ちていたので欄間と四天王と餓鬼を本来ある場所に付けていただきました。
 
 幾多の苦難を歴代さんと壇信徒の御先祖様と乗り越えてきたでありましょうか。大明神別当・虚空蔵菩薩が二百年ぶりに後光を増されました。益々拝む方々に福徳と智慧を授けていただけることと思います。御寄進いただいた佐藤安男様と
神戸忠夫様に御礼申し上げます。
 能満寺参拝者  専用駐車場
 車の時代となって久しい世の中ですが能満寺には今まで駐車場といえる場所がありませんでした。行事の時などは路上に駐車することも止むを得ないとして訪れる方に不便をおかけしていたと思います。
 本来は本尊様の前を素通りすること、ましてや車で往来することはあまり好ましい姿ではありません。そこでこの度隣接地に駐車場を設けました。これよりは皆様の御協力により広々した境内で気持ちよく本尊様に手を合わせてお参りいただき、お墓参り、寺の用事等をお済ませ下さい。

平成16年7月

やさしい禅の教え

建長寺派布教師会監修の本「やさしい禅の教え」がワニマガジン社より発売されました。建長寺派布教師による法話集です。

《護持会の見直し》
寺院規則に則った姿にするため、能満寺護持会を見直し平成八年当時の会則の出来る前の形に戻します。
 総会は会計報告のみに戻ります。役職は
 住職(代表役員)
 総代(責任役員)
 世話人(住職・総代の補佐)
となります。
 寺院規則に関しましては掲示いたしますので今一度確認ください。
 

《墓地管理規則》
墓埋法の改定により墓地管理規則を新たに設けました。
 今までと違う点は事務管理費として管理料を集めることが必要になってくる点です。金額に関しては本年度中に決めたいと思います。
 
【紅葉ライトアップ】
十二月五日
薩摩琵琶の日本弟一人者 関川昌宏 師をお招きして静寂と旋律の一夜をお楽しみください。 

御施餓鬼の一時からが変わります。
 例年一時から行っている総会ですが今年は十二時半から行います。一時からは布教師さんによる法話が始まります。今年は建長寺派布教師会の会長を務められている海老名龍峰寺の住職・大西幸道師です。


墓地整備始まる。
 長年の想いが結実いたしまして、この度能満寺共同墓地上段の墓地整備行うこととなりました。工期は十二月中旬までです。近くを通られる時は十分ご注意ください。

平成17年正月

謹賀新年
 新年を迎え皆様の健康と御多幸をお祈り申し上げます。
 昨年は能満寺の護持に対しましてひとかたならぬ御法愛を賜りましたこと法幸に存じます。
 本年も拝仏崇祖の念篤く宜しく御精進の程お願い申し上げます。


+お正月を迎えた
韋駄天さん
オンイダテーター       ソワカ
(足の速い魔を払う軍神・仏教の守り神)
 能満寺の韋駄天さんは典座(テンゾ・台所)の脇に有ります。毎朝朝課のさいには鈴を鳴らしてオンイタテーター)と七回唱えます。
上段墓地の整備
      終わる
 昨年、夏より始まりました墓地整備の計画も皆様の協力のもと無事終えることが出来ました。十二月二十七日に開眼供養をし、線香を手向けていただいて入魂いたしました。施主家各家のさらなる繁栄をお祈り申し上げます。

 紅葉
 ライトアップ
  〜琵琶の余韻〜

 先月(十二月)二日より四日まで能満寺の紅葉をライトアップしました。去年より試みとして行っているのですが今回は薩摩琵琶の第一人者である関川鶴祐師と岩佐鶴丈師においでいただき能満寺の本堂で演奏をしていただきました。あいにくの雨でしたが六十名ほどの人と本堂は琵琶の余韻にひたりました。抹茶の接待を無料でいたしましたがお手伝いいただいた方に御礼申し上げます。
施茶 大貫 勢津子様
   三田 威雄 様
   小澤 重文 様