摺袈裟(すりげさ)-摺り袈裟講-

摺袈裟というのは、経文を袈裟に摺り込むためにつくられた版木で、表に経文が彫られており、全紙1枚分の紙袈裟が出来上がる。岡山県井原町の法泉寺に伝わる「十王袈裟記」によると、室町時代前期に伊豆国田中庄で五郎大夫なるものが急死した。そこへ十王が袈裟を持って、汝は曾我五郎の再来で父に孝行をしたので三たび人間に生まれよ、という夢をみて甦り、そこで五郎はこの袈裟を版木にし、伊豆の修善寺へ寄進した。この版木を後にもらい受け、伊勢新九郎盛時(=北条早雲・ 北条早雲は、1432年備中高越城主伊勢新左衛門盛定の子として生まれ、伊勢新九郎盛時と名乗り、青年期まで荏原庄で武芸と学問に励みました。33歳で京都伊勢氏の養子となって上洛し、足利義視の近侍となり応仁の乱で伊勢へ下る。その後、妹の嫁ぎ先、駿河の守護今川家の家督争いを治め興国寺城主となった。そして、堀越御所や小田原城などを攻略し、1516年に伊豆・相模を手中に収め、関東制覇の礎を築いた。このように、武勇と情勢判断に優れた早雲は、領国経営にも手腕を発揮し、領民から名君と慕われ、戦国大名の魁となったのである。ふるさと井原には、早雲が遊び、武芸・勉学に励んだ高越城址や法泉寺をはじめ、早雲が寄進したと伝えられる新九郎薬師や摺り袈裟の版木などが残されている。早雲ゆかりの史跡を訪ね、戦国のロマンに触れてみよう。)が法泉寺に寄進したとも伝えている。現在でも、法泉寺では霊験あらたかな御守りとしてこの摺り袈裟を頒布している。

 能満寺の摺り袈裟は慶応年間に寄進された大変大きな版木が残っており、それをもとに印刷されています。能満寺の摺り袈裟をお守りとして1年の無事を祈りましょう。また親しい方ご親戚の方にご不幸があった場合には、摺り袈裟をお守りとして棺に一緒に入れてあげましょう。仏教徒はみんなお釈迦さまの愛弟子です。袈裟を身につけて正しい精進をしましょう。

摺袈裟講

 平成14年より能満寺では稀少な摺り袈裟の徳を讃えんが為に会費制による摺袈裟講を発会いたします。会費により毎年の摺り袈裟の発送、12月には一斉供養などを考えております。ご希望の方は能満寺まで。