雲水 禅宗の修行者。行雲流水の略で何ものにもとらわれず、諸国を行脚して、良師を求め歩く

      その姿を雲と水にたとえた。

園頭 畑の責任者。修行僧は買い物をして、食事のまかないをすることは許されていない。全ては托鉢とこの園頭

      寮で出来た野菜で食事をすることになる。今でなお、くみ取りにより堆肥を作っているところも少なくない。

      全て自分に返ってくるようになっている。

掛塔 修行道場に籍を置いて修行の生活に入ること。僧堂では入門するのに試験というものはなく、掛塔願書を

      玄関先で差し出し断られ続けてもひたすら座り込んだりして、その意志の堅さを確かめられる。その間1週間にも

      及ぶことはざらである。

鎌倉五山 鎌倉時代に中国の五山制度を取り入れて決められたもの。建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺、

      のこと。

脚下照顧 足元を見よ。看却下と同様にまず玄関で自分が脱いだ草履をそろえ、つま先を出口に向けて整えること。

      これが転じて、常に気を配り自分の周りから自分を整えよという反省を促す言葉。

禁葷酒肉 香りの強い野菜、ニラやネギ、ニンニク、さらに酒と肉を食べることを禁じた言葉。修行中には何度か

      供養をいただいて、カレーなどを作ることもあるが、この中には肉の代わりに良く炒めたこんにゃくが入っている。

      少しぼそっとした食感がこんにゃくには思えない不思議な感じをあたえてくれる。

経行 修行者が座禅中に眠気や寒さから離れ、勢いをつけるため禅堂の周りを一列になって歩いたり走ったりすること(きんひ

      ん)。

      接心中などは、この時東司(トイレのこと)も済まし、経行、座禅、経行、座禅を繰り返す。

警策 警覚策励の略で、目を覚まさせてあげて、励ますという意味がある。座禅中に巡回している人が持っている

      棒のことを指すこともある。たたかれるときは合掌をお互いにして、決して恨み辛みを残してはいけないとある。

      禅宗の修行では良くて賞棒、悪くて罰棒といわれるとうり、良くても悪くてもたたかれるという親切な仕組み

      となっている。

作務 掃除や畑仕事、草鞋づくりから薪割りまで動く座禅のこと。動中の工夫は静中に勝ること百千倍であると

      言われるように常にその成果が問われる場である。

茶礼 行事の前後、粥座と斎座の後、など全員が集まって和合のお茶を飲む。托鉢の途中でお茶を出していただく

      ことも多くこの場合も茶礼という。粥座と斎座の後の茶礼の時に、みんなが居るかどうかの確認をします。

      この事から自分の居場所が単であるので授業に出席して取るものを単位と言うようになった。

食堂 じきどうと読み三黙堂のひとつ。箸を持つタイミングから、おかわりをお願いする事まで全てを身振り手振りと

      決められた音で判断する。その間の私語、器を置く音、熱いお椀をすすることなどは決して許されない。ただし麺類を食

      べるときだけは例外でこの時とばかりに滝の流れるがごとく、

      すすって食べる。

止静 座禅の開始を意味する。止静中と言ったら何があっても禅堂への出入りは許されない。針一本が落ちるのも

      判るくらいの静寂の中ひたすら自分と向かい合う。

粥座 朝ご飯のこと。読んで字のごとく朝は決まってお粥。梅干しに沢庵がそれに付く。粥には十もの有り難い

      効き目があるとされており、体が温まり、胃の調子を整え1日の準備をしてくれる。それに対し昼は斎座

      夜は本当は食べないのだが、薬石(やくせき)として昼の残りを食べる。この薬石は、懐石と同様に

      その昔、僧侶が飢えをしのぐために懐に焼いた石を入れたことからそうよばれている。

頭陀袋 何でも入ってしまう袋。頭陀行とは煩悩を断ち切る修行で、主に乞食行のことを言う。その時いただいたもの

      を入れておく袋をこう呼ぶ。

接心 年に6回、一週間集中して座禅をすること。このときばかりは普段の作務や托鉢に出ることもなく、

      ただひたすらに座る。夜は11時過ぎまで、朝は3時に起きるというまさに自分との戦いの一週間である。

      その中でも12月(臘月)の1日から8日まで行われる臘八大接心は、8日間全く横にならないという

      お釈迦様の伝統にもとずいて接心をやることになる。

僧堂 修行道場全体のこと、もしくは聖僧(しょうそう・建長寺では僧形文殊菩薩)を奉るお堂のことを

      指すこともある。

托鉢 乞食行。古来より僧侶は生産活動に関わることはなかった。その日必要な分の食料は、その日の托鉢によって

      与えてもらったものでまかなって修行に専念していた。托鉢の僧を迎える側は、大切な食料を分け与える

      ことにより代わりに修行していただくという気持ちを大切にしてきた。お互いの修行である。

単  座禅をする高さ80センチほどの台で一畳分が自分の単ということになる。起きて半畳寝て一畳とは

      この単で十分な人の営みを言う。足りるを知ることを徹底的に教わる場所である。

典座 禅寺で食事の一切を取り仕切る役職。通常は古参の者がこれにあたる。食事と言っても自分たちで作った野菜と

      頂いたものしか食べれないので、違うものを作って出そうと思うとかなりの工夫が必要である。

    

東司 今の言葉で言えばトイレのこと。禅宗では東司も七堂伽藍のひとつに数えられている。

      曹洞宗では、この東司と禅堂、浴室が三黙堂に数えられている。三黙堂とは決して話すことの出来ない、

      禁高談戯笑であるお堂のこと。

法語規則 建長寺の開山 蘭渓道隆禅師の修行中の心得。建長寺には直筆の掛け軸が残っていて国宝に指定されている。詳しく